第4章ー1 変身しちゃえばいいじゃない

 『自分』は何かをつぶやいている。

手に金属でできた鐘のようなものを持ち、それを必死に振りながら、何かを一生懸命唱え続ける。

目の前には、布団に寝かされた大切な「片割れ」。

そうだ。

 『自分』はこの『片割れ』のために、こんなことをしているのだ。

ふと背後に気配を感じ、振り返る。

そこには、険しい顔をした老婆が立っていた。

着物をきちんと着こなし、背筋をピンと伸ばしている姿は、年齢を感じさせない。

老婆はしわがれた声で、吐き捨てるようにつぶやいた。

「まったく、どうしてお前じゃなくてこの子が病気になってしまったんだろう。それもこれも、あの女のせいさね。息子まで道連れにして、とんだ疫病神だ」

『自分』はその言葉を聞かなかったふりをするように、大きく声を張り上げた。


 オンコロコロセンダリマトウギソワカ


オンコロコロセンダリマトウギソワカ


オンコロコロセンダリマトウギソワカ……


遠くの方で、誰かの声が聞こえる。

「……参りましたわね。制御できないのは想定外です」

女の声だ。聞き覚えがあるような気がするが、どこで聞いたのか思い出せない。

「お前がかけた術なんだぞ。原因は何だ」

女の声に答えるように、今度は聞きなじみのある声が耳に入る。

どうやら女に対して苛立っているらしく、口調には怒気がこもっている。

「多分ですが、あなたの星がまだ体に馴染み切っていないせいだと思われます。時間がたてばうまく操れるようになるかと」

「操るなんて言い方をするな。とにかく、時間さえ経てばなんとかなるんだな」

「ええ。あ、あの男が来ましたわ。では私はこれで。術が再起動するまで、なんとか時間稼ぎを」

「……善処する」

話しを続ける二人の顔が、ぼんやりと目に映る。

焦点が合わないせいで誰かまでかは分からない。

ただ、女の方はかなり胸が大きいようだ。

その隣で女に話しかけている方は、自分と同じくらいの背格好だろうか。

ずっと目を開けているのがおっくうになり、次第に瞼が下がってきた。

それからしばらくして、今度は男の声が聞こえてくる。

「おい、ヤモリ。ヤモリ!」

頬をぴたぴたと叩かれる感覚に、ゆっくりと目を開いた。

その視界いっぱいに、陰気臭い男の顔面が迫っている。

思わず悲鳴を上げそうになり、口を開こうとした。

しかしその意志と反して、顔の筋肉はぴくりとも動かない。

白衣を着たその男の背後には、かなり高い位置に天井のようなものが見える。

遠くの方では、誰かがキュッ、キュッ、と床を激しく踏みしめる音がする。

それに交じって、バタバタと走り回る音や、歓声も聞こえてきた。

どうやら自分は、体育館の床の上に寝かされているらしい。

「お、意識はあるみたいだな。これ何本に見える」

男はそう言って、彼の眼前で指を2本立てる。

顔の筋肉が動かないのに、答えられるものだろうか。

そんな不安が脳裏をよぎったが、予想に反して口からは自然と「2本」という言葉が飛び出る。

すると、横の方から聞き覚えのある声が聞こえた。

「マル、大丈夫か。頭は痛くないか」

彼は『マル』というのが自分の名前であることを、ぼんやりと思い出した。

今までは『アムレット』とか『ラケルタ』などと呼ばれてきたが、そのどれよりもなじみ深い感覚があった。

声の主を確かめようと、頭を動かそうとする。

しかしこれも顔と同様、やはり自分の思う通りには動きそうになかった。

そんな彼に変わって、男が声の主に話しかける。

「朝霧か。とりあえず、熱中症ではなさそうだな。倒れる前、ヤモリはどんな様子だった?」

男にそう問われ、朝霧と呼ばれた声の主は淡々と答える。

「金森です。ええと、今までドッヂボールの練習をしてたんですけど、マル、金森の頭にボールが当たっちゃって。でも、そんなに強く当たったわけじゃないんです。本当にかすったくらいで。な、マル」

そういうと、自分……金森の視界へ、朝霧が顔をのぞかせる。その顔に、強い親近感を覚えた。忘れもしない。大切な親友が、自分の顔を覗き込んでいる。井森は反射的に、友の名を呼んだ。

「アキラ」

その名を口にした瞬間、アキラが少し驚いたような表情を浮かべる。

友がなぜそんな顔をするのか、金森は疑問に思った。

しかし、彼はすぐ冷静な顔に戻る。

そんなアキラに向かって、白衣の男が話しかけてきた。

「どちらにせよ、あまり反応が良くないな。最悪、救急車を呼ばなければならんかもしれん」

「え、救急車ですか」

相手の言葉に、アキラは目に見えて動揺したような態度をとった。

その様子を見て、男は片方の眉を吊り上げる。

「可能性の話だ。それとも何か。ほかに原因となることに心当たりでも?」

男の問いかけに、アキラは何も答えず眉根を寄せる。

「まあいい。A組の担任は、たしか新谷先生だったよな。ちょっと呼んで来てくれないか」

「……分かりました」

アキラは軽くうなずき、金森の耳元に囁きかける。

「もう少しの辛抱だ。すぐ元に戻すから」

アキラはそう言うが早いか、すぐにどこかへと駆けていく。

金森はなんのことか理解できなかったが、頷くことも問い返すこともできない。

すると今度は、残された白衣の男が小声で話しかけてくる。

「体が思うように動かせないか、ヤモリ。なんとも哀れだな」

男はにんまりと冷たい微笑を浮かべる。金森はその表情をどこかで見たことがあった。

「なぜだと思う。ま、答えられないだろうから、先に教えてやろう。『星』が足らないからだ」

星。

金森はその単語を聞いて、先ほど手を触れた目玉のことを思い出した。

あれはやはり、自分の一部だったということか。

男は走り回る他の生徒たちをちらりと見て、鼻を鳴らした。

「おまえだけじゃない。他の連中も、だいぶん星を取られている。それでもああやって動けるのは、『別の何か』が体を動かしているからだ。お前さんだって、ついさっきまでそうだった」

『別の何か』とは一体何か。

そう聞こうにも、やはり声は出ない。

そもそも、この男は一体誰だったか。

うまく回らない頭の中で、一つの名前が急に浮上してくる。

『逸見』。保険医の逸見。しかしなぜ、こいつがそんな話をしてくるのだ。

「哀れだね。誰も自分の意志がないことに気付かない。しかしこれも、ある意味この世の摂理かもなあ。だが、俺はできる限り自由でいたいね」

逸見はこちらの方に視線を戻し、ぬぅと手を伸ばしてくる。

「時間がない。急げ、金森。あの娘を早く連れてくるんだ」

冷たい手が金森の目を覆い、瞼を強引に閉じさせる。

それと同時に、耳に入る様々な音が、だんだんと遠のいていく。

意識が闇に飲まれていき、自分がここではないどこかへと落ちていくのを感じた。


「おーい、ラケルタ。ラケルタ!」

甲高い声とともに、誰かが腹をぶにぶにと押す。

思わず吐き気を催しそうになり、ラケルタは慌てて目を覚ました。

「ぐ、ぐげ。起きたよ!起きたから、もうやめて!」

「あー、よかった。あのまま目を覚まさないかと思ったよ」

そういうと、ニコは安心したように顔をほころばせる。

ラケルタは彼女のてのひらの上に乗せられていたようだ。

すでにハーレムマスターの屋敷を出た後らしく、とりあえず顔を上げて辺りを見回してみる。

どうやらこの辺りは、街を抜けた郊外のようだ。

建物はまばらで、道もきちんと舗装されていない。

しかしそんな殺風景な場所の中にに、ひときわ目立つ大きな建物があった。

巨大で真四角なその建物は、窓がほとんどなく、分厚そうな白い壁に囲まれている。

屋根の上にはいくつもの煙突が建っており、そこから灰色の煙がもくもくと出ていた。

ハーレムマスターの館とは違い、なんだか武骨でそっけない印象がある。

あちらが『城』だとすれば、こちらは『工場』といったところか。

ラケルタがその建物を見つめていると、ニコが気づいたように話しかけてきた。

「あれね、『じっせキング』さんのおうちなんだって。今から私たち、あそこに行くのよ」

「は!?」

無邪気にしゃべるニコに対して、ラケルタは信じられないという風に声を上げた。

当然である。

じっせキングといえば、モンスターを奴隷のように扱い、時には平気で使い捨てにするような奴なのだ。

そんな者の所へ一体何をしに行くというのか。

ラケルタの表情から察したのか、ニコが頬を膨らませながら答えた。

「そんな顔しなくてもいいじゃない。ダンジョンまで行くために、ちょっと潜り込ませてもらうだけよ。なんせ時間がないから」

ニコが言うには、現在じっせキングは新たな線路を開発しているとのことだった。

線路を2本に増やすことで、貨物の流通量をさらに増やすことが目的らしい。

その開発団の中に潜り込んで、うまいことダンジョンまで行ってしまおうということだそうだ。

「そんなにうまくいくかな。だってここにいるのは、エルフの女の子と、セイレーンの女の子と、ただのヤモリだよ?」

「ふっふーん。それは大丈夫なのです」

不安そうな顔をするラケルタに、ニコはにんまりと笑って懐から何かを取り出す。

こぶし大の、禍々しい色の石。

惑わせ石だ。

「え、それってまさか……」

「そうでーす。これで有能っぽいモンスターの姿に変身すれば、ぜったい大丈夫!」

ニコは自信満々の顔で、Vサインをしてみせる。

その様子に、ラケルタはかえって不安を覚えた。

側にいたぷぇにっくすも、石を見つめながら眉間にしわを寄せている。

しかし、そんな二人の様子を気にすることもなく、ニコは惑わせ石を高々と掲げる。

「よーし、じゃあみんな準備はいいかな?ではでは、有能で仕事ができそうなモンスターに、変・身!」

「ちょ、ちょっと待って……」

ラケルタとぷぇにっくすが止める間もなく、惑わせ石は怪しい光を放つ。

その強烈な光に、三人はあっという間に包まれていった。



「では次の者、名前と特技を言え」

そう言って、不機嫌そうな顔をしたゴブリンの男が、こちらをにらんでくる。

ここはじっせキングの家……というか、広大な工場の一角。

辺りには何を作っているのか分からない機械が所狭しと設置され、その合間を縫うように様々なモンスターたちが駆け抜けていく。

そんなせわしない現場を見下ろすような場所で、彼らは面接を受けていた。

自分たちの他にも、数人の屈強そうなオークやトロールが並んで立っている。

その中の一人が、低い大きな声で答えた。

「私はオーマ・デスタール。かつて砂漠で盗賊をやっていたものだ。腕っぷしには自信があるぞ」

「そうか。ではお前は今日からトロール1135号だ。配置は多分、汽車の積み荷降ろしだな」

「何!?」

いきなり横柄なことを言われて、トロールは驚愕の声を上げる。

しかしゴブリンは気にした風もなく、その隣にいたオークに問いかける。

「次の者。名前と特技を」

「わた……じゃない、俺はゾネン・キント。百戦錬磨の戦士であるわ。グハハ」

「グハハ?」

ゴブリンは怪訝そうな顔をして首をかしげる。

「ちなみに隣にいるのは俺の弟である。寡黙である故あまり喋らぬが、力は強いぞ。なあ弟よ」

弟と呼ばれたもう一人のオークは、無言でこっくりとうなずいた。

その様子に、ゴブリンは微妙な表情になったが、気を取り直して続ける。

「ああそう。じゃあお前たちは今日からオーク2105号と2106号だな。持ち場は……」

「待て」

ゴブリンが最後まで言い終える前に、背後から誰かに呼び止められる。

何事かと、ゴブリンは不機嫌そうに振り向く。

しかしそこにいた者の姿を見止め、みるみるうちに青ざめた。

「こ、これは主!どうかなさったのですか」

主と呼ばれた者……じっせキングは、ゴブリンの問いかけを無視し、足音一つ立てずにこちらへ近づいてくる。

そして先ほど質問に答えたオーク二人の前まで来ると、その姿をじろじろと眺めた。

「おい、ゴブリン235号。こいつらはどこから来た」

「は。書類によれば、魔王軍の敗残兵であると」

「あのふざけた魔王軍か。『幽玄の魔導士』たるこの私を煙に撒くとは、あいつらもそうとうな手練れだっなた。まあ、最後はこちらの勝ちだったがな」

全くそうですねえ、とゴブリンはゴマをするようにへらへらと返した。

そのやり取りを見ながら、弟と呼ばれたほうのオークが小さく鼻を鳴らす。

「ところで235号よ。お前はどこぞの剣士が、禁忌の術に手を出していたのは知っていたか」

「ははあ。ハーレムマスター殿のことですな。あやつ、今朝がたギルドに自ら出頭してきたと」

「とんだ間抜けだな。妹の力を借りて、自分の姿を見栄え良く変えていたらしい。あんな小手先の術で、騙し通せるなどと思う方が愚かなのだ。ちょうど、こんな感じで」

そう言うやいなや、じっせキングは人差し指をオークの方に突きつける。

その途端、オークの腰の辺りから、石のようなものが飛び出してくる。

「ああ!」

オークは慌てたように石を掴もうとする。

だが石はそのまま宙を飛び、じっせキングの手の中に納まった。

じっせキングは手に持った石を確認し、軽蔑したようにオークたちを見上げる。

「惑わせ石か。あの色ボケとは違い、お前らはある意味真っ当な使い方をしているとも言える。しかし、こんなものでこの私を欺けるなどと思うな」

そう言ってじっせキングが石を強く握ると、あっという間に粉々に砕け散る。

それと同時に、2人のオーク体から煙が出て、その姿が変わった。

そこにいたのは、エルフの少女とセイレーンの女……ニコとぷぇにっくすだった。

二人は驚きと怯えの混じった表情で、じっせキングを見つめる。

横にいたゴブリンも、慌てたように書類と二人の少女を交互に見比べた。

しかしじっせキングは一人冷徹に二人を見下ろすと、やおら彼女たちの毛を一本ずつ引き抜いた。

「こいつらを『実績解除部』に連れていけ。ちょうど欠員が出たところだ。使いつぶして構わんと向こうに伝えろ」

そう言った途端、どこからともなく大きなゴーレムが現れる。

ゴーレムは逃げようとしていたニコとぷぇにっくすを軽々と抱え上げ、どこへともなく連れて行った。


 「4441、4442、4443……うええ、もう飽きたよぉ」

「シッ、向こうで監視が見てるよ」

「うう、4444、4445……」

ニコは涙目になりながら、ひたすらドアをノックし開け閉めをする。

彼女の配属された仕事場というのは、『実績解除専門部』だった。

じっせキングの一番の特徴である二つ名……実績を手に入れるために、様々な目的を果たすことを専門とする部署である。

ニコは『一万本ドアノック』のために、どこともつながっていないドアをひたすらノックし続けている。

他にも、『便座開け閉めフェチ』のために、ただ便座に座っては開け閉めするノーム、『不眠不休シャチクマン』のために、カフェイン飲料をがぶ飲みしながらひたすら起き続けている夜泣き女などがいた。

ぷぇにっくすも『飛行王』という実績を取るために、天井に取り付けられた輪っかをひたすら飛びながらくぐり続けるというミッションを課せられている。

「こんなことしてる場合じゃないのに。でも、なんであの時バレちゃったんだろう」

「コラそこ!手が止まってるぞ!」

「うひぃ、すみません!」

愚痴るニコの背後から、アルラウネがツル状の腕を鞭のようにしならせて怒鳴った。

アルラウネの他にも、屈強なミノタウルスやサイクロップスが、サボっている者はいないかと目を光らせている。

ぐすぐすと鼻をすするニコの耳元へ、ラケルタはそっと耳打ちした。

「とにかく、このままじゃ汽車に乗るなんて無理かもしれない。なんとかならないか、ほかの場所も見てくるよ」

「う、うん。気を付けてね」

「おい、何をぶつぶつ喋っている!無駄口を叩く暇があったら、ちゃっちゃと作業せんか!」

「すみませぇん!」

アルラウネに怒鳴られるニコを残し、ラケルタはそっと部屋を抜け出した。

延々と続く長い廊下には、他にも様々な部署へと通じる扉が並んでいる。

扉の上に書かれた表示を一つ一つ読んでいると、頭の中へファントムの面倒くさそうな声が響いてきた。

『さて、どうするね。ここは俺たちが思っている以上にだだっ広そうだぜ』

『とりあえず汽車のある場所を探そうと思うんだ。そこにいる連中にバグを仕込めば、なんとか潜り込めるんじゃないかと思って』

『ふーん。お前にしては考えたな。だが問題は、肝心の汽車がどこにあるか、だ』

『ううん……』

実際、ほんの少し辺りを見て回っただけでも、とんでもない数の部屋や作業場がありそうだった。

星や資材を加工するための作業室や、さきほどの謎の機械を組み立てるためだけの工場、更にはスライム専用の巨大な養殖プールなどもあった。

ラケルタは壁や天井を這いまわりながら、どこかに構内図のようなものがないか探す。

これだけ広い建物なのだ。

中で作業している職員も、迷わないために地図のようなものが必要に違いない。

しかし、どこを見渡してもそのようなものは見つからない。

『おかしいなあ。僕らみたいな単純作業の下っ端ならともかく、上で統括してるような連中なら、地図の一つくらい持っててもおかしくないのに』

『確かに変だな。ここの連中が、最初からどこになにがあるかを、全部記憶しているほど優秀なのか。あるいは……』

ファントムは言いかけて、何かを考え込むように押し黙る。

あまり長いこと黙っているので、ラケルタはたまらなくなって問いかけた。

『あるいは、なんだよ』

『なあ。ここで一番偉い奴は、いつもどこにいると思う』

『じっせキングのこと?あいつならいつもはダンジョンに潜ってモンスター狩りだけど、今はそのダンジョンがないからなあ……。さっきみたいに工場の見回りでもしてるか、そうでなきゃ汽車の設計図でも描いてるんじゃないかな』

『ほお。あいつ、自分で設計図を描くのか』

『汽車は知らないけど、ここの建物もあいつがデザインしたはずだよ。もともと『星見の儀式』のときも、設計士の才能があるって認められてたんだ。でもあんな性格だし、何よりあいつ自身がモンスターだろ。そんな奴は信用ならないからって、仕事にあぶれてたんだよ。だから冒険者をやって、全部自分で作ったってわけ』

『ははあ、なるほどね。才能がありながら、誰からも信用されない。信用されなかったから、自分も信用しない……』

『それがなんなんだよ。全然答えになってないじゃん』

『いいや、これで行き先が分かったぞ。地下だ。この場所の中で、一番深い場所を目指せ』

事も無げに言い放つファントムに、ラケルタは首をひねった。

汽車を探すのに、なぜ地下を目指さねばならないのだろう。

それとも、じっせキングにも何かを仕掛けるつもりだろうか。

真意を問おうとしたが、ファントムの声はすでに聞こえなくなっている。

仕方なく、ラケルタは扉を確認するのをやめ、地下へ続く入り口を探すことにした。


それから数時間後。

ラケルタは通気口を伝って、ひたすら深い場所を目指していた。

以前にも似たようなことをやらされたような記憶があったが、具体的に何を目指していたかは思い出せない。

それは別として、一つ気になることがあった。

この建物には、地下へ続くような階段や昇降機のようなものは、ほとんど見当たらないのだ。

あまりにも見つからないので、一度ラケルタはファントムに抗議しようとも思った。

しかしこの通気口に入ってみたところ、どうやらちゃんと地下へつながっているようなのである。

奇妙だった。

上り下りする手段はないのに、通気口だけはあるのだ。

しかも下から漂ってくる匂いから察するに、下水や処理施設の類ではないらしい。

むしろ甘ったるいような、どこかで嗅いだことのあるような香りだった。

しばらく進み続けていると、行く手に格子のようなものが嵌められているのが見えた。

格子の隙間から光が漏れているのに気付き、その間からそっと覗いてみる。

「ええ、なんだコレ」

眼前の光景に、ラケルタは思わず声を漏らす。

そこは、今までの無機質な工場や作業場とは全く違っていた。

部屋中所狭しとおもちゃの人形やぬいぐるみが飾られ、部屋の隅には、作業台と思しき広い机がある。

その机の上で、ひとり黙々と作業する小さな人影が見えた。

ふんわりとしたボブカットの髪に、人形のようなかわいらしい顔立ち。

服装は白いブラウスに膝より短いスカートと、この王国の世界観には少し似つかわしくない。

すわじっせキングにも妹が、と思いつつ、ラケルタは身を乗り出す。

少女は鼻歌を歌いながら、机の上で星や小さなパーツをいくつも組み合わせていく。

その中には、先ほどニコとぷぇにっくすから抜いた髪の毛も含まれていた。

「……できた」

少女はつぶやいて、椅子から立ち上がる。

その手には、小さな人形のようなものが握られていた。

この位置からは、どんな形をしているかまではよく見えない。

少女はそのまま、部屋の隅にある四角い箱のようなものにそれを入れる。

そして箱の中を眺めながら、満足そうに数回うなずく。

ラケルタは少女の姿を見つめ、解せないというふうに首を傾げた。

『ここって、いわゆる隠し部屋?にしても、あの子は誰だろう?この子を隠したくて、こんな場所に……』

『さて。それだけかねぇ』

ファントムが応えてきたので、ラケルタは不満そうに返事をする。

『あんた、また何か企んでんだろ。分かってるなら教えてくれてもいいじゃん』

『最近の子供は焦り症でこまる。見てりゃそのうちわかるんだから、ちったあ我慢して観察してみろ』

『ちぇっ』

けんもほろろに返され、仕方なく再び少女の方を見やる。

少女はひたすら部屋にあるおもちゃで遊んでいるようにしか見えない。

人形とぬいぐるみを突き合わせ、なにか話しているかのようなしぐさをさせている。

まるで幼稚園児のおままごとのようだということ以外は、あまり変な印象は受けない。

しかしよくよく見てみると、どこか違和感があるのに気付いた。

ごっこ遊びではあるが、少女自身はなにも喋っていない。

にもかかわらず、声のようなものは聞こえてくる。

どうやら人形やぬいぐるみの背中に付いたスイッチを押すと、勝手にセリフを発するようだ。

かと思うと、少女はいきなり人形をぬいぐるみで殴り飛ばし、背中のスイッチを押す。

「さあ、君もこちらへくるんだ。改心したまえ。正しいことは、気持ちいいぞ」

ぬいぐるみがセリフを言い終わると、次は人形の方を拾い上げ、スイッチを押す。

「痛い、痛い。助けてくれえ。なんでも言うことを聞くから」

するとまたぬいぐるみの方に回り、同じようにスイッチを押した。

「言ったな。言うとおりにするといったな。ならばお前はすでにこちら側だ」

そう言うなり、彼女は人形を地面にたたきつける。

当然人形はバラバラに壊れ、星のかけらがキラキラとこぼれ落ちた。

彼女はその星を拾い集めると、壁に飾られていた別のぬいぐるみの背中を開け、中にそれを入れる。

そしてどこらからペンを取り出し、ぬいぐるみの背中に何かを書き込んだ。

「14号。完成」

少女は二つのぬいぐるみをしばらく眺め、棚に飾る。

すると、部屋の隅にあった水晶玉が光りだした。

それを見て、少女は慌ててワードローブを開く。

その中には、何着ものローブがかけられていた。

少女はローブを一着取り出して羽織り、フードを頭からかぶる。

その姿は、どう見てもじっせキングそのものだ。

少女……じっせキングが水晶玉に手を置くと、そこから光が放たれ、壁に映像のようなものが映し出される。

そこには、じっせキングがいつも従えているトロール軍団の隊長と思しき姿があった。

トロールの背後には、以前ラケルタが見た『狭間』と思しき場所が映っている。

『報告します、キング。狭間における出席番号14番の確保が完了しました。16号による移送をこれから実施します』

トロールがそう言うと、じっせキングは先ほどとは声色を変えて喋った。

「分かった。到着次第、速やかに加工に移せ」

『了解。……追加報告。先ほどギルドに出頭した男は、ハーレムマスター殿本人と確認されました。禁止アイテムの使用、及び奴隷売買法の違反により拘束された模様。キングには正式にギルドランク1位の称号が授与されそうです。いかがなさいますか』

「いい。そんなことより、亜人奴隷の契約証明書を早く手配しておけ。でないとこちらにも火の粉が飛ぶ」

『了解しました。速やかに対処します』

水晶玉からの声が聞こえなくなって、じっせキングはため息を吐いた。

そして棚に飾られたぬいぐるみや人形をちらりと見やった後、壁に掲げられたタペストリーをじっと見つめる。

タペストリーには、彼女が今まで獲得した称号の数々がすべて並んでいた。

「あの色ボケは仲間に裏切られたそうだ。でも、お前たちは裏切らない。そうだろう?」

そう言って、じっせキングはタペストリーに頬を寄せる。

すると突然、部屋の隅に飾られていた箱のようなものががたがたと揺れた。

慌ててそちらのほうに向かい、ふたを開けて中をじっと見る。

「……ちっ」

じっせキングは舌打ちをすると、転移魔法を使いその場から消えた。

この隙にと、ラケルタは格子の隙間から無理やり体を出す。

壁に張り付いて部屋の様子を見渡しながら、独り言をつぶやいた。

「うーん、あいつが女の子だったとはなあ。にしても、見た目はかわいくてもやってることが気持ち悪いよ。なんていうか、誰も信用してないって感じ。あんなんで今までよくやってこれたよね」

ラケルタの独り言に対し、ファントムは意味ありげに返す。

『どうかな。信用してないからこそ、ここまでやれたのかもしれん。ちょっと部屋の中を偵察してみようぜ』

ラケルタはとりあえず先ほどじっせキングが覗き込んでいた箱型のミニチュアに近づく。

見たところ、どうやらこの工場……じっせキングの家を現した物らしい。

中にはモンスターをかたどった人形が多数置かれ、それぞれが作業をしているかのようなポーズをとっている。

どれもこれもかなり精巧にできており、いつまで見ていても飽きないほどだ。

ふと、ラケルタは見覚えのある形の人形を見つけた。

ちょうどさっきまでいた『実績解除部屋』のすぐ外にある、廊下の当たりだ。

そこにはいくつもの人形たちが人だかりのように集まっており、その中央ではアルラウネとエルフの形をした人形が対峙している。

エルフの人形の傍らには、真っ白なグリフォンの人形があった。

それを見た途端、ラケルタは言いようのない懐かしさを感じ、そのグリフォンの人形を思わず手に取りそうになる。

すると、ファントムが慌てた様子で叱責してきた。

『コラ、勝手に触るな。何が起こるかわかったもんじゃないぞ』

「あ、ご、ゴメン。でもこれ、一体何なの?ただの人形とは思えないんだけど」

『こいつは『星人形』といって、かなり高等な魔法の一種だ。コレを使って相手を監視したり、操ったりもできる。建物内に地図がなかったのも、上層部の連中の行動をこれで一括して制御しているからだろうな。部屋が地下にあるのは、こいつを運用しやすくするためだろう』

「なんで?地下よりも、建物の最上階とかの方が効率が良さそうけど」

『それは清廉潔白なやり方しかしない奴の考えだな。いいか、こんなものが表の連中にバレてみろ。奴隷どころの騒ぎじゃないぞ。でも地下に置いておけば、なんぞのことがあっても、部屋ごと潰して証拠を埋めてしまえる。ついでに術を掛けられた連中の記憶も取り消して、自分はシラを切りとおせばいい』

「へえ。ずいぶんと詳しいね」

『ん……まあな』

ラケルタが皮肉っぽく返すと、ファントムは言葉を濁すように返事をする。

『しかし奴さん、どうやらあのハーレム野郎よりもずっと闇が深いようだな。他にもまだ何かありそうな気がするが……』

その時だった。

部屋の中央が淡く光りはじめ、じっせキングが姿を現し始める。

「うげ!」

ラケルタは身を隠そうと、慌てて手近にあった棚に上る。

そこはじっせキングが先ほど飾ったぬいぐるみのそばだった。

しばらくそうしていた後、今度はラケルタのいる棚の方へと近づいてきた。

『ひぃ』

ラケルタは慌ててぬいぐるみの背後に身を隠す。

その時、ぬいぐるみの背中に何かが書かれているのが見えた。

どうやら先ほど、じっせキングが書き込んでいたもののようだ。

しかし、向こうに見つからないよう息をひそめるのに必死で、何が書かれているか確認することまではできない。

「契約書、契約書……あった」

幸いじっせキングはこちらに気付いた風もなく、棚の下の方にあるファイルをいくつか取り出す。

積み重ねた数冊のファイルを手に持つと、再びどこかへ姿を消した。

物音がしなくなったのを確認して、ラケルタは恐る恐るぬいぐるみの後ろから顔を出す。

どうやら何とか凌いだらしい。

大きくため息をつき、ぬいぐるみからそっと離れた。

そして、先ほど見えた文字を改めて読み直す。

『16号 山越 健』

『14号 松田 優矢』

「これって……」

どこかで見覚えのあるその名に、ラケルタはひどく衝撃を受けた。

それに応えるかのように、ファントムの声が聞こえてくる。

『覚えてるのか。こいつらの名前』

「覚えてるっていうか、え、え、なにこれ。全然分からないよ。なんなんだよ。教えてよ!」

混乱するラケルタに、ファントムは淡々とした口調で答える。

『お前さんの考えてる通りのことだよ。こいつらは『がっこうさん』に魂を取られたのさ』

 一方その少し前、『実績解除専門部』の作業場では作業要員の交代が行われていた。

徹夜中の夜泣き女などの例外を除き、疲れた様子の職員たちが、ぞろぞろと退出していく。

しかし、出ていく者と同じくらいに、入ってくる者たちも生気のない目をしていた。

ニコは作業場の隅に座り、ノックのやりすぎで皮がむけてしまった手の甲をさすっていた。

すると、同じくへとへとに疲れた様子のぷぇにっくすが、重い足取りで近づいてくる。

「お疲れさま。やっと終わったけど、本当にヤバいね、ココ」

ニコの言葉に、ぷぇにっくすは首を縦に振って応える。

彼女は全身にびっしょりと汗をかいており、両手の羽根はボサボサになっていた。

そのままニコの隣に座り込み、がっくりと首を垂れる。

「参ったなあ。この調子じゃ、本当に使いつぶされちゃうよ。その前に、何とか汽車に乗り込まないと……」

ニコは監視員に気付かれないよう、小さい声で愚痴をつぶやく。

交代していく作業員を眺めていると、様々なモンスターがいるらしいことが分かった。

老いて腰の曲がった、トロールやオーク。

アンダインやニンフなどの、非力そうな女性モンスター。

中には、どう見ても幼い容姿の者達もいる。

その姿を見て、ニコは自分が闇市で逃がしたトロールの子どもを思い出した。

「ここにいるモンスターさん達って、家族や友達はいるのかしら。ぷぇにっくす、あなたはどう?」

突然話題を振られ、ぷぇにっくすはびっくりしたような顔をする。

そしてしばらく考え込むような顔をして、身振り手振りでなにかを伝えようとしてきた。

ニコは彼女の挙動を見ながら、何を伝えたいのか読み取ろうとする。

「ええと、あなたにも家族はいるのね?お父さんがいて、お母さんは……いないの。お家はどこに?……ふうん、分からないんだ」

ぷぇにっくすは悲しそうに顔を俯かせる。

ニコは彼女の肩に手を置き、優しくささやきかけた。

「じゃあ、一緒に探しましょう」

その提案に、ぷぇにっくすは『いいのだろうか』というように首をかしげる。

「もちろんよ!ファントムだって、きっと賛成してくれるわ。私たち仲間だもの」

そう言って笑って見せるニコに、ぷぇにっくすも小さく微笑み返す。

その時入り口の方から、甲高い鳴き声と、何かが暴れるような激しい音が聞こえてきた。慌てて音のするの方に走っていくと、トロールたちが数人がかりで何かを抑え込んでいる。そこへ、怒った顔をしたアルラウネが靴底を響かせながら走ってきた。

「どうした!なにをモタモタしている!」

「す、すみません。『飛行王』用の新しいモンスターが、まったく言うことを聞かないもんで」

アルラウネに向かって、トロールの一人が申し訳なさそうに弁解する。

彼らの背後で、白い大きな羽がバタつくのが見えた。

ニコはその羽の持ち主を見て、思わず息を呑む。

暴れていたのは、見事なまでに真っ白なグリフォンだったのだ。

グリフォンは鋭い蹴爪でトロ―ルの顔を引っ掻き、くちばしで容赦なく目玉をつつこうとする。

その気性の粗さに、屈強なトロールたちも押され気味だ。

アルラウネは舌打ちをして、腕のツルを床にたたきつける。

「もういい。こいつを交代要員に使うのは無しだ。私が始末をつける」

彼女の言葉に、トロールたちは慌ててその場から逃げ出す。

残されたグリフォンは、威嚇するような姿勢を取ってアルラウネを睨んだ。

ニコの隣にいた野次馬の一人が、別の野次馬にひそひそと話しかける。

「見ろよ。アルラウネ様の『毒鞭』が出るぜ」

「ああ、こりゃあのグリフォンも一発でお陀仏だな」

その言葉を聞き、ニコは思わず駆けだした。

そして、アルラウネとグリフォンの間に割って入る。

突然割り込んできたエルフの少女に、アルラウネはイラついたような視線を投げた。

「なんだ貴様。なんのつもりだ」

「ま、待ってください。殺すのは、まだ早いです」

「なんだと?」

アルラウネの冷たい目線に、ニコは顔が引きつる。

しかし負けじと睨み返し、できる限り強い口調で答えた。

「私が調教します。エルフは動物と話をするのが得意なんです」

「バカを言え。主の恩寵で生き延びられた命を、ここで捨てる気か」

アルラウネは、ニコの全身を舐めるように見つめる。

そして手に持っていた資料をぱらぱらとめくり、ニコと交互に見比べる。

「作業員№エルフ22号。先ほどの作業で、時間内にノルマが達成できていないな」

「あ……」

絶句するニコの前に、アルラウネはつかつかと靴音を響かせて近寄ってくる。

ニコの顎をつまみ、自分の顔の方へ強引に寄せた。

「結果も出せないくせに、威勢だけはいい奴だ。そんな調子で、ここでやっていけると思うか」

「…………」

ニコは何も言い返すことができず、じっとアルラウネの目を見つめ返した。

その時、彼女らのそばで、淡い光が渦を巻きながら輝き始める。

光が消えると、そこにはじっせキングが姿があった。

「お前たち、何をしている」

「主!申し訳ありません。この小娘が生意気な口を」

アルラウネはじっせキングに事の顛末を語る。

その話を無言で聞きながら、ちらりとニコを見やった。

彼女の隣では、白いグリフォンが威嚇するようにじっせキングの姿を睨みつける。

「なるほど。エルフ14号。お前、ずいぶんと血気盛んなようだな。この工場に潜り込むだけで飽き足らず、作業の邪魔までするか」

「ち、違います。この子はとても優秀なんです。でも、無理やり働かそうとしても、実力を発揮できないんです。だから、それを……」

じっせキングはニコとグリフォンに向き直ると、フンと鼻を鳴らした。

「明朝までに調教してみせろ。うまくいかなければ、お前たちを星に変えてやる。逃げようとしても同じことになるぞ。覚悟しておけ」

それだけ言い捨てると、じっせキングはそのまま再び消えてしまった。

野次馬たちが不安そうな表情で見つめる中、ニコはグリフォンに向かい、優しく微笑んで見せた。

「大丈夫だよ。きっと、なんとかするから」

彼女の真意を知ってか知らずか、グリフォンは小さく首を傾げた。


 一方、ラケルタは突きつけられた事実をうまく呑み込むことができず、ぼんやりとぬいぐるみの背中を眺めていた。

「『がっこうさん』……?えっと、つまりじっせキングがあの怪談の……?」

『半分はそうだ。だが、半分は違う。思い出してみろ、金森。この『王国』では、星さえあればどんなものでも生み出せる。しかし、そもそも星とは何だ?何でできている?』

ラケルタは自分が『金森』と呼ばれたことにも気づかず、焦ったように返す。

「なんだよ、急に。答えになってないぞ」

『あのなあ、こっちにも段取りってものが……まあいい。端的に言えば、星とは脳の領域だ』

「脳の、領域?」

聞き慣れない言葉に、ラケルタはぽかんとした。

剣と魔法の世界であるこの王国とは、全く相容れない単語だ。

『そうとも。俺も今までいろいろ考えてみたが、それが一番落ち着く。想像力。記憶。こころ。精神力。色々言い方はあるだろうが、星とはそんなものでできているんだよ。しかし、その星はどこから来るんだ?答えてみろ』

「モ、モンスター、とかから……」

『そう、モンスターからだ。しかし、そのモンスターはどこから来る?あの狭いダンジョンの、どこからあれだけ湧いて出てくるんだ?』

「知らないよ。繁殖してるとかじゃないの?」

『それじゃあ間に合わない。思い出してみな。お前はダンジョンを出る途中で、『狭間』に行ったはずだ。そこで何を見た』

「女の子が何かに襲われてて……。あれ、でも何に襲われてたんだろう。モンスターにしては変だったし、それにあの場所は……」

『がっこう』

ファントムがつぶやいた言葉に、ラケルタは背筋が凍りそうになる。

それは、自身が思いつきたくない、あるいは思いついてはいけないとすら感じる考えを、無理やりこじ開けるような言葉だった。

『お前さんの言う通りさ。モンスターだと思ってたのは、学校の生徒。教師もいるかもな。そして襲ってたのは、お前ら冒険者たち。同級生や先輩・後輩をバラして、喜んでたってわけだ。がっこうさん、とはよく言ったものだな』

「嘘だ!そんなのあり得ない」

『嘘じゃない。というか、お前さんも本当は薄々分かっていたんだろう。さあ、ここまで来たら全部教えてやる。もともと星なんてものは、ここにいる連中から勝手に搾取されるものなんだ。一つ何かを生み出すたびに、誰かの脳の領域が使われる。それを可視化したものが、星と呼ばれているにすぎない。王国とは、チケットを持つ人間から少しずつ脳の領域を奪って作られた、いわばVRの世界だ。ホラ、昔あっただろう。普通のコンピューターをネットでつないで、スーパーコンピューター並の処理を行おう、ってやつ。それに近い』

「脳の領域を奪うって……。じゃあ、あのモンスターは、襲われた人たちは」

『王国は本来、チケットを持つ者だけで構成された世界だった。しかし最近は、それが少し不安定になることがある。それが狭間だ。チケットを持たないはずの者が王国内に迷い込み、それを見たチケット持ちには、相手がモンスターに見える。それも上質な星を持った、レアモンスターにな』

「なんで。なんで、そんなことが」

『分からん。ただ一つ言えることは、それだけ王国が巨大化しちまったってことだ。欲望は際限がなく、しかしそれをすべて叶えるには容量が足りない。足りない分は、他から奪って持ってこようってわけだ。単純だろ?』

「…………」

ラケルタは絶句した。

自分たちが管理していた世界が、そんな仕組みになっていたなんて。

気づけなかった悔しさのせいか、目が勝手に潤んでくる。

涙を必死にこらえ、震える声でファントムに尋ねた。

「どうして、今まで教えてくれなかったんだ」

『どうして?どうしてだと?今まで俺が、どれだけこのことを伝えようと頑張ってきたか分かるか?口で直接伝えたこともあったし、陳情書を書いたこともあった。現実世界で注意したこともある。覚えてないか?なぜおまえが昼休みに保健室で過ごすようになったか。俺が最初に何と言って、あそこに行くように仕向けたか。少しでも覚えてるか!?』

「そ、それは……」

激しい口調で一気にまくしたてるファントムに、ラケルタは言葉を詰まらせる。

改めて問われてみると、うまく思い出せない。

そういえば保健室通いは昔からだが、昼休みに入り浸るようになったのは最近のことだ。

それを見透かしたかのように、ファントムは気落ちした声で続ける。

『覚えていないだろう。でも、行かなければならないという義務感だけはあった。そうとも。お前さんたち『チケットもち』は、この事実をどうやったって認識できないのさ。だから少しずつバグを仕込んで、無意識下に働きかけるしかなかった』

「で、でも、ヤモリになった後なら」

『あの時お前さんは、星を失いすぎていた。何より、ただ口で言ったところで信じはしなかっただろう。自分の目で見て感じなければ、本当の歪みは分からない』

ラケルタは何も言い返せない。

最初この部屋に来た時、悪いのはじっせキングだけだと思っていたのだ。

不正をしている者を見つけ出して、それを暴く。

そうすることが、ファントムの狙いなのではないかと思っていた。

しかし、今の話を信用するのなら、おかしいのはこの王国全体ということになる。

知らず知らずとはいえそれに加担していた自分も、無実とは言い切れない。

それどころか、下手をすると親友であるはずのアキラが一番の悪者になってしまう。

彼がどれほどこの仕組みのことを理解しているかは分からないが、全く何も知らずにやっていたとは思えない。

ラケルタは迷った。

ファントムの言うことを信じて、全てを暴いてしまうのか。

あるいは、アキラのためにこのままなにも見なかったことにするのか。

どちらの選択も、自分や周囲に何らかの破滅をもたらすことには変わりない。

ファントムは声のトーンを落とし、そっと囁くように話しかける。

『なあ、金森。今まではこっちの言うとおりに動いてもらっていたが、ここからはお前さんが自分で考えて行動するんだ。たとえ今俺たちを見捨ててどこかへ行ったとしても、俺もニコもお前さんを責めたりはしない。お前さんには、それを選ぶだけの権利がある』

「な、なんだよ、急に。懐柔しようってのか」

突然優しい口調で語り掛けてきたファントムに、ラケルタはあからさまに怒って見せる。

しかし本心を言うと、怒りというよりは恐怖の方が勝っていた。

今聞いたことを全部忘れて、帰りたい。

ギルドに戻り、モーントに謝り、すべてを無かったことにして、今まで通りレベル士の仕事を続けたい。

そんな心の内すらも、きっとファントムは見抜いているに違いない。

ファントムは動じることなく、言葉を重ねる。

『この『王国』で俺ができることはたった二つ。気付かずにやりたい放題する相手をバカにすることと、それでも遠回りなメッセージに気付いてくれる誰かを待つことだけだ。回りくどいが、これしかできない。もし今、ちゃんとした行動を起こせる人間がいるとしたら、それはニコと……お前だけなんだよ』

「…………」

意味が分からなかった。

ラケルタがなにも返事をせずにいると、やがてファントムの声は聞こえなくなる。

彼は放心したまま、しばらくその場に立ち尽くしていた。


それからしばらくして、ラケルタは一人ニコたちの元へと戻った。

遠い天窓から見える空は、すでに真っ暗だ。

しかし機械や一部の作業員たちは、いまだに忙しそうに働き続けている。

ここは眠らない工場らしい。

こんなことを続けていれば、いずれ使いつぶされる者たちが出てきそうなものだ。

そうした者たちはその後どこへ行くのだろう。

ラケルタの脳裏に、『狭間』で星に解体された少女の姿が思い浮かぶ。

これがぷぇにっくすや、ニコだったら。あるいは、あの白いグリフォンだったら。

「そういえば、白いグリフォンってなんだったっけ……」

その姿を思い浮かべると、なぜか懐かしさやくすぐったさのようなものが、心に染み出してくるような気がする。

その感覚がどこから来るのか理解できぬまま、ラケルタは女子職員の休憩部屋の前までたどり着いた。

曲がりなりにも男である自分がここに入ってよいものか。

そんな疑問が一瞬よぎったが、下手に呼び出そうとしてもほかの者たちに気付かれてしまう。

僅かに開いてた扉の隙間からそっと入り込み、天井を伝ってニコたちの姿を探す。

部屋の中は明かりが灯っておらず、時折寝息やいびきのようなものが聞こえるばかりだ。

「ニコはどこにいるんだろう」

暗闇の中で目を凝らしていると、窓から差し込んだ月明かりに照らされて、一瞬何かが光ったように見える。

それは、白い大きな羽根のようであった。

それを見た瞬間、なぜか胸が騒めき、羽根の見えた方向へと一直線に走り出した。

そうだ。頭では忘れていても、心が覚えている。

「ジルバーン!」

その名を呼んだ瞬間、ジルバーンはハッとしたように顔を上げた。

ラケルタはそのまま天井から飛び降り、ジルバーンの背中に着地する。

ふわりとした羽毛の感触と、草むらのようなにおいが鼻をくすぐる。

しかし、その体に抱き着いてから気づいた。

自分は向こうを覚えていても、あっちは果たして自分のことが分かるだろうか。

こんな姿になり果ててしまったのだ。

分からないどころか、最悪食べられてしまうことだって十分考えられる。

急に恐ろしくなり、慌てて顔を上げた。

しかし、ジルバーンはこちらに敵意を向ける様子もなく、紅い瞳でただ見つめ返している。

その様子に、ラケルタはおずおずと切り出した。

「僕だよ……アムレットだ。覚えてる?」

ジルバーンは2,3回瞬きをすると、そっとくちばしを近づけてきた。

まさか食べる気なのではと思い、硬直する。

だがジルバーンは、くちばしの先でラケルタの腹を押した。

立ち上がるような姿勢をとっていたラケルタは、そのままコテンと背中から転ぶ。

その様子を見て、ジルバーンは笑ったように目を細めた。

どうやら覚えているらしい。

ラケルタは安心して起き上がり、ジルバーンの頭に飛び乗る。

そんなことをしても、嫌がる様子はない。

額を優しくなでながら、ラケルタは懐かし気につぶやく。

「ごめんよ、長い間留守にして。僕がバカだったばっかりに」

ジルバーンは頭を持ち上げて「クー」と小さく鳴く。

すると、その声に目を覚ましたのか、近くでもぞもぞと動く影が見える。

「うーん……」

しまった、誰かを起こしてしまったか。

慌てて身を隠そうとするラケルタの耳に、聞き慣れた甲高い声が入ってくる。

「ふああ、眠れないの?グリフォンちゃん……あれ、そこにいるのはラケルタ?」

「ニコ!」

眠たげな眼をこすりながら、ニコはジルバーンの後ろから体を起こす。

ラケルタはジルバーンの羽毛に半身をうずめたまま、彼女の声に応えた。

「どうしたの?そんなところに潜っちゃって。初めてなのにずいぶん仲がいいみたい」

「あ、いや、まあ。ど、動物には好かれやすいタチなんだ。それよりも、どうしてここにジル……グリフォンが?」

「うーん、ちょっと色々あって。明日の朝までに、この子が仕事をしてくれるようにしなきゃいけないの」

そう言って、ニコは昼間あったことを話す。

ラケルタは、自分が地下で見た人形は彼女たちのことを表していたのだと合点した。

「この子が言うことを聞いてくれないと、私たちバラバラになっちゃうんだって。でも、全然言うことを聞いてくれなくて。大人しい性格だとは思うんだけどね」

そういってニコがジルバーンに手を伸ばそうとすると、ジルバーンはふいっと顔をそらしてしまう。

ニコは心底困ったようにため息を吐いた。

「ご飯も全然食べてくれないし。このままじゃ、私たち二人とも星にされちゃう」

「そんなことが……」

ラケルタがジルバーンの顔を見上げるが、ジルバーンは顔をそらしたままだ。

その瞳は、じっと窓の外を見つめているようにも見える。

グリフォンはもともと気位の高い生き物だ。

人の言うことなどあまり聞かないものだし、ましてや野生のグリフォンに曲芸の真似事などさせられるはずがない。

しかし、効率第一主義のじっせキングのことであるから、もともと仕事ができるものと考えて入れたわけではないのかもしれない。

使えればそのまま、使えなければ処分。

いかにもあの者の考えそうなことに、ラケルタは内心怒りを募らせる。

一方で、ニコの行動に対しても疑問を持った。

「ねえ、どうしてこのグリフォンを助けようと思ったの?汽車に乗るだけなら、そんな危険を冒さなくてもよかったじゃないか」

「うーん、確かにそうなんだけど」

ニコはジルバーンの方をちらりと見た。

白い羽毛が月の光を反射して輝いている。

「不思議なんだけど、この子を見た途端に体が勝手に動いてしまったの。多分この白さのせいね。神秘的っていうか、失ってはならないものっていうか……」

ニコの言葉に、なぜかラケルタははにかんでしまった。

自分のことではないと理解していたが、それでも褒められたことはうれしい。

「そういえば、そっちはどうだったの?汽車の場所は分かった?」

「そ、それなんだけど」

ラケルタはどう答えるべきか考えあぐねた。

一応、汽車の開発工場はミニチュアで確認できている。

しかし、それ以外のことをどれだけ話すべきか。

ニコはこの王国に関することを、どれほど知っているのだろう。

ラケルタが口を開く前に、ファントムが先に声を出した。

「なあ、ニコ。君に聞きたいことがある」

「どうしたの、急に」

勝手に喋りだしたファントムに、ラケルタは驚く。

一体何を言い出す気なのだろう。

「もし、このヤモリが……ラケルタがこちらを離れることになった時、君はどうする?」

「!?」

ニコとラケルタの表情が、一瞬にしてひきつる。

ラケルタは慌てて弁明しようとした。

「何を言い出すんだ!僕は全然……頼む、答えてほしい」

全てを言い切る前に、ファントムの声が勝手に漏れ出す。

ニコは困ったような様子でしばらく逡巡したのち、ファントムに問いかける。

「どうして?なぜラケルタが私たちから離れるの?」

「俺達が変えたいと願うものがあるように、彼にも守りたいと願う存在があるからだ」

フォントムの言葉に、ニコは一瞬悲しそうな顔になった。

しばらく黙り込んだ後、彼女は弱弱しく微笑みながら答えた。

「ラケルタが選んだことなら、私にどうこう言う権利はないと思う。本当にやりたいと思うことを、やったほうがいい」

「……いいの?辛くないの?」

ラケルタは、自分の声で問いかけた。

彼女にこんな思いをさせるなんて、ファントムはずるい。

自らに関することながら、そう思わずにはいられなかった。

ニコはラケルタの目を見据え、毅然とした口調で答える。

「本当のことをいうと、ちょっとだけ辛いかな。でも、私たちがやろうとしていることは、それだけ危険なことなんだもの。全部に付き合わせることはできないわ」

ニコの目は真剣だった。

ごまかしや、嘘のようなものは感じられない。

その様子に、ラケルタはどこか既視感のようなものを覚えた。

強く聞こえる言葉の奥底に、そこはかとなく感じる脆さのようなもの。

付いていきたいと思わせる魅力と、支えなてやらなければいけないと感じさせる危うさ。

それが何なのかを考えようとすると、どこまでものめり込んでしまいそうになる。

ラケルタはハッとなって頭を振った。

今はそれどころではない。

ニコの目を見つめ返し、できるかぎり負けない口調で返す。

「とにかく、グリフォンをなんとかしなきゃ。それからどうするかは、その時答える」

「……そっか。ありがとう」

ニコはそう言うと、人差し指をラケルタの方に差し出してくる。

しかしラケルタはその指を握り返すことはせず、代わりに頭を下げるだけにとどめた。

彼女がその時どんな顔をしていたか、ラケルタは最後まで見ることができなかった。

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