第1章ー6 意味もなく暴力をふるってはならない
結局、金森は放課後を待って図書室へと向かうことにした。
てっきりアキラがついてきてくれるものと思っていたが、残念ながらほかに用事があるらしい。
当たり前だ。彼は王国の実質的なリーダーとしての義務がある。
他の『チケット持ち』との調整などもあるに違いない。
他者との関係には深く立ち入りすぎないのが金森のスタンスだ。
あるいは、単にアキラ以外の人間と話すことに慣れていないからともいう。
図書室は教室がある2階の奥にある。
金森はA組なので、ここからは端から端に移動する形になる。
必然的にほかのクラスの前を通り過ぎることになるので、細心の注意を払わなければならない。
例の柔道部、山越に目を付けられないためだ。
ゆっくりと片付けをするふりをして、他のクラスメイト達がいなくなるのを待つ。
全員がいなくなったタイミングなら、山越も当然部活に行っているはずだからだ。
しかし半分ほどがいなくなったところで、突然廊下から怒鳴り声が聞こえてきた。
皆がなにごとかと外に出て行くのにつられ、金森もとりあえず様子を見に行く。
どうやら、隣のクラスの前で喧嘩が起きているようだった。
周囲に人だかりができていてよく見えないが、声からして松田と山越であるらしい。
珍しいこともあるものだ。
「ふっざけんじゃねーよ、お前!先に滝常のことバカにしてたの、山越じゃんかよお!」
松田が半泣きにちかい声で叫ぶ。
すると、誰かが倒れるような音がして人混みの一部が割れ、できた隙間から中が少しだけ見えた。
手前側では松田が尻餅をついており、それを山越が冷たい目で見下ろしていた。
どうやら山越が突き飛ばしたらしいが、その雰囲気はいつもと異なっていた。
普段ならもっと周囲を威圧するような雰囲気を纏っているのに、今はそれがあまり感じられない。
またいつもなら外している制服のボタンも、きちんと首までとめている。
よく見ると、山越の後ろに背の小さい生徒が縮こまっているのが見える。
どうやらこの生徒が「滝常」のようだ。
山越はその滝常をかばうかのように、前へと一歩進み出る。
気圧されたように、松田は尻もちをついたまま後ずさりをした。
「な、な、なんだよ」
「無意味な暴力はやめろ、松田。俺はもう弱いものいじめはやめた。だからお前にもそうしてほしいだけだ」
「はあ?」
「俺たちは同じ目的をもつ仲間であるべきだ。大丈夫だ、人は変われる。俺も変わった」
「…………」
突然始まった説教に、松田はただただ顔をこわばらせてている。
周囲の人間も同様に、理解不能といった表情を浮かべていた。
しかし、山越自身はそれを意に介した風もなく、さらに松田の方へと歩みよる。
「さあ」
にい、と口角を上に曲げ、山越は松田へ手を差し伸べる。
それは本人からすると優しい笑顔のつもりだったのかもしれないが、実際には恐喝しているかのようにしか見えない。
「ひ、ひいい」
松田はその手を振り払い、人込みを押しのけその場から逃げ出す。
しかし山越はそれを追いかけもせず、笑顔を浮かべたまま周囲を見渡した。
その異様な空気に、野次馬たちも緊張する。
すると、山越はその大きな背を折り曲げ、皆に向かって首を垂れた。
「皆様、お騒がせしました」
それだけ言うと、山越は頭をあげての滝常に近寄り、何やらぼそぼそと話しかける。
声が小さすぎて何を話しているかは分からなかったが、もはやその場にいる全員が毒気を抜かていた。
彼らの話に耳を傾ける気も起きていない様子で、ただぼんやりと二人のやりとりを眺めている。
やがて山越達の担任である教師がその場に駆け付け、野次馬たちはばらばらと散っていった。
金森も我に返り、彼らに混ざってその場を立ち去ろうとする。
その瞬間、教師に問い詰められている山越のそばで、なぜかよそ見をしていた滝常と目が合う。
滝常の目からは、いじめられっこ特有のおどおどした空気は感じられなかった。
それはむしろ、いたずらが成功したかのような、してやったり感すら見て取れる。
背中になにやら冷たいものが走るのを感じ、目を背けてそそくさと図書館へ向かう。
その途中、同じように見物をしていたらしい女子たちとすれ違った。
「ねえ、今日の山越ってなんかへんじゃね?」
「うんうん。滝常かばうとか、かなりヤバいよね」
「先生にいじめやんなって体罰でも受けたとか」
「えー、体罰っていうか」
女子たちの一人が何気なく放った一言に、金森はなぜか耳をそばだてた。
「あれって、『がっこうさん』にやられたっぽくない?」
うそー、ありえんしー、などと、ほかの女子たちは半分笑いながら玄関へと向かっていく。
先ほどの多田野の無駄話でも出ていたが、最近学校ではこの『がっこうさん』という奇妙な存在の話がよく出ている。
曰く、その正体はよく分からないが、捕まると魂の一部を切り取られてしまう。
そして、代わりに見知らぬ誰かの霊魂を植え付けられるとのことである。
ゆえに捕まったことのある人間は、急に人格が変わってしまうらしい。
金森自身もただの噂話と信じてはいなかったが、あの山越の急変ぶりを見ていると、にわかに信じざるを得ない気もしてくる。
もしかすると、最近の王国内の異変にも関係しているのかもしれない。
はやる気持ちを抑えながら、図書室の扉を開けた。
いつもなら図書室に入ると、司書の幅 美穂子(はば みほこ)が優しい声で出迎えてくれるはずである。
しかし、今日に限っては少し様子が違っていた。
「だーかーら、こんなエロ本一歩手前みたいな小説もどきばっか入れてっから、『現実になんか希望持てないよ~』ていうガキが増えてんだろうがっ」
金森の目に、アニメのような表紙の本を振りかざしながら怒鳴り散らかす逸見の姿が飛び込んでくる。
それに対し、幅はカウンターを挟んで冷静に言葉を返す。
「そういう空想の世界があるからこそ、学校に居場所が無くてもなんとか登校できている子もいるんです。それに、エロ本とは失礼ですね。そんな卑猥な本入れるわけないじゃないですか」
「一歩手前だっつってんだろうが。じゃなくて、俺が言いたいのはあんたが……」
本をカウンターにたたきつけ、逸見は幅に詰め寄ろうとする。
しかし、その後ろで呆然と自分たちを見ていた金森に気付き、口をつぐんだ。
幅もこちらに気付いたらしく、逸見を無視して顔を向ける。
「あら、金森君。なにかご用?」
「あ、いや、友達に頼まれた本を取りに来たんですけど……なにかお話し中ですか?」
「いいえ、ちょっと立ち話をね。もしかして、朝霧さんの本のことかしら」
アキラはこの図書館の常連である。
彼からなにか言付けがあるときは、ここを通すのが二人の暗黙のルールになっていた。
まだ何か言いたげな逸見をよそに、幅は机の下から赤い表紙の本を取り出した。
分厚い、古そうな本である。
逸見はその本をちらりと見て、眉根を寄せた。
しかし、とくに口出しはしてくることなく、すっと一歩下がる。
どうやらさっさと用事を済ませろということらしい。金森はそそくさとカウンターの前に立ち、貸出カードを取り出した。
「朝霧さんも、ずいぶん珍しい本を勧めるのね。でもこれは名作よお。もし読み切ったら、私にも感想きかせてね」
「あ、あはは。できたらそうします」
貸出処理をしながら幅が何気なく放った言葉に、どきりとする。
正直言うと、アキラから託される本はあくまで挟まれているメッセージが重要であり、本の中身をきちんと読んだことは一度もない。
しかし幅は金森とアキラが本の回し読みをしていると考えているらしく、たまにこういうことを言うのだ。
「じゃあ、僕はこれで」
「待て」
本を抱え図書室を出ていこうとすると、逸見に呼び止められた。
「なんで……しょうか」
「保健室の忘れ物はもういいのか。あのあと確認してみたが、正直言ってゴミみたいなものしか見つからなかったぞ。それでも捨てられて困るんなら、その前に一度見に来い」
そうだった。チケットを失くしたのは保健室の中だ。
金森は少しの間思案したが、ここで確認しに行くのは得策ではないと考えた。
もしチケットを逸見に見つかったのであったとしても、今の言い方ならゴミとして処理されるだけだろう。
たぶん今借りた本の中には、代わりのチケットが挟まっているはずだ。
そうするように指示したのはアキラなのだから、それまでのチケットもきっとどうにかしてくれるに違いない。
「いいえ、もう大丈夫です」
「……ほう」
逸見はその答えが少し意外だったのか、片眉を釣り上げたる。しかし特に気にした風もなく、幅に向き直った。
「とにかく、この話の続きは後だ。仕事が終わったら少し付き合ってくれ」
「あら、お食事のお誘いですか。父に連絡しないと」
「そういうんじゃないっつの」
逸見は腹立たし気に足を踏み鳴らしながら、図書室を出ていく。
その背中を見送りながら、金森はちらりと幅の顔を盗み見る。
彼女は困惑しているとも、すこし楽し気ともとれるような複雑な表情をしていた。
幅は実年齢こそ22、3と若いが、時々その言動や所作が年相応でないように見えることがある。
学校の男子の多くは、彼女のかわいらしい顔つきや、それに似合わない大きな胸にばかり目が行きがちである。
金森も最初はそういう部分があったが、アキラと話す幅の姿をみていると、たまにそう感じることがあった。
つい今しがたの逸見に対するあしらい方も、他の年の近い新任教師とはまるで違う。
「ごめんなさいね、金森君。そういうわけで今日はちょっと込み入った話があるから、いつもみたいに遅めに開けておくことはできないの。いいかしら」
金森は時折、帰りが遅くなるアキラを図書室で待つことがある。
どうやらそのことを心配されたようだ。
「あ、大丈夫です。僕もすぐ帰るつもりだったんで」
本を抱え直し、図書室を後にする。結局、アキラは姿を見せなかった。
『そういえば、最近こういうのが多いな』
クラスでノートにメッセージを書き合う以外に、現実でアキラとまともに会話をかわす機会が減っている。
放課後もそうだが、昼休みやHRが始まる前のちょっとした時間ですら、アキラはどこか別の場所に行っていることが多くなった。
以前のように、王国についての設定をともに考える時間も少なくなりつつある。
話ができるのは王国の中でくらいだろうか。
その王国の中ですら、最近ではすれ違うことが多くなっている。
『話が少ないのは、アキラが忙しいからだ。それにあんまりベタベタしなくてもいいくらい、信用されてるってことだろ』
金森は自分にそう言い聞かせる。
夕焼けに照らされた廊下は、がらんとして人っこ一人いない。
中庭の方で、ブラスバンド部の部員が練習しているらしいへたくそなトランペットの音が聞こえるくらいだ。
下駄箱を開けると、靴がなかった。
金森は特に慌てることなく、近くに並べられている空の植木鉢を覗く。
「あった」
よかった、汚れてない。
以前は水たまりの中に反対向きに放り込まれていて、ぐしゃぐしゃのままのそれを履いて帰ったのだ。
『信用……されてるから』
靴についた土ぼこりを払って、とりあえず履いてみた。
違和感があり、すぐに脱いでさかさまに振る。
中からごつごつとした石ころが転がり落ちた。
家に帰り本を開くと、予想通り新しいチケットが挟まっていた。
書かれている文面も同じである。井森は夜を待ってそれを枕の下に挟み、眠りに落ちた。
王国に入ると、金森……アムレットは決まって最初にギルドに出現するようになっている。
仕事をスムーズに進めるためだ。
いつもなら到着してすぐに、自分の机の上に山積みにされた書類を目にすることになる。
しかし、今日に限っては違った。
周囲がやけに暗い。
よく見ると、ホールを埋め尽くすように冒険者たちがひしめき合っている。
しかも全員が一言も話すことなく、一点を見つめている。
彼らが見つめる先を見ると、壁の一部分に大きなダンジョンの地図が投影されていた。
その脇でヴィヴィアンが指示棒を持ってなにかを喋っている。
「ええと、では『幽玄の魔術師』様がBルートから進むということで」
「違う。私はBルートの脇にあるBダッシュルートから進むといってるんだ」
「分かりましたわ。ではBダッシュルートを……」
「待て、それでは俺たちが行くCルートに差し障りがある。Bルートをそのまま進め」
「あら、たしかに『紅蓮の剣士』様のルートと連動する罠があるようですわね」
どうやらここにいる全員で、ダンジョンに行く算段をしているらしい。
地図にはハーレムマスターやじっせキング、その他の冒険者たちの名前が浮かび上がっている。
彼らが意見を出すたびに、ヴィヴィアンは指示棒を持ってその名前を移動させている。
しかしそれぞれがばらばらに言いたいことを言うため、名前は同じような場所を行ったり来たりしていた。
「Bルートを直進すると炎の罠に突っ込むことになる。それでは私のスライムにダメージを被る可能性がある」
「スライムにこだわるな、お前。いつもみたいにトロール引き連れていけばいいだろうが」
「トロールは最近変な知恵を付けたのか、こっちの言うことを聞かないことがあるのだ。私は絶対にBダッシュルートを行かせてもらう」
ハーレムマスターとじっせキングは、自身の考えを絶対に譲らない。
先ほどからお互いの言い分が堂々巡りをしている。
その様子をぼんやりと眺めていると、急に後ろから肩を叩かれた。
思わずびくりとして後ろを振り向くと、モーントが小さくささやくような声で話しかけてくる。
「よかった。替えのチケットはうまく働いたんだな」
「う、うん。ところで、今は一体何の話し合いを?」
「見ての通りさ。ダンジョンをギルド全体で一斉調査することになったんだ。それで誰がどこを進むかを話し合ってるんだけど……」
気が付くと、件の二人はお互いに掴みかからんばかりに接近していた。
モーントはため息を吐き、大きく声を張り上げる。
「わかった、わかった。二人ともすこし落ち着いてくれ」
そう言いながら二人の間に割って入り、無理やり座らせる。
そしてヴィヴィアンから指示棒を受け取り、地図上に浮かんでいる名前を当初の位置に戻した。
「まず、『紅蓮の剣士』のパーティは一人一人の火力が強い。だからほかのパーティの先行隊長となるため、Cルートを行くのは確定だ」
モーントの言葉を聞いて、ハーレムマスターがうんうんとうなづく。
「そして『幽玄の魔導士』が希望しているBダッシュルートだが、あまり大人数で入ると隣接するCルート上のモンスターを誘発しやすい」
「だが、Bルートには罠が……」
「だから、君のパーティは二手に分かれてもらおう。君自身はトロールとともにBルートを、そしてスライムには『誘導鬼火』をつけてBダッシュルートを行ってもらう。異議はあるか?」
「……ない、が。いいのか?」
じっせキングがいいのかというのは、たぶん『誘導鬼火』のことだろう。
このアイテムは事故が起きやすく、基本的には使用禁止になっているのだ。
「今は緊急事態だし、『幽玄の魔導士』である君ならうまく使いこなしてくれると信じている。ほかに意見のあるものは?」
手を挙げる者はいない。
「そうか、なら……」
「ちょ、ちょっと待って」
アムレットがおずおずと手を挙げる。
ホールにひしめく冒険者たちの目が、一斉に自分へ向かうのを感じた。
「どうかしたか?」
「ぼ、僕は何をすれば……」
ああ、とモーントはダンジョンの地図に目をやった。
そこには数々の冒険者たちの名前が浮かんでいるが、アムレットの名前はない。
「お前、俺たちが今何を話し合っているのか分かっているのか?」
ハーレムマスターが呆れたように肩をすくめる。
「分かってるよ。今王国で起きている異常事態の原因を調査するんだろう。だったら、なおさら透視能力のある僕のような人材が」
「たかが虫に腰を抜かして、裂け目に落っこちるような奴がか?」
今度はじっせキングが、あざ笑うかのような声でやじを飛ばす。
アムレットは自分の顔が熱くなるのを感じた。
『それはあんたのステータスを診ていたせいじゃないのか』
そう言い返そうとしたが、ほかの冒険者たちが忍び笑いを洩らしているのを見て口をつぐむ。
今はこちらの方が分が悪い。
「アムレット、君には別の重要な仕事がある。幸い今回の調査には、これだけの人員が集まってくれている。だから、気遣いには及ばない」
「そうじゃなくて、その」
「大丈夫だよ。今回はあくまでただの調査だし、なにか異常があればヴィヴィアンを通してすぐ連絡する」
「…………」
モーントにそう言われてしまったのでは、もはや口をはさむ余地がない。
アムレットは無言のままそっと席を立つと、そのまま会場を後にした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます