第2章ー2 うまくいかないのは魔王のせい

『なんだか分からないけれど、ボクってこんな薄暗いところばかり歩かされている気がする……』

ヤモリは勝手に動き続ける足を見つめながら、ぼんやりとそんなことを考えた。

とはいえ、自分の体は狭いところを進むのに適しているようだ。

以前はほんの少し進むのにも、もっと苦労していた気がする。

やはり元々自分はヤモリではなく、人間だったのだ。

ヤモリは小さな頭の中で、逆説的で根拠のない結論を出す。

そんなことを考えていると、頭の中に自分のものではない声が響いてきた。

『やれやれ、やっと新しい体にも慣れてきたみたいだな。しかし、自分の名前も思い出せないような奴が、元は人間だったと確信するとはね』

『その声はファントム?なんで僕の頭の中に』

『言っただろう、お前さんは俺の一部だと。まあそんなことはどうでもいい。それよりも、もうすぐ『裂け目』が近い。気を付けろ』

『裂け目?』

ヤモリはなんとなく、『裂け目』に落ちると危険であることを思い出した。

それと同時に、どこまでも底のない奈落のイメージが思い浮かび、身を震わせる。

その心象風景すらも見透かしたかのように、ファントムは鼻で笑った。

『そんな果てしないものじゃない。どっちかつうと、あの世とこの世の裂け目みたいなもんだ。自分が人間だったと思うんなら、心して行くんだな』

どういうことだ、と返そうと思ったが、ファントムの声はもう聞こえてこなかった。

代わりに、遠くの方から女のものと思しき悲鳴が響いてきた。

恐怖を感じつつも、ヤモリの足は自然とその声のするほうへと向かっていく。

しばらく行くと、突然視界が開けた。

ファントムの手の上に落ちたときのことを思い出し、慌てて足を止める。

足はなんとか自分の言うことを聞いてくれたらしく、崖の際でなんとか踏みとどまった。

落ちないように気を付けながら、恐る恐る顔を覗かせる。

自分の乏しい記憶から思い出すと、そこは通路のようだった。

どうやら自分は、その壁にできた割れ目のような場所を進んでいたらしい。

しかし、目の前の光景を見つめながら、ヤモリは頭をかしげた。

『ここ、なんか違和感がある……』

自分は今ダンジョンの中を進んできたはずだ。

だから通路といえども全て石造りか、むき出しの岩肌のはずだ。

しかしこの場所は、木の柱や土の壁などでできており、その壁には窓のようなものすらある。

いつの間にか、何かの建物に迷い込んでしまったのだろうか。

ヤモリはこの場所に、妙な親近感と胸騒ぎを覚えた。

その時、先ほど聞いたのと同じ悲鳴が耳に入ってきた。

驚いて声のした方に目を向けると、13、4歳くらいの少女が必死な様子で走ってくる。

その背後からは、剣や巨大な斧のような物を携えた、真っ黒な影が追いかけてきていた。

少女は悲鳴を上げながら、ヤモリのいる割れ目の前を通り過ぎる。

その怯え切った横顔を見て、ヤモリは頭の中で何かが弾けるのを感じた。

見覚えがある。

しかし、どこで見たのか思い出せない。

少女はヤモリのいる場所からそう行かないうちに、転んで倒れこんでしまった。

黒い影はニヤニヤと薄ら笑いを浮かべながら、少女の上に覆いかぶさる。

影は手に持った斧や剣で、少女の体を容赦なく切り裂いていった。

あまりに凄惨な光景に、ヤモリは目を覆いたくなった。

しかし体は微動だにせず、頭の中に声が聞こえてくる。

『目を背けるな、ヤモリ。お前さんはこの光景を、しっかり見届けなきゃならない』

ファントムの冷たい声が、ヤモリの体を縛り付ける。

少女の体はバラバラに解体され、小さな肉片になる。

しかしそれはよく見ると、肉というよりも小さな鉱物の欠片のように見えた。

『あれは……』

『見りゃ分かるだろう。星だよ。お前さんたちが後生大事にしている、キラキラのお星さまだ』

『でも、星は確かモンスターから』

『モンスターね。どっちがモンスターだか。チケットがなければ、誰だってここでは部外者(アウトサイダー)だ』

黒い影は辺りに散らばった星を手に取り、歓声を上げる。

ヤモリの頭の中で、先ほどの弾けたような感覚が、何かの記憶を引きずり出した。

「ここは……『がっこう』だ」

ヤモリは、自分の口から洩れ出た言葉が何なのかをよく理解できなかった。

しかし、後から記憶を取り戻した時、あることに思い至ることになる。

少女の恰好がこの王国には似つかわしくない、『セーラー服』だったことを。

そして少女の顔が、かつて自分の悪口を言って笑っていたクラスメイトに似ていたことを。

悪夢のような光景を目の当たりにしたヤモリは、すこし気疲れしたような顔で再び進み始めた。

足は再び自分の意志と関係なく動くようになったので、この先に何があるかも分からない。

それから数時間は歩き続けただろうか。

薄暗い通路を抜け、少し開けたような場所に出た。

低い目線からはあまりよく分からなかったが、巨大な鉄でできた箱のようなものがたくさん積まれている。

ガラガラと何かを引きずるような音や、人の話し声らしきものも聞こえた。

『おいヤモリ、聞こえるか』

『はいはい。なんでございましょ』

半ば投げやりな口調で、頭の中に響いてきたファントムの声にこたえる。

『そこは最近できた『集積場』だ。普通なら捨てちまうようなクズ星を積んで、汽車に乗せて街まで持っていく。あのセコい魔導士の新しい稼ぎだな』

『汽車?そんなものが……』

『ああ、最近開通したそうだぜ。誰かさんの体から奪った星で、予定より早く完成したそうだ。まあ、うまいこと乗り込めば街まですぐだな』

誰かさんの、というのが自分のことだというのを、ヤモリは感じ取った。

しかし疲れすぎて、言い返す言葉も見つからない。

忙しそうに作業するモンスターたちの足元をすり抜けながら、ふたが緩んでいた鉄の箱の一つに潜り込む。

ファントムの言う通り、中には小さな星の欠片が箱いっぱいに詰まっている。

ヤモリはその一つを手に取り、ふたの隙間から漏れてくる光にかざしてみた。

大半がくすんだ色をしていて、一目であまり質のいいものではないとわかる。

しかし、わずかにある透き通ったな部分から、緑色の光がちらちらと漏れた。

『おいおい、まさかここにある星でなんとか元の姿に戻ろうって思ってるんじゃないだろうな』

バカにしたようなファントムの声が聞こえてきた。ヤモリは憤慨したように返事をする。

『違うよ。こんなクズ星じゃそんなことできないって、僕にもわかる』

『そうじゃあない。この星は“お前さんの”星じゃないからな。食ったところで腹下すだけだぜ』

『僕の、じゃない?』

『フン。まあそのうち分かるだろうさ』

そう言ったきり、ファントムは何も話しかけてこなくなった。

ヤモリは星屑の上に寝そべり、自身が『がっこう』と口走った場所のことや、ここで目覚める前に見た夢のことを考えた。

それらが、自分が今失ってしまった記憶に由来しているらしいのは、なんとなく理解できる。

どちらも思い出すだけで、心が不安定になる感覚があったからだ。

しかし、前者はともかく後者には奇妙な違和感があった。

落ちていく光景。

両親。

そして、『片割れ』。

果たしてそれらが自分と関係しているのか、と考えると、どうもかみ合わない感じがしたのだ。

それがどうおかしいといわれても、ヤモリ自身にも分からない。

もう一度眠りにつけば、あの夢の続きが見られるかもしれない。

そう考えて、ヤモリは目を閉じた。

だが、彼がこの場所で眠りにつくことは、結局できなかった。

金属がこすれるよな大きな音と激しい揺れに驚いて、ヤモリは飛び起きた。

どうやら、汽車が目的地に到着したらしい。

誰かがふたを開けてつまみ出される前にと、慌てて箱から抜け出した。

暗く、荷物が所狭しと積まれた貨車の中を、ヤモリ特有の感覚だけで移動していく。

隅のほうにうずくまりじっと待っていると、ガラガラという音とともに扉が開かれ、荷物運びの要員らしき大柄なオークやトロルがどやどやと入ってきた。

彼らに踏みつぶされないよう注意しながら外に出ると、まぶしい日の光に照らされ、一瞬目がくらむ。

どうやらここは、街を取り囲む外壁のすぐ前らしい。

運ばれてきた荷物は、街に入る前にここで一端検査を受けるようだ。

番兵らしき人物が、箱を一つ一つ開けて中身を見ている。

魔物が紛れ込んでいないかチェックしているのだろう。

もしここで見つかろうものなら、バグをほどこされた自分など、あっという間につぶされてしまう。

そう考えただけで恐ろしくなり、そそくさとその場から逃げ出した。

番兵の目を盗み、壁門のアーチ部分に張り付いて街の中に入る。

そこから家々の屋根や壁をつたいながら、自身の足が動くままに進んでいった。

『ねえ、これからどうすればいいのさ』

ヤモリが頭の中でに問いかけると、ファントムは眠たげな声で答えた。

『ん、街についたのか。ならこれから、ある人を探してもらう。確か……エルフの女の子だ。金髪を三つ編みにしていて、顔にそばかすがある』

『それっぽい子なんて、そこら中にいるよ』

『まあそうだな。でも向こうも、お前さんを探しているはずさ。普通の女の子ならヤモリなんて見た途端、悲鳴を上げて逃げちまう。そうじゃない子がお目当ての人物ってわけだ』

『そんな無茶な。逃げるだけならいいけど、叩かれたり踏みつぶされたりしたらどうするのさ』

『そうならないように頑張れ。俺はまだ本調子じゃないんだ。あまり起こすな』

『ええ……』

ファントムはぶっきらぼうに返すと、そのまま何も言わなくなってしまった。

ヤモリはため息をつき、その場から一番背の高そうな建物を見つけ、屋根に上る。

小さな体から見ると、街はどこまでも広がっているように感じた。

この中らからたった一人の女の子を探せなんて、むちゃくちゃすぎる。

ファントムは自分のことをいじめて、楽しんでいるのだろうか。

悲しむヤモリの目に、ふと大きな白色の女神像が映った。

僅かばかりに残った記憶の中に、この像のことがあった気がする。

たしかこの中に、女神さまが住んでいるのだ。

女神さまは、こんな小さなヤモリでもお救いになるだろうか。

「まあ、無理だろうな」

一人でそう結論付け、視線を下に向ける。

すると塔の下に白い大きなテントのような建物があるのが見え、はたと気づく。

「あれは確か……ええと、そうだ!ギルド!」

ヤモリはなぜだかわからないが、あそこが自分の居場所だったように思った。

自分の一番の親友、『モーント』もそこにいるに違いない。

ヤモリは自分の足が勝手に動かないか、そっと確認してみる。

どうやら、ギルドに向かっても何も起こらない。

そうだ、あのファントムなんて男の言うことを聞く必要などないのだ。

ギルドに行こう。そして、モーントに助けてもらおう。

ヤモリは意気揚々と足を進めた。

頭の中で、ファントムが鼻で笑ったような声がしたのにも気づかずに。


「や、やっと着いた……」

ヤモリは息を切らしながら、ギルドの壁を伝っていた。

想像以上に遠く、歩いて行くのは困難だった。

そのため、街を行く馬車や商人の荷物などに紛れながら、なんとかたどり着いたのだ。

途中見つかりそうになったり、逆に気づかれぬまま潰されそうになったりもした。

それでもここまでほぼ無傷で来れたのは、奇跡に近い。

梁の下を伝いながら、慎重にギルド内部の様子を伺った。

おぼろげな部屋の配置などの記憶を頼りに、モーントの姿を探す。

「いないな……」

ホールには幾人かの人影が見えるのだが、それらしき人物は見当たらない。

それに以前の記憶と比べると、人の数が少ない気もした。

少しでも情報を集めようと、部屋の隅にあるテーブルで談笑する男たちのそばにそっと近寄る。

冒険者と思しきいでたちの男たちは、まだ昼間だというのに酒を酌み交わし、真っ赤な顔で笑い合っている。

「にしてもさ、ギルドマスターも気前がいいよな。途中でリタイアしてた俺たちにも、星をこんなたくさんくれるなんて」

「いやあ、そうでもないぜ。実はドラゴンを呼び覚ましたのは、あのレベル士だって噂だ。ギルド内部の人間が起こした不祥事をもみ消すために、俺たちに口止め料を支払ったってことらしい」

「ああ、そういえばあいつ最近見ないな。もしかして、ドラゴンに食われて死んだのかも。ま、いてもいなくても同じようなもんだけど。大した仕事もしてないくせに、妙にプライドだけは高くて。ええと、名前なんだったかな、ア、ア……」

「ア……アーモンド?」

『……アムレット』

「そうそう、アムレット!……うん?」

男たちは互いに自分のではない声が聞こえ、辺りを見渡す。

ヤモリは慌ててその場から逃げた出した。

天井裏までたどり着いた後、ヤモリは息を整える。

思わず自分が口走ってしまった、レベル士の名前を反芻しながら。

「そうだ、僕の名前はアムレット。レベル士。……いてもいなくても同じの。いや、今はそれ以下か」

ヤモリは自分の置かれている状況を改めて整理した。

ドラゴンは自分が「呼び覚ました」ことになっているらしい。

たぶんそれが、モーントが自分のためにできた、最大の配慮なのだろう。

ヤモリは覚えていた。

ドラゴンと化した自分に向かって、モーントがその名を呼び掛けていたことを。

『アムレット』以外にも何か別の名で呼ばれていたような気もするが、残念ながらそちらは思い出せない。

どちらにせよ、最早ヤモリにはモーントを頼る気力はなかった。

自分が起こした不祥事のために、モーントはきっとかなりの責任を負わされたに違いない。

そこへこんな姿の自分がすごすごと出てこようものなら、彼はきっと落胆するだろう。

あるいは、怒りのあまり絶交を言い渡されるかもしれない。

そんなことになるくらいなら、自分は死んだことにした方がよいのだ。

その方が、モーントにとっても都合がいいはずである。

ヤモリは、思い出したばかりの「アムレット」という名前を捨てることに決めた。

この名前は、モーントからもらった大事なものであることを思い出したからだ。

それを汚してしまった以上、自分にその名を名乗る資格はないと思った。

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