第3章ー1 回り道はあの子のせい

 ヤモリは天井を伝い、そのままギルドの外に出た。

近くにあった建物の壁に上り、これからどうしようかと考える。

ファントムの言っていた少女を探すか。

しかし、ファントムがモーントの敵であることに違いはない。

例え名前を捨てようと、敵に与することなどあってはならないことだ。

では、このままただのヤモリとして生きるか。

モンスターならともかく、何の力もない普通のヤモリとしてどう生きていけばよいのだろう。

どこかの家の壁や天井裏で、虫を食べたり蛇やカラスにおびえながら暮らすのだろうか。

なんて惨めなのだ。

そんな風に生きるくらいなら、いっそ今本当に死んでしまおうか。

そうすれば、モーントにも迷惑を掛けずに済むだろう。

そう思いかけたとき、突然背中を強い力でひっかかれた。

なすすべなく、ヤモリは壁から落っこちる。

地面に背中を強く打ち付け、腹を丸太のようなもので押さえつけられた。

「ぐえ」

のどからうめき声が漏れる。

目を開くと、黄色い大きな目玉がこちらを覗き込んでいるのが見えた。

口が三日月形に開き、鋭い眼光がちらつく。

猫だ。

丸太だと思ったのは、猫の足だったのである。

ヤモリは逃げようともがいたが、強い力で押さえつけられどうにもならない。

むしろそうやってバタつく姿が面白いのか、猫はヤモリを前足で転がして弄ぶ。

『どうしよう、どうすれば……』

ヤモリは必死で考えた。ファントムに与えられたバグの力。

それを使えばなんとかなるのだろうか。

でも、使い方が分からない。

頭の中で、彼に助けを乞えばいいのだろうか。

つい今しがた、袂を分かつと決断した相手に。

そんなことをするくらいなら、死ぬのを選ぶとすら考えた奴に。

しばらく弄ばれたのち、猫は唐突に転がすのをやめた。

飽きたのだろうか。

ほっとしたのもつかの間、猫は口をあんぐりと開けてこちらに迫ってくる。

食べる気なのだ。

『いやだ、こんなところで死にたくない……』

ヤモリの小さな脳裏に、僅かばかりに残った記憶が走馬灯のように流れる。

自分の人生は、こんなものでしかなかったのか。

「助けてぇ~!」

ヤモリはあらん限りの声を上げて叫んだ。

しかし猫はひるんだ様子もなく、今にも自分を飲み込もうとしている。

その時だった。

猫の頭上を、火花のようなものがかすめていった。

猫は驚き、ヤモリから手を放して飛び退る。

威嚇をする猫に対し、誰かがかわいらしい声で叫ぶのが聞こえた。

「シッ!あっち行きなさい!」

声の主に追い払われ、猫はしぶしぶ退散していく。

危機が去ったのを感じ、ヤモリはなんとか体を起こそうともがいた。

しかし、体力を使い果たしたのかうまく起き上がれない。

すると、柔らかい手がヤモリを包み込むように持ち上げる。

「大丈夫?ケガはない?」

「あ……」

声の主は、13歳くらいの少女だった。

金色の髪を二本のおさげにしており、愛嬌のある顔にはそばかすが付いている。

耳は横にとがっていた。エルフだ。

少女はヤモリをじっと見つめたのち、こちらに問いかけてきた。

「その黒い星模様……もしかして、あなたが使者の人?」

「え?」

ヤモリは間抜けな声を漏らす。

まさか向こうも、こちらを知っているとは思わなかったのだ。

あわててちゃんと返事をしようとする前に、ヤモリの口が勝手に開いた。

『そうとも。ちょっと色々あって、こんなちっぽけなヤモリしか寄越せなかった。申し訳ない』

口から出てきたのは、ファントムの声だった。

紳士のような口調で話すファントムに、ヤモリはイラついた。

こっちがピンチに陥っていた時にはなにもしなかったくせに、と頭の中で毒づく。

一方、少女はファントムの言葉を聞いて目を輝かせる。

「ああ、やっぱり!ずっと待っていたのよ、あなたが迎えに来てくれるのを。でもダンジョンがあんなことになってしまって、心配していたの。あなたの身に何か起こったんじゃないかって」

『ダンジョンがあんなことに』という単語に、ヤモリは硬直した。

自分のせいだとバレたらどうしようと、思わず身構える。

『心配ないさ、お嬢さん。予定は少し狂ってしまったが、君がいればなんの問題もない。それにこの哀れなヤモリには、少しばかり仕掛けがしてあるのだよ。お守りを出してごらん』

そう言われた少女は、懐からペンダントのようなものを取り出した。

先端に白いドラゴンのような形をした飾りがついている。

ヤモリは、その形をどこかで見たような気がした。

すると、頭の中にファントムの声が響いてくる。

『ドラゴンのしっぽを噛め。そして、お前さんのしっぽをドラゴンに噛ませるようにしろ』

『なんで』

『いいから、言われた通りにしろ』

少女が期待するような目でこちらを見つめている。

ヤモリはしぶしぶ言われた通りの恰好をとる。

ドラゴンと自分が円を描くような形になった。

すると、ペンダントと自分の間にある空間から、淡い光のようなものが放たれた。

光は壁に当たり、何かの光景を映し出す。

どうやら、街の地図のようだ。その上に、矢印が描かれている。

『君は今から、私のいるダンジョンまで来てもらわなければならない。しかし、まともに城壁を抜けようとしても、たぶん追い返されてしまうだろう。だから少し危ないが、東側の未開拓地域を通ることを勧める』

「ちょっと、あそこを行けって言うのかよ!」

ヤモリはドラゴンのしっぽを咥えたまま、ファントムに抗議する。

東の区域といえば、以前自分が奈落に落っこちた場所だ。

『お前はちょっと黙ってろ。もちろん考えはある。そのために、この『バグの力』を込めたヤモリを寄越したのだからね』

「バグの力?」

少女は首をかしげた。

『そうとも。今のように、君のお守りとこのヤモリを組み合わせれば、ある程度の融通が利くようになるのさ。あとはちょいと頭を働かせれば、どんな無茶でも押し通せるようになる』

「私なんかに、できるかしら……」

『できるとも!君“だからこそ”できる』

ファントムは明るい声で少女を励ます。

その言い方に、ヤモリは鼻白んだ。

こんな少女を担いで、あの男は一体何をさせようというのだろう。

『だが、無理は禁物だ。もし危険を感じたら俺を呼ぶこと。ヤモリに話しかければ、すぐ応じる』

「分かった。私、がんばる」

少女は気合を入れたように、鼻息を荒くする。

映像が消え、ヤモリはドラゴンから口を離した。

えもいわれぬ味が口に残り、気持ち悪い。

吐くようなしぐさをしていると、少女が話しかけてきた。

「がんばろうね、ヤモリ君。そうだ、名前言ってなかったね。私ニコっていうの。あなたは?」

「ぼ、ぼくは」

ヤモリは口ごもる。名前は捨てたばかりだ。

しかし、偽名を使おうにもなにも出てこない。

「ええと、その……」

「どうしたの?もしかして、名前がないの?」

「…………」

ヤモリが何も言えず俯いていると、ニコはしばらく考えてこう切り出した。

「ねえ、良ければ私が名前を付けてあげましょうか」

「え?」

「そうねえ、ヤモリだからヤックン……じゃあ単純すぎるし、アイデクセ……だとちょっと仰々しすぎるかな。そうだ!ラケルタ、なんてどう?」

「ラケルタ?」

「そう!とかげ座って意味よ。あなた体中に星の模様があるし、ちょうどいいと思ったの。うん、決まり!」

ヤモリが答える隙も与えず、ニコは目を輝かせてそう叫ぶ。

自分を差し置いて勝手にはしゃぐニコに、ヤモリは嘆息しつつも少し安堵した。

名無しのただのヤモリでいるよりかは、まだ自分に自信が持てそうな気がするのだ。

ラケルタはニコに振り回されながら、恐る恐る聞いてみた。

「ね、ねえニコ……さん。僕たち、これからどうするの?ダンジョンへ行って、何をする気?」

「あら、聞いてないの。ファントムも意地悪ね」

ニコは回るのをやめ、ラケルタにひそひそと小声で話しかける。

「私たち、これから王国を作り変えるのよ」

「ええ?」

ニコは口に人差し指を当てて、「誰にも内緒よ」とつぶやいた。

そして、いたずらっぽく口角を上げてにっ、と笑う。

「これからよろしくね。ラケルタ」

そう言ってニコは、ラケルタに人差し指を差し出した。

ラケルタは困惑しながらも、それを両手で握る。

「よーし、それじゃあ出発!」

遠足にでも行くようなノリで、ニコは歩き出した。

その肩に乗り、ラケルタはため息を吐く。

大変なことになってしまった。

しかし、今更引き返せない。


 一方、ヤモリことラケルタがギルドを出ていった時間と同じ頃。

ギルド内にある『復帰部屋』の奥で、モーントは険しい顔をしていた。

彼の目の前にあるのは、大量の星と、それを選別する作業員たちの姿。

部屋の脇の方では、別の作業員たちがそれぞれ奇妙な物体を砕いたり研磨したりしている。

それら奇妙な物体が、もともとはアムレットが変身したドラゴンのものであることを考え、モーントは苦々し気な表情を浮かべる。

「お気がすぐれないようですわね、モーント様。少しお休みになられては?」

「いや、時間がない。なんとしても現実の夜明けまでに、作業を完遂させないと」

モーントはそう言って、部屋の中央にある作業台に目をやった。

そこには、アムレットの『頭』や『腕』、『胴』などが、ごろごろと置かれている。

それらは全て、砕けた陶器の欠片を繋ぎ合わせたような見た目をしていた。

ヴィヴィアンはモーントの傍らに立ち、そっと耳打ちをしてくる。

「アムレット殿の家を捜索しましたところ、魔術痕のある星の欠片が見つかりました。解析はまだ不十分ですが、おおよそ魔王を名乗る者が使用していた術式と合致しています」

「…………そうか。分かった」

モーントは素っ気なく返事をすると、ほほの一部や片方の目玉がかけたままの『頭』を手に取り、まじまじと見つめた。

『頭』は何の反応も見せず、ガラスのような眼球はどこか宙を眺めている。

アムレットがなぜ、わざわざ危険の多い転移魔法まで使い、秘宝に手を出したのかは分かっていない。

魔王軍の連中に、いいように騙されたのか。

あるいは自分の仕事の地味さに嫌気が差し、少しでも目立とうとしたのか。

しかしなんにせよ、彼はあんな恐ろしい姿になり果ててまで、自分のことを助けようとしたのである。

モーントは『頭』を机に戻し、悲し気にため息を吐いた。

「なあ、もしこのまま元に戻せなかったら、アムレットはどうなるんだ?永遠に目覚めないまま、なんてことはないよな」

「確かなことはお答えできかねます。回収したドラゴンの部位も、これで全部というわけではありませんし」

「お前……!!」

事も無げに言い放つヴィヴィアンの態度に、モーントは苛立ったように語気を荒げた。

しかし今ここで怒っても仕方がないと思い直し、言葉を引っ込める。

彼の態度をさほど気にする風でもなく、ヴィヴィアンは淡々と続けた。

「どちらにせよ、今日中に元に戻すのは不可能ですわ。ですが、目覚めさせるだけなら別の方法があるにはあります」

目覚めさせる方法、という文言にモーントは目の色を変える。

「それは何だ。早く教えてくれ」

「それが、少し危険な方法なんですの。少なくとも『チケット持ち』の方に行ったことは今まで例がありませんし」

「時間がないんだ!早くしろ!」

苛立つモーントに、ヴィヴィアンは冷たい目線を寄越す。

そしてしばらく考え込むような仕草をした後、重々しく口を開いた。

「モーント様の一部を移し替え、しばらくの間『リモートコントロール』の状態にするのです」

「何!?」

ヴィヴィアンの提案に、モーントは目をむく。

しかしヴィヴィアンはまったく表情を変えることなく、冷静に言い放った。

「現在の状態では、アムレット様を構成する星の数が絶対的に足りません。親友であらせられるモーント様なら、アムレット様の星にも強くなじむはずです。どうなさりますか?」

「…………」

モーントは頭を激しくかいた。

このまま現実世界が夜明けを迎えたとき、アムレット……マルが目を覚まさなかったら、どうなるだろう。

病院送りだろうか。

そうなれば彼の両親は、どんな顔をするだろう。

原因もわからず眠り続ける息子を前に、どう思うのだろうか。

それもこれも、全てはこの王国に彼を誘った自分の責任ではないか。

モーントは一人、自分の中で結論付けた。

「分かった。だが今の間だけだ」

「了解いたしました。では、さっそく儀式を」

ヴィヴィアンはそういうが早いか、バラバラになっているアムレットの『パーツ』を人型に並べる。

足りない部分に別の星を置き、周囲に魔法陣を書いた。

そしてなにやら呪文を唱えると、モーントに指を出すよう促す。

ヴィヴィアンは小刀を取り出し、浅く傷をつけた。

傷口から、赤い血の球が浮き出てくる。

「それをアムレット様に」

モーントは頷くと、ぽっかりと開いたアムレットの眼窩に、にじみ出た血を滴り落とす。

その途端、足りない部分に置かれていた星が形を変え、アムレットの肉体へと変化していく。

それと同時に、残ったほうの目玉がぎょろりと動き、全身が激しく痙攣する。

「許してくれ、マル。少しの間の辛抱だ」

モーントは彼の頬に両手を添え、悲し気につぶやいた。

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