この雨に感謝を

 フランとメラニーが遊んでいた一方でロウナは街へと向かうサイトル村の馬車を襲ったあとだった。

 村の方向にある雲の様子を憂鬱そうに眺めた後、再び氷に覆われた馬車に視線を向ける。

 氷漬けになった馬車から突如ピシッとヒビが入る。

 そして、大音量を轟かせながら馬車の入り口が叩き割られた。


「ったく。どこのだれかは知らないがよくもまあ、暴れてくれたなぁ?」


 身軽な格好、腰には刀。

 鋭い目付きにオールバックに整えられた暗い青髪。

 刀の柄に添えられた手は武骨で確かな修練が積まれている。

 彼の只ならぬ気配は確かに強者のそれである。

 周りの惨状をゆっくりと見渡しながらも平然とそう独り言つ。


(別格、という事でしょうか)


 ロウナは恐れる訳でもなく、かといって油断をする事もなく冷静にグラットの様子を見ていた。

 グラットは片眉を上げて訝しむ。


「随分と不躾じゃあないか。何モンだ、テメェ? 一応、人質がいるのは理解してんだよなぁ?」


 随分と苛立っている様子だがロウナの警戒を解けない彼は乱暴に言葉を並べながらも動けずにいた。


「はて? 手を出せない事情もあるのでは?」


 図星を突かれ舌打ちを一つ。


「……随分と詳しいな。マジでどこのモンだ?」

「おや、見てわかりませんか? とある小さな国のちょっとしたメイドでございます」

「ナメてんのか?」


 あまり動かない表情で「本当なんですが」と少し悲しそうにしながらも彼女は言い改めた。


「失礼しました。貴方にもっとわかりやすく紹介をした方がよろしいようですね。気の利くメイドの私としては珍しい失態でございます」


 体の前で丁寧に手を組みながらやれやれと頭を横に振るとそのまま続けた。


「では改めて。私はロウナ・ネルヘン。とある友人の復讐の代行を僭越ながら努めさせていただく者でございます。以後、お見知り置きを」


 やたらと丁寧な自己紹介であったが、グラットにとってこれ以上ないぐらいにわかりやすいものだった。

 彼は嬉しそうに口元を緩め、少し余裕を取り戻したように思える。

 正直、願ってもいなかった……いや、待ち侘びたとすら言えるだろう。


「正直もう来ないんじゃないかと落胆していたんだけどねぇ……。本人じゃないのは少し残念だけど申し分ないかねぇ?」

「そうでしょうか?」

「もちろんだ! 義憤に駆られる姿というのも乙なものさ。少なくとも……ゴブリン程度を連れてこようとしてた自殺志願者よりはずっと良いし楽しめる」

「やはり泳がせていましたか」

「しっかし、いつの間にこんな友人ができたのかねぇ? あんな森でぇ?」

「…………」


 続ける彼を無視してロウナは目を細めてグラット見る。

 彼は特に気にする様子もなく挑発するようにニヤニヤとロウナを見返す。

 なんとなくそんな気はしていた。

 6年間、森で暮らしていたマリー。しかし、村から脱出を果たしたにしては村の近くの森で6年間暮らすのは、暮らせるのは余りにも長い。

 強奪しようと思っている場所から脱走者がいたら探さない訳がない。

 勿論、当時8歳だったからそのうち力尽きるのは時間の問題だから不要、という考え方も不自然ではないだろう。

 だが、それは余りにも楽観視が過ぎるというもの。

 実際に探されたし見つけていたのだ。

 マリーが手を出されなかったのは簡単な話。


「貴方の指示、ですね」

「おうよ」


 気負いせずそう返した彼はどこか酔いしれるように続ける。


「俺はなぁ? 人が大好きなんだ。その人の行動の意味や感情の昂ぶりがわかりやすく前面に出る時なんか特に、なぁ」


 両手を広げ、ロウナに笑顔を向ける。


「とっても美しいとは思わないか?」


 それは醜いという人もいるだろう。

 しかし、確かに美しいとも言えるものだとロウナは思う。

 マリーの場合を考えれば美しい家族愛だ。命を懸けてマリーを逃し、逃げ延びたマリーは家族を想い復讐を誓った。

 目を閉じて、頷く。


「そう、ですね。良い話です」

「だろ? 話のわかる奴じゃないか」

「ですが——」


 ロウナはだらりと掌から数滴の雫を出し、腕を振るう。

 それは弾丸のようにグラットへと迫る。

 グラットは素早く横へと避けるが一滴は躱せない位置。仕方なく刀を抜き受けるがその瞬間、刀から伸びるように雫は氷柱の形に変形し胸へと僅かに突き刺さる。

 しかし、それは僅かでダメージにならない程だ。

 切っ先が胸に数ミリ沈み血が滲む。


「……」

「——物語としてはの話でございます」


 ロウナはこれでも怒っているのだ。

 静かにだが確実に怒っている。

 ニヤリとグラットは嗤う。嫌いじゃないと口を歪ませる。


「それは、残念だねぇ。だが歓迎するよ、メイドの魔創師さん」


 刀を振るい氷柱を振り落とすと構える。


「言っておきますが相性としては私が有利ですよ、剣士様。それと私は魔創師ではございませんので」

「ハッ! 言ってやがれ!」


 間合いを素早く詰めにいくグラット。

 その速さを目視で追うにはなかなかに難しい。

 踏み出し、距離を縮める。

 だが。


「——ッ!?」

「おや、避けましたか」


 ロウナは慌てず冷静に対処してみせる。

 腕を振るった後の姿勢を見れば先程の攻撃を繰り出したのだとわかるだろう。

 即座に横へと避けたグラットも素晴らしい反応速度である。

 彼は笑う。


「近づかせねぇてか? それで有利ってかぁ? ほざけッ!」


 姿勢を低く突撃。

 スピードは前回のそれ以上。

 再び目の前へと迫る青い弾丸。


(見飽きた攻撃だぁ)


 姿勢は低く、前傾姿勢で走りスピードを上げた。青の弾幕が差し迫る瞬間、勢いそのままに体を横向きにして刀を前で構えると当たるであろう全ての弾丸を弾けないようにその軌道を僅かに逸らすことで見事受け流した。前面面積を限界までに小さくした結果である。


(間合いだぁ)


 力強い踏み込み。

 下の位置から首を狙った一撃。

  刀はロウナの首へと吸い込まれていく。


「——ッ! クソッ!」


 しかし、体全体を後ろへと倒す事で避ける。通常なら大きな隙だ。グラットが見逃すはずもなかったが、グラットの顔面に蹴りが差し迫っていた。

 深追いをせず顔を背ける事でグラットはそれを回避。

 そして地面からピシリとした異音。

 すかさず後退を選択した。

 そこには地面から突き上げられた氷の棘。

 柔軟な身体に幾重にも重なる反撃に不意打ち。

 グラットの頬には切り傷ができていた。しかし、血は流れず僅かな氷で覆われている。

 直撃していれば頭蓋を貫いていただろう蹴り。


「こりゃ確かに、俺にとっちゃ不利かもなぁ……。バケモンかお前」

「いえいえ、私などまだまだでございます。今度はこちらから行かせてもらいますよ」

「……お手柔らかに頼むぜぇ」


 ロウナは踏み込みと同時に青い弾幕を撃ち出す。

 数が多くなったためか受けるのは下策だと思ったのだろう。グラットは避ける事に専念する。

 だがその顔には焦りがチラついていた。自身が徐々に追い詰められているのがわかっているからだろう。

 そうしている間にもロウナは接近していた。

 そして、ついにグラットの間合いに入る。


「チッ!」


 当然、迎撃のために刀を振るうがそれは身を屈める事で避けられる。

 スピードの乗った状態のロウナにグラットは完全に隙を与えた瞬間であった。

 掌底を脇腹に叩き込む。


「ガッ!?」


 勢いのままに上段回し蹴りへと体勢を移行。

 しかし、這々の体でグラットはなんとか後退に成功した。

 見れば左脇腹から背中にかけて深々と氷の棘が突き破っている。

 血を吐き出す。


「ハアッ、ハアッ、クソが!」


 まるで歯が立たない。

 この差は何だろうか。

 実力としては多少劣ってはいようと大きな差は無いはずだ。

 スピードもパワーも技量も。

 だが、なにかが隔絶としている。

 相性というにはあまりにも奇妙で気味の悪い実力差。

 そして、否応無く悟る。

 どうやら自分はここまでらしい、と。

 グラットは息を整え、目を閉じる。


「……観念したのでしょうか」


 刀を鞘に納める姿を見て、違うであろう予想を口にするロウナ。

 グラット静かに語る。


「いや、最後くらいは胸を借りようかな、と思ってなぁ」

「そこまで実力差に開きはないと思いましたが」

「いんや、なにかが違ぇんだこれが」

「そうですか。お相手いたしましょう」


 フゥー、と息を吐き出す。

 腰を落とし、構えた。


「俺はよう。これでも小せえ頃は真面目ちゃんだったわけよ」

「それは意外でございますね」

「だろぉ。俺に剣術を叩き込んでくれた親父は死ぬ程嫌いだったからよ。今となっちゃ使いたくもねぇ流派だ。だが、まぁ最後だ。感謝ぐらいはしてもいいのかもな」


 一矢報いてやるよと柄に手を添える。


「感傷に浸るのは終わりでしょうか」

「ただの感傷でもねぇさ。これは親父に叩き込まれた技の一つだ」


 依然、目は瞑ったままだ。

 全集中力をこの一瞬に込める。


「マルカルダ王国、四練シレンが一人。シルバ・セント直伝。視壮しそう流・居合」


 無音であった。

 ロウナが気づいた頃には目の前にいた。いつの間に、という思考さえ追いつかず、そんな暇もなかった。

 途轍もなく速かったわけではなく、今まで通り反応できるものだったはずである。

 だが、できなかった。

 それは彼の技量という事だろう。

 鞘から刀が引き抜かれていた。


「《心髄》ッ!」


 確かな手応え。

 目を開き、その瞳が捉えたものは一本の腕である。


(……ああ、なるほど)


 グラットは納得していた。

 有利だという訳だ、と。


(そりゃ、知らなきゃ有利だわなぁ……)


 彼の瞳に映るべきものが映ってはいなかった。

 ロウナからは一切血が出ていなかったのである。

 スローモーションのように腕が落ちていく。


「素晴らしい技でした。ですが、ここまでのようです」


 ロウナとグラットの中心でポトリと落ちて。


「《犠氷ギシ・乱鋭》」


 その腕を起点に2人は共に数々の針に串刺しにされ、足下などは氷に覆われて身動きなど出来ない状態となった。


「カハッ……ま、さか、最後にこんな珍しい奴を見かける、とはなぁ。粘性属イルネル


 ロウナはそういうグラットを眺めながら身体を変化させてその氷の一帯から抜け出る。

 彼女は訂正する。


「残念ながら私は魔粘属ネルゼルでございます」

「ッ!? ハッ……益々珍しい、上じゃねぇかぁ」


 それらの種族はスライムのような者達だ。彼等は珍しい存在であり、その生態には謎が多い。

 種族としては人の仲間であるがその高い擬態能力や数などの為か広くは知られない種族だ。

 場合によってはスライムと誤解される事もある。

 彼等は魔力量が多い、というより体の魔力許容量が圧倒的に多い。

 その為、その身体の魔力濃度がかなり濃く、特殊な体質を持ってしまったのが粘性属イルネルだ。言わずもがな上位存在の魔粘属ネルゼルもそうだ。

 しかし、その身体には魔孔まこうが存在しない。

 つまり一紀とは別の理由で魔創の行使ができない身体なのだ。

 魔力を外に排出する器官がないのだから当然である。

 そのかわり強力な魄技はくぎに恵まれる場合が非常に多い。

 ロウナの斬られたはずの腕は元通りそこにあった。

 粘性属イルネルにとって常識と言ってもいい再生能力の賜物だ。


「幕引きでございます」

「……貴族、は、どうすんだぁ?」

「妹が対処致しました」


 満足気な表情で言うロウナにグラットはここで表情を崩すのかと思わず吹き出した。


「ハ、ハハッ……おっかねぇ、姉妹だ、なぁ……」


 それを最後にグラットの瞳からギラつくような輝きは消えた。


「……急ぎましょうか。雨に降られては風邪をひいてしまいます」


 事切れたグラットから視線をずらし、ロウナは馬車へと向かった。


「やはりダメですね。フラン様のようには行きませんね」


 彼女はフランを尊敬する数少ない人である。認識のズレが多少あるがそれはフランの一方的に不利になっているとかなっていないとか。



 それは、とても戦いと呼べるようなものではなかった。

 メラニーの創り出した歪んだ空間は熱気である。圧倒的で純粋な熱気。

 村にいた者の手が触れるだけでその手は昇華、つまりは気体になったのだ。溶けたわけではない。

 走り込んだものなど跡形も無く消えてしまった。

 気体になった瞬間の爆風で周りへの被害は甚大なものとなっていた。勿論、燃えかすとも言える物もないでもないが微々たるものだ。

 反対側に創られたフランの霧のような代物はその逆の冷気だ。

 一寸先も見えない程の濃霧はただただ静かに揺蕩たゆたっているだけである。

 誰かが飛び込んだ所で静けさに変化はなく、返事もまた帰ってこない。

 しかし、風が吹き、偶然濃霧の先が見通せた時、そこには地面に粉々に砕かれた物体が転がっていることがわかる。

 そこは人の全ての水分を一瞬で固める程の冷気が漂っていた。

 表面だけでは無く中身もだ。

 バランスを保てずに倒れた結果が例の粉々の物体だろう。

 マリーからすればコッソリと覗いてその光景を目の当たりにすれば、予感せずにはいられなかったのだ。

 これから始まるのは戦いなどといった生温い代物ではない、と。

 それはきっと少女の復讐譚を赤黒く彩る、蹂躙劇に違いない。

 マリーは少し複雑そうに口を引き結び、歩みを彼らと共に進めていた。

 一紀は何もせずただただメラニーとフランについていくだけだった。

 当然そんな集団が村を歩けば目立つ上に現在の状況を作り出した犯人だと、簡単に目星をつけられるだろう。

 襲う者、逃げ惑う者、途方に暮れる者。

 最初こそマリーは怯えた。しかし、すぐに夢を見ているのではないかと茫然とした。

 皆に等しく死が訪れていた。

 命乞いも怨嗟の声も悲鳴も怒号も悉くが静寂に侵食されていく。

 メラニーとフランは適当に拾った剣を振り回しては村中を血に染める。

 そう大きな村では無いため村人の数はそれ程多くはない。もっと言えば盗賊団だ。

 だから、殺戮が終わるのもそう時間はかからなかった。計り知れない実力差がそこにはあったのだ。

 だが1人。


「ハァッハァッハァッ、クソがッ! なぜこんな邪魔が……。逃げ場も……クソ、招き入れるべきではなかったか!」


 エイテムはまだ逃げていた。

 必死に、最後の1人になっても尚。

 もちろん、わざと残されたのは承知していた。それを自覚するのにそう時間はかからなかった。

 確かな恐怖だったが、脱走の為に使える時間が増えたとも喜べた。

 彼は戦闘はからっきしであり、あくまで研究者として優秀なだけ。

 抵抗を試みるだけ無駄だとはなからわかっているのだ。

 だが、その周りに張られた魔創。

 それを近くで確認した瞬間否応無く理解させられた。


 ——無理だ……。


「なん、だコレは……。境結ではないのかッ!?」


 エイテムはその壁を境結……いわゆる結界の類いのものだと思っていた。

 少し調べ、抜ける方法も探れる。時間が掛かる場合もあるが逃げ回ればなんとかなるだろうと。しかし、違った。

 それはただの暴力だった。

 デタラメに魔力を流して無理矢理に顕現させられている不条理だ。

 思わず茫然自失としてしまったエイテム。

 彼はそこで足を止めてしまった。


「いや〜、事前に境結の類いは使うなって言われてたんだよねっ。でもこういう荒々しい奴の方が復讐感があっていいと思いません?」

「……メラニーのテンションで全部台無しな気もするんだけ、ど……なんでもないよ!」


 エイテムは後ろを振り返るとそこには4人の男女がいた。

 そんな中で普通に会話を繰り広げる2人の少女を見て顔を恐怖に染める。

 この状況で、この惨状で普通にしていることが普通ではない。

 いろいろ悩んでいる、踏ん切りが若干ついていない一紀の事は理解できる。

 憎き相手を睨むマリーも理解できよう。

 だが、あの2人は違う。

 多少の良心の呵責があってもいいはずではないのか。

 エイテムは得体の知れないものを見る目でフランとメラニーを見つめていた。


「むむ、ひどいですねー、ペスタスさん。私達だってこんな事、したくてしてるわけじゃないんですよ」

「……地下の惨状を知っていれば感覚も狂います」


 それは何もしてやれなかった側の人間の気持ちだ。

 しかし、納得などエイテムにはできなかった。

 後退り、自ら命を投げ打とうとした。

 この2人に殺されてたまるか、と。


「——っ?」


 しかし、痛みも異変もない事に疑問を感じて、全てが遅い事に気がついた。


「もう消させてもらったよ」

「少しじっとしていてくださいね」


 エイテムがそう聞こえた瞬間、視界が暗転した。

 首の裏と鳩尾みぞおちの鈍痛とともに。

 最後に見えた景色といえば目の前に拳を振りかぶるフランと真横で脚を振り上げるメラニーだった。



 強い雨音。

 屋根を強く打つ雨は静かな部屋である程、執拗に耳朶を煩わしく震わせるものだ。


「……ぅん、いっ」


 どの位の時間が経ったのか。

 痛みを依然感じながら縄に締め付けられる束縛からの不快感でエイテムは目を覚ました。


「こ、こは……?」


 周りを見渡しても暗くて何も見えない。

 しかし、小さな小屋だという事だけはわかった。それならば先程いた場所の近くの小さな小屋となれば自ずと答えを導き出すことができていた。


「私は、殺されなかったのか……」


 小さく呟き、小屋を激しく打ち鳴らす雨音にかき消される。

 そして、疑問が湧く。

 何故、殺されなかったのか。何故、未だ生かされているのか。

 考えても答えは出ない。

 雨音が支配する空間で新たな音がした。

 ギシリ、と。


「……き、みは」


 暗闇に慣れたのだろう。

 視界がだんだんハッキリと周りを映してくれる。

 そこには金髪の少女が1人立っていた。


「メラニーさんは、あくまでこれは貴女の復讐だから、て言ってた」

「…………」


 俯いていて表情は見えない。少女は独白するように口を開く。


「私、何もしてないんだよね……。こんなの手を貸してもらったとかのレベルじゃない。ただの代行だよ。復讐の代行」


 そこには……いや、その声には悔しさが伺えた。悲哀が混じっていた。もどかしさ、怒り、迷い、呆れ、恐怖。

 その声を震わせる要因が余りにも多かった。


「でも、この役目を断れなかった。自分の功績じゃないけど、全部お膳出されたけど……笑っちゃうよ。自分の浅ましさに」


 少女、マリーは懇願するように問い掛ける。


「ねえ、どうして?」


 どんな答えを望んでいるのかを自分でもわからないのに。


「エイテムさん。どうしてこの村を、普通の村を襲ったんですか?」


 それはまるで救いが欲しい、と言っているかのようだった。


「どう、して……?」


 感情の昂りに声が掠れる。

 今まで口を噤んで静かに話を聞いていたエイテム。

 彼は何を答えるべきか迷う。

 もはや今更助かろうなどという気は微塵もなかったのは彼にとって少し、不思議な事ではあったが。


「君は、確か……カイラ家の一人娘、だったかな……」

「っ!? な、んで!」

「知っているさ。これから襲う村の事ぐらい調べる」

「…………」

「納得していないようだ。ただ、私は殺した相手の事を忘れた事はないよ」


 マリーの顔が赤く染まる。

 声を荒げる。


「今更……今更善人面する気ッ!? 何様? 本当に何様よッ! 全部滅茶苦茶にして! 質問に答えて! どうして私の、大事な、居場所を襲ったの!」

「……私欲だよ。くだらない私欲さ」

「…………もういい。これ以上話したくない!!」


 側にあった刃物を手に取り彼女は決着をつける事に決めた。

 刃物を握る手が震えるような事もなかった。

 お互いがすれ違うように一つの事を思った。

 一方は言い聞かせるように。

 もう一方は過去を振り返るように。

 ただただ、これでいいのだ、と。



 一紀は小さな小屋から少し離れた場所で胡座をかいてじっとしていた。

 何も言わず、雨に濡れていても気にする素振りも見せずに。

 ただ何かを考えていた。

 千思万考の末の答えに意味などないと知りながらも己の中で何かを消化しようと、もがいていた。

 メラニーはそんな一紀に近づく。何かしらの魔創なのか雨に濡れている様子もない。


「一紀様、風邪引きますよ?」

「正直丈夫な身体過ぎて引く気しないな」

「でも、ちゃんと気を遣ってください」


 何を言えばいいのか。一紀にはわからない。考えがまとまらないのだ。

 心配そうにしているフランもいるから大丈夫だとちゃんと言いたいが、なんとももどかしい。

 一紀は「ダメだな……」と溢す。


「メラニー達はさ。いつからこの村の事知ってたんだ?」

「……闘技場での戦いの前日には大体の実状は知っていました」

「……なんで、助けなかった?」


 その問いに少し怒気が混じっているように思えた。

 メラニーは表情変えず、平然と答える。


「助ける必要性はないかな、と」

「——ッ! はぁ……メラニー、もういいから本当の事を言ってくれよ」

「意外と冷静なんですねー。フランちゃんの反応でわかっちゃいましたか」


 一度は声を荒げようとした一紀だったが、フランのわかりやすい戸惑いの反応で平静を保てた。


「メラニー、今のは流石に意地悪だと思う」

「うん、わかってるよ」


 フランの抗議にメラニーも反省の色を見せる。


「で、質問の答えですけど。御察しの通り、ダメでした。あみるんが寝不足になってまで調べてくれましたから」


 そこで一紀はああ、と納得して苦笑を浮かべる。


「ベッドに潜り込んでたのはただふざけてただけじゃなかったのか」

「疲れた体と遊び心が成せる技ですね」

「……っ!? い、今は真面目な話、なのよね」


 空気を少し軽くしようとしたメラニーにフランが大袈裟な反応をしそうになって抑え込んでいた。

 その様子がなんだか一紀にはひどく笑える光景に思えて、口元に思わず笑みが浮かんでしまう。


「ずっと考えてたんだよ。復讐に手を貸すって決まってから」


 メラニーもフランも何も言わない。ただ聞くことしかできない。


「俺が、俺達が今やってる事ってなんなんだろうなぁって。良いことなのか、悪いことなのか。少なくとも正しいことじゃないのは確かだよな」

「そうかもしれませんね」

「まあ、結局主観の話でしかないから自分が納得できるかどうかなんだけど」

「納得はできたんですか?」


 フランの問いに一紀は躊躇いがちに答える。

 何かを諦めたように笑う。


「……いや、わからなかった」

「「……」」

「結局部外者が殆どを解決しただけだしね。ていうか何に悩んでるんだろうとも思ってる」

「元も子もないですね」

「正直ぐちゃぐちゃなんだよ」


 メラニーはうーんと唸り、疲れたように溜息を吐いた。


「疲れますね。一紀様は難しく考え過ぎなんですよ。1人の少女を救った。それで良いじゃないですか」

「……かもしれない。ただまぁ、今回の一件は、最初から最後まで俺は道化だったと思うんだよ」

「否定はしません。私達の所為でもありますからね」

「……まあいいか。確かに疲れたな。ここは単純明快に傲慢に徹頭徹尾1人の道化として、少女を救おうとした、で終わらせるべきだな」

「? 王様なんですから、自分勝手なぐらいがいいんじゃないですか」


 そういえばそうだったな、と一紀は頷く。

 まだ、少女は救われていない。

 復讐に救いなどあるわけがないのだから。


「俺はさ。普通の人より五感が鋭いんだよ。こんな雨の中でも、あの小屋の中の音が少しは聞こえる」


 だから、と一紀は小屋の方に顔を向けた。


 ——今、全部終わった事もわかる。


 いろいろと、酷い有様だ、と一紀は心の片隅で思う。

 扉が開かれ、中の暗闇からマリーはゆっくりと出てきた。

 当然、激しい雨が彼女を襲うがそれを気にするような余裕はあるように思えない。

 全身返り血に染まっている彼女は異様で、異質で、酷く悲しい。

 陽も落ち、力の無いどんよりと曇った空を見上げて、雨に目を細める。

 脱力するように膝をつき、今、この瞬間だけはこの強い雨を幸運だと捉えた。

 全身にこびり付いた血を流してくれる、この雨が。

 心に染み込んだ罪の意識も、罪悪感も、共に洗い流してくれると思いたかったから。

 そんな単純な人にはなれないと知りながら。


「——〜〜〜〜〜〜ッ!!!!」


 地を激しく打ち鳴らす雨音が。

 自分の涕泣を、慟哭を、哀哭を掻き消してくれると期待したから。

 そんなはずは無いと知りながら。

 感情の昂りをなにかが焼き切れそうなその心の醜い熱を。

 この雨が冷ましてくれると信じていたから。

 心は冷めきってしまったのに。

 この止め処なく流れる滂沱の涙を。

 この雨で完璧に誤魔化せると知っていたから。

 最早、意味のない抵抗だというのに。

 顔に付着した血のせいで紅い涙が滴り落ちる。


「なん゛、でぇ……」


 復讐が終われば心も軽くなると思っていたのに、多少は爽快感を得られると思っていたのに。

 何故、こんなにも虚しいのだろうか。

 何故、こんなにも哀しいのだろうか。

 マリーはただただ嘆くことしかできなかった。

 その様子を拳を強く強く血が滴り落ちる程に強く握ることしか一紀にはできなかった。

 どれほどそうしていただろうか。

 時間の感覚はいまいち掴めない。

 だが、雨は今もなお降り注いでいた。

 身体を襲う疲労感が悲鳴を無理矢理抑え込んだのか、声も碌に出なくなった。

 ピシャリと湿った地面を踏みしめる音。

 いつの間にか一紀がマリーに近づいていたのだ。


「……な゛に」


 座り込んだまま顔を音源の方へ向き一紀をひと睨みで制す。


「お前さ、俺の国に来ないか?」

「く、国?」

「そう、国」


 突拍子もない誘いと単語に一瞬思考停止する。無理もない、いきなり国と言われても困るだろう。

 しかし、この変な人達のいる場所だとなんとなく理解した。


「……なんで」

「帰る場所が必要だろ?」

「同情のつもり?」


 突き刺すような視線。


「かもな。ただ、俺が納得したいだけだと思う」

「……変な人」

「酷いな。影にいるレイヴも一緒にどうだ?」


 苦笑しながら再度誘う一紀。

 マリーは黙り込み、考える。

 そして、ポツリポツリと言葉を吐き出していく。


「あなたの言う国は、きっと、大事な居場所、なんだと思います」

「…………」


 一紀はなにも答えずマリーの返事を待つ。


「だから、私は遠慮しておきます」

「理由を聞いてもいいかな?」


 マリーは自嘲するように笑う。


「私は、酷い人、だから。そんな場所には行けない。復讐をするような人、だから」

「復讐を手伝う様な人の居場所だよ。同じだな」

「ッ復讐しても、満足できなかったの! こんな悪い人間が!」

「そんな風に悔いてる人が悪人には見えないな」


 それに、と一紀は続ける。


「復讐で満たされないなんて当たり前なんじゃないかな……。やった事はないから説得力ないのかもしれないけど、得られるものはないのは確かだから」

「…………」

「誰もそんな事は望んではいない、とかそういう綺麗事は嫌いじゃないけど現実的じゃないよね。それはお前自身が何かを得る為のものじゃなくてこれから何かを得られる為のものなんだから」

「……で、でも!」

「あと、勘違いしてるよ。何かを履き違えてる」

「は?」


 突然、そう言われた事にマリーは思わず呆然とする。


「お前が復讐したかったのは憎かったからじゃあない」

「そんな訳ない!」

「もちろん、憎くなかったって言ってるわけじゃない。お前が復讐したかったのは悔しかったからだ、弱い自分が許せなかったからだ」


 最後に、結論を出すように。諭すように、頭にポンと手を置き、言う。


「お前は、大切な人達を、大事な人達を守りたかっただけなんだよ」

「…………うっ、ぅん゛〜。ん゛ぅゔぁぁぁぁあ〜〜っ!!!!」


 口を歪め、もう尽きたかと思っていた涙が再び溢れ出ていた。

 しかし、今度は綺麗に澄んでいるように感じるのは一紀の錯覚だろうか。

 錯覚ではない事を願うばかりである。

 雨に紛れて確認できないのが少し残念だった。


「それと、見てみろ」

「……ぁ」


 示された方向を見て、小さな声が口から漏れ出た。

 それは、きっと何処かで諦めていたもの、その一部である。

 小さな手でなんとか汲み取れたもの。


「役目は果たせたかと思います。良かったですね」


 ロウナがそこにいた。近くには白い包帯を目に巻かれたまま眠っているマリーと同じ歳ぐらいの双子の少女達。

 6年前、友達だった少女達だ。

 マリーは頭に乗せられた手を両手で掴む。強く強く握る。

 掠れた声が一紀の耳に届く。


「……ぁきらめてた。もう二度と、誰にも会えないって……」

「良かったな」

「ゔん゛」


 一紀は三度みたび誘う。


「ウチの所に来ないか? 強くなって今度こそは、誰かを守れるように。幸い、師匠になってくれそうなやつは結構いるんだ」


 一紀を握るその手に力が入る。


「……おねがい、しまず……本当に、ありがとゔ」


 一紀は笑った。


「ひどい顔だ」

「うる゛さい゛ッ!」

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