第4章ー2 ズルしちゃえばいいじゃない

 ラケルタは夢を見た。

『現実世界』の夢ではない。

あの日、初めて王国に来た日のこと。

街の中を走り回り、最後に女神像を見ながらモーントが語った話のこと……


「女神は、俺の妹なんだよ」

吐き出すようにつぶやかれたモーントの言葉に、アムレットは一瞬声が出なくなる。

「妹……なんていたの?」

彼はこっくりとうなずく。

妹がいるなんて初耳だ。

「双子の妹だよ。もともと学校にはあんまり行ってなくて、二人でよく空想遊びをしてたんだ。ノートに書かれてたここの歴史とか地理も、ほとんど妹が考えたんだぜ。でも気が付いたら、この像の中から出てこなくなっちゃって」

「それは、なんで」

「分からない。でもあいつ自身、あんまり人と接するのが得意じゃないんだ。もしかしたら何かの拍子に、ノートに書かれたことをいじられたりしたのかもしれない」

そう言われて、アムレットは恥ずかしくなった。

自分だって、キャラが立ってないだのと上から目線で批判してしまっている。

「で、でもさ。誰もそんなこと話してくれなかったよ。学校に来てなくても、登校拒否の子がいたらさすがに……」

「忘れられていくんだ。王国から出なくなると、段々と人々の記憶から忘れ去られていく。そして最後には、きっとあいつを覚えている人間はいなくなる」

「嘘だろ!?」

モーントの言葉に、アムレットは思わず飛び上がった。

それが本当なら、とんでもない話だ。

単なる空想ごっこでは済まなくなる。

「一大事じゃないか!だったら今すぐにでも、引きずり出さないと」

「それができれば、とっくにそうしている。でも、あの女神像はどうやっても開かないんだよ。あいつが自分から出てこようとしない限り、どうにもならない」

「そんな……」

悲し気につぶやくモーントに対し、アムレットは肩を落とした。

それではまるで打つ手がない。

その反応を見越したかのように、モーントはアムレットの目を見返す。

「だからさ、この王国が皆に認められるような、素晴らしいところだって分からせてやりたいんだよ。そうすれば自信もついて、あそこから出てくるかもしれない」

「それでなんとかなるの?」

「なる。思い出してみてくれ。ここから帰るには、自分の本当の名前を思い浮かべることが大事なんだ。自分が必要とされていると感じれば、帰ってこれるようになる」

こちらをじっと見据えるその目は、どこまでも真剣だった。

思えば、キャラ作りを依頼されたときも、なぜ自分なんかと友達になったのかと聞いた時も、決して答えをはぐらかしたりはしなかった。

モーントは、アキラは弱いものを見捨てたり、馬鹿にしたりしない。

アムレットはそう強く感じた。

「分かった。やっぱりアキラは優しいね」

アムレットの直球すぎる言葉に、モーントは照れくさそうにはにかんだ。

「とにかく、マルが付いてきてくれるなら心強い。そうだ、そのカメラで一緒に写真を撮らないか?」

「え、これで?」

アムレットは自分が持っている『見透視カメラ』を持ち上げる。

つまみの部分をよく見ると、タイマー機能のようなものがあるらしい。

便利だが、必要なのだろうか。

こちらの返事を待たず、モーントはカメラを取り上げて、目の前にあった岩の上に設置する。

「ほら、時間がないぞ。笑って」

「え、え」

モーントはそう言いながらこちらに走ってきたかと思うと、アムレットの肩に手を置いてニッと笑う。

アムレットはどうしていいかわからず、ひきつったような笑顔を浮かべた。

シャッターを切る音が聞こえ、カメラの下部にある隙間から一枚の写真がぺろりと出てくる。

写真を拾い上げてみると、案の定モーントに比べて自分の表情はかなり不自然だった。

その上、写真の下にある余白の部分には、ご丁寧に二人分のステータスが書かれている。

ぱっと見比べただけでも、二人の数値にはかなりの開きがあった。

写真を持ったまま落ち込んでいると、モーントはそれをパッと取り上げる。

「どうした?うまく撮れてないのか」

「あ……」

モーントは写真を一瞥すると、突然腰に差した短剣を取り出し、ステータス部分を切り取った。

切り取った部分を指で丸めると、黒い小さな粉のようになる。

「こんなもの気にするなよ。重要なのはこっちだろ」

そう言って、モーントは粉をふっと写真に吹きかけた。

粉はくるくると宙を舞いながら、何かの文字のような形になって写真に張り付く。

『最高の友達へ!』

文字を見た途端、アムレットは首を横にぶんぶんと振った。

「そんな、僕なんか何も……」

「なんか、なんて言うな!俺の友達にそんなこと言ったら、ただじゃおかないぞ」

モーントが急に大声をあげたので、アムレットは一瞬ひるむ。

すると今度は、急に大きな声で笑い始めた。

「そんなビビるなよ。本当にそう思ってるだけなんだ。俺はお前のことを信じてるし、お前は自分が思っている以上にすごいんだ。それを、ただ受け止めてほしい」

モーントは写真をずい、とこちらに向かって突き出す。

アムレットはそれをおずおずと両手で受け取った。

「が、頑張ります……」

「卒業証書かよ。まあいいや。『一緒に』頑張ろう」

そう言ってにんまりと屈託なく笑うモーントの顔は、写真と全く同じだった。

アムレットも同様に、ぎこちないながらも笑顔を返す。

信じたのだ。

彼の話も。

彼の気持ちも。

嘘偽りなど、何一つないと。

なんってったって、こんな自分を認めてくれたのだから。


翌朝。

ニコとぷぇにっくすは、ジルバーンを連れて『実績解除部』の部屋の中央に立っていた。

彼女らと相対するように、じっせキングが佇んでいる。

その両隣には、厳しい表情のアルラウネやオークたちが仁王立ちしていた。

彼らの様子を見守るように、他の作業員たちも心配そうな視線を送ってくる。

もちろんそれで手が止まるようであれば、監視員たちの容赦ない叱責や体罰が飛んで来ていた。

そんな周囲の様子を気にすることなく、じっせキングは気だるげな様子でニコたち言い放つ。

「さて、約束の時間になったわけだが、お前たちがどれだけできたのか見せてもらおうかな。私もあまり時間がないから、ごまかしや引き延ばしはしないでくれよ。もし少しでも駄目なようだったら……」

アルラウネはにやりと笑って、腕の毒鞭をゆっくりと持ち上げる。

鞭には無数のとげが付いており、その先端からは毒と思しき液体が滴り落ちた。

その様子に、ジルバーンは少し怖気づいたように後退る。

「大丈夫よ、ジル。私と彼が付いてるわ」

ニコはジルバーンの背中を優しくなでながら、小声で優しくささやいた。

「では、始めぇ!」

アルラウネがそう叫ぶと、ジルバーンは翼を羽ばたかせながら上昇する。

天井に取り付けられた無数の輪に向かって、ゆっくりと飛行を開始した。

「落ち着いて!一つ一つ、確実に行くのよ!」

ニコはジルバーン以上に緊張した面持ちで叫ぶ。

その隣で、ぷぇにっくすも心配そうに眺めている。

他の作業員たちも作業を続けながらも、この白い獣がどうなるかをチラチラと横目で見ていた。

ジルバーンは大きな翼が引っかからないよう、体をすぼめながら輪をくぐっていく。

輪を一つくぐるたびに、鐘の音が一つ鳴った。

鐘の音は、輪をきちんとくぐれて得点が入った印だ。

この音が鳴っている限りは、失敗していないという証拠になる。

「ふん、初級はまあまあ順調じゃないか。ならコイツはどうだ」

じっせキングは鼻を鳴らすと、指で何かを合図する。

すると、天井にいくつも穴が開いて、するすると輪が降りてきた。

突然増えた輪の数に、ジルバーンも動揺したように羽根をバタつかせる。

向こうのこずるい嫌がらせに、ニコは大声を上げて抗議した。

「ちょっと待ってください!こんなの聞いてません」

「私は獣を調教できているかを見ているのだ。これくらいの想定外、対処できなければ合格は与えられないぞ」

事も無げに言い放つじっせキングに対し、ニコは悔しそうに拳を握る。

しかし思い直したようにジルバーンを見上げ、叫んだ。

「大丈夫よ、あなたならできる!信じて!」

ニコの声に応えるように、ジルバーンも翼を羽ばたかせながら、体勢を立て直す。

増えた輪の数を確認するようにその場で滞空し、ゆっくりとルートを変えながら旋回していく。

「いいわ!その調子!」

鐘の音が再び小気味よいリズムを取り始め、ニコも嬉しそうにぴょんぴょんと跳ねた。

その様子を、じっせキングはしばらく黙って見つめ続けた。

すると突然、手のひらの上に魔法の球を作り、ジルバーンに向かって投げつける。

「!!」

いきなりのことに、ジルバーンも避けることができない。

ニコはとっさに胸のペンダントを掴んだ。

その瞬間、ジルバーンのいた位置が数十センチずれ、魔法の球がそのすぐ横を掠めていく。

ほっとするニコのすぐ目の前に、じっせキングはすさまじい勢いで詰め寄った。

「エルフ12号。今使ったものを見せろ」

「え!?」

ニコが抵抗する間もなく、じっせキングは魔法を使って彼女の胸からペンダントをもぎ取る。

そこには、白いドラゴンのお守りと一緒に、そのしっぽを噛んで円形状になっているラケルタの姿があった。

「ふむ。これがヴィヴィアンが言っていた『世界改編の鍵』か」

「か、返して!」

ニコはお守りを取り戻そうとじっせキングに掴みかかるが、その前に監視員のオークが彼女を羽交い絞めにする。

じっせキングはお守りをまじまじと見ながら、くっついているラケルタをつついたりしっぽを引っ張ったりした。

ラケルタはなるべく動かないよう、必死で我慢する。

「しかし、足りない部分をこんな形で補うとはな。この星柄は……古い闇の力を感じる。なんとも恐ろしい」

じっせキングは暴れまわるニコに向き直り、お守りをぶらぶらと振って見せた。

「12号。お前、これをどこで手に入れた?」

「…………」

ニコは固く歯を食いしばって答えない。

じっせキングは軽くため息を吐き、お守りに視線を戻す。

「答えないか。まあいい。どちらにせよ、これが手に入ったのは僥倖(ぎょうこう)だ。わざわざ怪しそうなやつを片っ端から入れた甲斐があった」

「まさか、最初からそのつもりで」

ニコは驚いたように目を見開いた。

それをせせら笑うかのように、じっせキングはペンダントを握りしめる。

「当たり前だろう。あの色ボケ剣士が捕まった時点で、すでに周辺の情報を集めさせていたのだ。あいつがギルドに出頭する前日、お前のようなエルフの小娘を一人雇っていたとな。確かにあいつはマヌケだが、少なくとも小娘一人にボロを出すほど愚かではない。その上、そこのセイレーンは魔王軍の残党らしいと聞いている」

そう言われて、ぷぇにっくすは歯痒そうに顔を歪めた。

何かを抗議するように口をぱくぱくと開けたが、声は出ない。

「さて、12号。お前がこれを使って何をしようとしていたかは知らん。もしかすると、魔王に死んだ家族か恋人でも蘇らせてやる、とでも言われたのかもしれないな。だが考えが浅い。これはそんなことのために使うものでは……」

「おいおい、お前こそ俺様ちゃんをバカにするなよ」

突然手の中から声が聞こえ、じっせキングは思わずお喋りを止める。

次の瞬間、キングは飛び上がって手を開いた。

「あ痛って!!」

開かれたじっせキングの手のひらには、ラケルタが大きく口を開けてかみついていた。

ラケルタはお守りごと振り落とされ、床に叩きつけられそうになる。

しかし転がりながらなんとか受け身を取り、お守りを抱えて大声で叫ぶ。

「ワハハハハ!下手に受肉なんかするもんじゃないな!」

もちろん、その声はファントムのものだ。

ラケルタはペンダントを抱えたまま、ニコの元へと走り出す。

「クソ、こいつ生きていたのか。捕まえろ!早く!」

吠えるじっせキングの声に、周囲のモンスターたちは慌ててラケルタを追いかける。

それを寸でのところで避けながら、ラケルタはオークの足元まで来た。

「気を付けて!」

羽交い絞めにされたままのニコが叫ぶ。

彼女の言うとおり、オークはニコを掴んだまま、足でラケルタを踏みつぶそうとした。

「うわ、うわ、死ぬ!」

「バカ、『鍵』まで壊れたらどうする!」

じっせキングの理不尽な叱責に、オークはうろたえたように足を止める。

その瞬間を見逃さず、ラケルタはオークの足にくっついて上り始めた。

「小娘に『鍵』を掴ませるな!こっちに寄越せ!」

じっせキングは焦った様子で大声を上げる。

それを見て、オークはラケルタがくっついている方の足を、じっせキングの方向に向かって大きく蹴り上げた。

その勢いに負けて、ラケルタはお守りごと空中へと放り投げられる。

「よーし、いいぞ!」

待ち受けるかのように、じっせキングやアルラウネたちが腕を伸ばす。

このまま捕まってはいけない。

そう思ったラケルタは、上空にいる白い影に向かって叫んだ。

「ジルバーン!」

その時、白い大きな影がラケルタの上に覆いかぶさる。

そう見えた次の瞬間には、ジルバーンのくちばしがラケルタの体をはさんでいた。

「何い!!」

驚くじっせキングたちの目の前で、ジルバーンはくるりと旋回して見せる。

そして完全に油断していたオークの顔面を、鋭い蹴爪で蹴り飛ばした。

オークはバランスを崩し、ニコを掴んでいた手を緩めてしまう。

その隙を見逃さず、ニコはオークの胸を蹴ってジルバーンの足に飛びついた。

「ラケルタ、大丈夫!?」

「僕は大丈夫。それよりも、早く魔法を!」

ジルバーンのくちばしのさきでぶらぶらと揺れていたラケルタは、体を大きく揺らして飛び移り、ニコの手の中に納まる。

ラケルタと『お守り』を手にし、ニコは大声で叫んだ。


「ミュージック・スタート!」

『お守り』が強い光を発し、その場にいた全員の目を眩ませる。

その光が収まったかと思うと、辺りの様子は一変していた。

天井からつるされていた輪は金色に輝き、設置されていた実績解除の道具類もすべてカラフルな色に染まっている。

その中央でスポットライトと浴びているのは、ジルバーンの上で仁王立ちになっているニコだ。

彼女もまるでアイドルのようなひらひらとした衣装を身にまとっている。

彼女が指を一つ鳴らすと、どこからともなくかわいらしいポップなリズムの音楽が流れてくる。

その音に合わせ、ニコは手にしたタクトをマイクのようにして歌い始めた。


 見てほしい 愛されたい いつか夢を叶えたいの

 そんなあなたの心の内を ほんのちょっとだけ覗かせて


 聞かせて くださいな

 あなたの夢はなんですか


「ハイ♪」


ニコはそのタクトを近くにいたバンシーに向ける。

突然のことにバンシーは一瞬戸惑ったような表情を見せるが、なぜか合わせて歌いだした。


 私の夢は アイドルになること

 夜な夜な一人でカラオケ録画

 ネットで配信してました でも


「でも?」

ニコが相槌を入れる。


 叩かれたの私

 炎上いたしました

 「このブス」「下手じゃね」

 心が折れる音が聞こえるの


そこまで歌って、バンシーは泣き崩れる。

その肩をぽんぽんと数回叩くと、ニコはそのまま続けて歌う。


 聞かせて くださいな

 あなたの夢はなんですか


「ハイッ」

そして今度は、先ほど蹴とばしたオークにマイクを向ける。

オークは怒ったような顔をしたが、開いた口からは勝手に歌が流れだした。


 俺の夢は 実況者になること

 ゲームの腕なら割と自信あったし

 喋るのも 下手じゃない でも


「でも?」


 友達に言ったら

 馬鹿にされたし

 親からは本気で呆れられた


その場にうずくまるオークの背中をさすり、ニコは悲し気に歌う。


 夢が叶うってどういうことなの

 否定されれば夢はお終い?


 大人になるのは居場所を作ること

 居場所がなければ夢もお終い?


その時、突然曲が転調した。

辺りにドラムとギターの重低音が響き渡り、ライトが激しく動く。

そしてスポットライトがまたひとところに留まったかと思うと、今度は黒と赤を基調とした衣装を纏ったニコの姿を浮かび上がらせる。

その歌声は先ほどとは打って変わり、恐ろしいほどの重低音である。


 クラスの人気者には なれそうもない

 固定されたカースト 反逆できそうもない

 時計カチコチ 私置いてきぼり

 文句グチグチ あいつ嘘つき


 僕ら大人のなりそこないかな

 居場所ないので 出てってください


 SMSでも 名無しがせいぜい

 見えない派閥  乗り越えられそうにない

 ネットぐるぐる ここは迷路

 心ボロボロ 君は迷子


 君ら子どものなれの果てだろ

 免許証ないので ここは通れません


 何者かになるのかそんなに大事


 なれないことを焦っているんだろ


 何者になったかを誰が決める


 決めてくれないからイラついてるんだろ


 たちあがれバカども


周囲のモンスターたちは恐れおののいたような目線でニコを見つめる。

その中で、じっせキングだけがすっと前に進み出る。

「茶番はお終いか?あのふざけた魔王の真似をして、なにが楽しい」

するとまた曲が元のかわいらしい調子に戻る。

ニコは愛らしく笑顔を浮かべ、マイクをじっせキングに向ける。


 聞かせて くださいな

 あなたの夢は……


「だまれ!」


じっせキングは手から魔法の球を発生させ、ニコに向かって打ち込む。

ニコは笑顔のまま、それを紙一重で避けた。

そしてじっせキングに向かって全速力で走り、すぐ目の前まで接近する。

彼女はマイクをじっせキングの顔面になすりつけんばかりに近づけ、歌い続けた。


 あなたの夢は なんですか


「知らん!」


 あなたの夢は なんですか


「やめろ!」


 あなたの夢は


「しつこい!」


 あなたの


「黙れええ!!」


耐えられなくなったじっせキングは、相手との距離が近すぎるのもかまわず魔法弾を発しようとする。

その手を、ニコは魔法の球ごと握りこんだ。

手のひら同士が合わさった部分から、煙が立ち上る。

理解不能なまま硬直するじっせキングに、ニコはささやきかけるように歌う。

 あなたの居場所は どこですか

「…………」

じっせキングは無言で首を横に振る。

合わされた手を無理やりほどき、呪文を早口で唱えた。

ラケルタはそれが、じっせキングお得意の幻惑魔法だと気づく。

「気を付けて、ニコ!」

小声でそう訴えかけるが、ニコは動じることなく自信ありげな笑顔を浮かべている。

じっせキングは呪文を唱え終わり、周囲のモンスターたちに向かって強い口調で叫ぶ。

「さあ、もう茶番はいいだろう!お前ら、こいつらを捕まえろ!」

しかし、モンスターたちは微動だにしない。

実績解除の下っ端モンスターはもちろん、監視員のミノタウロスやアルラウネといったモンスターまでもが、皆一様空中のある一点を見つめていた。

「どうした、お前たち。何を見ている……」

彼らが見つめる先を向いて、じっせキングは絶句した。

そこには、本来なら自室に飾ってあるはずの『実績』が描かれたタペストリーがふわふわと浮かんでいたせいだ。

その上、タペストリーに書かれた『実績』の文字は、各々ひとりでに動いて別の文章へと変わっていく。


ボくにハ イ場所が名い

居ヱにモ 学こウにも

トもだ血は 井ナい

見んなニ い字めらレる

塔さんも 加あサンも

ぼ区のセイで お子ったり 無いたリ

べんキヨウがで木てモ

ひトのこ孤ロが 若らな意ト

にン下んとし手 圧か割れ那い

追う国デも それハ おんナ自

な乱 暴クは 一りぼっ血の

門すたアとシ丁 ノ死あがリ……


「やめろおおお!!!」

じっせキングはそう叫んだかと思うと、全身が青い炎に包まれた。

それは今までの人間の姿を捨て、本来のウィルオウィスプの姿に戻ったからだった。

激しく燃え上がる炎を辺りにまき散らしながら、じっせキングは宙を飛ぶ。

そして、なおもメッセージを浮かび上がらせ続けるタペストリーに突っ込む。

火はタペストリーに燃え移り、巨大な火の玉となって空中を飛び回った。

ニコをはじめ、モンスターたちはそれを慌てて追いかける。

火の玉は『実績解除部』を飛び出し、途中壁にぶち当たりながら、周囲に火の粉をまき散らす。

「まずい!このままでは火事になってしまう!」

監視員のオークが叫び、『実績解除部』以外のモンスターたちも驚いたように飛び出してきた。

辺りは騒然となり、混乱して逃げ出そうとする者、水の魔法を使って火を消そうとする者、力づくでじっせキングを止めようとする者とがそこら中に入り乱れる。

狂乱の最中、お守りから離れたラケルタの口から、急にファントムの声が飛び出してきた。

「スライムだ!スライムを使え!」

ファントムの声は工場中に響き渡り、混乱していたモンスターたちは一瞬放心したように動きを止める。

そして数秒の後、言われたことを理解した一部のモンスターが、スライム養殖用プールの扉を開け放った。

そしてなおも宙を飛び回り続ける火の玉に向かって、スライムを大量に投げつけていく。

スライムは火の玉にまとわりつき、徐々に火の勢いは弱くなっていった。

やがて重くなったその塊は、ふらふらと宙を漂った後、べちゃりと地面に落ちる。

まとわりついていたスライムが剥がれ落ち、中から真っ黒に焦げたタペストリーの塊が出てきた。

ニコはモンスターの一人から耐熱用の手袋を借り、タペストリーを丁寧に剥がす。

しばらく剥がし続けると、炭化したぼろきれの奥の方に、ちらちらと燃える小さな青い炎を見つけた。

ニコは消えてしまわないよう注意を払いながら、その炎を取り出す。

炎はネズミのくしゃみのような声で、何かをつぶやき続けていた。

「みるな、みるな、みるな……」

ニコがその様子を悲し気な目で見つめていると、監視員のオークがそっと手を差し伸べてきた。

「こちらに寄越してくれないか」

「え、でも……」

「大丈夫だ。傷つけたりはしない」

恐る恐る炎を差し出すと、オークはそれを素手のまま受け取り、腰にぶら下げていたカンテラに入れた。

炎はカンテラの中で弱弱しく震えている。

オークはそれを無言で見つめながら、複雑な表情でつぶやく。

「不思議なんだ。『幻惑の術』が解けたら絶対仕返ししてやろうと思っていたのに、今は全然その気が起きない。まあ、こんな弱ってる奴にどうこうしたところで、ていうのもあるんだろうが……」

そこまで言って、オークは思案するように目を閉じる。

「どうしたの?」

「なんとなくなんだが、俺も似たようことをコイツにやっていた気がするんだ。それで仕返しをされて、そして今俺が仕返しをして、それをまたコイツに仕返しされて……。みたいなことが延々続くのも、けっこうしんどいと思ったんだよ。まあ、ほかの奴らも同じように思っているかは分からんが」

そう言って、オークは周囲のモンスターを見回す。

他のモンスターたちも、同じようにただバツの悪そうな顔をして黙っていた。

オークはニコの方に向き直り、いかつい顔ににやりと笑みを浮かべる。

「お前ら、ファントムの仲間なんだろう。これからどうする気なんだ」

「私たち、ダンジョンに行きたいの。そのために汽車に乗りたかったんだけど……」

「そうか。おーい、お前ら!一緒に付いていく気があるやつはいるか!」

オークが周囲に呼びかけると、多くのモンスターたちが手を挙げた。

それを見て、オークは決心したように頷く。

「よし。どうせだから、明日お披露目のはずだった新型の汽車に乗って行っちまおう。前の奴よりも、もっと早く着くはずだ」

「いいの?あなたたち、反逆者になっちゃうのよ」

ニコが心配そうな顔で尋ねると、アルラウネがにやりと笑って答える。

「もう単純作業には飽き飽きしてたんだ。どうせなんだから、モンスターらしくひと暴れしてやりたいんだよ」

他のモンスターたちも、皆楽しそうな顔でうなずいた。

オークは手を上げなかったモンスターにカンテラを預けると、拳を突き上げて叫ぶ。

「俺たちは自由だ!どこへでも行ける!なんにでもなれる!行くぞぉ!」

おお!とモンスターたちは一様に拳を突き上げる。

ニコやぷぇにっくすも、うれしそうに同じポーズをとる。

ラケルタは一人その様子を眺めながら、小さくため息を吐いた。


 一方その頃。ギルド内の『復帰部屋』へ、ドスドスと足音を響かせながら一人の人物が向かっていた。

彼は勢いよく扉を開けると、開口一番にそこの責任者の名前を叫ぶ。

「ヴィヴィアン!ヴィヴィアンはいるか!」

言葉だけでなく、全身に怒りをみなぎらせながら現れたのは、モーントだった。

その激しい呼び声をうっとおしがるかのように、ヴィヴィアンはゆっくりと立ち上がる。

「そんなに大声で叫ばないでくださいまし。修復作業は最新の注意が必要なんですのよ」

「知るか!それよりもマルは、アムレットはどうなっている!」

そっけない対応をするヴィヴィアンに、モーントはイラついたように詰め寄る。

「いいか。あの後ほんの数分再起動が遅れたら、あいつは病院送りになるところだったんだ。そんな事態になってみろ。原因不明の病気で、入院させられてたかもしれないんだぞ」

「そんな事態にはなりませんわ。ご自分のお友達を信じてくださいまし」

そう言いながら、ヴィヴィアンはベッドの上に腰かける“アムレット”の肩に手を置く。

“アムレット”は足をぶらつかせながら、モーントに向かい「おー」と手を上げて見せた。

その姿を見て、モーントは安堵と不安が入り混じった表情を浮かべる。

「マ……アムレット。お前、大丈夫なのか」

「だいじょおぶだよお。へーきへーき」

微妙に間延びした声ではあるが、こちらの言うことは理解しているらしい。

モーントはため息を一つ付き、友の横に腰かける。

「そ、そうか。悪かったな、ちゃんと直すのが遅れてしまって。今、皆で残りの『星』を探しているところなんだ。必ず全部見つけるから」

「ありがとー。うれしー」

アムレットはモーントの手を握り、弱弱しく上下に振る。

そのあまりの力のなさに、モーントは目を伏せた。

「では私は、『星』探索の進捗状況を確認して参りますわ。アムレット様もまだ本調子とは言えませんから、あまりご無理をなさらぬよう」

ヴィヴィアンはそれだけ言い残すと、すたすたと部屋から出ていった。

それを無言で見送っていると、アムレットが自分の手を叩いてくるのを感じた。

「ねーねー、もーんとお」

「なに?」

頬にひびが入ったままではあるものの、無邪気な顔で話しかけてくる友に、モーントは優しく答える。

「もーんと、がんばってるねー。かっこいー」

「なんだよ、急に」

「いいなー。ぼくも、きみみたいになりたかったなー」

「そんなこと言うなよ。俺なんて大したことないよ」

「うーん。でもぼくじゃあ、しゅじんこうにはなれないし」

「主人公?」

奇妙な単語を口にした友人に、モーントは怪訝そうな表情になる。

アムレットは口にこそ笑みを浮かべているものの、どこか虚ろな目でこちらを見つめてきた。

「しゅじんこうはね、みんなをたすけてくれるんだよ。かっこいいし、つよいから」

「へえ。でも、アムレットだって十分主人公になれるさ」

「それは、むり。だって、よわいから」

「そんなことは……」

「あるよぉ。あ、でも、もーんとも、しゅじんこうになれないね」

「……え?」

「だって、きみは」

次の瞬間、アムレットはガラスが壊れるような音を立てて、頭から床に落ちた。

砕け散った『星』が辺りに散乱し、部屋の明かりを反射している。

そんな状態になってしまった友人に目もくれず、モーントはすさまじい勢いで部屋を飛び出した。

開け放たれた扉のすぐ外で、ヴィヴィアンはにんまりと笑みを浮かべる。

「あらあら。ずいぶん激しいのねえ」

ヴィヴィアンは部屋に戻り、床の上でびくびくと痙攣するアムレットに近づいた。

無残にもげた首の横にしゃがんむと、その髪を掴んで持ち上げる。

「かわいそうなレベル士さん。まあでも、本当のことでも言っていいことと悪いことがあるわよねえ」

そう言ってくすくすと笑うヴィヴィアンに、アムレットの首は虚ろな笑顔のまま「あい」と返事をした。

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