第5章ー2 友達なんだから嘘はつかないでほしいよね

 

『自分』はぼんやりと宙を眺めていた。

壇上は『令和○年度 荒川中学校入学式』と書かれた看板が掲げられている。

その下で校長が「これから君たちは3年間仲間として」だとか「今できた友達が一生の友達」だとかいう演説を延々と続けていた。

整然と並べられたパイプ椅子には、これまた整然と同じ格好をした生徒が座り、まるでスーパーの商品みたいだな、と一人考える。

その商品の一つとなった『自分』の姿を見下ろし、なんともいえない違和感を覚えた。

制服を着るということは、なんて窮屈なことなんだろう。

サイズは少し大きいけれど、『自分』というやわらかなものが型に押し込められたような感覚がする。

なんとかならないものかと胸元や袖をいじっていると、隣の席から「ねえ」と声をかけられた。

甲高い声なので、てっきり女子かと思い振り向く。

しかし、そこにいたのは帽子とサングラスを付けた、奇妙な風体の男子学生だった。

彼はぶかぶかの詰襟に埋もれるようにして、椅子の上にちょこんと座っていた。

「さっきからもぞもぞしてるけど、大丈夫?気分良くないなら、先生呼ぼうか?」

「あ、えっと。制服っていうのはどうも着慣れないなと思って。でも、私服着て登校なんかしたら怒られるし。それで、どうしようかと」

そういうと、男子は「ふふ」と口元に笑みを浮かべた。

「そうだね。僕もそう思ってたところだよ。もしそんなにその制服が気になるんなら、ジャージとか着たらどうかな。まだ制服よりは着やすいと思うけど」

「そ、そう」

男子の言葉に妙に納得し、『自分』は素直に頷く。

すると、男子はかぶっている帽子とサングラスを指さす。

「これ、外してもいいと思う?かなり目立ってるよね」

『自分』はしばらく考えて、ぽつりとつぶやいた。

「そりゃあ、いやだと思うんなら脱いでもいいんじゃない」

「だよねえ。母さんが体育館の中はカーテンが閉まってないから、紫外線対策のために着けてろってうるさいんだ」

確かに、体育館の壁をぐるりと取り囲む大きな窓からは、まぶしい太陽光がさんさんと降り注いでる。

しかし紫外線対策とは、まるで女子みたいなことを言う。

そう思っていると、やおらその男子は帽子とサングラスを外した。

その下から現れたものを見た瞬間、『自分』は息をのむ。

彼の頭は、ほとんど白に近い金髪だった。

まるでおとぎ話の中から抜け出たような姿に、思わず声を漏らす。

「妖精……」

「は?」

「あ、せ、西洋人、なのかなって」

「あー、よく言われるけど違うんだ。生まれつき色素がないだけで、純日本人だよ」

「そう、なのか」

サングラスを外した彼の目は、太陽の光を反射し銀色に光る。

だが彼はすぐにサングラスを付けてしまった。

「やっぱりまぶしいね。目立つのもいやだし、帽子もかぶっておくよ」

「そうか……」

仕方がないとは思ったが、見えなくなってしまうのが、なぜだか惜しいような気がした。

『自分』と彼の席の列を見る限り、クラスも同じではないらしい。

このまま分かれてしまうのはもったいない。

そう思うといてもたってもいられなくなり、思い切ってもう一度声をかける。


「                              」



「モーント様、『紅蓮の剣士』殿についての処遇に、一部の冒険者から批判が上がっております……」

「モーント様、『幽玄の魔導士』様の行方がいまだ分かっておりません。汽車開通除幕式の日程調整はいかがなされますか……」

「モーント様、ヴィヴィアン殿との連絡が取れません。本日の実績発表はどうなさいましょう……」

次々と舞い込む問題を前に、モーントは一人押し黙っていた。

最近、立て続けに異常事態が起こり続けている。

それもこれもあの日、ダンジョンでファントムとやり合ってからおかしくなった。

思えば、あの男はずっとおかしなことばかり言ってきていた。

『こんなマルチまがいのやり方でできた国、そう長く持たねえってよ』

『お前、『王国』を使って一体なにをする気だ』

何をする気、だと。

あんな奴に何が分かるというのだろう。

モーントはファントムの顔を思い浮かべた。

仮面の下から覗く、あの陰気な瞳。

正体はとっくに分かっている。

どうせ大人の立場から、上っ面ばかりのきれいごとを押し付けようとしているのだろう。

冗談じゃない。

目の前の書類に手を付けるのやめ、ペンを机の上に置く。

そしてなおも問題ごとを持ち込む部下たちを押しのけて、モーントは一人ギルドを出た。

向かったのは街の中心、天に向かってそびえる女神の像。

像の下は礼拝堂になっており、王国の式典などがあるときはここで行うのがお決まりになっている。

しかし今日は、皆次々と起こる奇妙な出来事に翻弄され、人っ子一人いない。

しんと静まり返った礼拝堂を突っ切り、祭壇の前で立ち止まる。

そして胸元から、ペンダントのようなものを取り出した。

黒いドラゴンの形をしたそれを、祭壇に置く。

すると、どこからか歯車が回るようなギリギリという音が鳴り響いた。

同時に、目の前にある祭壇の中央に切れ目が入り、そのままぱっくりと縦に割れる。

その向こうには、大理石でできたらせん階段が延々と続いていた。

ここで移動魔法を使うことはできない。

モーントはペンダントを胸にしまうと、階段を一段一段、ゆっくりと上っていく。

階段はどこまでも続いているように見え、果てが分からない。

上りながら、あの黒いノートに書かれていたことを思い出した。

それは、自分があのノートを手に入れる前からすでに記述されていた。


かつて、この地はどこまでも白く、なにもない場所だった

そこへ女神が一本の線を走らせ、大地ができた

女神は森を作り、湖を作り、砂漠を作り、そこに生きるありとあらゆるものを生み出した

そこへ、白き勇者が現れた

勇者は正義と光をもたらし、女神とともに王国を繁栄させた

やがて勇者が姿を消し、代わりに黒き魔王がこの世に現れた

魔王はこの世界に悪意と闇をもたらし、女神を苦しませた

しかし女神はその身を挺して王国を守り抜いた

女神の魂は形を変え、この王国の物語を語り継ぐためのお守りになった

すなわち、創造をつかさどる白きドラゴン

そして、破壊をつかさどる黒きドラゴン

その二つがお互いを噛み合って、王国は紡がれ続ける


モーントが最初にこの王国に訪れた、あの日。

そのお守りを二つに割り、黒い方を自分が預かった。

そして白い方は、今から向かう者に手渡したのだ。

数時間かかって階段を上り終えると、目の前に大きな観音開きの扉が現れる。

目がくらむほど白いその扉に向かい、モーントはノックをして呼びかける。

「なあ。いい加減、出てきてくれないか。俺一人じゃ、もうどうにもならない。お前が出てこれるように、今までずいぶんがんばってきたんだ。ここでお前が仕事をしてくれれば、みんな受け入れてくれる。そうだと思わないか?」

それだけ言って、しばらく待つ。

しかし、返事はない。深くため息を吐き、どうしようかと思案した。

その時、ふと扉に小さく隙間が開いているのに気が付く。

扉は普段、固くしまっているはずなのに。

モーントは胸騒ぎを覚え、金でできたノブに手を掛ける。

ノブは今までならありえないほどあっさりと動き、内向きに開いた。

焦る気持ちを抑えつつ、恐る恐る中に入ってみる。

そこには、本来ならばこの王国の象徴ともいうべき人物がいるはずだった。

しかし。

「……いない」

どこを見渡しても、そこに女神の姿はない。

白い天蓋付きのベッドにも、かわいらしい机と椅子のそばにも、大量のぬいぐるみの中にも。

どこを探しても、彼女の姿は見当たらなかった。

モーントは胸からペンダントを取り出す。

そして壁際にある小さな丸窓を開け、そのペンダントをかざしてみた。

すると、黒いドラゴンの飾りから光が一直線に伸びる。

その向こうに、これと対になる白いドラゴンのペンダント……その持ち主の女神がいるはずだ。

光は街を超え、壁を越え、砂漠へと向かっている。

そして、その向こうにはあの廃城があった。

モーントは静かにペンダントを下ろす。

そうか。やっぱりそうなのか。

ベッドに腰を下ろし、頭を抱えた。

大切な妹のために、こんなにもがんばってきたのに。

やりたくもない主人公の役割を引き受け、必死に努力して来たのに。

自分の努力があっさりと裏切られたような気持になり、何も考えられなくなる。

その時、黒いドラゴンの目がきらりと光った気がした。

不審に思い、持ち上げてみる。

すると、頭の中に声が響いてきた。

『……聞こえるか。悲しき月の子。哀れな勇者の子』

「誰だ?ファントムか?」

またなにかのいたずらかと思い、衝動的にペンダントを叩きつけそうになる。

しかし、低い声は優しく語り続けた。

『……私はこの王国を作りし者』

その名を聞き、モーントは目を見開く。

「まさか、あんたは」

赤いルビーのようなドラゴンの瞳は、モーントの目を捉えて離さない。

やわらかなその声は、頭の中を響き渡り、その胸に沈み込んでくるようだった。

『見捨てられし女神の片割れよ。君に行くべき道を照らしに来た』


肌がひんやりと冷えるのを感じ、ラケルタは意識が戻りつつあるのを認識した。

カツンカツンという響くような靴音と共に、ニコとファントムの話し声が聞こえる。

「……じゃあ、汽車の中にあった魔法陣は、私たちの力を使ってこの王国から現実へ何かをしようとしていた、ってこと?」

「多分そうだろう。とはいえ、ヴィヴィアンのアバターを使ってたやつの正体が分からん。急がなきゃ、また何か仕掛けてくるかもしれん」

「……アバター、ってなに?」

ラケルタは薄目を開いて、ファントムに問いかける。

どうやら自分はまたニコの胸の中にいたらしい。

周囲は薄暗く、壁は石造りでところどころ苔むしている。

下を向くと、らせん状の階段が延々と続いているた。

どうやら自分たちは、さっきからずっとここを降りていたらしい。

彼女の持っているカンテラの光が、振り向いたファントムの顔を照らす。

「あ、ラケルタ。起きても大丈夫なの?」

「なんとか……。それよりも、アバターって」

「ああ。要はこの世界における仮の姿のことだ。NCCは一応自分で考えて動くが、アバターはそうじゃない。というか、今ここにいる俺やお前さんだって、ある意味じゃアバターを使っているようなものだ」

「全然分かんない」

ニコは眉を八の字に下げて、首をひねる。

ラケルタも似たような表情をしたので、ファントムは「あー」とつぶやいて頭を掻く。

「テレビゲームを思い出せばいい。操作しているのは現実にいる『俺』かもしれないが、ゲームの世界で実際に動くのはそのゲームの中の『キャラクター』だろ?それがアバターだ。ヴィヴィアンは元々この世界の住人じゃなくて、誰かが操っていたキャラクターだったってことだ」

「僕はその正体が、あんただと思ってたよ」

ラケルタはファントムに向かって冷たく吐き捨てる。

ここにいるのは、自分とニコ、ファントム、そしてぷぇにっくすだけだ。

つまり、ジルバーンは助からなかったということだ。

それがファントムのせいではないことはラケルタ自身も重々承知していたが、その気持ちをどこかにぶつけずにはいられなかった。

ファントムはその言葉に全く動揺することなく、淡々と続ける。

「俺だったらもっとスマートにやるね。ああいう回りくどいやり方をするのは、自分の正体を絶対に知られたくないっていう臆病者の特徴だ。別の誰かに代償を支払わせて、自分は傷つかずに成果だけを横取りしようって魂胆さ」

「ふーん。どこかの誰かさんみたいに」

「ラケルタ、そんな言い方しないで」

叱責するニコに、ラケルタはそっぽを向く。

ファントムは答えることなく、無言で階段を降りていく。

一行はしばらくの間ひたすらに黙って進んでいった。

しかし、階段は降りても降りても続き、どこまでも果てがないように見える。

「ねえ、これどこまで続いてるの。浮遊魔法か移動魔法で、一気に降りちゃうのはダメ?」

しびれを切らしたように、ニコが訪ねる。ファントムはそれに冷静に答えた。

「それはできん。ここは一切の魔法が使えないんだ」

「自分の力で進んでいくことが大事ってことねぇ~」

ファントムの言葉に続くように、ぷぇにっくすが甘ったるい声で囁く。

ニコは「ちぇ」と唇をとがらせた。

その胸の中で、ラケルタはどこまでも終わらない階段をぼんやりと眺める。

世界の改編。

王国の作り直し。

流れでここまで来てしまったが、本当によかったのだろうか。

今まで様々な『星』を取り返してきたおかげで、ほとんどの記憶が思い出せる。

母の過保護っぷり。学校でのいじめ。教師の冷たさ。

その中でたった一人、対等に接してくれた友達のこと。

現実はいつだって、自分を責め立てるばかりだ。

王国を改変したところで、それが無くなるわけではないのだ。

考えがまとまらなくなり、ラケルタはニコの服の中に深く潜って丸まった。

しばらくそのまま揺られていると、ファントムの「着いたぞ」という声が外から聞こえてくる。

ニコも立ち止まったのを感じ、ラケルタはもぞもぞと服の中から這い出してきた。

そこは、ひどく荒れた場所だった。

そこら中に瓦礫や壊れた調度品のようなものが散乱し、どんよりとした空気が充満している。

よく見ると、そこここに血しぶきのようなものが飛び散っているのが見えた。

ぎょっとして思わずニコの服を掴む。

ファントムは部屋の様子を見渡し、ため息を一つ吐いた。

「どーしたの、魔王様。気分悪い?」

ぷぇにっくすが心配そうにその顔を覗き込む。

ファントムの顔は、どことなく疲れているようにも、具合が悪いようにも見えた。

しかし彼は頭を横に振り、部屋の中央へと進み出る。

そして床にしゃがみ込むと、ニコに向かって手招きをした。

促されるまま、ニコはファントムの元へと駆け寄る。

ファントムが床に向かってカンテラの光をかざすと、そこには黒く変色した血文字のようなもので、なにやら魔法陣が描かれている。

それは汽車にあったものよりも数倍大きく、より複雑な模様をしていた。

「よし、魔法陣はまだ消えてないみたいだな。ニコ、ラケルタ、準備を」

「はーい」

ファントムの呼びかけに、ニコは元気に返事をし、魔法陣の中心へと歩いていく……はずだった。

だが、彼女が中心へ近づきかけたとき、突如誰かがその腕を掴んだ。

「え!?」

「何!?」

ニコだけでなく、ファントムも驚きの声を上げる。

ラケルタは、ニコの腕をつかんだ相手の顔をまともに見て、思わず息をのむ。

「嘘……」

それはまぎれもなく『自分』の顔……レベル判定士アムレットの顔だった。

しかし、口を真一文字に結び、感情のない目でこちらを見下ろすその顔は、まるでマネキンか何かのように微動だにしない。

よく見ると、その頬にはひび割れのようなものが走り、それを金継ぎのように金色の小さな星が埋めている。

驚いて動けないニコの元へ、ファントムが慌てて駆け寄ろうとする。

その時、突然ぷぇにっくすが大きな声で叫んだ。

声は部屋中に鳴り響き、それを聞いた者は全身の筋肉が硬直する。

ファントムもそれは同じだったようで、走り出そうとする体制のままバランスを崩し、その場に倒れこむ。

すると、闇の中からどこからともなく現れた足が、ファントムの腕を踏みつけた。

うめき声を漏らすファントムに、踏みつけた相手は容赦のない言葉を投げかける。

「無様だな、魔王。だがこれでおあいこだ」

その声を、ラケルタは聞き覚えがあった。

声の主は靴音を響かせながらこちらへと近づいてくる。

そして、ニコの腕をつかむ『アムレット』の手にそっと触れて「もういい」とつぶやいた。

『アムレット』は言われた通りに手を放し、入れ替わるように声の主はニコの前に立ちはだかる。

「……ここで何をしている」

厳しい表情で語り掛けるその相手は、モーントだった。

自分のことを言われたと思い、ラケルタは顔を背ける。

しかし彼の視線は、その上の方に注がれている。

モーントは悲し気な口調でこう続けた。

「女神ともあろうものが、魔王の片棒を担ぐなんて。俺は兄として、恥ずかしい」

「…………」

モーントの言葉に、ラケルタは驚いて顔を上げる。

その目線の先では、ニコが今にも泣きだしそうな表情で俯ている。

彼女は口を堅く結び、何もしゃべらない。

モーントはため息を吐き、その目をラケルタに向ける。

「そこにいるのは、マルか。通りでこっちがうまく動かないわけだ」

そう言って、モーントはマネキンのような『アムレット』の額をツンとつつく。

『アムレット』は人形のように硬直したまま、つつかれた反動で小さく揺れた。

モーントは、黙ったままのラケルタの体を突如掴むと、自分の顔の前へと持ってくる。

「悲しいよ、俺は。大事な妹と、一番の親友に裏切られてたってわけだ。せっかく、協力しながらここまで王国を作り上げてきたのに」

「ち、違う!」

ラケルタは意を決して口を開く。

緊張で声が上ずるが、気にしていられない。

「王国は、歪んでいたんだ。その、星は全部現実の人たちの、脳の領域?で……それを僕らは知らずに取り合っていて……関係ない人をどんどん犠牲に……」

ラケルタの声はだんだんと小さくなっていく。

自分を見つめるモーントの瞳は、ぞっとするほど冷たい。

だから何だ、とでも言うようだ。

やがて言葉が続かなくなり、沈黙が流れる。

モーントは一息大きく息を吸うと、ラケルタを握ったまま歩き出した。

「そうか。君はそこまで知っていたんだね。妹もそうなんだろうな」

モーントが向かう先には、朽ちた玉座のようなものがあった。

彼はそこに腰を下ろすと、空いているほうの手で胸元を探る。

取り出したのは、ニコが持っているのとそっくりな、ドラゴンの形のペンダントだった。

色が黒いということ以外は、全く瓜二つである。

それをラケルタに見せながら、モーントは囁いた。

「君は、ここでかつて何が行われていたか知っているかい?」

「え?」

「知らないでここに来たんだ。じゃあ、教えてあげよう。この場所で起こったことと、そこにいる魔王がしでかしたことを、さ」

彼は冷徹な顔で、倒れ伏したままのファントムを見下ろす。

ファントムは何か言おうと顔を上げるが、そこへすかさずぷぇにっくすが口をふさぐ。

彼女の目は『アムレット』と同じく虚ろで、何を考えているか分からない。

モーントは静かに語りだす。

「君は、あの黒いノートの最初のページに書かれていたことは覚えているかい?」

「い、一応は……。女神がこの国を作って、勇者と魔王が色々したとかってやつだろう。あれ、でも女神はたしか死んだとかって」

「そうとも。だが、そこに書かれている女神とは、俺の妹のことじゃない。妹は二代目の女神として、この国を継いだだけだ。初代の女神は、魔王……ファントムが殺した」

「え?」

思わずファントムの方に目をやると、彼はバツが悪そうに目を逸らした。

「俺が知る通りなら、その女神が死んだのは今から十四年前。ファントムがまだ俺たちと同い年だった時だ。そして女神は、現実世界で保険医をやっていた。名前は確か、『るりこさん』だったかな」

『るりこさん』。

その名前を、ラケルタはどこかで聞いたことがあった。

しかし、それよりも気になることがある。

「どういうこと?その人が女神って」

「簡単なことだよ。『るりこさん』こそがノートの本来の持ち主だったんだ。そしてあいつは彼女とともに、王国を作っていた。まだそのころは魔王でもなんでもなかったらしいけどな」

ラケルタは思い出した。

ノートの記述は、ところどころ筆跡が違っていた。

あれは、書いていた人物が違っていたせいなのだ。

「なんで二人で王国を作っていたかは知らない。まあ、あいつが根暗だったから、るりこさんが相手をしてやってたとかだろうな。だがある時、あいつはノートを自分の物にしようと企てた。王国を自分の思うとおりに作り変えるために、邪魔な女神を消そうとしたのさ。だから、殺した」

「違う!」

ぷぇにっくすの腕をふりきり、ファントムが叫ぶ。

だがすぐに、ぷぇにっくすの腕が彼の口をふさいだ。

モーントは玉座から降り、ファントムのもとへと歩きながら話を続ける。

「その時から、こいつは魔王になった。かつてありとあらゆる物を生み出せたその腕は血に汚れ、すでにあるもの捻じ曲げることしかできなくなった。ノートからの制裁だ。やがてノートはこいつの手元を離れ、どこかへと消える」

モーントはファントムのすぐ目の前に来ると、しゃがみ込んでその仮面をはぎ取る。

その下から現れた顔は、ラケルタがどこかで予想した通りのものだった。

「逸見大河。俺たちの学校の保険医。かつての罪滅ぼしのつもりかも知らんが、よくもまあぬけぬけと女神と同じ職業を選べたもんだな。それとも、彼女と同じやり方を選べば、新しい持ち主に近づきやすいと判断したか?」

ファントム……逸見は、悔しそうに顔をゆがめる。

ぷぇにっくすが手を退けると、彼は絞り出すような声で問いかけた。

「どこで、その話を」

「すべて『これ』が教えてくれた」

そう言って、モーントは黒いドラゴンのペンダントを持ち上げて見せる。

逸見は訳が分からないという顔でペンダントを凝視した。

「理解できないか。じゃあ、言い方を変えよう。このペンダントを通して、勇者が語り掛けてくれた」

「!?」

モーントの言葉に、逸見は驚いて目を見開く。

そして焦ったように声を荒げた。

「違う!そいつは勇者なんかじゃない!そいつは……」

「黙れ」

モーントは逸見の顔面に蹴りを入れた。

その容赦ないやり方に、ラケルタは思わず自分の目を覆う。

そんな様子を気にすることなく、モーントははそのまま踵を返し、今度はニコの前に立つ。

「さあ、そんなバカみたいな恰好をやめろ。目を覚まして、もう一度王国を一緒に治めよう」

「いや!」

そういって差し伸べるモーントの手を、ニコは払いのけた。

モーントは少し驚いた表情を浮かべ、すぐに悲しそうな顔になる。

「あの男に何か吹き込まれたのか。こんなことしなくても、俺がちゃんと全て整えてやったのに」

「違うわ!私だって、このペンダントに導かれたの。自分の目でこの王国を見て、そして歪みを正そうと」

「それで魔王の手先なんかに?」

「彼は自分の過去を悔いているのよ。だからみんなを救おうとしているだけ」

「救うだと?笑わせるな。こいつこそ、この王国を利用しようとしているだけだ。なぜならこの魔法陣は……」

そう言って、モーントは足元の魔法陣をかかとで踏み付ける。

「死者を蘇らせる為のものだからだ」

辺りがしんと静まり返る。

ニコは信じられないという表情で、兄の顔を見つめ返した。

ラケルタも驚きのあまり口をぽかんと開く。

そういえば、じっせキングがそんなことを口走っていたような気もする。

しかし、それが事実だったとは。

二人の様子を交互に見ながら、モーントは淡々と続けた。

「大人ってのはいつもそうだよな。口先では体のいいことを言いながら、実際は自分のことしか考えていないんだ。まあ、俺も人のことは言えない。辛すぎる過去は消してしまいたいし、どうしようもない今をそっくり変えてしまいたい。みんなそうだ。そう思っているから、この王国は存在する」

「でも」

「もう王国は止まらないよ。皆もう抜け出せない。ならこんな奴に利用させるより、俺たちのために有効利用しようとは思わないか。俺たちが互いに縛られず、本当の意味で自由になるために」

ラケルタはモーントが何のことを話しているのか理解できなかった。

しかしニコには合点がいったようで、何かを迷うに視線を漂わせる。

彼女の様子を見て、逸見が声を荒げた。

「駄目だ、ニコ。考え直せ。それで手に入れられる自由なんて、本物じゃない」

逸見の声を遮るように、モーントはニコに顔を近づけ、囁きかける。

「ペンダントを」

ニコは胸元から白いドラゴンのペンダントを取り出した。

するとペンダントが輝き、ニコの姿が光に包まれる。

光が収まると、そこにはモーントとうり二つの姿をした少女が立っていた。

彼女は白い着物のような服を纏い、長い艶のある黒髪を後ろでゆるく束ねていた。

陶器のような白い肌は、女神の名にふさわしく淡く輝いているようにも見える。

弓なりの形のいい眉は、なおも迷いを隠せないというように下がっていた。

彼女はペンダントをそっとモーントに向かって差し出す。

モーントもそれに合わせるように、黒いドラゴンのペンダントを掲げる。

しかしその瞬間、ニコはモーントの手からラケルタをもぎ取り、後ろにいた『アムレット』の体を抱きしめるように体当たりをした。

突然のことに、『アムレット』は反応ができず後ろ向きに倒れこむ。

「何をしている!」

驚き声を荒げるモーントを無視し、ニコはラケルタを『アムレット』の体に押し当てながらつぶやいた。

「この者に、女神の力を」

すると白いドラゴンのペンダントが淡く輝き、ラケルタの体が光に包まれる。

光は『アムレット』の全身も包み込み、二つはだんだんと溶け合い始める。

それと連動するように、辺りに地響きが鳴り響き、地面に大きな亀裂ができる。

「やめろ、やめてくれ!」

モーントは悲痛な叫びをあげ、ニコに近寄ろうとする。

だがその前に地面が大きく裂け、その場にいた者全員を呑み込んだ。

一方ラケルタは、もはや自分の体がヤモリではなくなっているのに気付いた。

その胸の上には、モーントと同じ顔をした少女がしがみついている。

「ニコ!」

ラケルタ……アムレットは、落ちながら少女の体を抱きしめようとする。

しかしその手は少女の体をすり抜け、自分の体に触れただけだった。

少女は顔を上げ、アムレットに弱弱しく微笑む。

「ごめんね、ラケルタ。結局、あなたにすべてを押し付けることになっちゃった」

「なんだよこれ!君は、一体」

「私、私ね。本当は、女神になんてなりたくなかった。ただ、あなたと物語を作りたかっただけなの。いつも一人ぼっちのあなたに、最高の冒険を贈りたくて」

そうつぶやく少女の顔は、少しずつ透けていく。アムレットは必死になって叫んだ。

「そんなのいいよ!お願いだから、消えないでよ」

「ううん。消えたりなんかしない。ただ、あなたの中に潜るだけ。それよりも、私の願いを聞いてほしいの」

「え……」

「本当の名前を探して。私と……かわいそうな私の兄を、自由にして。どこにも行き場のないこの王国を、開放して」

少女はそれだけを言い残すと、小さな光の粒となって消えた。

背後の果てしない暗闇が、いつの間かまばゆいばかりの光に包まれていく。

「ニコオオオ!!!」

アムレットは落ちながら、どこへともなく叫んだ。


どこまでも白い光の中で、あの時の記憶がよみがえる。あの時、始めて会った日のこと。

「なあ。名前、教えてよ」

突然話しかけてきた『そいつ』は、最後にそう切り出したのだ。

「名前?」

「うん。クラスが一緒じゃないから、今のうちにと思って」

「ええと」

自分は胸元をさぐり、名札を向こうに向けて見せる。

そこには『金森』と書かれていた。

「金森護(まもる)だよ。『守護』の『護』って書くんだ」

「金森君か。じゃあこっちも」

そう言って、『そいつ』も名札を向けて見せる。

「朝霧晃(アキラ)。晃は『日光』を合体させたような漢字を書くんだけど」

金森が首をかしげるので、晃は手のひらの上に漢字を書いて見せる。

それを見て金井森はにっこりと微笑んだ。

「素敵な名前だね。君に合ってる」

「そうかな。護もかっこいいと思うよ」

お互い照れくさそうにはにかみながら、笑いあった。

そのあと一年間、まったく話すことはなかったけれど、忘れたことは一度もなかった。


そうだ。

僕の名前は護。

そして、友達の名前は晃。

あの時、すでに君は僕のことを見出してくれていた。

なのに、どうしてこんなことになっちゃったんだろう。

そこまで思い出して、ふと耳元に女の人の声が聞こえた。


『彼もあなたと同じ。実は誰よりも、自分自身が救われたいと願っている。けれど、誰かを救って見せることで自身を救うなんて、悲しい欺瞞ではないかしら。』

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