初戦闘
晴れ渡る青い空!
照り付ける陽光!
それを豊かな自然が程良く遮り、柔らかく射す、木漏れ日!
肌を撫でる風もなんとも気持ちが良い!
「嗚呼……っ! なんって素晴らしいのでしょう……っ!」
その日、フランは壊れていた……。
時は闘技大会の翌日、そろそろ太陽が天上に差し掛かろうとする頃。
周囲を、万物を、自分すらも讃美する勢いのフランはどうしようもない程に壊れていた。振り切れていた。
「お、おい、メラニー! 一体どうしちゃったんだ、フランは!」
「ん、うーん……。昨日のショックが抜け切ってないみたいですねー。やり過ぎたかな?」
「いやでも、アレはほぼほぼ自爆だよな?」
フランを見ながら問い掛ける一紀。
メラニーもまた「そうですねぇ」と思考する。
無慈悲な首チョン、大きめな罠仕掛けたら当たっちゃった……。
確かに、メラニーもアミルもいろいろ仕込みはした。
しかし、これは——
「あ、ほぼほぼそうですね!」
こんな会話をしながらもフランを覗けば……。
「う、美しいわっ! それになんって香り高いの!?」
乙女のように花を愛でていた……。
これには流石のメラニーも焦ったのだろう。
彼女は冷や汗をかきながら一紀に告げる。
「私、ちょっとフランを直してきますッ!」
「ああ、うん。頼んだ……」
一紀も若干引き気味である。
後の調査で分かった事だがフランが嗅いでいた花には微量の頭を混乱させる成分があったようだが、それを知るのはまだ先の話である。もっと言えば今のフランには関係のない話ではあるが。
フランにそっと近づいたメラニーは耳元で囁いた。
「フランちゃん落ち着いて?」
「メ、メラニー……?」
「私、思ったんだけど、フランちゃんは目の前に首があったらやっぱりチョン切っちゃうの? なんで最初にあんな罠しかけたのかな? 教えて? ねえねえ?」
「……ふ、ふふふ……あはは……」
フラン再びフラフラと覚束ない足取りで進み始めていた。
これには流石の一紀も困惑した。
「ちょーっと待て、メラニー!? 何してんだよ!」
「ち、違うんです! こういうのは叩けば直るって聞いた事がっ!!」
「昔のテレビじゃないんだぞ!」
「で、でも!」
思えば2人はかなり焦っていたのだろう。困惑していたのだろう。あの花が僅かながら効果を及ぼしたのかは定かではないが2人は確かに混乱していた。
その間にも事態は進む。
フランに近づく小さな人影。
フランはそれに気がつくとパアッと顔を綻ばせ、抱き締める勢いでその小柄な人影に飛びかかる。傍目から見れば非常に女の子している、などと言えるだろう。相手もさぞかし驚いた事だろう。
一見すれば微笑ましい光景だったのかもしれない。
「可愛いっ!!」
『ンゴァブッ!?』
相手が醜悪な緑顔でその長めの鼻とニヒルな笑みがチャーミングな彼、ゴブリンでさえ無ければ……。
そして、その光景を見てしまった一紀もメラニー同様やはりまともな判断が出来ず、つい言ってしまったのだろう。
「それに
「は、はい! ボンッ!」
——BOOOOOOOOM!!!!
これが、一紀の魔物との初遭遇であった。
★
森では軽いクレーターができあがっていた。メラニーがうまく調節したのか爆発は木々に引火する事もなくその場は収まった。
「ご迷惑をお掛けしました……」
そして、そこには頭を下げるフランの姿が見受けられた。
彼女は煤けた顔を若干不服そうに歪めて言う。
「死ぬかと思いました……」
「だからゴメンってフランちゃん。あのゴブリン直接狙ったんだからそこまでダメージはなかったでしょ?」
「なんか可哀想な奴だったな……」
一紀としては初の魔物の討伐がコミカルな感じで終わったのが少し残念に思っているところだが、それ以上にあの驚いた表情のゴブリンの顔が妙に頭から離れなかった事に困惑を隠しきれない。
「遣る瀬無いよな……」
「はい、発端が私ですが亡くなった後の姿を見ると流石に申し訳なさが込み上げました」
「もぉ、フランちゃん! 顔拭いてよー」
ゴブリンの遺体はなんとも情けない姿であった。せめてもう少し戦闘らしい戦闘があったならばゴブリンも多少は格好が付いたのだが……。今となっては後の祭りだろう。
閑話休題。
3人は当初の予定通り、村を目指す事となっていた。
そして、現在、国を囲んでいた樹海をとある乗り物を使い全速力で抜けた後、例の村に程近い深い森を歩いていた。
故にそこまでの苦労もなくここまで来ていた。だからこそだろう、緊張感は皆無に等しく、ご覧の有様なのである。
しかし、いきなり一紀に手強い魔物と戦わせるのには五玄星達の許可が下りなかったのである。
そして、現在いるその森は今の一紀にはぴったりだと判断が下された。
一紀としては不満がないわけではない。
しかし、段階というものはしっかりと順を追って踏むべきだとは思っているので、そこは納得している。
「んで、今ゴブリンが目の前にいるわけだ」
「敵意がビンビンですねぇ!」
「頑張ってください、一紀様!」
と、外野は
先程、ついでのようにやられたゴブリンを今度は自分の手で、という事だが。
明らかに格下だというのはわかる。問題はない。
では、命をこの手で直接奪うという行為について。
(正直に言おう。かなり怖い)
手も僅かながらに震えている。しかし、一紀は割り切る事に決めたのだ。この世界では盗賊なんかが相手だと殺すという手段は珍しくない。魔物でビビっていてはダメだろう。
少し違うかも知れないが郷に入っては郷に従え、とはよく言ったものである。
だからこれは、必ず越えなければならない壁なのは確かで十分に理解も納得もしている。
しかし——
「ファイトですよーー!!」
「頑張ってくださいっ!」
——やはり、緊張感に欠けていた。
だが、状況はいつも待ってくれはしないのは世の常である。
棍棒を手にした体長1メートル程のゴブリンが一紀に向かって突撃する。
「ゴァブッ!」
「……よっ」
それは一紀の目から見ても稚拙な攻撃であった。
鈍く、単調で、なにより弱い。
一紀がそれなりに訓練を積んだからというのもあるのだろう。闘技大会で目が肥えたのも一因であろう。
だが、それはゴブリンという脆弱な魔物のどうしようもない現実でもあった。
「ゴァァッ!」
「…………」
ゴブリンは再び一紀に迫る。
当然、一紀はそれを軽やかに避けた。受け止めた所で結果は然程変わらないだろう。しかし、避けた。
傍目から見れば身長差も手伝って子供を
しかし、これは命のやり取りである。
「…………」
「——ガッ!」
突撃を繰り返すゴブリンに一紀は遂に反撃をした。
顔面を踏みつけるような形で軽く蹴り飛ばしたのである。
リーチの差は明らかであり、当然ゴブリンの攻撃はかすりもしなかった。そして、それだけでゴブリンは大きく吹き飛ぶ結果となった。
長く整っているとは言えない鼻は大きくひん曲がり、醜悪な顔をさらに醜く歪めさせられていた。
全身傷だらけで所々出血と打撲のようなものも見受けられた。
たったの一撃でこれだ。
致命的と言っても良い状態に追い込まれたのである。
だが、それでも——
「ゴァ……ブ」
——立ち上がろうとしていた。
今もなお、その手には棍棒が握られており、戦意は未だ衰えない。
その目からは敵意も悪意も激しく交差して入り乱れたまま一紀に注がれていた。
怖気を誘うに値する視線。
「私は、やっぱり反対」
「まだ言ってるの、フランちゃん?」
ゴブリンと一紀を見守りながらメラニーとフランは一紀に届かない声量で言葉を交わす。
それは事前に取り決めていた事についてだった。
メラニーは言葉を続ける。それは一体何という名前の感情だろうか。表現し難い表情を浮かべているのは確かで、何処と無く冷たいものを感じずにはいられない。
いつも無邪気で溌剌としている彼女にしては珍しいだろう。
「ちょうど良いんだよ。これで」
「……最初ぐらいスライムでいいじゃない」
フランはどこか拗ねたような心配したような声音だった。
「そういう訳にもいかないよ。やっぱりこれが1番いいと思う。そこそこ追い込まれないと意味はないと思うんだ。そもそも追い込まれるのかって話でもあるんだけどね。フランちゃんは過保護だよ」
なにか、いろいろ溜め込んでいたものを一気に吐き出すようにフランは溜息を吐く。昨日今日とでその溜息は見慣れた光景となってはいたが、今回のそれはニュアンスが異なるのは見て明らかである。
今言った所で状況は変わらないどころか現在進行形だ。
諦めもつくというもの。
「ゴブリンは人型だからある程度の耐性も身につくし、弱い」
「それだけじゃないんでしょ?」
「まあ、ねえ……マウリナが調べてきた本に載ってたからついでにいろいろ調べたんだけどさ。あの種族はね——」
ゴッ! という音を響き渡らせて一紀がゴブリンの腹を殴り飛ばし、地面をバウンドしながら木の幹にぶつかる事でようやくその動きを止める。
数本の骨は確実に折れただろう。
全身ボロボロだ。
しかし、それでもなお立ち上がる。
一紀の拳には生々しい感触がいつまでも残っており、忘れる事は難しいだろう。
なぜ、ここまで立ち上がれるのだろうか?
1つの理由としては一紀が素手だからだろう。それで命を奪うのには少々、相手をしぶとく感じる事もあるだろう。
しかし、違う。
確かに事実ではあるが一紀が本気で殴ればゴブリンは容易く死ぬはずだ。
それはきっと、心の何処かで逃げて欲しいと願っていたから。
だから、知らぬ間に必要以上に痛め付ける結果となってしまったわけだが。
要は甘く見積もっていたのだ。軽く考えていたのだ。
一紀はその甘えを断ち切ろうと素早くゴブリンに近づき、その首に手を掛け、締め付ける。
震える手を押さえつけながら、それでもなお強く。自分を自分の意志で追い詰める選択。
ジタバタと悶えるゴブリン。
今は既に棍棒は捨て去られており、ひたすらに腕を取り外そうと躍起になっていた。
次第に動かなくなり、ゴブリンはただただ一紀を見据えていた。睨みつけていた。血走った瞳を憎悪に濡らす。
手の中で脈打つ血管も徐々に弱々しいものになっていく。
——生への執着だけなら、トップを争う魔物なんだよ。
「おまけにバカだから手ぶらの相手には逃げようとも思わないんだよ。個体差はあると思うけどね?」
「それは……」
言葉にできないなにかがあった。
辛い事なのかもしれない。相対する者にとってそれ程恐ろしいものもないだろう。
命を大事に。などと言うが世の中は弱肉強食であり、食物連鎖はどこまでも続いていくものだ。
しかし、どうしようもなく考えさせられる場面だろう。
命を奪うという事。
命の価値と重さは平等ではないし、公平になる事もない。
取り繕う事さえできない程に一定の価値があるのは確かで、自己責任の世界に放り投げられているのだ。
一紀がいた世界のように命に一定の保護はない。
首から手を離すとゴブリンは既に事切れていた。
両腕がダラリと脱力する。
大して動いてもいないのに酷く心臓がけたたましく、やかましい。
一紀は、彼はこの瞬間をどう思ったのか……。
しばらく静かにゴブリンを見ていた一紀に背後から声がかけられた。
「一紀様……何がどうなって
「ひどい!?」
一紀は思わず笑みを浮かべてしまう。
彼女達なりに気を使ってくれたのだと察せられたからだ。
誰にでも初めてはある。今は慣れないし慣れるのも怖いと思っている。しかし、一紀自身の中で1つのケジメを、覚悟を決められたと感じられた。
一紀は振り返り儚くも優しい笑みをフランに向ける。
「オソロ、だな」
「やめてくださいよっ!!」
「あはははは」
フランは涙目に叫び、メラニーは声を上げて笑った。
★
さて、初めて魔物を討伐した一紀だったが、その魔物、ゴブリンを再び見つめて疑問を口にする。
「さっきも思ったんだけど、ゴブリンからはなんも取れないのか?」
そう、素材の有無についてだった。
ボロボロで臭いの際立つ腰布を巻いてはいるが素材としては疑問視する一紀。実際の所、その腰布は素材にはなり得る。ゴブリンの体液やらを吸収しているのなら、なんらかの活用法はある。
しかし、そこが本題ではない。
一紀が見てきたゲームや小説ならばゴブリンなどはほとんど素材と言えるものはない。
「そもそも魔物って食えるのか?」
「魔物は食べれるみたいですよ? ポイナちゃんの報告……いえ、食レポ? にありました」
「……あの子は本当に何をしているんでしょう?」
なにやらいろいろ楽しんでいそうな三姉妹メイドの末っ子は置いとくとしてやはり情報不足は否めないだろう。
ゴブリンにも役立つものはあるかもしれない。それに、魔物は進化もするのだ。
「やっぱアレだな。図鑑っぽいの欲しいよな。携帯のアプリに更新ていく形でもいいし」
「あ、良いですね! 手配しときます」
「魔物の生態、進化などに関しては監視塔に任せるとして、可食部分の有無や素材としての価値は誰に調べさせましょうか?」
「それはピッタリな奴らいるだろ?」
「あー、それもそうでした」
フランの疑問に答えつつ、先を進み始めた。
新たに仕事を増やされている人達もいるが、それは一紀の為だけというわけではないので文句はないだろう。役には立つはずである。
そんな所から話が弾み、次第にはこんな話題に変わった。
人と魔物の違い。
人と魔物の見分けがつかない場合があるのだ。では、根本的に人と魔物の違いとは何か?
先程のゴブリンにはこういう時の定番である『魔石』というものがなかった事から、一紀は疑問に感じた訳だが、魔石はまた別の話の物だ。
一紀の国にも魔物を参考にしたものや、なんなら吸血鬼まんまの者もいる。
しかし、あくまでも一紀にとっては人であり、魔物などではない。
そこら辺の理屈は知っておきたい所だろう。
フランは言う。
「そう、ですねぇ……。例外も勿論数多くありますけど、人形の魔物にはデメリットがある場合が多いですね」
「デメリット?」
「はい。吸血鬼の話に限れば、わかりやすいのが日光に当たり過ぎると灰になる事でしょうか? もちろん、多少の耐性がある場合もございますし、劇的な変化がある訳でもないですけどね。人の吸血鬼の場合は日光は平気ですし夜になれば逆に能力が上がるくらいですけどね。割と誤解の多い種族としては有名ですね」
「なるほどなぁ」
一紀は一応の納得を見せるが、完全に見分ける方法は無いのかと、少し残念そうである。
そこに声を掛けたのがメラニーである。フッと若干鼻で笑いながら……。
「これだからフランちゃんはめんどくさいって言われるんだよ。ちゃんと簡単にわかる方法がありますよ!」
「めんど……っ!」
「なんだ?」
メラニーは自慢気に胸を張り、ズバリと続ける。
「声です!」
「どいうこと?」
「魔物にも個体差はありますよね? そんな奴らだと中には私達の言葉を理解したり、話せちゃったりする事ができる奴らが出てくるワケですよっ!」
「尚更見分けがつかなくなるんじゃ無いか?」
一紀がそう言うと彼女はチッチッチッと人差し指を振る。
やはりどことなくイラッとさせる仕草だが聞かないわけにもいかない。一紀はジレンマだな……と嘆く。
さらに調子に乗ったのだろう。どこぞの通販番組よろしくとばかりの口上である。
「そう思いますよね? そう思っていた時期が私にもありました! しかし、なんと! コ・レ・が! 意外にも簡単にわかってしまうんですねぇ〜」
「お、おう……」
「どんなに似通っていてもやはり、そもそもの構造が違うんですよ。舌や唇、歯、声帯などの発声器官が」
「でも喋ることはできるんだろ?」
「できますよ? そうではないんですよ。例えばですけどインコの声と人の声を聞き分けることはできますよね? そんな感じです」
「あー、なるほど。それはわかりやすいな」
「お役に立てて良かったですっ!」
泥棒がインコの声を人の声と間違えて撃退されたなどという話は割と知られている所だろうが、これもまた魔物と変わらない。
聞き分けはできるだろうが聞き間違えが起こることもあると言うことなのだ。
稀な話なのでそこまで気にする話でもないだろう。
そもそも、魔物は声を発するよりも念話を使った方が楽に意思疎通を図る生き物だ。
人は念話が使えないので人相手には滅多に使う事はないが人も使える稀有な例もいる、もしくは念話と発声で意思疎通をする事もある、とメラニー。
「監視塔の奴らはそれが使える稀有な例でもあるよな」
「そうですそうです! 人の場合の念話は種族が限定されちゃう事が多いんですけどね」
「なるほど」
他にも魔力から魔物かどうかを知る方法はあるが、ある程度の慣れとコツが必要だ。少なくとも今の魔力に不慣れな一紀では土台無理な話である。
ようやく完全に納得する事ができた一紀であった。
「また、空気に……」
フランは萎れていた。
そんな彼女にメラニーはまったくと呆れたように声をかける。
「フランちゃんは回りくどいんだよ〜。それにいきなりデメリットが〜、なんて言ってもわからないよ。そうとも限らない場合もあるんだし」
「うぅぅ〜……」
「もっと単純明快で良いんだよっ! 例えば——」
フランが悔しそうに顔を歪めるとメラニーは彼女の前に立って両手を広げると視線を背後に誘うようにして言う。
「——彼らみたいに、ね?」
そこには、隠れる気もないのだろう、一紀達の方へ獲物を見るような目付きで覗き込んでいた大量のゴブリンだった。
3人が立ち止まる。
「気づいてはいましたが、こんなにいましたか……。あとメラニー、私にゴブリンみたいになれって促さないで」
「いやいや、彼らみたいにもう少しわかりやすく単純になれば良いって言うアドバイスだよー!」
ゴブリンは1匹見かけたら何匹もいると言われるほど数で押し切ろうとしてくる嫌われ者だ。今まで1匹を見かけていた事の方が珍しい事だった。
一紀は溜息を吐く。
「んで、これは俺1人でやるのか?」
そこに先程のような恐怖はない。
意気込みを感じられる程だ。
これならば、とメラニーは心の中で頷く。
「いえ、ここは3人でまとめてやりましょうか」
「そうですね。その方が手っ取り早いでしょうし」
「なら、いくか」
★
それは突然やってきて、一瞬にして絶望へと陥れた。
これではまるで、あの日のようではないか。
少女はそう思わずにはいられなかった。
元々こちらの言う事を聞けるような連中ではない事は知っていた。わかっていた。
だからこそ慎重に誘導していたというのに、一瞬にしてそれが無駄になった。
——……また、なの?
また、全て奪われるのか?
いや違う。断じて違う。
あの日、確かに少女は全てを奪われた。そして、あれから得たものはたった1つだ。それは手元にある。
しかし、準備していたものを台無しにされた。
今日が最後の機会だったのだ。
それがこんな呆気なく、何もできずに終わるのか。
「……ッ!」
幾度も耳に届いてくる轟音。
それは一方的な蹂躙の音。
結果は火を見るよりも明らか。
命には代えられないのだろう。
少女は生き延びる事を最優先にした。
「レイヴッ!!」
「ワウッ!」
側に彼女の相棒である狼が出現し、跨ると駆け出した。
その森を熟知した勝手知ったる者の走りだ。
その距離からも少女らの存在の薄さからも普通なら追いつかれるはずがない。
普通であれば、だが。
疾駆を続ける少女らは突如、鈍い音を森に響き渡らせると共に強制的に止められていた。
「キャィッ!」
「カハッ!」
背中に強い衝撃を感じる事で息が一瞬詰まるが今はそれを気にする余裕もなく、少女は驚愕の表情をし、止められた者に視線を固定する。
黒髪に最近の流行りの服など知らない少女でもわかるほどに風変わりな服装。しかし、それでいて何処と無く気品を感じられる。
どこかの貴族か? ぱっと見そう感じられたがそれはすぐさまに否定する。
こんな所にいるはずもない上に、先程の蹴りや立ち振舞い、動きに気品さではなく粗雑さと乱暴さが目立つからだ。
「盗賊、か?」
男はそう言うと「いや、違うな」と頭を振る。
その男は言わずもがな一紀である。
少女の格好を見てどちらかというと野生児っぽい感じだろうか、と。
「グルルルルゥゥッ!」
レイヴは少女を守るように前に立ち、激しく唸る。
「ゴブリンだけじゃなかったか」
レイヴと相対して一紀は身構える。
先に動いたのレイヴだ。
一紀へ一直線に突き進む。その大きさで正面から向かってくるのはそれだけで脅威だろう。
拳を握りしめて迎え撃とうした時、突如として、その巨躯が目の前で消える。
一紀に動揺がなかったかと言えば嘘になる。しかし、思いの外冷静に思考する余裕があった。
(……動きは速かったけど、見失う程じゃない。そんで黒狼で消えたってなると。これは……定番って言えば定番、だよな)
警戒を怠らず、静かに待つ。
チラリと少女を覗けば先程の衝撃で足を怪我していたのだろう。未だに倒れ込んだまま一紀を見ている。
だからこそ、レイヴが怒ったのだろうが、一紀はそれに気づいてはいない。
(ヤバイヤバイヤバイヤバイ……ッ! レイヴ、なんで……。逃げて!)
声は出なかった。彼女は焦っていた。
レイヴが勝手に相手に突っかかるとは思っていなかったのだろう。
この森で遠くからこちらに気付いた上で追いついて見せたのだ。明らかに格上だ。
少女は無理やり体を起こしながら行動しようとしていた。
しかし、だからと言ってレイヴが止まる訳でもない。
「ガァッ!」
一紀に程近い木陰。
死角だ。
そこからレイヴは一紀に襲い掛かる。
「それはそうだよ、なッ!」
しかし、一紀はそれを読んでいた。一紀にとって影からの奇襲は予想のつけやすい能力でもあったのだろう。
とはいえどこから出てくるか、いつ出てくるかは流石に一紀も分からなかった。だが、ここで注目すべきはその反応の速さだ。
一紀はすぐさまレイヴの噛みつきを体を捻る事で避け、そのまま流れるようにその胴体に蹴りを叩き込んだ。
「キャインッ!」
「レイヴッ!!」
レイヴは少女の目の前まで吹き飛ばされた。別に狙ってそれをやった訳ではなく、角度的に偶然そうなっただけだろう。
少女はまだ動こうとするレイヴに覆い被さりきつく抱きしめる。一紀の方をキッと睨んで叫んでいた。
その瞳から溢れ出そうになっている涙は大事な相棒を傷付けられ、己の無力さを見せつけられた悔しさ故。
「やめろよッ! やめて……おねがい……ッ。私達が、何を、したの……」
久々に大声を出したのだろう。声はすぐに掠れていた。
側から見れば一紀が悪人である。それは一紀とて素直に認識できていた。だからこそ困ったような表情を浮かべる。
ゴブリンを狩っていた最中になにやら逃げる気配がしたので咄嗟に追いかけ、襲われた所である。
「いや、ゴブリン供を潰してたらここまで来ちゃった訳なんだけど……」
少女の眉がピクリと反応を示した。
それは僅かな苛立ちである。お前か、と。
「ふざけないでよ! 私達は関係ないじゃないっ! せっかくうまく誘導してたのに……」
頭に血が上り、要らないことまで言ってしまう。
「誘導……?」
当然、一紀は疑問を感じた。ゴブリンの大群を誘導するという行為。その意図は間違いなく碌でもない事に決まっている。
(なんだ……正解じゃんか)
一紀の冷めた表情に流石の少女もどう思われたのかを理解したのだろう。
「ち、ちが……ッ!」
「一紀様いきなり突っ走らないでくださいよー!」
慌てて弁明しようとしたが一紀の背後から出てきたメラニーによってそれは遮られた。
彼女は2人の状況を見て「おや?」と顔を傾げると一紀にどうしたのかと視線を向ける。
一紀はメラニーに体を向けると「あー」と頭を掻くと少女を示すように親指を背後に指す。
「盗賊……?」
「疑問形でこの惨状はどうかと思いますよ?」
黒狼と共にいる少女を覗き見ながら一紀にそう言う。
「いやまあ、そうなんだけど。一応ゴブリンを集めまくってた奴らではあるぞ」
「なるほど〜……。どうしてまた」
「さあ? 碌でもない事だろ」
「ふむ」
怪訝そうになにか考え込んだメラニーだったが「まあ、いいか」と口の中で呟くと再び一紀に向き直る。
「んで、どうするんですか?」
「どうするったってなぁ……」
盗賊ならば、この世界では問題にはならないらしい。
しかし、今すぐにそんなことができるほど一紀は肝が据わっていない。
かと言って放置というのもそれは違うだろう。
明らかに不利な状況に少女は口をパクパクと動かし、震えるしかない。
もしかしたらここで死ぬのかも知れない、と。
一紀は思う。
どうもメラニーはなにかとこちらを試すような言動をとっているのは明らかだ。
今はなんとなく少女を殺すよう促しているように一紀は感じる。
しばらく悩んでいたところで一紀はメラニーの背後からガサガサと音がしたのを聞いてそちらを見た。
「……フラン。お前、どうした……!?」
愕然とした表情を見せる一紀。
茂みから出てきたのはなにかとボロボロのフランであった。
顔など泥が付いていたりと色々と汚れている。彼女がメラニーをひと睨みしたことで大体の事の顛末はわかるものだ。
彼女は詳しく聞かれたくないのか一紀の言葉を無視して言う。
「話は……聞かせてもらい、ましたッ!」
「お、おう……」
「こんな事もあろうかと用意していたのですよ。新たな人員を!」
そう言ってフランの背後から更に人が出てきた。
その人物は当然一紀も知っている人物である。
「ロウナか」
「はい、ロウナでございます」
三姉妹メイドの真ん中っ子であるロウナだ。
一紀は怪訝そうに尋ねる。
「なんでまた?」
「なんでも事前調査で少女を認識していたようで。その少女から色々と話を聞きたいと聞き及んでいますよ」
「なるほど」
ロウナの答えに納得したのかそれ以上の追求はなかった。
心なしかホッとしているようにも見えた。
その様子を眺めてメラニーは隣に立つボロボロのフランに呟くように言う。
「もしかしてずっとロウナちゃんに後ろからついて来させたの? さすが首チョン少女だよねー。鬼畜だぜぇ……」
「な、違……っ!」
「まあ、アレだね〜。フランちゃんはやっぱり甘いよ。失敗してなんぼなのに……」
「……不必要と判断したの。これは関係ないでしょ。それに、メラニーも余計な悪巧みをしようとしない!」
そんな訳で少女はロウナに任せる形で一紀達は再び目的地へ向かう事となった。
「レッツゴーッ!!!!」
「おお〜!!」
「お、おおー……」
互いに顔を見合わせ。
「「…………これだからフラン(ちゃん)は」」
「なんで〜っ!」
涙声が
★
3人を見送ったロウナ。
姉であるハイナとはまた色々と正反対な彼女である。冷たい印象を受ける人も多いだろう。
彼女は未だに動かずにいる一人と1匹に向き直ると小さく笑みを浮かべる。
「では、早速話を聞いて行きたい所ですが……はて。どう致しましょうか?」
「…………」
「グルルルルゥゥ」
彼女は場違いなメイド服でこれは失礼と軽くカーテシーをすると続ける。
「ご安心下さい。私こう見えても優しいんですよ?」
とてもそうは思えない少女であった。
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