第1章ー9 大事なものを勝手に触ってはいけない
狂乱の渦巻く最中、唯一正気を保っているのはモーントだけのようだった。
モーントは思案した。
どうやら冒険者たちがおかしくなったのは、あのスライムと歌声のせいのようだ。
この音楽は演奏している連中を何とかすれば止まるのだろうか。
しかしスライムがもし脳の中まで侵入しているとすれば、いまこの場で対処する方法がない。
一応魔道石も取り出してはみたが、流れてくるのはノイズばかりだ。
あとできることといえば、残してきた仲間に連絡を取り、応援を呼ぶことくらいだろう。しかしそのためには信号弾を撃つ必要があるが、ここから普通に飛ばすだけで向こうに気付いてもらえる可能性は薄い。
あるとすれば、落ちてきた穴にできるだけ近づき、そこから打つことか。
「一か八か、だ」
モーントは魔法の弾をそっと掌の上に作り出す。
すると、それに気づいたらしいファントムがモーントを指さした。
「おい、何してんだ。ちゃんと聞けよ!!」
ファントムにつられるかのように、ほかの者たちも一斉にモーントに注目する。
その一瞬を、モーントは見逃さなかった。
「こっちを見たな」
モーントは掌の上にの魔法玉を地面にたたきつける。
すると、魔法玉は激しい光を放ち、辺りを真っ白に染める。作り出したのは閃光弾だった。
破壊力は皆無に等しいが、目つぶしには有効である。
モーントは目をつぶったまま、素早く浮遊の呪文を唱える。
周囲の者たちの目がくらみ、隙があるこの短い間に逃げてしまおう。
そう考えたのだ。
しかし、あと少しで唱え終わろうという瞬間、モーントの腹に強い衝撃が伝わる。
「ぐっ」
思わず呪文を唱える声をとめ、その場にもんどり打って倒れこむ。
痛みをこらえながら目を開くと、すぐ間近に冷たい視線で見下ろすファントムの顔があった。
「ちゃんと聞けっつってんだろーが。『月の子(モンデンキント)』」
「……モー、ント、だ!!」
腹の痛みをこらえ、モーントは立ち上がった。
「はわわわ、どうしよう……」
一方そのころ、アムレットは魔道石から一方的に流れてくる情報に身を震わせていた。
どうやら魔王こと『ファントム・オブ・ファンタジー』なる者の策略にはまり、モーントたちはかなり窮地に立たされているらしい。
しかし今アムレットは、どうすれば彼らを助けられるのか分からなかった。
魔道石は向こうの状況を垂れ流すばかりで、こちらからモーントに呼びかけようとしても、なんの返事もなかったのだ。
「うう、今すぐそっちへ行ければ、行ければ、行ったところで、うーん」
行ったところで、なんになるというのだろう。
ほぼ丸腰に近いただのレベル判定士に、何ができるというのだ。
アムレットは自分の無力さに落ち込んだ。
結局今できることは、ただひたすら前に進むことだけだった。
なかばやけくそのようになりながら這い進み続ける。
その時、突然手から地面を触る感覚が無くなった。
「また裂け目!?」
慌てて体勢を立て直し、なんとか落ちないように踏ん張る。
しかしよく見てみると、それは単なる裂け目ではないようだった。
地面は断崖絶壁というよりも急な斜面のようになっており、その奥になにやら空間のようなものがある。
「もしかして、たどり着いた?」
アムレットは転がり落ちないよう慎重に足を前に出し、斜面を滑り降りる。
思ったよりスピードが出て息が詰まりそうになったが、なんとか下まで降りることができた。
土ぼこりを払いながら立ち上がり、魔道石から漏れる僅かな光で辺りを照らす。
一見すると、がらんとして何もない場所のようだった。
「本当にこんなところに……」
一人つぶやきながら、アムレットは慎重に歩き出す。
モンスターなどの気配はしないが、部屋全体をどんよりとした嫌な空気が満たしているような気がした。
これも秘宝というものの影響だろうか。
周囲を見渡しながら歩いていると、突然何かに蹴躓いた。
罠に掛けられたかと思い、慌ててその場から飛び退る。
しばらく待ってなにも起こらないのを確認し、恐る恐る足元の物体を照らした。
「なんだコレ?」
よく見ると、それはすこし薄汚れた木の箱だった。
洗濯かごよりも一回り大きいくらいの大きさで、ふたの部分に何やら文字が書かれているのが見える。
袖を伸ばして表面の汚れを払うと、墨字のような筆致ではっきりこう書かれているのが見えた。
『光明童子』
「漢字……?」
アムレットは違和感を覚えた。王国内で使われる文字は、すべて『王国文字』という独自の創作文字だ。
文法などは日本語に準拠しており、『チケットもち』であれば普通に読むことができる。チケットの文面ですら、ここでは『王国文字』に変わる。
なのに、この箱にははっきりと漢字が書かれているのだ。
「これが『王国の秘宝』なのか?」
何の気なしに手を触れてみる。
ぞわぞわするような気色の悪い感覚が、腕を這い上ってくるように感じられた。
反射的に手を引き戻すが、いやな感覚はまだ残ったままだ。
こんなものを持って帰らなければならないのか。アムレットは少し恐ろしくなった。
すると、魔道石からノイズが漏れ、聞き覚えのある女の声が聞こえてきた。
『アムレット、大丈夫ですの?アムレット!』
「ヴィヴィアンなのか?おーい、こっちは無事だ」
ノイズ交じりではあったが、ヴィヴィアンの声がある程度はっきりと聞こえてくる。
『ああ、やっと通じた。いまどちらに?』
「よく分からないけど、開けたところだ。変な木の箱を見つけたんだが……って、それどころじゃないんだ。モーントが」
『箱!?なんて書いてありますの!?』
食い気味に発言をさえぎられ、アムレットは少しむっとする。
この女はモーントよりも、『秘宝』の方が大事なのか。
しかし、たかだかNCCにそこまで気が回るはずもないと、アムレットは自分の中で無理やり納得した。
「ここの文字じゃないな。漢字……って言って分かるか?」
『いいから早く!』
「…………。光に、明るい、ええと読めない字と、子どもの子って書いてあるな」
『なるほど。たぶんそれが秘宝で間違いありませんわ。では今から転送魔法を行いますから、落とさないようにそれを抱え込んでくださいな』
「ちょっと待ってくれ、モーントが今ピンチなんだ。早く助けをよこしてくれ」
『ピンチ?どういうことですの?』
アムレットは魔道石から漏れてきた実況のことを話した。
『なるほど。ずいぶん前からあちらとも通信が途切れていて、おかしいとは思ってましたの。でも、この状況では転送魔法の発動も困難ですわね』
「だったら、今すぐ応援を」
『それはできかねます』
ヴィヴィアンはきっぱりと答えた。
『実は今、こちらも少し立て込んでおりますの。街の方に巨大なスライムが押し寄せてきて、今にも壁を越えてきそうなのですわ。ですから、応援をすぐによこすのは難しいかと』
「何言ってんだよ、僕らのリーダーが命の危機なんだぞ!」
『話は帰ってきてからにしましょう。とにかく、今すぐ脱出を』
「ふざけるな!」
アムレットは頭にカッと血が上るのを感じた。
今すぐ帰還して事態の収集を図ったとしても、戻ってくる頃には皆敵の手中に落ちてしまっているはずだ。
彼の耳には、ヴィヴィアンがモーントたちを見捨ててでも、秘宝を手に入れたがっているように聞こえた。
「冗談じゃない。あんたにその気がないなら、こっちでなんとかする」
『お待ちなさい!一体何をする気!?』
こちらの考えを察したのか、ヴィヴィアンが声を荒げる。
魔道石から転送の魔法陣が浮かび上がるが、アムレットは石ごと遠くへ投げ捨てた。
そして、足元の古びた箱のふたに手を掛ける。
「街の連中なんか知ったこっちゃない。でも、モーントは、アキラは僕のたった一人の友達なんだ」
腕に力を入れて、思いきりふたを持ち上げる。
ふたは思ったよりも軽く、あっさりと開いた。
開いた瞬間、箱から真っ黒などろどろとしたものが噴出する。
「うぐっ」
声を上げる間もなく、アムレットはそれに飲み込まれた。
「おいおいおーい、まさかもうくたばっちゃってるワケェ?もうちょっと気概のあるお方だと思ってましたよ、ぼかぁ」
「くそっ……」
目くらましに失敗した後、モーントは仲間やモンスターどもに囲まれる形になった。
彼は応援する仲間もいない中、短剣一本だけでファントムの猛攻を必死に受け続ける。
といっても、ファントム自身も魔法などを使ってくる様子もなく、なぜか手に持ったギターでひたすら打ち込んでくるだけだ。
しかしその一撃一撃は、確実にモーントの体力を削っていた。
冒険者たちは、モンスターに混じって二人を取り囲み、焦点の合っていない目で奇声を上げたり、やじを飛ばしたりしている。
相手の攻撃を紙一重で避けながら、ファントムに問いかける。
「お前の、目的は、なんだ!?」
「ああ?そんなん決まってんだろ。この腐りきった王国を、バグまみれにしてやんのよ」
モーントは短剣を振りかぶり、ファントムを斜めに切り裂く。
しかしその体は、無数の虫になって飛び散った。
あっけにとられるモーントの背中に、鋭い衝撃が走る。
バランスを崩し、彼はその場に膝をつく。
そこからさらに背中を蹴り飛ばされ、モーントは完全に倒れ伏した。
「お前さんが一番分かってんだろーがよ。こんなマルチまがいのやり方でできた国、そう長く持たねえってよ」
短剣を握るモーントの手を、ファントムは容赦なく踏みつける。
あまりの痛みに、うめき声が漏れた。
「それよりも、俺のほうがそっちに聞きたいね。お前、『王国』を使って一体何をする気だ」
「な、なんのことだ……」
「とぼけんじゃねえ!!」
モーントの胸倉をつかみ、ファントムは思い切り顔を近づけた。
爛々と輝く眼球が、こちらの瞳をとらえている。
「お前一人で考えたこっちゃないだろう。言え!誰に吹き込まれた!誰がこんなことを考え出した!!」
「…………」
相手に強く迫られてもなお、モーントは口を堅くつぐむ。
その様子を見て、ファントムは小さくため息を漏らした。
「哀れだね。何がお前さんをそこまで突き動かしたか知らないが、そこまで頑なだと逆に同情したくなる。同情しちゃいたくなるから……」
ファントムは、モーントの手から無理やり短剣をもぎ取った。
「そうなる前に、お前さんの正体を見せてもらおうかね」
刃がギラリと光り、こちらの首筋へまっすぐに向かってくる。
覚悟したように、モーントは目をつぶった。
その時だった。
突然地響きが起こり、壁が崩れ落ちる。
「なんだ!?」
思わず刃を突き立てるのを止め、ファントムは崩れた壁の方を振り向いた。
その隙を見逃さず、モーントは相手の顎に蹴りを入れる。
「ぐっ」
まともに攻撃を喰らい、ファントムはその場でのけ反った。
モーントはその手から短剣を奪い返し、素早く飛び退る。
もうもうと立ち上る土ぼこりの中、モンスターも冒険者も、クモの子を散らすように逃げまどっていた。
その向こうで、なにやら黒い大きな影が蠢ている。
モーントはそれを指さし、ファントムに尋ねる。
「あれもお前のか?」
「知るかよ!!」
ファントムは顎をさすりながら声を荒げる。
『それ』は全身を引きずるような緩慢な動作で、こちらへと近づいてきた。
体はぐねぐねと曲がった木の幹やツタのようなものが、絡み合ってできているように見える。
ところどころ黒いうろこのようなものが生え、その隙間を縫うように肉や血管が見え隠れしている。
歪な形をしているため、一見するとなんの生き物かも分からないほどだ。
しかしモーントは、そのシルエットに見覚えがあった。
丸い胴に太い四本の幹のようなものが生え、それを脚のようにしてのしのしと歩いているように見える。
上の方に伸びた二つのツルのうち、片方にはぎょろりとした目玉が無数に生えている。
こちらが頭とするならば、もう片方はしっぽか。
「ナイトメアドラゴン……」
モーントがそうつぶやくと、ドラゴンらしきものはこちらに気付いたかのように、頭を持ち上げた。
いくつもの目玉が、モーントの姿を見つめる。
すると、頭の部分が急にぱっくりと縦に開いた。
「アアアァァアアァァア、キイイィィィイイイイイ、ルァァァァァァアァァァァ」
「!?」
モーントは自分の耳を疑った。
「キモっ!」
ついでにファントムは、ツルでできたドラゴンのしっぽらしきものにはたかれ、吹っ飛んだ。
「そんな、まさか……」
絶句するモーントの目の前で、ドラゴンは周囲の者たちを蹴散らしていく。
モンスターも冒険者も関係なく、足で踏みつぶされたり、太いしっぽで薙ぎ払われたりしていた。
そんな中でも、一部のモンスターたちが果敢にも立ち向かっていこうとする。
しかしドラゴンの体は、切り裂いても魔法で焼き払っても、傷がつくそばから勝手に修復していく。
逆に彼らのほうがドラゴンに捕まり、頭上高く放り投げられる。
彼らはそのまま天井をぶち破り、落ちてくることはなかった。
その時、モーントの持っていた魔道石がちかちかと光りはじめた。
慌てて手に取ってみると、ヴィヴィアンのものと思しき声が漏れてくる。
『誰か!誰か応答してくださいまし!誰か!』
「ヴィヴィアン!俺だ、モーントだ!」
モーントは激しい地響きや悲鳴に負けないよう、声を張り上げる。
『モーント様!よくぞご無事で……』
「御託はいい。それよりも、あの化け物は一体何なんだ。どう見ても、秘宝の力に侵されているじゃないか」
『そう、なんですの?』
「アムレットになにかやらせたのか」
『知りませんわ!か、彼が勝手に』
「くそっ」
モーントは悪態をつき、ドラゴンに向き直った。
ドラゴンはなおも暴れ続け、周囲の壁や天井を破壊し続けている。
「おーい、アムレット!お前、アムレットなのか!そうなら返事をしろ!」
モーントはドラゴンに向かって呼びかけた。
しかし反応はなく、がれきや石がこちらに向かって降り注ぐ。
それをなんとかよけながら、モーントは浮遊の呪文を唱えた。
体が浮き上がり、ドラゴンを見下ろせる位置まで上昇する。
「頼むよ、アムレット!もうやめてくれ!」
叫びながら、モーントはドラゴンの頭の方へと近づいた。
無数の目が、モーントを一斉に捉える。
背中に怖気が走るのをこらえながら、モーントは唸り声を上げるその頭に何とか降り立った。
「俺だ。モーント……アキラだ。頼むから正気を取り戻してくれ、マル!」
モーントは短剣を引き抜き、ドラゴンの頭に突き立てた。
ドラゴンは大きく咆哮し、頭を激しく振る。
モーントは振り落とされまいと、必死でしがみついた。
その時頭の中に、聞き慣れた声が響いてきた。
『……アキラ……』
「マル!マルなのか!?聞いてくれ、ここには仲間がたくさんいるんだ。だからすぐに暴れるのをやめるんだ!」
『……できない……』
「そんな、なぜ!」
『体が……いうことを、聞かない……痛い……バラバラになる……』
「待て、マル!落ち着け、落ち着くんだ!」
ドラゴンの目玉から、黒い涙のようなものがしたたり落ちた。
目玉だけではない。
短剣を突き刺した部分や、絡み合った肉の隙間などからも、同じような黒い液体がにじみ出てくる。
モーントは必死で考えた。
治癒魔法。浄化魔法。退魔の呪文。
しかし黒い液体が手に触れた瞬間、頭の働きが急に鈍るのを感じた。
「ち、く、しょう」
手がしびれ、短剣を握る力が抜けていく。
すると、胸にしまっておいた魔道石が輝き始めた。
それと同時に、転送の魔法陣が浮かび上がる。
「ダメだ。今はダメだ。ヴィヴィアン、やめろ!」
魔道石に手を伸ばそうとするが、片手でも離せば、今にも落ちてしまうだろう。
モーントの頭に声が響く。
『……逃げて……』
その瞬間、ドラゴンが大きく頭を振りかぶった。
短剣が抜け、モーントは宙に放り投げられる。
「マルー!!!」
転送魔法が発動し、モーントの姿は光の粒となって消えた。
ドラゴンの体からは、なおも黒い液体が流れ続けていた。
それはもはや隙間から漏れ出るだけでは間に合わず、内側から体全体を押し広げているようだった。
モンスターも冒険者も、動ける者は皆逃げていったようだ。
ドラゴンは口からゴボゴボと液体や泡を洩らしながら、小さくつぶやく。
「ア、キ、ラ」
次の瞬間、ドラゴンは大量の黒い液体を飛び散らせながら、爆発四散した。
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