ゴブリンの調査

「ティー、いくらなんでもこれは狩り過ぎよ……」

「今更、言えた義理か。集まったものは仕方ないじゃろう」

「にしてもでしょ」

「むぅ、サンプルが多くて困らんじゃろう?」

「もう終わった対象だったのよ? 後始末はわし任せのくせに」

「……わらわが悪かった。せめて奥でやるべきじゃった。ここじゃ時間も掛けられんからの」


 とある森の中。

 その浅い場所、危険度があまりないと思われる位置に2人の女性が互いに意見を交わしていた。

 そこに熱はあまり感じられず、淡々と、ともすれば独り言にも聞こえてしまうかもしれない程の熱のなさだが、互いの意見は確かに加味され、吟味されているだろう。考慮、尊重もされている故に建設的とすら言えるだろう。

 一見すれば木の幹に背を預けながら、仕事ついでに予定を決めようとしているようでもある。

 しかし、場所が問題であった。いや、状況であろうか。

 その問題である状況を俯瞰的に考え、困った顔をする。

 辺り一面、血に赤黒く染め上げられていた。臓物や肉片が地面や木々にこびり付いて錆びた鉄の臭いを撒き散らしている。

 誰かが通り掛かろうものなら一体何が起こったのかと騒がれることだろう。

 それが昼間ともなれば時間的に余裕もないだろう。


「手伝ってもらうわよ、ティー。1人じゃ手に負えないもの、せめて一か所にまとめてちょうだいな」

「無論じゃ」


 そう言ってティーと呼ばれていた女性が親指を己の鋭い八重歯に突き立てた。

 雨粒程度の血を一滴、血に濡れた地面へと垂らした。


「……むぅ、美味しくないのがのぉ」


 垂れた血を起点に周りにあった血を一点に集中してまとめていく。

 顔を顰めながらもその操った血を自在に操りながら散らばった肉片や死体などを掻き集めた。

 然程時間は掛からず、ほんの2〜3分で惨たらしい森の一角がなんとも小綺麗になった。

 肉の山から目を背ければだが……。


「儂を見て同じ事を言って欲しいものよね」


 相方と同じように顔を顰め、皮肉げに呟く。


「やけに根に持つのぉ」

「もういいわよ、あっち向いてなさい」

「あまり気にせんでもいいと思うんじゃが……そう睨むな、あいわかった」

「気持ちの良いものでもないでしょ。TPOぐらい弁えてるわ」


 ほいほい、と答えながら背を向け、漂わせていたその随分と大きくなった血溜まりをグッと圧縮していく。

 やがて飴玉サイズにまで縮めるとコロッと掌に転がせる。

 摘んで目を細めて陽の光に当てる。

 赤黒く、透き通る様子すらない。しかし、不思議とずっと見ていられる魅惑的な宝石のようである。


「こうすれば綺麗なもんなんじゃが……」


 ポイッと口に放り投げ、中で転がしていく。

 吐き捨てる程不味くないのがまた絶妙な嫌がらせのような塩梅で腹立たしい。

 そう唸っていると背後から異音が響き渡った。


 ——バキボキッ! ニチャグシャッ……ジュルル……。


 聞いてるだけでなんとも正気度を削られる類のものである。

 音の正体を見たほうが心穏やかでいられる気がしてくる。


「見られたくないのも理解できるがの……」


 特製飴を転がしながらこれ程嫌なBGMもないなと思う。


「——ふぅ……終わったわよ」

「相変わらず綺麗に平らげるのぉ、ノア」

「ティーもでしょ。ゴブリンはもう懲り懲りよね」

「同感じゃ、反省はしておる」

「今はとにかく移動するわよ」


 大量のゴブリンの死体がまるでなかったかのように忽然となくなってしまったそこにはもはや誰の痕跡もなくなった。

 ただただ何故か香る血の臭いが色濃く残るだけで無駄に魔物を誘き寄せていただけであった。



 森から離れ、街道沿いにある木陰で2人は腰を下ろし話し込んでいた。

 通り掛かる人も少なくはなく、その2人の見目麗しい姿に目を奪われていたのは言うまでもない。

 そんな事は気にせず2人は休憩中である。


「のぉ、ノアよ。やはりゴブリンは美味しくならんのか?」


 大きくも小さくもない胸元を強調した黒いドレスがシワになるのも気にせずに真紅の眼を細め、小さく伸びをしながらそう問い掛けるのはアーカディア王国の図鑑の為に駆り出されたティーメル・ルンフォスカーである。

 軽く編み込まれた金のロングヘアの毛先を弄りながら少女のようにムスッと少し不機嫌そうに口をすぼめている。


「ならないわね。そもそも食用に適してないのよ、アレは」


 ティーメルの質問に即答したのは彼女と共に同じく図鑑作成の旅をしているノアム・ノエルメアだ。

 今にも溜息が出そうな雰囲気で木の根元に腰掛け気怠げに手の甲で膝に頬杖をついている。それまでは腰まで伸ばしている銀髪を手に絡ませていてそのままなのか髪が顔の近くにあり、風に煽られふんわりジャスミンが香る。

 ティーメルよりは大人びており落ち着いている。

 ゆったりとした服装もまた彼女の雰囲気に合っており実にらしいと言えるだろう。

 2人揃って透き通るような白い肌に蠱惑的な紅い眼をしているのでその顔立ちと相まって非常に絵になる。

 ノアムの答えに納得がいかなかったのかティーメルははて? と疑問を口にする。


「じゃが、街には普通に売られてなかったかの? タダ同然で。想像するだに納得の味であろうが……」

「当然よ、食べてみればいいわ。そもそも調理を加えれば加える程不味くなるわよ、アレ」

「なに? 売られてたの串焼きじゃなかったかの?」

「それはそうよ。誰もトイレに篭りたくはないでしょ」


 ノアムがゴブリン肉での実験を思い出してか眉をひそめる。

 ゴブリン肉はそもそも1匹から獲れる量が少ない。あの細っこい体なのだから当然だ。なのである程度数が必要だった。

 あれは入念な消毒を済ませれば生でも食べられるだろうが美味くはないのだ。お金も時間もあまりにもコストに見合わない。

 では焼いてはどうか?

 生臭く食感が絶望的に悪かった。

 柔らかいが歯切れが悪い。焼いた際に溢れ出す肉汁がヌメリを与えて気持ちの悪い柔らかさである。それが長時間、口を支配するものだから顎のみではなく精神まで疲れるのだ。


「美点としては腹持ちが良いのと咀嚼回数が増えて満足感も一応得られるのよね……」


 スラム街で重宝されるのも納得よね、と少し遠い目をする。その姿に若干、色気を醸し出され、たまたま通りがかった男性の喉をゴクリと鳴らす。周りの白い目が居心地悪い事だろう。


「……達成感も得られそうじゃの。して、結論はどうかの?」

「そうね……お試しにどう? 一口にパクッと」

「ノアよ……」

「んーなになに、なにかな? 聞くわよっ?」


 悪戯っぽく目を細めてうっすらと笑みを浮かべるノアム。

 その表情は僅かな苛立ちと危機感を煽る。


「うむ! 妾、一生食わんぞっ!」

「そう、それは残念ね」

「ノアこそ、新しい発見があるやも知れんぞ? 試すといい」

「そうね……儂、二度と食べないわっ!」


 互いに意思を固くしていた。

 2人して素敵な笑顔を浮かべてしまっている。

 次はノアムが問い掛ける。


「ティーの方も収穫はないの?」

「うむ、な、いのぉ……いや、むぅ」

「なによ、随分と歯切れが悪いわね」

「「…………(ゴブリン肉みたいに……?)」」


 目を合わせてパチクリと瞬きをして見つめ合う。揃って気まずそうに視線を外した。


「笑えないわね……」

「笑えないのじゃ……」

「ティーが黙るからじゃない。それで、どうだったの?」

「す、すまぬノアの話が鮮明でのぉ……。まぁよい、最初は血や骨などいろいろ調べてみたんだがの。素材としての価値はゼロじゃったよ」


 あら? とノアムが首を傾げる。


「なにが腑に落ちないのよ?」

「いやの、たしかに最初はそれで終わりかと思ったんじゃが冒険者ギルドでの依頼を思い出してのぉ」

「報酬は安かったわよね。適正価格だと思うわよ?」

「無論じゃ、異論を挟む余地もないわ」


 わかっていると、だがそうではないとティーメルは頭を横に振る。


「そっちではなく依頼の方じゃ。あれはなんの為の依頼じゃ?」

「そう、ね。たしか数減らしとかじゃないかしら?」

「それも目的の1つじゃろう。あれの、依頼達成に腰蓑を求められているんじゃよ」

「討伐の証明じゃないのよね?」

「うむ、そもそも討伐の証拠はいらぬのじゃ」


 冒険者稼業は信用第一である。

 その為に階級があり、階級に合わせた依頼があるのだ。

 E級からS級まである中でC級から討伐が任されているのも納得の話。

 積み重ねた信用を裏切るくだらない嘘はいずれバレる上に、その見返りがあまりにも少ない。

 これ以上ないぐらいに冒険者の嘘は身を滅ぼすのだ。

 それでもそれを理解できない者がいるのも確かではあるが。

 故にティーメルは言う。

 腰蓑に利用価値がある、と。


「あの藁に利用価値、ね。怪しいものね」

「正確にはそれに染み付いた魔力らしいのじゃが……」


 それにノアムはあり得ないと目を見開く。


「ゴブリンから漏れる魔力なんて微量じゃない。それちゃんと調べられてないわよね? なにに使うわけ?」

「魔物避け、じゃな」

「……………………」

「…………の、のぉ、ノアよ」

「…………」

「う、うむ。少々待とうかの」


 ノアムはしばらく黙考し続ける。

 その真剣さにティーメルもまた口を挟めずにいた。居心地悪く気まずそうに視線を泳がせている。

 考えがまとまったのか呆れたような視線をティーメルへとぶつける。


「今日の悲劇も含めてわかったわ……」

「わ、悪かったのじゃ、想像以上だったんじゃ」


 涙目で謝罪を繰り返すティーメル。

 ハァ、と溜息を溢すノアムもまたそれを許す。

 仕事である上に、たしかに盲点ではあったのだ。

 今思えば不思議な話ではあった。

 最弱クラスのゴブリンが生き残るどころか徒党を組み、何匹も集まる。その上、村や町、最悪国という規模に膨れ上がる話まであるのだ。

 同じ最弱クラスとも言えるスライムのように難を逃れられる程度に物理に耐性があるわけでもなく、コボルトのように危険を察知する鼻の鋭さもない。

 擬態能力があるわけでもなく連携攻撃に秀でてもいない。

 そんな最弱クラスの中でゴブリンだけなのだ。国までに達するに至った魔物は。

 それは何故なのか?

 成長の早さだろうか?

 否だ。

 たしかに成長は早い。

 しかし、強さは別だ。たしかに強くなれるし多少は早いだろう。

 だが劇的ではない。

 進化の容易さだろうか?

 否だ。

 それはゴブリンに限らず魔物全体の話である。強いて言うならばその幅が広い事ぐらいだろうか。だがそれもやはりゴブリンだけではない。

 異常な繁殖力でそうなるのだろうか?

 これもやはり否だ。

 ゴブリンは雌の個体であればどの動物とも繁殖はできる。

 しかし、類稀な性欲があるわけではないし、妊孕力にんようりょくがそれ程高いわけでもない。なんなら並よりやや低いとすら言えるだろう。

 彼らはあくまで刹那的な喜びを求めるのであり食欲も睡眠欲も性欲も含めて満足したいだけなのだ。

 要は数の利を利用しているだけで率直に言ってしまえば数打てば当たるを地で行く地道さである。

 そこまで考え、ノアムはもう一度息を吐き出した。


「大前提として、不味い上に量が少ないのよね……」

「そうなのじゃ」

「それに加えて臭い。それも臭くてゴブリンだとわかる特徴的な奴」

「うむ! 汗の臭いが腰蓑に染み付いていたわけじゃ。でものぉ、困った事に彼奴らなかなか汗をかかんのじゃ。なんというか汗腺自体が少なく、出も悪いみたいなのじゃ」


 ティーメルの情報を聞きノアムはああ、と納得の声を上げる。


「それで1匹のゴブリンを見つけた時に色々してたのね。あの子疲れ果てたわよ」

「うむ、それで集めた汗がこれまた臭くてのぉ……」

「取り乱して惨殺した、と」

「いや、ちっと違うのぉ」

「ふぅーん?」


 疑わしそうな視線に耐えきれず取り乱した事を認めたがそれだけではなかったらしい。


「どうも彼奴らの汗には魔物を嫌厭けんえんさせるだけでなくゴブリンを誘引する能力もあるみたいでのぉ……」


 つまり、普通大量に出ない汗を集めた事により近くにいたゴブリンを誘き寄せてしまったらしい。

 ちなみにその時だが、ゴブリンにいい汗をかかせていたティーメルを見るのに飽きてノアムは離れていたので分からないがその時の様子は簡単に再現ができる。


『く、臭いのじゃあ〜ッ!?』

『めっちゃきたぁッ!?』


 とわかりやすく取り乱していた。

 それが冒頭へと繋がるわけだ。


「つまり、ゴブリンが多く集まる所には自然とゴブリンが寄るという事なのね……」

「うむ、じゃがどうも奴らの血がその効果を打ち消すみたいじゃ」

「ああ、その理屈は簡単にわかるわね」


 つまりゴブリンからすればこっちに仲間がいるから行くか、が転じて殺られている……逃げなければとなるわけだ。

 ゴブリンはやられない環境を非常に整えやすい魔物であり、他の魔物からは余程腹を減らしていなければ襲われにくい。

 人による早期発見がされなければ討伐が困難になっていく。


「これユレンの情報と合わせればゴブリンの図鑑は完成じゃないかしら?」

「じゃな。まあ、まだその進化した場合の情報も必要じゃろうがの」

「それはまだ楽な方よ。少なくとも儂もティーも仕事量は断然少ないわ」

「そうだのぉ」


 ふぅ、とお互いに一息入れると移動を再開しようという事になった。随分と話し込んでしまったらしい。

 2人は屋台をしながら旅をしている。

 その屋台は専用のリングに入っており、現在の2人は手ぶらだ。

 ノアムが魔物専門の料理を、ティーメルは魔道具の作成や魔物の素材の研究をしている。

 それが旅費や生活費になるので割と忙しかったりするのだ。

 冒険者としての階級も旅の関係もありD級止まりだったりする。

 パンパンと2人が服をはたくと忘れていたとティーメルがノアムに声を掛ける。

 彼女は怪訝そうにティーメルを見つめる。


「なによ?」

「いやなに、話だけではわからぬと思っての? そんな事もあろうかと、なんとここに大量のサンプルがあってのぉ〜?」


 ニヤニヤと透明な液体が入った試験管をフリフリとノアムの目の前でぶら下げる。

 2人はよくこうして互いの分野での嫌がらせに使えそうな発見を体験させようと勧めあうのだ。


「お試しにどうじゃ? 一息にグッと」

「ティー……」

「なんじゃなんじゃ、なにかの? 聞くぞいっ?」


 ニヤニヤと目と口を細めて左右に揺れて問い掛けた。

 大変ウザい仕草である。


「儂、一生嗅がないわっ!」


 素晴らしい笑顔で答える。


「ふむ、それは残念じゃの」


 やれやれと肩を竦め仕方がなさそうにするティーメル。


「ティーこそ新発見があるかもしれないわ、試す他ないと思うけれど?」

「うむ……妾、二度と嗅がんぞっ!」


 素晴らしい笑顔には素晴らしい笑顔で返すのが礼儀だ。

 2人の旅は笑顔いっぱいの素敵なものである。

 お互いに被害が出ないうちは目も笑っているはずだ。

 とはいえだ。

 これは彼女らなりのじゃれ合いである。酷い事にはならないだろう。

 親しき中にも礼儀あり。

 お互いのセーフラインは見切っている仲である。

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