第3章ー2 見栄っ張りは強がりのせい
「わー、すごいすごい!おいしそうな果物!こっちは髪飾り?うわー、素敵!」
きらきらと目を輝かせながら、ニコはうれしそうにはしゃいでる。
その様子を肩の上から眺めながら、ラケルタはため息を吐いた。
つい今しがた東の区域を目指して歩き出したはずだったが、彼女の足は中央通りの市場で完全に止まっていた。
「ねえ、こんなところで油を売ってていいの?日が沈むと、ただでさえ危険な東区に危ない奴らがいっぱい出てくるよ」
「そ、そんなこと分かってるもん。長い旅になるから、ちゃんと準備していこうと思ってただけだもん」
ラケルタにたしなめられ、ニコは頬を膨らませる。
準備といいつつ、彼女が手にしているのは、甘い菓子やきれいな石の付いたアクセサリーばかりだ。
ラケルタは呆れつつも、時折彼女が見せる不安そうな表情に同情を覚えた。
こんな年端もいかない少女が、わざわざ危険を冒して旅に出なければならないのだ。
今の間だけでも気を紛らわせたいのだろう。
一方で、ラケルタは一つ疑問を感じていた。
「ねえ、ニコ。ちょっと聞いていい?」
「なあに?」
買ったばかりの焼き菓子をほおばりながら、ニコは答える。
「ニコってさ、どこから来たの?」
「え、なんで」
「なんで、って。ここに元々住んでるなら、市場のものなんて目新しくないじゃないか。でも君は、初めて来たみたいにはしゃいでるから」
「それは……うん、その通りだよ。私、市場なんて始めて来たの」
ニコが思ったよりも素直に答えたので、ラケルタは少し驚いた。
ファントムと共謀して『王国を作り変える』なんていうのだから、素性などを隠そうとすると思ったのだ。
「え、じゃあどこから来たの」
「遠く」
「は?」
「ずっとずっと、遠くから。以上!」
そう言ったっきり、ニコは何も答えてくれなくなった。
やはり何か隠しているようだが、これ以上は教えてくれないらしい。
怪しいとは感じたが、今無理に追及して怒らせるのはまずい。
先ほどの猫の恐ろしさを思い出しながら、ラケルタは一人息をのんだ。
その時、ニコが急に立ち止まった。
彼女は険しい顔をして、市場の外れの方を見つめている。
「ねえ、どうしたの……」
何事かと聞く前に、彼女は駆け出す。
突然のことに、ラケルタは振り落とされないよう必死で彼女の服にしがみついた。
ニコは賑わいのある大通りをはずれ、狭い路地へと向かっていく。
ラケルタはその道順に、おぼろげながら見覚えがあった。
「だ、だめだ、ニコ。そっちは行っちゃいけない」
ニコの耳元へ近づいて訴えるが、彼女は全く動じることなく走り続ける。
狭く薄暗い路地を通り抜けると、少し開けた場所に出た。
頭からフードをかぶった人物が、そこかしこをうろうろしている。
彼らの足元には、檻に入った奇妙な生物や、鎖に繋がれたモンスターなどが無造作におかれていた。
「まずいよ、ここ闇市じゃないか。早く離れないと」
耳打ちするラケルタを無視して、ニコは辺りを見渡す。
広場の奥を歩いている人物の一人に目を止め、足早に歩み寄った。
彼の手には鞭と太い鎖がにぎられており、その先には首輪を付けられたトロールの子どもが繋がれている。
子どもが泣きべそをかきそうになると、フード頭は鞭で背中や足をはたいた。
「オラ、キリキリ歩け。約束の時間に間に合わんぞ」
「やめなさい!」
「ああん?」
ニコがフードの男に向かって叫ぶと、男は低い声で不機嫌そうに振り返る。
男の身長は、こちらよりも頭三つ分くらいは大きそうだ。
しかしその威圧感に押されることなく、ニコは厳しい口調で続ける。
「亜人を売買するのは違法のはずよ。なんでそんなことをするの!?」
「誰だお前。どこから紛れ込んだ」
男がこちら向かって手を伸ばすと、ニコは懐から取り出したタクトのようなものでその手をはたく。
「痛てっ、何をする!」
激高する男の脇をすり抜け、今度は鎖をタクトで叩いた。
カーンと響くような音とともに火花が散り、鎖はいとも簡単に壊れる。
「てめえ、なにしやがる!」
激高した男はニコの腕をつかみ、強い力でひねり上げる。
その痛みに顔がゆがむが、ニコはひるむことなくトロールの子どもに向かって叫んだ。
「逃げて!早く!」
子どもは困惑した表情を浮かべたまま、その場から逃げ出す。
男は慌ててこどもを追いかけようとしたが、ニコが暴れるためにその場から動くことができない。
子どもの姿が見えなくなり、男は腹立たし気そうに彼女を地面にねじ伏せた。
「このガキ、人の商品を勝手に逃がしやがって。何様のつもりだ」
「た、正しくないことは、許されるべき、じゃないわ。め、女神は全てお見通し、なのよ。」
地面に顔を抑えてつけられながらも、ニコは必死で答えた。
その言葉を聞いて、男はせせら笑う。
「なにが女神は全てお見通し、だ。あんな役立たずの女神に何が分かる。それよりもお前、よく見たら結構上玉じゃないか。エルフの奴隷は高く売れるんだ。この損失は、お前自身で埋めてもらおう」
男の情け容赦ない言葉に、ニコはおびえたような表情を見せる。
ラケルタは慌てた。
今こそ、バグの力を使うべき時ではないか。
しかし、ドラゴンのペンダントは彼女の服の中にしまってある。
服の中に潜り込もうにも、上から押さえつけられているせいで、うまく入り込めないのだ。
「おい、ずいぶん賑やかだな。なにがあった」
すると、背後から聞いたことのある声が聞こえてきた。
そちらの方を振り返ると、赤い鎧を身に纏った男が、すかした笑顔を浮かべて歩いてくる。
ラケルタはその顔に、どことなく既視感と嫌悪感を感じた。
「ああ、紅蓮の剣士の旦那。こいつは申し訳ない。実はこのガキが、大事な商品を逃がしちまいやがりまして」
「商品じゃ、ないわ!」
へこへこと頭を下げる男に向かって、ニコはなおも声を張り上げた。
その様子をみて、ハーレムマスターは目を見張る。
「おやおや、ずいぶんと威勢のいいお嬢さんだ。ちょうどいい。この子、俺に売ってくれないか」
「しかし、エルフの奴隷は値が張りますぜ」
「かまわん。ちょうど臨時収入が入ったんでね。これくらいの娘が欲しかったんだ」
ニコが言い返す間もなく、ハーレムマスターは男にじゃらじゃらと星を渡す。
男はそれを数え、無言でニコを突き出した。
「ありがとう」
ハーレムマスターは男に笑顔で会釈し、ニコの手を引いてその場から立ち去る。
手を引かれながら、ニコはハーレムマスターに声を掛ける。
「あ、あの、助けてくれてありがとうございます。でも私、これから行くところがあって。だからここで」
「おい、何を言ってるんだ?」
ハーレムマスターが笑顔を浮かべたまま、ニコに向き直った。
しかし、その目は笑っていない。
「俺は金を払って、君を買ったんだ。払った分の仕事はしてもらわないと」
「そんな、一体何を。私、よくないことはお手伝いできません」
ニコの顔が緊張でこわばる。
先ほどの男とのやり取りからして、ハーレムマスターが闇市によく出入りしているのは推察できた。
彼がおおよそ、人道的に許されないことをしているのは確かである。
「大丈夫さ、そんな難しい仕事じゃない。まあ、ついてきてくれよ」
ニコは言われるままに、ハーレムマスターについていくしかなかった。
ラケルタはニコの懐に潜り込み、いつでもバグを起こせるようドラゴンのペンダントにしがみつく。
すると、頭の中にファントムの声が響いてきた。
『今はバグの力を使うな』
『そんな、大変な時なのに』
『奴の家に用がある。ニコにもそう伝えろ』
ラケルタは訳が分からなかったが、同じことをニコの耳元にささやく。
ニコは無言のままうなずき、そのまま何もせずに付き従った。
ハーレムマスターの家は、中心街のとりわけ金持ちが多く住む区画にあった。
周囲にも豪勢な屋敷はたくさんあったが、その家はほかのどれよりも大きく、屋敷というよりも城に近い造りだった。
敷地はレンガ造りの高い塀に囲まれ、正面には金色の巨大な門扉が取り付けられている。
ハーレムマスターが扉の前に立つと、扉は大きな音を立ててひとりでに開く。
「付いておいで」
ニコは促されるままに中に入った。
門と屋敷の間には広い庭があり、たどり着くまでにはかなりの距離がありそうに見える。
ハーレムマスターは屋敷の方に向かって、指笛を鳴らす。
その音に反応するように、向こうから一台の馬車がやってきた。
これもまた悪趣味なほどに金色に光るその馬車は、二頭の白馬にひかれている。
よく見ると、白馬はどちらも額に一本の角を生やしていた。
「あれは、ユニコーン?」
「おや、よく知っているね」
ニコのつぶやきに、ハーレムマスターはにこやかにうなずく。
やがて馬車は二人の前で止まり、台座から御者の女がひらりと飛び降りた。
御者の女は、そのままハーレムマスターの前に跪く。
「マスター、今日はお早いお帰りですね。そちらの娘は」
女は厳しい目でニコを見やる。ハーレムマスターは右手をひらひらと振りながら答えた。
「闇市の連中に捕まっていたから、助けてやっただけだ。例の『あの娘』の世話をさせようと思ってね」
「ははあ、またあいつですか。マスターも諦めが悪くてらっしゃる。でも、こんな小娘に世話ができますか」
「駄目だったらまた他を探すさ。さあ、乗りたまえ。このユニコーンは、俺以外は純潔な乙女しか乗せないが、君なら大丈夫だろう」
ハーレムマスターの言葉に、ニコはあからさまに困った表情を浮かべた。
相手に気付かれないよう、胸元に潜むラケルタにそっと囁く。
「ねえ、乙女しか乗れないんだって。どうする?」
「僕のこと?ううん、ただの冗談だとは思うけど……もし心配なら、あいつの鎧の中にでも潜り込んでみようか。ユニコーンは、ハーレムマスターなら乗せるんだろう」
ぶつぶつと独り言をつぶやいているニコを不審に思ったのか、ハーレムマスターは彼女に向かって声を掛けた。
「おいどうした。早くしないか」
「あ、今行きます……きゃあっ」
ニコはよろけて倒れるふりをして、ハーレムマスターに寄りかかった。
その瞬間に、ラケルタは鎧の隙間に潜り込む。
その様子を見ていた御者の女が、大声を出してニコを引きはがす。
「おい小娘、何をしている!マスターの体に寄りかかるなど……」
「気にするな。大丈夫かい、お嬢さん」
「あ、へ、平気です。ちょっと躓いただけで」
なおもにらみつけてくる御者の視線を感じながら、ニコはそそくさと馬車に乗りこむ。
一方で、ラケルタはハーレムマスターの着ている鎧と鎖帷子の間に挟まり、窮屈な思いをしていた。
『狭い……しかも変なにおい……』
汗のにおいとは違う、香料か薬草のような奇妙な香りに、ラケルタは吐き気を催しそうになっていた。
するとまた、頭の中にファントムの声が響く。
『フフン。文字通りに敵の懐に潜り込むとは、やるじゃないか。うまいことやれば、向こうの弱点を探ることができるかもしれん』
『この家にきた目的って、もしかしてそれか?』
『いいや、そのうちわかる。ハハ、面白いことになりそうだ』
クックと笑うファントムの声を聴き流しながら、ラケルタはこれからの先行きを不安に思った。
馬車に乗ってものの数分もしないうちに、ハーレムマスターたちは屋敷にたどり着いたらしい。
鎧越しに、靴音や扉の開く音、「おかえりなさいませ、マスター」などという女どもの甲高い声がそこかしこから聞こえてくる。
ラケルタはどのタイミングでこの鎧から抜け出そうか考えあぐねていた。
もし女中たちが鎧を脱がせにかかるようなら、その時見つかってしまう恐れもある。
ここの女たちがどのような反応をするかは、大体予想が付いた。
悲鳴を上げられるか、問答無用で叩き潰されるか、だ。
どちらにせよ、ハーレムマスターが鎧を脱ぐ前になんとかして抜け出さなければならない。
『でもなあ……』
ラケルタが今いるのは、腹に当たる部分だ。
そこから足へと抜けようかと思ったが、ベルトの部分がどうにも邪魔をして抜け出せないのである。
かといって、首の方から出ようとすれば、ハーレムマスター自身に気付かれてしまう可能性がある。
それに、背中の方や腕の方に回ろうにも、微妙に狭まっていて思うように動けない。
ラケルタはため息を吐いた。
こんなことなら、馬車の下にでも張り付いてくればよかった。
そんな軽い後悔をしながら思い悩んでいると、ふいにハーレムマスターがニコに呼びかける声が聞こえてくる。
「さあ、君の仕事場はここだ」
「え、ここですか?」
戸惑うようなニコの返事に、ラケルタは心配になる。
まさかこの男、今からニコに何かよからぬことをする気ではないか。
しかし、その答えは以外なものであった。
「そうとも。夕飯や着替えは後で持って来させる。とにかく、『彼女』の気がこっちにちょっとでも向くように説得してくれ。できなければ……わかるね?」
ハーレムマスターの優しくもいやらしさのある声色に、ニコは返事をしない。
それが気丈さからくるものか、あるいは恐怖からくるものかはラケルタには分からなかった。
扉がバタンと閉まり、ニコはみすぼらしい部屋に一人取り残された。
部屋は薄暗く、壁に取り付けられたろうそくの明かりだけがか細く灯っている。
ぼんやりとした光を頼りに部屋を見渡してみると、奥の方に頑丈な鉄格子のようなものがあった。
ろうそくの一つを手に取り、恐る恐る近づいてみる。
すると、中に人影のような者がいるのが確認できた。
檻の隅の方で、膝を抱えうずくまるようにし座り込んでいる。
顔はよく見えないが、白いドレスのようなものを纏っているようだ。
しかし本来なら純白であろうそれは、ところどころ泥や土のようなもので薄汚れている。
どうやら、ハーレムマスターの言っていた『彼女』とはこの人物のようだ。
「あの、大丈夫ですか……?」
ニコはろうそくを近づけながら、その人物に話しかけてみた。
声に反応するかのように、相手はゆっくりと顔を上げる。
どうやら自分より少し年上の女性のようだ。
顔は青白く、少し疲れているような表情をしている。
ニコは努めて明るい調子で話し続けた。
「わ、私、ニコって言います。あなたのお世話係を言いつけられて……その、ぶっちゃけ何をすればよいのでしょう?」
少しズレた問いかけに、彼女は何も答えない。
それでもニコは、必死になって話しかける。
「ええと、ずいぶんお疲れのようですね!ご飯ちゃんと食べてますか?駄目ですよ、無理なダイエットとかしたら。あなたかわいいんですから、ちゃんと食べて顔色をよくした方がいいです」
ぺちゃくちゃと話し続けるニコに興味をもったのか、彼女はゆっくりと立ち上がり、のろのろとこちらへと歩いてくる。
ニコは彼女が近づいてきたことに少し喜んだが、全身が見えてすぐにその気持ちをしまい込んだ。
彼女は普通の人間ではなかった。
白いドレスを纏っているように見えたのは、全て彼女自身の体から生えている羽毛だった。
泥や土だと思われた汚れに交じって、血のようなものが付着している。
その上、首と足に大きな枷のようなものが取り付けられていた。
鉄でできた足枷には太い鎖が付いており、壁に繋がっているらしい。
首の方には奇妙な刻印がつけられており、淡い光を放っている。
ニコはこれが何なのかを知っていた。
「封印の魔法……」
魔力や体力を奪い取り、相手を無力化する。
主に、ダンジョンなどで捕らえたモンスターへ付けるものである。
これを付けられたものの多くは、奴隷や家畜として扱われることになる。
つまり、彼女は奴隷モンスターとしてここにいるのだ。
「あ、あの、あなた一体」
ニコは鉄柵をつかみ、彼女に問いかける。
しかし彼女は首を横に振り、首輪を指さした。
「もしかして、喋れないの?」
彼女はこっくりとうなずいた。
ニコはショックを受け、口を手で覆う。
なんとかしてここから出してやれないものか。
しかし、今のところ手立てが何もない。
魔法のタクトはこの館に来た時に没収されてしまったし、ラケルタはハーレムマスターの鎧の中だ。
悩んでいると、背後で扉をノックする音が聞こえた。
振り向くと、食事を持ったメイドらしき女が、ムスッとした顔で中に入ってくる。
メイドはニコにこちらへ来るよう手招きし、食事の乗ったトレーをずい、と突き出す。
「ほら新入り、エサを持ってきてやったよ。せいぜいあの鳥女が喰ってくれるよう、がんばることね」
メイドはそれだけ言って、そそくさと部屋から出ようとする。
ニコはそれを無理やり引き止めた。
「待ってください。あの人、一体何なんですか?なんでこんなところに閉じ込めているんです?」
ニコの問いかけに、メイドは心底面倒くさそうに答える。
「やだ、マスターからちゃんと聞いてないの?あの鳥女は、この間マスターがダンジョンから連れ帰ったモンスターよ。見た目は悪くないけど、暴れまわるからああして閉じ込めてるの。その上歌声で相手を操る力があるから、首輪で封じてあるのよ。にしてもこの部屋、鳥臭いったらありゃしない。マスターもいい加減あんな化け物女に執着しないで、さっさと別の女でも連れてくればいいのに……」
メイドはぶつぶつと文句を言いながら、扉を乱暴に閉めて出ていった。
その後ろ姿を見送りながら、ニコは呆然と立ち尽くす。
お盆に用意された食事は、まさしく『エサ』という程度に粗末なものでしかない。
しかも、ほかに食べられそうなものを渡されなかったため、どうやらこれが自分と彼女の二人分らしい。
しかたなく、食事を持って鳥女のところへ戻る。
「ねえ、おなかはすいてない?」
彼女は食事をちらりとみやると、すぐにぷいと顔をそむけた。
「だよねえ」
机もないのでトレーを下に置き、ニコは食べ物に手を付ける。
ぱさぱさとした食感のパンに、薄い塩味のスープ。
もそもそとそれらを口に運びながら、彼女に話しかける。
「あの人、どうしてこんな扱いをするのかしら。本当に慕ってもらいたいなら、ちゃんとした部屋を用意して、おいしいご飯くらいくれればいいのに。それに、鎖をつけるなんて女性に対してのマナーがなってないわ。あれでよく、ほかの女の人たちに愛してもらえるものね」
ニコの言葉を聞いて、彼女は興味深そうな顔をした。
その大きく丸い瞳をみて、ニコは優しく微笑み返す。
「あなたもそう思うの?ふふ、この部屋に来るまでだけで、あの剣士の人に色んな女の人たちが言い寄ってくるのを見たわ。皆、甘~い猫なで声でね。でも剣士の人がいなくなった途端に、あの態度よ。ひどいと思わない?」
彼女はこくこくと首を縦に振る。ニコは大きく笑った。
「あはは、やっぱり!まあ女の人たちもそうなんだけど、正直言って剣士の人が一番好きになれないわ。自分では魅力的だと思ってるのかもしれないけど、暇があれば鏡ばっかり見てるし、そのくせ武器や靴は平気で脱ぎ散らかすし。あれじゃあお世話する人が大変」
ニコに釣られたのか、彼女も声が出ないにもかかわらず、くすくすと忍び笑いを漏らす。
その様子を見て、ニコは決意したように立ち上がる。
「ねえ、鳥さん。名前が分からないから、鳥さんって呼ばせてもらうね」
鳥さん、と呼ばれた彼女は、不思議そうな表情をしてニコに向き直る。
ニコは彼女の耳元に、そっと囁いた。
「こんな場所、逃げ出しちゃいましょう。一緒に」
ニコの言葉に、鳥女はそんなことができるのか、というように首を傾げる。
「まだ分からないけど、きっと私の相棒がなんとかしてくれるわ。信じて」
なおも信じられないという風な表情の鳥女に向かって、ニコは力強く微笑んで見せた。
一方その頃、ラケルタはいまだに鎧の中から脱出できずにいた。
聞こえてくる音や声からすれば、すでに食事や女たちとの歓談なども済ませているはずだ。
『なんなんだよコイツ。家の中だっていうのに、全然鎧を脱がないじゃないか。おかしいんじゃないのか』
時折ハーレムマスターが身じろぎするのを感じ、慌てて息をひそめる。
その時、後足がずれて何かに触れた。
『なんだコレ……』
見てみると、ベルトのバックル部分に奇妙な色をした石が取り付けられている。
触れてみると、何かがまとわりついてくるような気色の悪さを感じた。
『ふっふ~ん、ビンゴ~』
『うわ、急に話しかけないでよ』
頭に響くファントムの声に、ラケルタは思わず飛び上がりそうになった。
こんなところであいつに気づかれたくはない。
そんな心中を無視して、ファントムはいやらしい含み笑いを漏らす。
『おいヤモリ、この石が何か分かるか』
『さあ。なんとなく、見覚えがある気もするけど』
『なっさけねえな~。それでも王国一番のレベル士様かよ』
『ほっといてよ。思い出せないものはどうしようもないだろ』
『ふん。いいか、これは『惑わせ石』だ。これでモンスターなんかに変身して、むやみな戦闘を回避するために使われたりする。しかし、こいつはちょいとやばい術がかけられてる』
『やばいって?』
『イタズラしてみりゃ分かるぜ。とはいえお前さん、今はお守りと一緒じゃないんだもんな。奴さんの正体を暴くだけにしといてやるか。石を左に三回、回してみな』
ラケルタは言われた通りに、石を回してみる。
ハーレムマスターに気付かれないように動かすのは根気がいったが、なんとかうまくいった。
三回回したところで、石がカチリと音を立て、淡く光った。
すると、やおら背後……ハーレムマスターの腹の部分が波打ったような気がした。
「うん?」
なにか違和感を感じ取ったのか、鎧の外からハーレムマスターの声が聞こえる。
「どーしたんですかー?マスター」
「いいや、なんでも……うっ」
一緒にいたらしい女に聞かれ、ハーレムマスターは慌てて取り繕おうとする。
しかし隠しきれなかったのか、苦しそうに息を吐きながら突然立ち上がった。
「えー、なんかおなか痛そう。だいじょうぶー?」
「だ、だいじょうぶ。あ、でも今日は早めに寝ようかな」
「そっかー。おだいじにー」
女に別れを告げ、扉が閉まる音がする。
どうやら部屋から出たらしい。
その途端、ハーレムマスターはすさまじい勢いで走り出した。
がちゃがちゃと揺れる鎧の中で、ラケルタはそこら中に体をぶつける。
そのうち、自分がいるこの空間がどんどん狭まってきているのに気付いた。
どうやら腹の方がせり出してきているらしい。
このままでは腹と鎧に挟まって、潰されてしまう。
ラケルタの脳裏に、のしイカのようになった自分の姿が浮かんだ。
「ぎゃああ、そんなの嫌だ!」
相手に気付かれるのもかまわず、大声で叫んだ。
しかしその叫びは、転がり落ちるような激しい揺れと音に紛れてしまった。
そして何かにぶち当たったような衝撃があり、鎧の胴の部分ごと吹っ飛ばされる。
床に投げ出されるような形になり、ラケルタは訳も分からぬままへろへろと立ち上がった。
『おいバカ、すぐにどっか隠れろ』
ファントムの声が聞こえ、ラケルタは前後不覚のまま手近にあった隙間に入り込む。
薄暗いところから急に明るい場所に出たせいで、周囲がうまく見えない。
すると、頭上から女の声が聞こえてきた。
「ちょっとちょっと、何事!?そんな大きな音たてたら、女どもに気付かれるでしょうがっ!」
「す、すまん。急にベルトが……」
聞き覚えのある声に、ラケルタは声の主を見上げた。
釣り目の、少し気の強そうな若い女だ。
ハーレムマスターが囲っている女たちとは違い、かっちりとした飾り気のない服を着ている。
「ああもう。だからちゃんと手入れしとけっていったのに」
女はぷりぷりと怒りながら、ハーレムマスターがいるらしい場所へと歩いて行く。
そこにいる者の姿を見て、ラケルタは思わず息をのんだ。
『誰だ、あの肉ダルマ……』
そこには、いつものスマートでイケメンなハーレムマスターの姿はなかった。
かわりに、いつもより二回りは大きく膨れ上がった男が座り込んでいる。
周囲には、無残にもはじけ飛んだ鎧や鎖帷子が散らばっていた。
男の背後には、石造りの粗末な階段が見える。
どうやらここを転げ落ちてきたらしい。
ハーレムマスター、であろうその太った男は、女に助けられてのろのろと立ち上がった。
女はベルトを見ながら、疑わし気な様子で問いかける。
「うーん、特におかしいところは見当たらないわ。もしかして兄さん、また女の子に変なことしようとして勝手にいじったんじゃないの?」
「そんなことするもんか。うん、してない。してない、はず」
歯切れの悪い返答に、女は苛立たし気にため息を吐く。
ハーレムマスターを『兄さん』と呼んだということは、この女は妹か。
その時、ファントムのゲラゲラと笑う声と、手を大きく叩く音が頭の中に響いた。
『ハーッハッハッハ!傑作傑作。見ろよ、あの豚。まるで裸の大将だぜ』
『なんだよ、裸の大将って』
『知らないのかよ。まあいいや。にしても、あの女が妹ねえ。おいラケルタちゃんよ、お前も災難だなあ』
『え、なんで?』
『なんでって、お前……ああそうか、それも忘れてんのか。あの女、お前の同業者だよ。レベル判定受付嬢のアンちゃん』
『アン……!?』
その名を聞いて、ラケルタははっきりと思い出した。
いつも不愛想ではあったが、仕事はきっちりとこなす娘だと思っていた。
しかし、どうやらそれだけではないらしい。
アンはベルトを外し、再びラケルタのいる隙間の近くまで戻ってくる。
どうやら今いる隙間は、壁と彼女の作業机の間にあったものだったようだ。
彼女は机の上から、別のベルトを取り上げた。
「まあ丁度いいわ。ヴィヴィアンが横流ししてくれたドラゴンの目玉を使って、新作を作ってみたの。ちょっと付けてみましょう」
アンがそう言いつつ持って行ったベルトには、確かに目玉の形をした不気味な飾りが取り付けられている。
『もしかしてあれ、僕の……?』
ラケルタはその様子を注意深く見守った。
アンは手にしたベルトを手早くハーレムマスターの腹に巻き付ける。
しかし、どうやら長さが少し足りないらしい。
「ちょっと、また太ったんじゃないの?」
「えっと、そんなことは」
「女の子と高いごはんばっかり食べに行ってるからよ。ほら、ちょっとおなか引っ込めて」
アンはベルトでハーレムマスターの腹を無理やり引き締めながら、バックルを閉じようとする。
「き、キツイキツイ」
「が・ま・ん・し・な・さ・い!」
悲鳴を上げるハーレムマスターの腹に、アンは真っ赤な顔をしてベルトを無理やりとりつける。
その途端、目玉の部分が怪しく光り、ハーレムマスターの体がもとのスリムな体型に変わった。
アンは汗でぐちゃぐちゃになった髪をかきあげながら、肩で大きく息をした。
「ほんっと、いい加減にしなさいよね。魅力値カンストの正体が、こんな情けない儀式で成り立ってるなんて。誰かに知れたらひどいお笑いぐさだわ」
「いやあ、感謝しているよ。うんうん、俺は兄思いのいい妹を持った。兄孝行の深さでは、ギルド長にも及ぶくらいだ」
「またその話?モーント様にお兄様がいるなんて、本気で信じてるの」
「信じるも何も本人が言ったんだぞ。誰にも内緒だ、てな」
『え、兄……?』
ラケルタは驚いた。
モーントに兄がいる話など、聞いたことがない。
しかも、本人がハーレムマスターだけに教えた、というのもひっかかった。
自分もどこかで、似たような話をされた気がする。
もやもやとするラケルタの胸の内を無視し、ファントムは冷たい調子で命令を下す。
『ほら、ぼやぼやしてる場合かよ。あのモテモテハーレム男のチートはこれ一個だけじゃ収まらないだろう。もっといろいろ探せ。目の前は宝の山だぜ』
『うっさいなあ。偉そうに』
『抜かせ。お前もこっちも、あのアホンダラに大事な女捕まえられてるんだ。男なら自分の手で救い出してみろ』
『え、女? 自分の女のために、僕らにこんな危険なことを?』
『いいから。きりきり働け』
『全部人任せのくせに、よく言うよ』
ラケルタはぶつぶつと頭の中で文句を言いながら、壁を上って天井の方へと向かった。
眼下ではアンが口うるさく兄を罵っている。
それにまともに言い返すこともなく、ハーレムマスターは黙ってしおらしくしていた。
二人の注意がこちらに向くことがないのを確認し、ラケルタはそっと机の方に近づく。
机上には、先ほどまでベルトを作っていたためか、道具類や革・金具などが散乱している。それに交じって、見慣れない薬品が転がっていた。
『レインボーオーラスペシャル』
『ヘブンカウントアップ』
『マジカルブレインパワー』……
「なんだよ、全部禁止アイテムばっかりじゃないか」
ラケルタは思わず本音を口から漏らしてしまう。
声が向こうの二人に聞こえたのではないかと、慌てて口をふさぐが、幸い気づかれてはいないらしい。
ファントムが呆れたように話しかけてきた。
『やれやれ。同僚の名前は忘れたくせに、自分の仕事に関することはきっちり覚えてるんだな。まじめなのかアホなのか』
『関係ないだろ』
『まあいい。これで奴らが何をやらかしてるかは大体わかった。あとは、バグの仕込みをするだけだな。ヒヒッ』
『おい、なにをさせる気だよ』
『簡単なこったよ。そこにある違法アイテムに、片っ端から触っていけばいい。面白くなるぞお』
音声越しに、ファントムのニヤニヤ笑いが伝わってきそうである。
ラケルタは仕方なく、言われた通りに道具や薬品に手を触れていった。
触るたびに、体に無数に浮いた星の模様が一つ消え、触れた物にその模様が移る。
これでバグを仕込んだことになるのだろうか。
半信半疑のまま、ラケルタは向こうに気付かれない限り、様々な道具に触っていった。
夜もかなり更けた頃。
あの粗末な部屋で、ニコと鳥女は床に寝そべり、うとうととしていた。
ハーレムマスターの話では食事と一緒に着替えも用意する、という話であったが、あれ以降メイドが訪ねてくることはなかった。
部屋にはろくな布団もなく、二人は薄い毛布を体に巻いて、なんとか寒さをしのいでいる。
「今が真冬でなくてよかった……。まだぎりぎりかぜを引かなくてもすみそう……」
眠たげなニコのつぶやきに、鳥女は何の返事もしない。
あまり無駄な体力を使いたくないのだろう、とニコは考える。
その時、壁の隙間から自分の名を呼ぶ声が聞こえた。
「おーい、ニコ!起きてる!?」
「ラケルタ!?」
ニコはその場から飛び起き、声のするほうへと近づいた。
見ると、隙間にはラケルタ自身の姿はなく、代わりに何か細長く薄っぺらいものが飛び出している。
「なあに、これ」
「引っかかっちゃったんだ。そっちからも引っ張って!」
ニコは言われた通りに、細長い何かをつかんで力強く引っ張った。
壁板がミシミシと鳴ってたわむ。
壁を壊してしまわないよう、注意を払いながら引っ張り続けると、それは急にすぽんと抜けた。
ベルトだ。
バックルの部分に不思議な飾りがついており、そこにラケルタもくっ付いている。
「ふぃー、助かった」
「大丈夫?今まで一体何をしていたの?」
「それはまあ、かくかくしかじか」
ラケルタは、ハーレムマスターの部屋で見たことをニコに話す。
その話をうなずきながら聞くニコの傍らで、鳥女がふらりと立ち上がり、こちらの方へと近づいてきた。
その姿を見て、ラケルタは思わず叫び声をあげる。
「うわ、誰!?」
「あ、紹介し忘れてた。この人ね、あの剣士の人に捕まったモンスターさんで……」
「ぷぇにっくす」
ニコが言い終える前に、ラケルタから低い声が漏れる。
その声を聴いた途端、鳥女がバタバタと反応した。
「おお、マイスイートエンジェル・ぷぇにっくす!こんなひどい場所に閉じ込められていたのか。かわいそうに……って、なんだよ急に!」
途中から声が元に戻り、ラケルタはしかめっ面をした。
しかし、低い声……ファントムのおしゃべりは止まらない。
「すまないな、エンジェル。本当は君を直接助けに馳せ参じたいところだよ。しかし今はこの哀れなヤモリを通してしか、話ができないんだ。許してね」
そういって自分の体を使って投げキッスを送るファントムに、「勝手なことをするな」とラケルタは抗議する。
その様子を見ながら、ニコはベルトを手に持って尋ねた。
「ねえ、ファントムさん。これ、何に使うの?私たち、ここからどう抜け出せばいいかしら」
「そう言うだろうと思って、準備は万端にしておいた。それもただ逃げるんじゃなくて、うんとバカ騒ぎしてからな。あの野郎をギャフンと言わせてやろうぜ」
「ええ、本当!?」
ニコはぷぇにっくすの手(羽根)を掴んで、楽しそうにぴょんぴょんと跳ねる。
その様子を見ながら、ラケルタは一人不安そうな顔をしていた。
一方ハーレムマスターは、自分の部屋で眠りこけていた。
ベルトを付けたまま寝るわけにはいかないので、この部屋に女たちを入れたことはない。
彼女らが夜中に勝手に入ってこないよう、扉にもしっかり鍵をかけている。
館にはたくさんの女を囲っていたが、この特性のせいで彼自身は女と寝たことがなかった。
しかし、新しく妹に作らせたベルトは、使いようによってはつけていないかのように見せかけることもできる。
調整がうまくいけば、明日から好みの女と夜を共にすることも可能だろう。
そのことをすでに夢に見ているのか、ハーレムマスターは寝顔に、にやにやと笑みを浮かべていた。
その時である。突然扉を激しく叩く音が聞こえ、思わずベッドから転げ落ちる。
「な、なんだ!こんな真夜中に!」
ハーレムマスターは声を荒げると、扉の向こうから声が聞こえてきた。
「ここを開けろ!今すぐ開けないと、この扉をぶち破るぞ!」
声は男のものだった。
この館には男は自分以外一人もいないはずだ。
不審に思い、大声で言い返す。
「誰だお前は!ここが紅蓮の剣士の部屋と知っての狼藉か!」
言いながら、彼はアタフタとベルトを探す。
しかし、さきほど妹から受け取ったはずのベルトがどこにもない。
慌ててクローゼットの中を探したり、ベッドの下を覗いたりするが、やはりどこにも見当たらなかった。
そうこうしている間にも、今度は扉を破らんと、激しく体当たりするような音が聞こえる。
「こ、コラ!バカ!やめろ!」
ハーレムマスターは仕方なく、さきほどまで締めていたベルトを腹に巻いた。
革ひもがちぎれてしまっているので、背中の当たりを手で押さえる。
惑わせ石が光り、いつもの体型に変身したところで、扉が勢いよく開け放たれた。
部屋の中へと入ってきた者の姿を見て、ハーレムマスターは思わず息をのむ。
そこには、自分とうり二つの姿をした男が、ポーズを決めて立っていたからだ。
「お前は誰だ!」
「私だ」
「いや誰だよ!」
意味不明なやり取りをする男の後ろから、どやどやと館中の女たちが流れ込む。
女たちはハーレムマスターとそれにうり二つの男の姿を見比べて、きゃあきゃあと声を上げた。
「うわー、本当にそっくり!」
「これでは全く分からなくても仕方がないな」
「あ、でもよく見ろ!あの男、惑わせ石を身に着けているぞ!」
「なんですって!?」
女たちは怒った様子でハーレムマスターにつかみかかる。
「わぁバカ、やめろお!」
いきなり襲い掛かられたハーレムマスターはバランスを崩し、ベルトを握っていた手を放してしまった。
当然のことながら、その体は元の太った体型に戻ってしまう。
変わり果てたその姿を見て、女たちはさらに大きな声で叫んだ。
「ぎゃー、何コイツ!」
「よくも騙したな!」
「マスター、こいつとっ捕まえていいですか?」
「ああ、構わないよ」
女の問いかけに、謎の男は涼やかに答える。
女たちは互いにうなずき合い、じりじりとハーレムマスターに迫った。
「や、やめろ、バカ。ちくしょうっ」
身の危険を感じた本物のマスターは、とっさに窓を突き破って逃げる。
部屋自体は館の2階部分にあったため、地面に落ちた衝撃はあまりない。
しかし、ほとんど下着のみの状態であるのと、外が暗くうまく着地できなかったのもあり、足を少しくじいてしまったらしい。
頭上からは、「逃げたぞ!」「追え!」と叫ぶ女たちの怒鳴り声が聞こえる。
ハーレムマスターはふらついた足取りで、庭の方へと走り出した。
「な、なんで主の俺が、こんなことに」
状況がうまく呑み込めないながらも、背後から飛んでくる武器や魔法を寸でのところでよけながら、必死で考える。
女たちはおおよそ、あの自分と同じ姿をした男を本物だと思い、今ここにいる自分を偽物だと思っているに違いない。
しかし弁明しようにも、この姿では説得力など皆無だ。
とにかく、妹に会わなければ。
襲われる恐怖と、本当の姿をさらしている焦りから、彼の足は自然と地下室のある方へ向かっていく。
地下室への入り口は、庭の端にある建物の中だ。
辺りが暗いのが幸いし、ハーレムマスターはなんとか女たちを撒くことに成功する。
しかし時間はない。
いくら広いこの庭といえど、探索魔法を使われたり、犬を放たれたりすれば、一貫の終りだ。
あえて大回りするように動き、時限式の魔法弾をそこここに仕込む。
これはしかけてからしばらくたつと、勝手に魔法の球を打ち込み始める仕掛けだ。
罠を仕掛けるようなやり方は自分らしくないが、これで少しは時間が稼げる。
そう思った矢先、背後から視線を感じた。
危険を感じ、その場から飛び退る……つもりだったが、いつもより体重が重いせいで蹴躓いてしまった。
その場に尻もちをついた次の瞬間、足元すれすれに大きめの石がぶち当たる。
何事かと思い顔を上げると、庭に飾ってあった石像が、こちらに向かって石を投げつけてきた。
「わ、わ、違う!俺だ!」
ハーレムマスターは思い出した。
ここの石像はセキュリティシステムを兼ねており、不審者がいると、このように攻撃を始める仕組みになっているのだ。
どうやらその判断基準は見た目で決まっていたらしく、石像たちは容赦なくこちらにむかって石を投げ続ける。
その上、先ほど仕掛けた魔法トラップは、投げられる大量の石をターゲットに定めたらしい。
必然的に、それらはハーレムマスター自身を追う形になる。
「うぎゃあああ!」
すれすれのところを大量の石と魔法弾がかすり、下着しか着ていないその体は見る間にボロボロになっていく。
もはや目くらましなど考えている余裕はない。
一直線に物置小屋へと向かい、壁の仕掛けをいじくる。
すると地下へと続く階段が出現し、ハーレムマスターはそれを転がり落ちるようにして降りていった。
バタバタと激しい音を鳴らしたためか、中で仮眠を取っていたらしいアンが不機嫌そうに起き上がる。
「ちょっとちょっと、今度は何!?一体何をやらかした!!」
「ち、違うんだよお。頼む、早く助けてくれ」
満身創痍、かつ涙目の兄に縋りつかれ、アンは少し引いた様子を見せる。
しかし、その異様な状況から何かを察知したのか、とりあえず中へと招き入れた。
「何があったか知らないけど、ベルトはどうしたのよ。兄さんが試してみたいっていうから、あのまま持たせたのに」
「そ、それが誰かに盗られたらしくて……」
「盗られたァ!?」
アンは激高し、兄の胸倉を掴んで激しく揺さぶった。
「何やってんのよ!あれの秘密が知られたら、私たち一巻の終わりじゃない!!」
「そ、それが、盗んだ奴が今上にいるんだ。それで俺の姿に変身して、自分が本物だと言い張ってる。とにかく、俺自身が本物だと証明して、あのベルトのことをうやむやにできれば……」
「それで見た目だけでもなんとかしようってわけね。まったく、盗んだ奴も大胆なことしてくれるわ」
アンはため息をつき、机の上に散乱している大量の薬品をかき集める。
それらを手当たり次第にハーレムマスターに振りかけ、筆を使って魔法文字を体に描いていく。
「惑わせ石がないから急場しのぎよ。今だけ魅力値を最大限の倍以上に上げておくわ。それでなんとか説得しなさい」
「ああ、恩に着るよ。この報いは必ずする」
「嘘は見た目だけにして。さあ仕上げよ。これでなんとかなるはず」
そう言って、アンは一言二言呪文を唱える。
するとハーレムマスターの体に書かれた魔法文字が怪しく光りだし、その姿が変わる……
かと思われた。しかし、光が消えても何かが起こる気配はない。
「おい、何も変わらないぞ……ぐふっ!?」
不審に思ったハーレムマスターが問いかける前に、アンがその顔を拳で殴った。
何が起こったのか分からぬまま、彼はその場にもんどりうって倒れる。
「アン!?な、なんで」
「うるさい!この嘘つきのデブの色ボケ詐欺師!あんたのせいで、あたしの人生めちゃくちゃよ!いっそ女じゃなくて、豚の尻でも追っかけてろ!」
困惑するハーレムマスターの目の前で、アンは髪を振り乱しながら叫び声をあげる。
その様は完全に常軌を逸しており、どう見ても正気ではない。
アンは目を爛々と輝かせて、なおもハーレムマスターに殴りかかる。
「死ね!死ね!お前なんか、お前なんか……」
「そこまでだ」
振り上げたアンの腕を、誰かが掴む。
ハーレムマスターが恐る恐る顔を上げると、偽物の自分がこちらを見下ろしていた。
偽物の男がアンの耳元に何かをささやくと、彼女は力が抜けたようにその場に崩れ落ちる。
その後ろから、女たちがどやどやと降りてきた。
そしてハーレムマスターの姿を見るなり、嫌悪感をあらわにする。
「やだ、あいつヤバくない?」
「うーわ、これまだオークのほうがましじゃん」
「なんか臭そうなんですけど」
口々に浴びせられる辛らつな言葉に、ハーレムマスターは完全に心が折れた。
なぜだ。なぜこうなった。
放心状態のまま、彼とアンは女たちに縛り上げられてしまう。
そのまま床に乱暴に転がされ、女剣士が首元に剣を突きつける。
「さあ、白状しろ。おまえは何者だ?いつマスターと入れ替わった?」
「俺が本物だって。そっちこそ誰だ、ホント」
「私は、私だ」
「だから誰だよ」
偽物の男はまたポーズを決めて言い放つ。
それに対し、本物のハーレムマスターは力なく突っ込みを入れた。
「マスターはマスターだもんねー」
「ねー」
メイドの一人が、偽マスターと顔を合わせながら答える。
その一方で、魔法使いの女がアンの方を向いて問いかける。
「あんた、レベル受付のアンじゃない。なんでこんなところに」
アンは虚ろな目をして何も答えない。
すると、偽マスターがアンの眼前で指を鳴らした。
その音に反応するように、アンは目を見開く。
「正直に答えたまえ。この男は、君の身内か?」
そう言って偽マスターはハーレムマスターを指さす。
ハーレムマスターはやめろ、というように首を横に振った。
しかし、アンは偽マスターの目をしっかりとらえたまま、ぼそぼそと答え始める。
「そうです。彼は私の兄です」
「君は今までここで何をしていた?」
「ステータスの底上げをするアイテムを作っていました。本当は使用禁止の材料とかもあったけど、ギルド内で働いてるからある程度はごまかせるんです。それで魅力値を上げたり、見た目を変えたりしていました」
ハーレムマスターの顔がみるみるうちに青くなっていく。
それをちらりと横目に見ながら、偽マスターは冷静に聞き続けた。
「なぜ、そんなことを?」
「最初は兄に頼まれたからです。今の姿では女の子たちに相手にされないからと。私も、はじめは軽い気持ちでした。でも、だんだん歯止めが利かなくなって、気が付いたら」
「そんなことはどうでもいいわ!いつマスターと入れ替わったのよ!」
女魔術師がヒステリックに声を荒げた。それを偽マスターは優しく制する。
「まずは彼女の言葉を聞いてやりたい。しばらく待ってくれ」
「……は、はい」
偽マスターに見つめられ、女魔術師はほほを染める。
それを見て、ハーレムマスターは察した。
やはりこいつがあの新しいベルトを奪ったに違いない。
自分に刃を向けている女剣士の方を見ると、彼女も偽マスターの顔に見とれている。
その隙を見逃さず、彼は下着の中に隠しておいた小型のナイフを取り出し、ロープを切り始めた。
一方、そんなことをする本物に気付く様子もなく、偽マスターはアンに向き直る。
「自分のやっていることは、正しいと思っていたかい?」
「別に正しいなんて。でも、仕方がないじゃない。人間はいつだって、最初に配られたカードで勝負をするしかないわ。でもそれがブタだったからって、必ずしも負けを認める必要があるわけ?たかだか運よくいいカードを配られただけの奴に、私たちが勝とうとして何が悪いの?」
「……女神の名において、そんなことをいうのか」
偽マスターが悲し気に問うと、アンは涙を流しながら叫んだ。
「なにが女神よ!私たちだって、最初は夢が叶うと思ってこの『王国』に来たのよ!でもあったのは現実と変わらない、無様な日常だけ!それも女神さまの思し召しだっていうの!?馬鹿言わないで。そんな無能な女神に祈るほど、私たちは落ちぶれちゃいないわ」
泣きはらした目で訴えるアンの様子に、偽マスターは無言で立ち尽くす。
その時、突然本物のハーレムマスターがロープを解いて立ち上がった。
そして女剣士から剣を奪い、目にもとまらぬ速さで偽マスターに背後から組み付く。
女たちは驚いた表情で悲鳴を上げた。
「黙れ!お前ら、一人も動くな!」
偽マスターを羽交い絞めにしたまま、女たちに向かって叫ぶ。
剣を偽マスターの首筋にあてがい、耳元にささやいた。
「見くびるなよ。例え魅力は偽物でも、あとは全部俺自身の実力なんだ。今本気を出せば、お前なんて八つ裂きにできる」
そう言い放った後で、ハーレムマスターは内心自分に嫌悪感を覚えた。
これでは完全にこっちが悪役ではないか。
そんな胸中を察してかは知らないが、偽マスターは哀れみのこもった眼を向けてくる。
「そんな実力がありながら、どうしてこんなことを」
「知るか!そんなことより、お前こそあのベルトを使ってるんだろう。吐け。お前は一体誰なんだ」
「…………」
偽マスターは、こちらを心配そうに見つめる女たちに向かって、指を鳴らした。
「眠れ」
その瞬間、女たちはバタバタと倒れていく。
見ると、全員眠りについてしまっていた。
偽マスターの真意が分からず唖然としていると、偽マスターは今度は人差し指でハーレムマスターの眉間を叩く。
その途端、急に全身の力が抜ける。
ハーレムマスターは剣を取り落とし、その場にへなへなと崩れ落ちた。
偽マスターは本物の彼に向き直り、そっと肩に手を置く。
「これで、あなたと私の他に話を聞く者はいない。さあ、本当のことを教えて」
「あ……」
ハーレムマスターは自分に何が起こったのか分からなかった。
ただ、頭のネジがひどく緩んでしまったような感覚だけがあった。
なにかをせき止めていたものが決壊し、言葉が口から流れ出てくる。
「妹が最初に、この王国のことを教えてくれた。なんでも叶えられる、夢のような場所があると。だから必死で頑張ったんだ。たくさん努力して、たくさん戦って、力だけは強くなった。でもこの姿だけは、どういうわけだが努力だけではどうにもならなかった。現実と同じ、この姿だけは」
「それで、ズルをしようと?」
「ここではいじっただけの『ステータス』でも、皆けっこうちやほやしてくれる。ハハ、馬鹿みたいだろ。全部嘘なのに。でもそうなると、逆に怖くなってさ。鏡を見るたびに、ほころびがないか確認するようになった」
「ほころび?」
「いつまた元の姿に戻ってしまうんじゃないかと、不安で仕方がないんだ。だからあの鳥女が俺になびかなかったのを見て、すごく怖かった。もしかしてあいつには、全部見抜かれているんじゃないかと。だから閉じ込めたんだよ。力の差を思い知らせて、なんとか言うことだけでも聞かせようと」
「それで、むなしくはならなかった?」
「なるさ。でも、現実の方がずっとむなしいんだ。それなら、ここで夢でも見ていたほうがずっと楽だよ。少なくとも、今すぐは死にたくならなくて済む」
「そうだったんだね。……ごめん」
「なぜ謝る。俺に説教する気で、こんなことをしたんじゃないのか。正しくないことはよくない、そう言ってやる気だったんだろう」
「あは、バレてた」
偽マスターはハーレムマスターの眼前で、指をパチンと鳴らした。
「眠りなさい」
その言葉を聞いた途端、ハーレムマスターは眠りに落ちた。
すると、偽マスターの鎧から、もぞもぞとラケルタが這い出てくる。
「いいの?今こいつらをギルドに突き出さなくても」
「別にいいよ。あとは目が覚めてから、この人たち自身が決めればいいと思うし」
偽マスターがそう言ってへその当たりをいじると、禍々しいデザインのベルトが出現する。
そのベルトを外すと、元のニコの姿に戻った。
「ぷぇにっくすちゃん、出てきていいよ。もう誰も見てないから」
ニコの呼びかけに答えるように、階段の上からぷぇにっくすが顔を覗かせる。
彼女はボロボロになって眠るハーレムマスターの顔をしげしげと眺め、鼻を鳴らした。
そしてニコの方に向かって、ジェスチャーを使い何かを伝えようとする。
「ええと、何をしてほしいの?」
ニコは彼女の真意を読み取ろうとするが、うまく伝わらないようだ。
その様子を見て、ラケルタの口からファントムの声が漏れる。
「このアホの傷を治してやってほしいんだと。やさしいなあ、マイエンジェル」
「そっか。確かに、やりすぎちゃったもんね」
ニコは服の下からタクトを取り出し、治癒の呪文を唱える。
先ほど女たちを騙すついでに、取り返しておいたのだ。
その一方で、ラケルタはニコが外したベルトに目をやった。
ベルトのバックルに取り付けられている目玉は、確かに自分の体の一部だったはずのものだ。
どういうわけか星にもならず、あの不気味な目玉の形を残している。
それに加え、奇妙な違和感を覚えた。
自分自身の目に見つめられるというのは、こんなにも気持ちの悪いものだろうか。
それとも、これも『王国の秘宝』の力のせいなのか。
もう少し近くで見てみようと、何気なく目玉に手を触れる。
その瞬間、頭の中を何かが激しく弾ける感覚があった。
そして意識はそのままどこか深い場所へと沈んでいった。
その頃。冒険者ギルドの地下に当たる場所で、一人水晶玉を眺める人物がいた。
水晶玉には、ボロボロのハーレムマスターの頭にちょっかいを出す星柄のヤモリが映っている。
その傍らでは、回復魔法をかけながらヤモリに注意するエルフの少女の姿があった。
「あらあら。どこぞのアニメみたいなことして喜んでますのね。トントン拍子で敵を説得し、打ち解ける。楽しい冒険ですこと」
不敵に笑みを浮かべる人物……ヴィヴィアンは、そう言って人差し指で水晶玉をはじく。
するとその背後に、一つの人影がゆらりと姿を現した。
人影はヴィヴィアンの背中越しに、水晶玉をじっと見つめる。
ヴィヴィアンは振り返り、くすくすと笑いながら人影に語り掛けた。
「あらレベル士さん、この娘に興味があるの?」
「……うあ」
人影はぎしぎしとぎこちなく動きながら、何かを伝えようとしているようと水晶玉を指さす。
「そうね。とっても素直だし、優しい子だもの。本当に、誰かさんとそっくり」
「あー」
「うふふ、大丈夫よ。あなたもきっと役に立てるようになるわ。大切な、お友達のためにね」
ヴィヴィアンはそう言いながら、人影……“アムレット”のひびの入った頬をなでる。
“アム レット”はなおも水晶玉を見つめながら、目玉をぎょろりと動かした。
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