第5 章ー1 秘密は打ち明けた方がいいよ

「ねえ、ラケルタ。本当によかったの?」

「なにが?」

叩きつけてくるような風に目をしかめながら、ラケルタはニコの問いに答える。

窓からほんの少し顔を出しただけでも、すさまじい風圧を感じる。

この勢いを作り出しているのは、汽車の動力源となっている『ドラゴンの心臓』のせいだ。

ここは汽車の中。

本来なら一番上等な客室の座席に、ニコは緊張した様子で座っていた。

向かい側では、ぷぇにっくすが同じように窓から外を眺めている。

ジルバーンは向かい合う席の間に寝そべり、うとうとと目をつむっていた。

ニコはそのやわらかな白い背中をなでながら、話を続ける。

「だってあれ、あなたのものなんでしょう。汽車に乗るっていう約束は果たしたんだから、取り戻してもよかったのに」

「でもそれじゃあ動かないじゃん」

「それはそうなんだけど。でも、汽車はもう一台あったんだし、それに……」

ニコは不安そうな顔でちらりとラケルタの顔を見る。

たぶん彼女は、自分の元を離れなくてもよいのかと聞きたいのだろう。

「いいんだよ。早く着くに越したことはない」

「ごめんね。ダンジョンまで着いたら、必ず心臓を返すから」

ラケルタの返事に、申し訳なさそうにニコは頭を下げる。

本当のことを言うと、ラケルタはまだ迷いを振り切れたわけではなかった。

それでも彼女に同行することを願い出たのは、理由があった。

ラケルタは話を逸らすように、彼女に尋ねる。

「そういえば、ニコの考える理想の王国ってなんなの?ただ壊すんじゃなくて、作り直すって以上は、なにか考えがあるんでしょう?」

ラケルタに問い返され、ニコは少し考え込むように天井を仰いだ。

そして一回小さくうなずくと、胸から白いドラゴンの形の『お守り』を取り出してひそひそと語り掛ける。

「実を言うとね、私はこの『お守り』に導かれて、ここまで来たようなものなんだ。信じてもらえないかもしれないけど、ある日突然、これが私に語り掛けてきたの。王国を見て回りなさい。そして、皆が真に望む姿に戻しなさいって」

そう言って彼女は、窓から差し込む光にお守りをかざす。

ドラゴンのペンダントトップは、太陽の光を反射してきらりと輝いた。

その光に目がくらみそうになりながら、ラケルタはおずおずと聞いてみる。

「その、答えたくなければいいんだけど。君って結局、何者なの?このお守りはどこで手に入れたの?」

「それは」

ニコは迷ったような表情を見せ、片方の親指をこめかみにあてる。

その仕草を、ラケルタはどこかで見たことがあった気がした。

「実を言うと、私自身も自分のことをあまり分かってないの。ここに来た時点で、私はチケットも持ってなかったし、自分の本当の名前も分からなかった。ただ、このお守りだけは最初から持ってて、私をずっと守ってくれていたのよ」

彼女が遠い目でそう答えるのを見て、ラケルタはしまったと思った。

「ご、ごめん。まさかそんなことだとは思わなくて」

「ううん。私自身つい最近まで、自分が本当は何者なのかも、王国がどうなっているかも知ろうとしなかった。でも『お守り』に語りかけられて、ファントムに出会ってからはこう思うようになったの。何もしないで、ただ見ているだけじゃダメ。私にだって、望む力はある。そのことを確かめたかった」

そのお守りの声とやらは、ファントムが仕組んだことではないか。

そう思ったが、ファントムは何も言わない。

向こうが応える気がないのなら、とラケルタはさらに聞き続ける。

「そうだったんだ。にしてもこのお守りって、すごい力を持ってるよね。いくらバグの力があるからって、あいつらにあんな本音を吐き出させるなんてさ」

「うん……。正直言って、私も怖い。本当は、あそこまでやるつもりじゃなかったのよ。ちょっとこらしめて、反省してくれればいいと思ったくらいで。でも、あの人たちが築き上げてきたものも、全部台無しにしちゃった。こんなにしちゃったら、あの人たちももう立ち直れないかもしれない」

そう悲しそうにつぶやくニコに、慌ててフォローしようとする。

「ニコは十分がんばってるよ。僕なんかとは違う」

「同じだよ。ファントムのバグの力と、この『お守り』に込められた女神の力。この二つに助けられてるだけで、私自身は何もしてないもの」

女神の力と聞いて、ラケルタは目の色を変えた。

「このお守り、女神さまのものなの!?」

「え、知らなかったの?まったく、ファントムったら何も教えなかったのね」

ニコは呆れたようにため息を吐き、お守りを見つめた。

「このお守りはね、ある物語に出てくる魔法の道具をもとに作られたそうなの。名前は忘れちゃったけど、確かその物語でも『お守り』とか『おひかり』って呼ばれてたと思う。二匹の蛇がお互いのしっぽを噛むようなデザインで……」

「僕らが今やってるみたいに?」

「そう、あなたと私みたいに!それでね、そのモデルになった『お守り』は、それを持った人のあらゆる願いを叶える力があるの」

彼女がうれしそうに語るのを見て、ラケルタはほっとする。

このままよりくわしいことを聞き出そうと、更に問い続けた。

「すごいねそれ。星なんかよりも、よっぽど使えるじゃん」

「そうね。でも、大事なのはここから。その『お守り』は、願いを叶えるたびに、その人の記憶を一つ消していくの」

「え!?」

「怖いでしょ。物語の中では、願いを叶えすぎて、自分が誰なのかも分からなくなっちゃった人も出てくるのよ」

「なにそれ。そんなものを元に、女神さまはそのお守りを作ったっていうの?」

「うん。けれど、全く同じというわけでもないの。実際、私は記憶を失ってないし、あなたもそうでしょう」

「それは、まあ」

失うべき記憶もほとんどないし、とラケルタは心の中でつぶやく。

「女神はお守りの他に、星というものを生み出すことで、願いが記憶を奪う副作用を弱くしたのよ。皆で星を共有し合えば、全員が望む世界ができると信じてね」

「でも実際には、誰もかれもが願いを叶えようとして、お互いの星を奪い合う世界ができてしまった」

ラケルタが暗い表情でつぶやくと、ニコは神妙な顔でうなずいた。

「だからもう一度、王国を作り直したいの。このお守りには、世界をまるごとひっくり返してしまうほどの力がある。半分だけしかないから、うまくいくかは分からないけど」

「あ、やっぱりこれって半分の状態なんだね。もう半分はどこにあるの?」

「それは……」

ニコは答えあぐねたように目をそらす。

たぶんそれこそが、彼女の抱えるもっとも大きな秘密にちがいない。

ラケルタはそっと彼女の肩に上ると、耳元にささやきかける。

「僕、君のパートナーとして頑張ってきたと思うけど。まだそこまで信頼してもらえてないんだね」

「そうじゃないの!ただね、ここはちょっと人が多いし……」

そう言って、ニコは部屋を見渡す。

確かに、ここはぷぇにっくすやモンスターたちがいる。

一応仲間になったとはいえ、彼らにも聞かれたくないほど重要なことなのだろうか。

「分かった。でも、王国を作り直す前には教えてほしいな。だって、『仲間』なんだから」

ラケルタは念を押すようにニコにつぶやくと、彼女の懐に潜り込む。

薄暗い服の無理に中で、真っ白なドラゴンのペンダントと目が合った。

つやつやとした瞳が、こちらを見返している。

『ニコはいい子なのかもしれない。でも、まだ秘密にしていることがたくさんあるみたいだ。必ず全部聞き出さなきゃ』

ファントムがしゃべりかけてこないことをいいことに、ラケルタはそう内心決心する。

とはいえ、ダンジョンまで着くにはまだ当分かかりそうである。

汽車のゆるやかな揺れと温かさに、彼はうとうとと眠りに落ちていった。


「今日のホームルームは今度の体育祭の出場競技についてです。クラスが一丸となって頑張れるよう、真剣に取り組もう」

快活な口調で、誰かが説明しているのが聞こえる。

金森はぼんやりとした風景の中で、視線を漂わせた。

黒板の前で、担任の新谷が屈託のない笑顔を浮かべてこちらを見つめている。

そうか。ここは現実の、教室か。

霞がかったような頭を無理やり働かせながら、金森は一人納得した。

「では、水出さん。決を採ってくれるかな?」

「……分かりました」

新谷に指名され、クラス委員長の水出がのろのろと壇上へ上がる。

いつもなら教師に間違いを指摘するほど威勢のいい彼女が、今日はやけに元気がない。

ぼんやりとした表情のままチョークを手に取り、参加競技を書き出して立候補者を募る。

大縄跳びやクラス対抗リレーといった全員参加型の競技を除き、あらかたの出場者が出そろった。

すると、新谷が急に立ち上がって水出に声を掛ける。

「よし、じゃあこれで決まりだね。あとはそれぞれの種目に関する作戦と……」

「先生、まだ一人決まってませんよ」

水出は呆れたように指摘した。

黒板にはほとんどのクラスメイトの名前が書かれていたが、唯一金森の名前だけがなかった。

必然的に、教室中の視線が金森に集中する。

『やめろ、こっちを見るな』

動かない体の中で、金森は内心冷や汗をかいていた。

昨年、金森は体育祭で散々な目にあったのだ。

猛暑の中、流れる汗で何度も日焼け止めを塗り直さねばならず、一人だけ何度も席を立った。

その上、天性の運動神経の悪さのために、出場競技のほとんどで仲間の足を引っ張ったのである。

そんな自分が、今年は何をやらかすつもりなのだろうか。

周囲の目がそう語っているように感じられた。

すると、女生徒の一人が急に立ち上がる。

「金森君を無理に出場させるのは、かわいそうだと思います」

彼女の発言に、クラスメイト達は驚いたような顔をする。

発言をしたのが、普段金森の陰口を叩いてばかりいる、あの女生徒だったからだ。

そこへ、他の男子生徒も立ち上がって口を開く。

「僕も賛成です。去年だって、屋根のない場所ですごく辛そうにしてた」

「かわいそうだよね。目が見えないと、玉入れだってうまくできないし」

一人、また一人と、同調するかのように声を上げていく。

壇上では、水出が理解できないという表情で立ち尽くしていた。

しかし、一番困惑していたのは金森自身であった。

彼らの言うことは、表面的には自分のことを気遣ってくれているようでもある。

だが、なぜ急にこんなことを言い出すのだろう。

そんな状態の金森を差し置いて、「かわいそう」コールはどんどん広まっていく。

やがて、新谷は彼らの発言に感極まったかのように、涙ぐみながら声を上げる。

「そうかそうか、みんな。それだけ仲間のことを想っていたんだな。よし、俺の方でもなんとかならないか、上の方に掛け合ってみよう。みんなも、金森が無理をしなくて済むように協力してくれるかな?」

新谷の言葉に、クラスメイト全員が一斉に「はい」と返事をした。

「ありがとう!ではみんな、金森君のために拍手!」

新谷の意味の分からない提案に、クラス中が理由もなく拍手を始める。

彼らの中には、新谷と同じように目に涙を浮かべている者さえいる。

その異様な光景に、金森は恐怖すら覚えた。

何が起こっているのだ。

理解できぬままに隣の友人を見やると、彼も優しい笑みを浮かべ、拍手をしている。

アキラは金森にだけ聞こえるような声で、こうつぶやいた。

「よかったな、マル。これでお前も、このクラスの『仲間』だ」

友人の言葉に、金森は気が遠くなるような感覚を覚えた。

そうか、そうなのか。

これが彼の、そして皆の望む、自分のあるべき姿なのか。

無力感とともに、絶望が押し寄せてくる。

弱いことは、かわいそうなこと。

かわいそうな自分は、皆に助けてもらわないといけない。

弱いくせに、でしゃばるからヘマをする。

弱いままで、何かを成し遂げるなんてできるはずがない。

誰のためなのか、何のためなのかも分からない拍手の中で、金森の意識はゆっくりと闇に呑まれていった。



突然、耳をつんざくような大きな爆発音が聞こえた。

「何!?」

ラケルタは飛び起き、ニコとともに慌てて窓から外を見る。

そこには汽車に並走するように走る騎馬兵の一団がいた。

彼らは先端に火薬の付いた弓矢を構え、汽車に向かって放ち続ける。

立て続けに轟音が鳴り響き、汽車全体が大きく横に揺れる。

「きゃあ!」

外へ放り出されそうになり、ニコとラケルタは窓枠に必死にしがみつく。

「下がっていろ!」

護衛のオークがニコの首元を掴み、強引に室内へと引き戻す。

その瞬間、ぶすりと何かが刺さるような音がした。

「オーク……さん?」

恐る恐る顔を上げると、さきほどのオークの首元に矢が刺さっている。

オークは目を大きく見開き、立ったまま絶命していた。

「あ…………」

目の前でオークの体はざらざらと崩れ、星へと変わっていく。

呆然とするニコに向かって、ミノタウロスが声を荒げた。

「嬢ちゃんは奥へ逃げろ!クソ、ずいぶん早く追いついてきたじゃないか」

ミノタウロスは弓に矢を番え、騎馬兵たちに応戦する。

ニコはラケルタを守るように抱え込むと、ぷぇにっくすやジルバーンと共に部屋を抜け出した。

廊下では、ほかのモンスターたちがバタバタと走りながら、騎馬兵たちと応戦している。

すると、奥の方からアルラウネが駆け寄ってきた。

「あんたたち、なにをボサっとしてるんだ。こんなところにいると、星にされちまうよ!」

「で、でも、どこへ逃げたら」

「とりあえず運転室の方へ行きな。今嬢ちゃんたちを失ったら、私たちは皆お終いなんだ!」

そう言うなり、アルラウネは腕のツルをしならせて飛んできた矢を打ち払った。

彼女の腕の下を通り抜けて、ニコたちは言われるがままに前へと進む。

いくつもの矢が窓を突き破り、頭上をかすめ飛んでいく。

時折、背後で爆発音のようなものも聞こえ、車体が大きく揺れた。

そのたびに、ジルバーンが体を張ってニコとぷぇにっくすがケガをしないようにかばう。

割れたガラスが降り注ぎ、その体に無数の傷を付けた。

「ありがとう、ジル。向こうに付いたら、すぐ手当をしてあげるからね」

ニコはジルバーンの体をさすり、そう囁いた。

ジルバーンはこちらの方を振り向くことなく、警戒するように外の方をじっと睨みつけている。

ニコの胸に抱かれながら、ラケルタは自分の無力さに歯噛みしていた。

バグの力なんて、この状況下ではほとんど役に立たない。

どんな形でもいいから、自分にも戦う力が欲しい。

そうこうしているうちに、4人は運転室の前までたどり着いた。

扉が開き、中から機関士のゴブリンが顔を出した。

「早く中に入れ!ここなら、まだ他よりかは頑丈にできている」

転がり込むように、中に入った。

室内は操縦用のハンドルや機材が所狭しと設置されており、5人もいればかなり窮屈だ。

中央には、ガラスでできたドーム状の水槽が置かれている。

水槽の中では、『ドラゴンの心臓』が怪しい光を放ちながら脈打っていた。

ゴブリンはハンドルを操作しながら、一人ごちる。

「まったく、一体どうなってるんだ。この汽車は王国のどんな物よりも早いんだぞ。それがあんな騎馬兵どもなんかに追いつかれるなんて」

「馬自体は普通に見えました。でも、さっきから妙な魔法の気配を感じます。あの爆弾矢も見たことがありません」

ニコはジルバーンに応急処置をしつつ応える。

ラケルタもそれには同意だった。

仕事柄今まで様々な発明や道具を見てきたが、あんなものは見たことがない。

記憶がまだ不完全ではあるが、その点においては自信がある。

ニコの服の中から這い出て、その場にいる者達に聞こえるよう声を張り上げた。

「騎馬兵は、もともとサンドワームが街道に近づきすぎないように駆除するのが役割なんだ。あんなもの使ってたら、砂の中で眠ってるやつまで起こしかねないよ。あるとすれば誰かが……」

「最初から、この汽車を襲うために?」

ニコがそう言うと、「あり得ない」とゴブリンが首を横に振る。

出立する前、自分たちの存在が気づかれないよう慎重に準備をしてきたのだ。

じっせキングのことはまだ外部に漏れていないはずだし、工場も表向きはまだ通常通り稼働している。

それでも外の誰かがこのことを知ったとすれば、可能性は一つしかない。

「……内通者がいる」

ぼそりとつぶやいたラケルタの言葉に、その場にいる全員が戦慄した。

「それって、裏切り者ってこと?」

「ありえん!俺たちは今まで王国の連中に散々コケにされてきたんだぞ!それを裏切って、しかも仲間も乗っている汽車に攻撃をさせるなんて」

ゴブリンは思わずハンドルから手を放し、声を荒げる。

ニコとぷぇにっくすは、慌てて彼を元の立ち位置に押し戻した。

その気迫に負けじと、ラケルタは続ける。

「転移魔法は距離が近ければ近いほど、より多くの重量を運べる。汽車に乗った状態で騎馬兵たちを召喚したとすれば……」

「やめて、ラケルタ。こんなところで仲間割れしたくない」

「なんでだよ!今僕らがピンチに陥ってるのは、どこにいるか分からない敵のせいなんだよ!今すぐにでもそいつを探し出して、魔法をやめさせないと」

「そんな暇はないわ。それよりも、私たちが安全に到着する方法を考えたほうが」

「安全に!?ダンジョンに着くまで、少なくともあと2時間はかかる!ニコは甘いよ。敵を中に抱えたまま、なんとかなるほど世の中は優しくない」

「そういうことを言ってるんじゃないの。私はただ」

「ああもう!君はいつもそうだ。勝手に突っ走って、きれいごとを言って、それでどうにかなったからいい気になって。正しいこととか悪いこととかは関係ない。負ければ終わり、勝てば正義。そんなことも分からないで王国を作り直そうなんて、ちゃんちゃらおかしいよ!」

「…………!!」

しまった、言い過ぎた。

そう思った時には、ニコの目から涙があふれ出ていた。

涙はラケルタの頭にこぼれ落ち、熱い温度を皮膚に残す。

それっきり、ニコは黙り込んでしまった。

ラケルタもどう返していいかわからず、口をつぐむ。

張り詰めた空気を感じ取ったかのように、ジルバーンが小さく「クックッ」と鳴いた。

『なんでだよ。どうしてこういう時に限って、ファントムの奴は何も言わないんだ』

ラケルタはニコのそばを離れ、心臓の入った水槽の上に飛び乗る。

もし今、自分に力があれば。

自由に使える、便利で強力な力があれば。

この状況を打開して、なにもかもうまくいかせられるのに。

その時、車体が今までにないほど大きく揺れた。

「また爆弾か!?」

ゴブリンが苛立ったように大声で叫ぶ。

しかし、そうではないことにラケルタは気付いた。

自分の足元にある心臓。それが先ほどよりも、大きく脈打っているように感じる。

『呼んでいる、のか?』

ミシミシという音とともに、水槽のガラスが震えているように感じる。

ラケルタは怪しく脈動する心臓にくぎ付けになった。

そうだ。これはもともと僕のものだ。

自分の力を取り返して、なにが悪い。

今は非常事態なのだし、誰にも文句は言わせない。

「……ラケルタ、どうしたの?」

ふいに、ニコが声をかけてくる。

しかしそれを無視して、ラケルタは心臓を見つめ続ける。

『来い。こっちに、来い!』

「何をしているの?ダメ!!」

ラケルタが何を考えているのか察したのか、ニコが驚いた顔で手を伸ばしてきた。

ゴブリンやぷぇにっくすも、ハッとしたようにこちらを振り向く。

だが、すでに遅かった。

ガラスがはじけ飛び、ラケルタはむき出しになった心臓に、思い切り食らいついた。


◆ ◇ ◆ ◇


『自分』は正座をして、宙を見つめている。

かじかむ手には、あの金色の鐘が握られていた。

あまりの冷たさに手に息を吐きかけると、白い水蒸気となって肌に当たる。

正面には、あの老婆の背中。

着物を着てぴんと背筋をただしたその姿は、凛々しくもあり威圧感もある。

老婆は何かをずっとつぶやき続け、『自分』もそれに倣う。

しばらくすると、老婆は『自分』に前に進み出るよう促した。

「オヤクシサマにしっかりお願いするんだ。転生できますように、仏様になれますように、てね」

もう終わりにしたいと思ってはいたが、逆らうことはできない。

前に出ると、そこには大きな仏壇があった。

仏壇は見事な金細工で彩られていたが、その煤け具合から相当年季の入ったものだとわかる。

その中央には、本来仏画などが飾られるべき位置に、白い木の箱が安置されていた。

『自分』はその箱に手を合わせ、鐘を鳴らしながら経文を唱え出す

オンソリヤハラバヤソワカ


オンセンダラハヤバヤソワカ


オンソリヤハラバヤソワカ


オンセンダラハヤバヤソワカ……


唱えながら、ちらりと木の箱を見やる。

そこには古めかしい墨字でこう書かれていた。

『光明童子』



それから、しばらくして。

目の隙間からわずかな光を感じ、ラケルタはガバリと体を起こす。

そうだ、早くこの力を使って、みんなを助けなきゃ。

そう思い辺りを見渡すが、周囲には人っ子一人いない。

「え、あれ?」

部屋の様子を見る限り、ここは操縦室で間違いない。

しかしそこにはニコやぷぇにっくすの姿はおろか、操縦士のゴブリンすらいなかった。

床には飛び散ったガラスが散乱し、あふれ出た水が足を濡らしている。

ラケルタは改めて自分の体を確認した。

見た限りでは、あまり変わった様子はない。

轟轟と車輪が回る音が聞こえるので、汽車そのものは止まっていないようだ。

一方で、先ほどまで聞こえていた爆発音や、モンスターたちの怒号も聞こえなくなっている。

不気味なほどに静かな車内に、強い不安を覚えた。

たまらなくなり、わずかに開いていた扉から外へと抜け出る。

「ニコ!ジルバーン!ぷぇにっくす!みんな、どこにいるの!?」

ラケルタは叫びながら、車内を駆け回った。

辺りには折れた矢や星屑が散らばり、壁や柱は燃え、床にはところどころ穴が開いている。

こんな状態で、汽車が走っているのが不思議なくらいだ。

「ねえ、みんなどこ?」

せっかく力を手に入れたのに、これではなんの意味もないではないか。

というか、自分は先ほどと一体何が変わったというのだろう。

試しに燃える炎に思い切って触ってみたりもしたが、熱いだけでなにもなかった。

呪文を唱えてみたりもしたが、これも結局うんともすんとも言わない。

「バカみたいだ。僕は結局、ダンジョンの時と同じことをしたんだ」

ラケルタは悲しくなり、ちらりと割れた窓の外を見やる。

無性にそこから身を投げ出したくなった。

その時、頭上から誰かの呼び声が聞こえた。

「そこにいるのは……」

愛らしい、女の声。

ラケルタは思わず振り返った。

「ニコ!?よかった、無事で……」

しかし、そこにいた人物はニコではなく、ある意味ラケルタのよく知る人物であった。

頭に乗せたとんがり帽子。

大きな胸に、肌を多く露出したドレス。

そして、鼻にちょこんとのせたメガネと、その奥に光る妖艶な目線。

「あらあら、どなたとお間違いですの?レ・ベ・ル・士さん」

「ヴィヴィアン……?」

なぜここにヴィヴィアンがいるのだ。

事態がうまく呑み込めないまま、呆然と立ち尽くす。

ヴィヴィアンはお構いなしにラケルタのしっぽをつまみ、持ち上げた。

「うふふ。お久しぶりですね。あれはたしか、『秘宝』を取りに行っていただいて以来かしら?」

「お、おまえ!!」

ようやく我に返り、ラケルタは声を荒げる。

「にしても、ずいぶんみすぼらしい姿になられたんですのね。さっきからお呼びになっている『ニコ』とはどなたかしら。新しい恋人ですの?」

「ふざけるな!これは全部、お前の仕業だったのか!?」

「そんな風に言われる筋合いはないですわね。私はただ、王国に歯向かう集団に鉄槌を下したまでです。むしろ、宰相様のご友人であらせられるはずのあなたが、どうしてこんなところにいるんですの?」

ヴィヴィアンの冷たい眼光に、ラケルタは一瞬言葉を詰まらせる。

だが、ここで負けてはいけない。

「知ってるんだぞ。ハーレムマスターやじっせキングに、僕の体の一部を横流ししたろう。第一、秘宝を取りに行かされたのだって、本当にモーントの指示だったかも怪しいもんだ。お前、一体何を企んでいる」

「ふぅん、あなたも色々学ばれましたのねぇ。まあ、教える理由もないですけれど。でもなんですから、あなたの大切なニコちゃんに会わせて差し上げましょうか」

そういうなり、ヴィヴィアンはラケルタのしっぽをつまんだまま歩き出した。

彼女が向かったのは操縦室……さきほどまでラケルタがいた場所だ。

不審に思っていると、ヴィヴィアンは壁にある機械をやおらいじりはじめる。

「あの子もずいぶん忠実に作ってくれたものですね。自分が何を作らされたかも知らないで」

彼女はにやにやと笑いながら、機械に取り付けられたボタンを押す。

突然歯車が回るようなギシギシという音が響き、部屋の様子が一変した。

狭いと思われていた操縦室は実はかなり広く、大量の星や魔術式で埋め尽くされていた。

魔術式の上にはモンスターたちが寝かされ、ぷぇにっくすやジルバーンの姿もある。

中でもひときわ大きい魔術式の上に、ニコが寝そべっているのを見つけた。

「ニコ!」

「呼んでも起きませんわよう。うふふ、にしてもかわいらしいお顔」

ヴィヴィアンは彼女のそばへ歩み寄り、その頬をなでる。

そして服の中を探り、白いドラゴンのお守りを取り出した。

お守りを天井からつるされた照明にかざし、うっとりとため息を吐く。

「ああ、なんて美しいのかしら。これが世界の命運を握っているなんて、ゾクゾクしませんこと?それもこれも、あなたのおかげよ」

「何を言ってるんだ。全然わからない」

ラケルタは混乱してバタバタと暴れる。

そういえば、なぜさっきからファントムは一言もしゃべらないのか。

まさか、コイツの正体は。

「お、お前、まさかファントムか!?」

「さあ、なんのことかしら。かわいいラケルタ君には、関係のないことでしょう?」

「ふざけるな!騙したな!」

「知りませんわね。そんなことより、今こそあなたのバグの力をいかんなく発揮してくださいまし。さあ、王国を書き換えましょう!」

「やめろお!!」

必死に抵抗するが、体がいうことをきかない。

自然と口が開き、ドラゴンのしっぽを噛む。

ああ、そうか。

心臓に呼ばれたのは、このためだったのだ。

間抜けな自分を百回殴りたい。

そう思った瞬間、突如辺りに大音量の音楽が鳴り響いた。

力が発動されたのだろうか、と考えたが、どうやらそうではないらしい。

ヴィヴィアンが動揺したように辺りをきょろきょろと見回している。

すると、今度は壁の一部が爆発し、粉々になった。

差し込んできた日の光に、目がくらむ。

その向こう側で、ギターをかき鳴らす奇妙な風体の人影が見える。

彼は黒光りするバイクに立ち乗りし、手に持ったギターをこちらに向けた。

「もういっぱぁつ!!」

ギャーン、とギターをかき鳴らすと、その先端から魔法弾が放たれる。

魔法弾はヴィヴィアンの横をかすめ、大きな花火となって爆発した。

爆風に煽られ、ヴィヴィアンの手が一瞬緩む。

その隙を見逃さず、ラケルタはドラゴンの首飾りを抱えてヴィヴィアンの手から逃れた。

そして、気絶したままのニコの元へ慌てて戻る。

一方、人影はバイクからジャンプすると、ひらりと汽車の中に着地した。

その姿を見て、ラケルタは不可解と驚きと歓喜が入り混じった声で叫んだ。

「ファントム!?」

「オーイエー。イエス、アイアム。待たせたな、クソ野郎!」

ファントムはヴィヴィアンに向かって、ビシッっと指差す。

「まったく、何がヴィヴィアンだこのヤロウ。お前、どこまで先生の名を汚せば気が済むんだ」

「ふん、それはこっちのセリフですわよ。あなたがあの時思いあがらなければ、彼女は今も……」

「うるせぇ!」

ファントムはヴィヴィアンの言葉を遮り、ギターをかき鳴らす。

その旋律に、ラケルタはどこかで聞き覚えがあった。

すると、周囲に寝かされていたモンスターたちが起き始めた。

ニコも目を覚まし、なにが起こったか分からないという風に辺りを見回している。

ヴィヴィアンはそれを見逃さず、ぼんやりとしたままの彼女を無理やり抱え上げた。

その傍らでぷぇにっくすも目を開き、ヴィヴィアンの姿を見て目を見開く。

彼女は何かを言おうと口をぱくぱくとさせるが、やはり声は出ない。

するとファントムは彼女のそばに近寄り、その体を優しく抱き起した。

「君が言いたいことは分かっている。かわいそうに、今この呪いを外してやろう」

そう言うなり、ファントムは彼女にいきなりキスをした。

ニコは抱え上げられたまま、寝ぼけた目を見開いて「きゃー」と黄色い声を上げる。

するとぷぇにっくすの喉に付いていた首輪が、ガチンと鈍い音を立てて外れた。

彼女は大きく深呼吸をすると、艶のある声で高らかに発声練習をする。

その様子をヴィヴィアンは冷めた目で見やりながら、ぱちんと指を鳴らした。

「おのろけはもういいかしら」

その途端、周囲のモンスターたちの目が怪しく光り、ゆらりと立ち上がる。

そして一斉に、ファントムたちに向かってとびかかった。

だがファントムは冷静にギターを構えると、ぷぇにっくすに目配せをした。

「準備はできてるか?」

「おっけー」

ぷぇにっくすは大きく息を吸い込み、部屋全体に響き渡るような声で歌いだした。


 夢の中で 呼んでいる

 愛するあの人の 歌声

 でも姿は見えない

 ザ・ファントム・オブ・ファンタジー 

 今こそ


ぷぇにっくすの声に合わせ、今度はファントムが歌いだす。


 今なら共に 歌える

 二人の力が 溶け合えば

 運命すらも 蹴散らせる

 ザ・ファントム・オブ・ファンタジー

 終わらせよう


高らかに歌い上げる二人を前に、ヴィヴィアンは馬鹿にしたような顔で鼻を鳴らす。

一方で、今にもとびかからんとしていたモンスターたちは足を止め、食い入るように二人の姿に見入っている。


 この世界の 者たちは

 自分を見失い 捕らわれる

 私がそう 俺もそう

 ザ・ファントム・オブ・ファンタジー

 皆同じ


全く動き出さないモンスターたちにしびれを切らしたのか、ヴィヴィアンは魔法弾をファントムたちに向かって撃つ。

しかし、それは突如動き出したモンスターの体によって阻まれた。

彼らはダメージを負いながらも、ファントムたちに合わせて歌い始める。


 今こそ 自由になる時

私は私に 戻れる


歌いながらじりじりと迫るモンスターたちに、ヴィヴィアンは容赦なく魔法弾を撃った。

だが彼らは全く動じることなく、距離を詰めてくる。

ヴィヴィアンは舌打ちをすると、天井に向かって魔法弾を撃った。

天井に開いた穴に向かって、彼女は大きく跳躍する。

それを追うように、ファントムとぷぇにっくすも歌いながら飛翔した。

二人が外に出ると、ヴィヴィアンは魔女の恰好に似つかわしく、いつのまにか取り出したほうきに乗り宙を飛んでいる。

「まったく、オペラでごまかそうなんて頭がおかしいですわね!」

「ミュージカルだバカ。間違えんな!」

悪態をつくファントムの横で、ぷぇにっくすはさらに高音域で歌い上げる。

彼女の声が空気をびりびりと震わせ、快晴だったはずの空がだんだんと曇り始める。

彼女を応援するかのように、ファントムも声を張り上げた。


 歌え!自分のために!


何かが起こる予感を察知したのか、ヴィヴィアンは魔法弾の準備を始める。

一方で、空を覆う雲は厚く黒く鳴り続け、遠く雷鳴の音が聞こえた。


 歌え!世界のために!


ヴィヴィアンが二人に向かって魔法弾を撃とうとすると、脇に抱えられていたニコが彼女の腕を思いっきり噛んだ。

痛みに驚き、ヴィヴィアンは彼女を取り落とす。


 歌え!運命のために!


このままでは、地面に叩きつけられる。

そう思ったその瞬間、白い影が現れてニコの体を受け止めた。

「ジルバーン!」

喜ぶニコとラケルタに、ジルバーンは一鳴きして返事をする。

だが次の瞬間、耳元でなにかが破裂するような音が鳴り、ジルバーンの体が大きく傾いた。驚いて音のしたほうを見ると、ヴィヴィアンが鬼のような形相で何かを振りかぶったようにな体勢をとっている。

どうやら、先ほどうち損ねた魔法弾をこちらに向かって撃ったらしい。

その向こうで、ぷえにっくすがひと際甲高い歌声を響かせる。


 歌え!皆のために!


その時、頭上が急にまばゆく光り、巨大な稲妻がヴィヴィアンの体を貫いた。

ヴィヴィアンは断末魔のような叫びをあげ、黒煙を上げながら地面に落ちていく。

それと同じくして、ニコを乗せたジルバーンもだんだんと高度を下げていった。

「ニコ!ラケルタ!」

ファントムとぷぇにっくすがこちらを追いかけて近づいてくる。

しかしそれを待たず、ジルバーンの体は地面を擦るようにして不時着した。

水しぶきと砂埃が舞い上がり、ばらばらと音を立てる。

ラケルタは慌ててニコの服から飛び出すと、ジルバーンの頭の方へ走っていく。

「そんな、ジルバーン!しっかりして、目を開けてよ!」

ラケルタは涙目になりながら、その名を呼び続ける。

しかしジルバーンの体からは、おびただしいほどの血が流れ出ていた。

「ニコ、早く手当を!」

「やってるよ!でも、止まらないの。どうして、どうして……」

ニコは傷口に回復の魔法をかけ続けるが、出血は止まる気配がない。

それどころか、傷口がぼろぼろと崩れて、星に変わり始めている。

そこへようやく、ファントムとぷぇにっくすが追いついてきた。

ラケルタは彼の姿を見るなり、必死に懇願する。

「ファントム、あんたの力でなんとかしてよこのままじゃ、ジルバーンが消えちゃうんだよ!」

モンスターは通常、死ぬと復帰できない。

復帰できるのは、ギルドに登録された『チケット持ち』だけだ。

ペットや仲間として『チケットもち』でないモンスターを登録することもできるが、野放しにしてはならないという制約もつく。

ジルバーンを自由に飛び回らせてやりたいという思いから登録してこなかったことが、ここで裏目に出た。

ファントムは弱っていくジルバーンの姿を見やり、ぽつりとつぶやく。

「……無理だ」

「なんで!」

ファントムの言葉にラケルタは大声を上げる。

だが彼は冷静に続けた。

「星は常にあるべきところへと還る。お前の目玉や心臓がそうだったようにな」

「なにを、言って」

「これはジルバーンの意志でもあるんだ。受け入れてやれ」

ラケルタは理解できず、ジルバーンの方に視線を戻す。

ジルバーンは最後の力を振り絞るように、こちらに向かって頭を上げる。

「やめて、ジル。無理をしないで」

赤い双眸が、自分の姿をまっすぐ捉えた。

澄んだ瞳の奥からは、確固たる意志のようなものが感じられる。

ラケルタの目から、自然と涙があふれた。

「駄目だよ。君がいなかったら、僕は、僕は……」

ジルバーンの顔に大きくひびが入ったかと思うと、その体はざらざらと崩れ落ちた。

白い大量の星に埋もれ、ラケルタは自分がジルバーンと溶け合っていくのを感じた。

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