愚王の理想論

 もともと救いのない話だ。

 救いようがなく、救いようのない話なのだ。

 だからこそ、目を逸らさせる他ないのだと無意識に思ったのだろう。

 暗い夜道で帰路に就く時、一紀は自分の事を詐欺師だと自嘲した。

 そして現在一夜が明けて、魅想城のとある待合室。

 少し冷静になれた今ならやはり、と一紀はそう思わずにはいられない。


「結局、俺じゃ救えないから強くなれ、その手伝いはしてやる。勝手に救われろって言ってるだけなんだよなぁ」

「私は嫌いじゃないですけどね、現実的で。むしろベストじゃないでしょうか?」

「はあ……結局なにもできなかった……道化だなぁ」

「あ! 無視ですか!? もうっ! だからベストなんですってば、フランちゃん言っておやりっ!!」

「えっと……なんて言いましょうか。これからを、いつかの為であるその先を、示したんです。今回はいくらなんでも私達がやり過ぎた部分がありました。生きていく上で目標があるのは大きな事ですよ?」


 フランは不安そうにメラニーの方へと向く。


「んー、長い! 27点!」

「ひどいっ!」

「とにかく、です。心まで救おうなんてただの洗脳です。前を向ける環境を整えただけで十二分なんですよ」


 一紀は確かにと思った。

 流石に望みすぎだ、と。

 そして、これからの事を考えなければならない。今回、村に行った事で色々と、本当に色々と考えさせられたものである。

 さらに、自分の不甲斐なさなど見るに堪えないものだった、と。

 足りないものばかりである。

 そんな一紀の元にコンコンとドアを叩く音と共に開く音が届く。

 そこから現れたのは銀髪と黒髪の女性、ダイナ。


「失礼します。一紀様、準備が整いました」

「おう、わかった」


 そう返す一紀を尻目にメラニーは肩を竦めながら溜息を吐くように呆れて言う。


「我儘な一紀様は、好きなように自由にやりたい事やれば良いと思いますよ。フランちゃん、行くよ」

「なんか、仕切り出した……」

「フランちゃん……本当に今更だけど影薄くなりすぎてない? 大丈夫?」

「か、影に徹してただけだから!」

「……ああ、うん。そ、そうだよね!」


 メラニーは目を逸らしながら肯定した。非常によそよそしい態度である。


「ま、待って、違うの! メラニーが気を遣わないで。あ、待ってってば!」

「私がフランちゃんを、気遣うわけないじゃん。うん、影に徹してたならしょうがないよ、うん」


 部屋を出て、扉が閉まる。扉越しに薄っすらと涙声で「め、め゛ら゛に゛〜〜〜〜っ!」という声が遠ざかって行く。

 一紀は目頭を押さえた。


「フランはなんでこう、俺の涙を誘ってくるんだろうな……」

「良くも悪くもわかりやすい子ですから……」

「一緒に居てみろ。隙あらば泣かそうとしてくるんだぞ」

「本人も不本意でしょうね」


 悪ふざけも程々にして一紀達も移動する。


「マリー達はどうしてる?」

「元気にしてますよ。本格的に学ぶのはもう少し先ですが」

「そっか。ここに連れてきた時は変態を見るような目で見られたからなぁ……」

「伝えようもないですからね」


 笑いながらダイナが言う。

 美しい女性しかいない国。男は一紀1人。事前の情報としてどう伝えて良いかもわからないだろう。

 そして、実際に連れてこられたら連れてきた本人をそう見てしまうのも想像に難くない。

 笑うなよ、と溜息を吐く。

 一つの扉の前に立つ一紀。


「俺、この国の王なんだよなぁ」

「……そうですね」


 ダイナは静かに肯定する。

 必要のない相槌、だがそれはきっと一紀に余裕を持たせる為のものだ。

 側で確かに誰かが彼の言葉を聞いているという安心感だ。


「俺は多分良い王様にはなれないと思う」

「かもしれません」

「でも、譲れないものもある」

「きっと、誰にでもありますよ」


 そう、多分誰にでもあるのだ。ちっぽけだろうと意味がなかろうと、きっとそれはあるのだろう。


「ダイナ、俺の事どう思う?」

「面白い方だと思いますよ」

「どんな所が?」


 手を顎に添えて考える。


「そうですね……。見ていて退屈しませんし、努力家な所でしょうかね」

「なんか納得できないな……努力家が面白いってのも分からん」


 そう口にする一紀にダイナは嬉々として喋り出す。


「5日間の内、2日間は近くで接する事が出来ました。そしてこの5日間で聞いた話もあります」


 一紀はなにかあったかと思いを巡らす。

 1日目なんて寝起きでダイナの頭を撫でたぐらいしか覚えていない辺り、自覚が足りないのかもしれない。

 しかし、妙な冷や汗と胸騒ぎを一紀は感じていた。


「部屋の壁は吹き飛ばして何故か景色を楽しみますし、寝間着のまま出かけようとしますし、かと思えば翌日には着替えた事を自慢しますし、闘技場を吹っ飛ばしますし、夜間には絵を描きながら口笛を吹いて感傷に浸ってますし——」

「待て待て待て待て、俺が悪かったよ! 今思い返してもバカすぎるわ! 我ながら愚かしすぎるだろ……。それとなんか言い方に悪意を感じるっ!」


 冗談です、と笑うダイナ。


「なにやら思い詰めていたようなので」

「……冗談ではないだろ……」


 ニッコリと微笑まれた一紀はこれ以上聞くのはやめておこうという気にさせてくれた。


「メラニーも言ってましたが、一紀様は好きなようにやればいいと思いますよ」


 ダイナはそう言って一紀の背中を押す。


「……俺は」


 ——どうするべきだろう?


 そう思いながら、一紀は扉を開いた。



 周りを見る。

 右にはシンプルな家具などがあり、質も良さそうである。今までに見たことも感じたこともない。環境が違い過ぎる。

 背後には今朝方までお世話になったふかふかのベッド。

 左には片開きの扉が一枚、外界とこの小さな空間とで隔たれている。

 そして、目の前には壁。そこに四角い額縁にその中が真っ黒に塗り潰されている物があった。


 ——…………はぁ……。


 その空間に溜息が一つ響いた。

 そこには戸惑いや感嘆などの感情が窺えた。

 今でも信じられない。

 目の前の物体を除けば——


「普通だ……」


 質こそ段違いだろうと普通の部屋である。

 マリーはなれない様子でソファに体育座りをするように丸まっていた。

 そのまま横にゴロンと転がったり、戻ったり、ちょっと跳ねてみたり。

 呆けた表情に変化はなく、それを繰り返す様子はなかなかにシュールで少し、あざとくも可愛い様に思える。


「変わったなぁ」


 本当に色々と変わった。

 一夜でことごとくが変わったのだ。

 状況も内心も目標も……。

 良いことも悪いことも。


「どうなっちゃうんだろう」


 そう言う彼女には、しかし、不安はあまり感じられずにいた。

 漠然となんとかなるような気がしているのだ。

 少し強くなれたのかもしれない。

 そう思う。


「いや、ちょっと違うか……」


 これから強くなるのだ。

 もうなにも失わないように。

 彼がそう言ってくれた。

 しかし、マリーが1番驚いたのはやはりこの環境だろう。

 綺麗な街並みも美味しい食事も見たことのない設備も何もかもがマリーの目には新鮮で新しく映った。

 そして、綺麗な女性たち。

 というか女性のみの国だ。


「……手籠めにされちゃう?」


 物騒な事を言いながらもそんな事はないだろうと確信している。


 ——ヘタレそうだし。


 膝で口元を隠してくすりと笑う。

 ここで新しい毎日が始まるのだ。気張らなければ、と気合も入る。

 そんな、これからに期待で胸を膨らませていると目の前の物体がなにかを映し出した。


「テレビって言ってたけど……」


 そこには、この国で唯一の男性が映し出されていた。



 それは、とある国の始まりだ。

 世界に知れ渡る事のない歴史。

 真の意味で王が君臨した瞬間。

 城のとある場所、街を見下ろせる場所に1人の男が立っていた。

 彼を捉える空中を浮遊するカメラも散見できる。

 男は緊張した面持ちで口を開く。


「諸君、よくぞ集まってくれた。テレビの前の皆もこの瞬間を見てくれている事だろう」


 こういう時の礼儀も作法もよくわからない。

 しかし、めちゃくちゃになっていようと言いたいことは口にしようと決意する。


「正直、現在何が起きているのか。俺にはわからない。何一つとしてわからない」


 始まりは、言ってしまえば絵を描いていただけ。

 それがなぜかこんな所にいる。

 自分の理想が夢が目の前に広がって、思い上がり、突き落とされた。今も尚、厳しい現実がある事を知った。

 やはり最大の疑問はなぜ自分がこんな所にいるのかという事だ。

 自分の描いた国やキャラが現実として目の前に触れられる存在になっている事もまた不思議な事だ。

 全くもってわからない事だらけだ。


「だからそんなくだらない事を考えるのはやめにする。これからについて考えなきゃならない。皆には言うまでもない事だろうけどね」


 まるで独り言のように始まった、王の演説のような何か。

 主語も何もあったものではない。

 マリーにとっては意味不明である。

 しかし、関係者には察しがつく話題だった。

 そして、現在生きているのなら考えるだけ無駄なのだと王は言った。


「さて、皆も知っての通り、俺は国外に出た。情けない事に好奇心を抑えきれなかったからだ。そして、何も知らなかった俺には確かに厳しい現実というのがあった。平和を謳歌していた自分にはあまりにも酷いものだった」


 それは命を奪うという事。

 生きるという事。

 理不尽を突き付けられるという事。

 選択を迫られるという事。

 外に出て経験したそのどれもこれもが自分を追い詰め、見つめ直させ、考えを改めさせたものばかりだった。


「だが、そんな事ではいけない。世の中はそれだけでできちゃあいない事を俺は知っている。なんなら俺が前いた場所もそうだった。わかりにくいだけで……いや、見ていなかっただけでそうだったはずなんだ」


 世界は変われど、やはりその本質は大きくは変わってはいない。


「危険と隣り合わせの世の中、変わっちゃあいないよ。車が平然と隣を走る世の中が危険じゃないはずがない。人が身勝手なのも変わらない」


 何を許容すればいいのかという話だ。

 自分の手で動物を殺して自分の糧として食する人が怖いのか。

 他人に手を汚させて目の前に当然のように出された物を捨てる人が怖いか。

 立場が変わればどちらも同じぐらいの恐怖の対象だ。


「だから、これから言う事は綺麗事だ。鼻で笑うような夢物語。愚者の馬鹿みたいな理想論だ。……でも!」


 ともすればそれは一国の王の発言としては相応しくないものだろう。

 その王の国民達へと向けた言葉は、懇願にも見える願いはどこまでも子供のようなもので純粋だが余りにも世間知らずなものだった。


「俺は俺達に自由が欲しい! 誰もが笑顔でいられる平穏な国を築きたい!」


 単純で難しい願望だ。

 だが確かにそうあればこれ以上ないものだ。


「理想は理想だってわかる。でも、できないわけじゃないはずなんだ。こんな話をしてしまう俺みたいな王をどうか許して欲しい。愚王と罵ってくれても良い。それは間違いじゃあないから」


 だけど、と顔を上げて、声を張り上げて、高らかに清々しく開き直る。


「でも、それで良いじゃないか! 大いに結構なはずだ!」


 両手を広げ、間違いなどないと語る。


「みんなは優秀だって俺が知っている。俺が1番知ってるんだ。俺の理想の国は俺の理想の人達が居てこそだ。そして、俺の知っている君達は俺みたいなハンデがあろうと俺達らしい良い国が創れるはずだ」


 その為にもみんなには動いてもらわなければならない。もちろん、自由にやりたいようにやってもらわないと、と王は考える。

 そして、祈るように数少ない国民に、愚王は言うのだ。


「だからどうか、こんな俺に付いてきて欲しい」


 その日、自由の国、アーカディア王国に愚王が誕生した。

 そして、いずれ歴史に大きな爪痕を残す事になる小さな国は静かに動き出した。

 それはまるで絵空事のような歴史である。



 マリーは膝に額を当ててぷるぷると何かに堪えるように震える。

 やがて収まり顔を上げると、はぁ、と息を吐き出した。

 突如、ドアが開くのを耳にし左を向けば、そこにはかつての友達が顔を覗かせていた。


「どうしたのマリー?」

「なんか、楽しそう?」


 マリーは立ち上がりながらなんでもないと首を振る。


「いや、ちょっと、ね」

「面白かった?」

「バカだなぁ、て」

「ちょっと、わかる」


 マリーはそんなことよりも、と2人の友達に質問した。


「2人ともすごい格好だね?」

「変かな?」

「ハイナちゃんが持っていって良いよーって言ったの」

「ううん、そんなことない。凄い似合ってる!」


 不安そうにする2人にマリーがそう言うと2人は揃って「えへへ」と笑う。

 2人はふんわりとした中華衣装のような服装をしていた。スリットで脚がチラリと覗き、手元が隠れるぐらいに長く幅広い袖。どこかキョンシーの着るイメージの衣装にも似たものを感じる。

 マリーはそういった服を見たことがなかったが2人によく似合っていると感じた。

 そして、袖裏にはなにやら刺繍が入っているのをマリーは見逃さなかった。


「それ、文字? なんて書いてあるの?」

「私達の名前だよ! ほら!」

「なんか、漢字を充ててくれた。こういう願いは馬鹿にできないってね」

「へー、私の名前もできるのかな?」

「ちょっと語呂が悪いんじゃない?」

「そっか、ちょっと残念」


 そこには『宇奈うな』と『笑愛えう』と刺繍されていた。ハイナが願いも込めててた漢字であった。

 マリー・カイラ、ウナ・クリアデル、エウ・クリアデル。

 3人の少女は楽しく笑い、部屋を後にした。



 監視塔の最上階である五階層。

 その奥にある監視室と言える部屋。

 そこには現在。


「アッハハハハハ!!!! 馬鹿だ! 馬鹿がいるっ!」


 1人の大きな笑い声が響き渡っていた。


「ヒー、ヒー……あははは、おもしれぇなぁ。ワタシ達の愚王様は。はぁ〜……」

「ま、マウリナっ! わ、笑いすぎだよぉ……」


 腹を押さえて爆笑するマウリナを注意するユレン。

 椅子に腰掛けたマウリナが片方の角の先端をいじりながらユレンを見やる。


「お堅いなぁ、ユレン。良いじゃないか、ワタシはこのぐらい緩い王様の方が好きだぜ? それに自由にしろとも言ってたな?」

「で、でもぉ……」


 それでも何か言おうとするユレンだったがそれを別のものが遮る。


「自由! 自由、ね〜。嫌いじゃあないけどそんな余裕、あるんかねぇ?」

「う、ん〜……、やる事が〜、たーっくさん、だね〜」

「ダイナ達もある程度引き締めるだろう」


 大仰に手を広げて会話に割り込んだスーワイアに同じソファで彼女の膝枕で眠りこけていたミネアレだ。

 マウリナは細めた目をスーワイアに向け、角をいじるのをやめてピンっと弾いた。

 若干呆れた雰囲気だ。


「まあ、それはいいんだがよ。お前らもうちょい格好付かねぇか? なんか情けなくなるぞ」

「な、なにがだねっ!?」

「えっへへ〜……」


 慌てるスーワイアを余所にそのまま夢の世界へと旅立つミネアレ。


「スー、認めるのも勇気だぞ?」

「うるさいな! そんな事よりも、だ。監視長様的にはどうお考えなのかな?」

「お、そうだよそれだそれだ。ワタシも聞きたかったんだ」


 わざとらしく話題を逸らしたスーワイアだがそれを特に追及することもなくそれにのる。

 必然、部屋に居るものの視線は部屋の奥にいる人物に集まる。


「そうですね……」


 脚を組み替えて、考えるように指を顎に添える。

 今回の外出は言ってしまえば彼女、シルネの指示だ。何かしらの考えがあってのものなら、やはり張本人の所感は聞いておきたいところだろう。


「正直に言えば、あそこまで開き直るとは思いませんでしたね」


 思いの外強い心があったのか、立ち直りが早いだけなのか。

 道中はそれなりに大変だったと聞き及んでいる彼女だ。一紀本人としても今回の出来事で心の整理が完全にできているとは言えないだろうと考えられる。

 少なくとも自分を納得させる事が出来ていない様子だった。

 踏み込み過ぎたと思ったのか、エイテムの言い分も聞くべきだったのか、一方的過ぎたのか、あまりにも部外者という立場が目立ったのか。

 他にも整理しきれないものはあったのだろう。しかし、いずれの理由にしても一紀はこのままではいけないと思ったのだろう。


「振り返れば誰にでも自分の反省があるとは思いますが、今回の結果は良いものだと捉えました。個人的に言えば奇しくもマウリナと同じ感想ですね」


 手を口に当てて「おもしろいな、と」零し、ふふふと笑った。


「これからが楽しみな結果ですね」


 これから国民が自由に行動するだろう。

 誰も彼もが力があり、一人一人が無視できない影響を与えるだろう。

 彼女らの動向にも是非、注目していきたいと思うシルネであった。

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