絵の中の世界へようこそ!

「……知らない天井…………じゃない、よな?」


 一紀が目を覚ましたのは何時なのだろうか?

 朝なのか昼なのか、はたまた夜なのかすらその時の一紀にはわからなかった。

 とりあえず2つ、言えることがあるとすれば、とても快眠だったという事とすこぶる体調が良いという事だった。ここまで熟睡できるとは思わなかっただろう。

 一紀は混乱しすぎて頭が良く回らない状態にあった。

 とにかく現状を把握したい一紀は良く回らない頭をなんとか働かせて少しずつ整理していこうとした。

 だからまず真っ先に何があったのかを思い出そう……としたが再び理性のタガが外れて今みたいに冷静にはなれそうにないので、とりあえずは現在どこにいるのかという話になる。

 それで先程のセリフに戻る。

 目を覚ました時には天井を見上げていた。見上げていたという事は仰向けだという事。

 そう、一紀はベッドに寝かされている状態なのだ。それも普通のベッドなどではなく、とても上品で上質なフワッフワなベッドだ。これなら確かに快眠だったのも頷ける話だが、もちろん、一紀の部屋にそんなものはない。

 それが問題なのだ。

 とりあえず窓を見ればまだ朝だと言う事がわかった。

 ここがどこなのかさっぱりわからない。いや、さっぱりもまた違うのだ。少なくとも一紀は見た事がある天井な気がしてならなかった。

 テンションがどうトチ狂ったのかわからないが見知らぬ所で天井を見つめて「知らない天井だ……」なんて呑気に言おうとして不意を突かれたように一紀は戸惑ってしまっていた。

 一紀の驚きはそれだけではなく、まだ続いていた。

 ベッドから身体を起こして周りを観察する。


「ここの部屋も……知って、る?」


 そう。自分が今どこにいるのか知りたいがこの部屋のことは知っていた。いや、知っている。


「ここ、王の寝室、だよな。……なんでだ?」


 まさか、という思いはもちろんあるのだが一紀はその部屋を自分が描いた絵の、城の中の部屋以外に相応しい解答を見出すことができなかった。

 なぜこのような場所にいるのだろうか?

 そんな疑問が湧き上がるが考えられる可能性としては2つあるだろう。

 1つは一紀の絵が現実になって、安直に考えればそこの王になったという事。

 正直馬鹿げた話だと思うが今の一紀にはせめてそうであって欲しいと現実逃避気味に願っていた。もし、夢じゃないという事になれば一紀の絵が全て消されているという事実と向き合わなければならないという事だ。

 もし、本当に飛ばされているのであればそれはそれで不満はかなりある。

 それはまだ絵が完成していない状態で飛ばされたという事だ。未完成で放り投げられてしまった絵に一紀は申し訳なく思ってしまう。

 思わず胸躍る理想の男キャラもしっかりと描きたかった、と後悔が残ってしまうのだ。

 それに一紀の考えていた人口は半分しか描けていないのだ。

 人の数が不足していることだろう。問題は山積みという事になり、それはそれで頭を悩ます種だ。それにこの国の唯一の男性という事になる。

 それもまた考えなければならない問題だろう。

 とはいえ自分の愛しい者達をどこの馬の骨とも知らない奴に渡すはずもない。

 まあ、これももしもの話なのであるが。

 そしてもう1つはこれが夢なのではという事。


「夢以外にありえないよな……。スッゲーリアルだけど」


 一紀はこの可能性が1番高いと思っていた。

 自分は絵を消されたのがショック過ぎて思わず寝込んでしまい、認めたくないが為にこんな夢を見てしまった、と。


「それが1番妥当だよなぁ」


 だったらこの状況を楽しむのが道理ではないだろうか? 考えた一紀はとりあえずベッドから身を起こした。

 心地良いベッドから身を起こすのはなかなか惜しいという思いもなくはなかったがいつ家族に起こされるかわからない以上この夢を堪能する方が得策だろう。


「やっぱり俺も変わってるんだなぁ。これは嬉しいな」


 壁に掛けられていた姿見を見ると一紀の容姿も少し変化していた。まさに自身が描いた姿だった。


「これが夢っていうのが惜しいな……」

「夢なんかではありませんよ、一紀様」

「……え?」


 突然、背後から声をかけられた一紀は思わず驚いてしまう。

 なぜならそこには誰もいなかったからだ。

 一紀はしばらく考える。

 その美しく響く声の主を。いくら自分が描いたとしても声まではどうしようもなかった。あくまでもなんとなくのイメージであった。それでもこの声にはなんとなくあの子ではないかという確信めいたものがある。

 そしてこの部屋に入れてなおかつ姿を消せる者。

 そんなの1人しかいないと一紀は断定する。


「……ダイナ、か?」

「はい! 一紀様、気づくのが遅いですよっ」

「うわっ! いきなり目の前に現れるなよ!」


 正解を口にすると目の前に、それはもう本当に目の前に本人のダイナが不機嫌そうに頬を膨らませながら上目遣いで現れた。

 腰まで緩やかに伸ばされた銀髪。その銀髪の全体に所々に散りばめられた黒髪のメッシュ。それに何を考えているのかわからなくなってくるようなわざとらしく細められた銀眼。

 僅かな嗜虐心もとい、悪戯心が形になったかのような薄い笑みが浮かべられた口。

 一紀が緻密に描いた青い貫頭衣のような衣装に身を包んだ美しい肢体。

 全てが絶妙にマッチしていて絶世の美少女(一紀が描いた子に可愛くない子などいないが)として成り立つこの娘はなるほど、確かに一紀自らが描いたダイナ・ミルナイルその人であった。

 一紀は驚き、ダイナに当然のように目を奪われて見惚れてしまった。

 それには気づかずダイナは一紀に困惑したように問いを述べる。


「あの、一紀様? 私は別に影が薄い訳ではないですよね? 何故、気づかれなかったのですか?」


 声だけでわかってくれたのは嬉しいのですが、と続けて言うダイナ。

 これは異な事を言う。と一紀は思う。


「姿を消してたじゃんか」


 当然の反論のはずなのだが、ダイナはなおも不機嫌そうに発言する。


「それでも、です! 一紀様の能力なら簡単に私の気配など割り出せるはずではないですか!」

「…………なるほど」


 確かに一紀が設定した時は確かにそれぐらいは容易い、はず。

 一紀の五感はかなりの進化を遂げているはずなのだ。そして、魔力も計り知れない程にある。そういう設定にしていた事を一紀はしっかりと覚えている。

 たしかに、ある程度の能力の確認は必要だろう。

 一紀は一呼吸入れてから目を閉じ、思いっきり集中する事にした。

 まずは肌に集中する。

 現在の温度は低くもなく、だからと言って高い訳でもなかった。いわゆる適温ってやつだろう。これに関してはこの部屋の、いやこの国の魔学技術によるものだ。

 僅かに目の前から少しの甘い吐息と若干の熱を感じる。……一紀はダイナから離れるのを忘れていた。

 そして、なるほど確かに気配というものがかなりわかる。この部屋だけではない、この城中の気配達がわかる。耳をすませば僅かに聞こえてくる喧騒もある。

 次に一紀は魔力について考えた。

 自分の中に莫大な量の魔力があるはずでそれを感じなくてはならない。なら、今まででの一紀自身で何かが違うものがあるはずだった。

 一紀はイメージする。塾考する。想像する。新しい自分を。

 魔力に関しての設定も作ってあったのだ。

 あとは実際にそれをどう実践をすれば良いのかを考えなければならなかった。

 ふと、手を握られた気がした。

 一紀はすぐにダイナだという事がわかった。しばらくすると熱いものが自身に流れてくる感覚がした。コレ・・だ、という確信。その感覚を逃さず、自身のの中に似たものを探す。


「……ッ!」


 しばらくすると一紀は自身の中から凄まじい熱が込み上げてきたのを感じた。そして、それは果てしなく膨大な量だった。

 一紀は目を開けてダイナに目を向ける。


「……ちょっと離れようか」

「はい、申し訳ございません」

「…………」


 とりあえずまったく反省していないのが伝わった。

 一紀の目の前にダイナの顔があったのだ。

 ダイナは悪戯っぽい笑みに手を添えながら離れる。

 一紀は苦笑しながらも口を開く。


「まずは、ありがとな」

「いえいえ、当然の事ですよ」


 これは魔力に関しての礼だった。

 ダイナが一紀のやっている事を察して少しの手助けをしたのだ。


「それとごめんな。まだこの体に慣れてないみたいだ」


 それはダイナに気づかなかった事に関しての謝罪。

 一紀は夢とはいえそういったことはしっかりしておきたかった。

 一紀の謝罪にダイナは目を見開いて戸惑ったように首を振る。


「いえ、私も考え足らずでした。突然の進化に戸惑う事ぐらい少し考えればわかる事ですのに……」


 一紀はダイナの困った姿に笑みを浮かべて思わず頭に手を置き撫で回した。銀髪が滑らかで手によく馴染んだ。撫でている方も気持ちがいいとはこれは至高か!? と心中驚く一紀。


「ありがとな」

「……はい」


 ダイナは不機嫌そうに頬を膨らませてプイッとそっぽを向いた。

 しかし、頬が赤く染まっていた。

 一紀は恥ずかしかったのか、それとも不本意にも嬉しかったのだろうと思い嬉しく思っていた。

 ダイナは気を取り直して一紀に提案をする。


「では、次は力を試してみてはいかがですか?」

「力?」


 ダイナは壁を指差して答える。


「幸い、この魅想城みそうじょうの壁は非常に頑丈です。壁を殴ってもよろしいかと。何かの指針にもなると思いますし」


 最後に首を傾げながら人差し指を顎に添える仕草が可愛いな、と一紀はまったく関係ない事を考えていたりしていたが言っていることは聞いていた。そして、一理あるかもと思い、行動に移していた。

 一紀は拳をきつく握りしめると壁に力一杯振りかぶった。

 瞬間、凄まじい爆発音が部屋中に轟いた。いや、部屋だけではない。

 外はもちろん、城中に響き渡り、地震かと思わせる衝撃が伝わる。

 一紀の斜め後ろからその光景を涼しげな顔で見ていたダイナに凄まじい風圧が襲いかかり、髪はブワァアアーっと激しく後ろにはためかせられた。その涼しげな顔は引きつったような表情に変化しても不思議はないはずなのだが、表情を動かせる事ができないくらいに脳内の情報処理が追いつくことができなかった。

 ただただ困惑がダイナの頭を支配していた。

 ようやく何が起こったのかを頭の中で処理で来たダイナは冷や汗を垂らしながら言葉にする。


「……頑丈のはずだったんですけどね……。まあ、とりあえず……」


 ダイナはそこまで言って一旦言葉をきる。

 一紀はどうしたのかと振り返ってダイナに聞こうとしたがその必要は無くなった。


「カァアアズキ様ァアアアア〜!!」


 先ほどの爆音で色々と騒々しかった外から一紀を心配? しているであろう声が聞こえて来たからだ。

 一紀は思わず苦笑いしながらアイツか、とあたりをつける。

 ダイナも苦笑しながら言葉を続けた。


「とりあえず、騒がしくなりそうですね」

「朝っぱらから申し訳ないねぇ……」

「まったくです」


 一紀は自分が開けた穴から遠くを見渡す。

 奥には黒い外壁が見えていて、そこから城までの間に森や平原などが広がっており、朝の陽射しがそれらを照りつける。元は自分が描いた物とはいえ、その光景は一紀にとっても思わず感嘆の声が出てしまうほどに美しく感じられた。


「夢じゃ、ないんだな……」


 ジンジンと痛む右拳が確かに一紀が今を生きている証を、夢ではない事を示してくれていた。

 一紀はようやく夢じゃないことを自覚したからかこれからの問題に頭を悩ます。

 しっかりと解決しなければ……。

 この景色を、自分が創り出したものを、大切な人達を守る為に、この国を安定させる他ない。

 一紀は、今——決心した。

 家族や晴信などの友達と会えないのは寂しいとは思いつつもなるようにしかならないだろう。


「差し当たって先ずは、目の前の問題からかね?」


 一紀はドアの方に顔を向けるとそのドアはバンッ! と開け放たれた。……ドアが凹んでいたことは見なかった事にする一紀。


「一紀様ッ!!」


 心配そうに声をかけてくるその子に申し訳なく思いながらも思わず声に出して笑いそうになる一紀であった。

 おそらくあのアプリみたいなものがなければ元の世界には戻れないのかもしれない。戻れる方法は片手間にでも探すが見つかったとしても自分は戻ろうとするのだろうか? 一紀は断言することはできなかった。

 あのイラストが消された時点で一紀の中で変わったものが、失ったものが、得たものがあったのだ。


  ——だからこそ……。


 そう、だからこそ一紀の学生、イラストレーターとしての人生はここで終わった。これからは国王だろうか? 他にも道はあるかもしれないが、良い機会ではないだろうか。何であれ、新しい一歩が、試みが、挑戦が数多くあるはずだ。一紀は1つだけ、望む。

 願わくは、この先に幸多からん事を。





 肩ぐらいまで伸ばした青い髪とそれを綺麗に彩るいくつかの白髪のメッシュを振り乱しながらドアを蹴破った美少女、フラン・リキューラがまず最初にその明るい青い瞳に写したのは、自分の大切な人である一紀だった。

 一紀の表情はいわゆる笑顔だった。実際のところ、声に出して笑いたいところを我慢してなんとか苦笑ともとれるような表情だったのだが。

 そしてフランは、握り拳を作る一紀に、その背後にはポッカリと開いた穴。

 フランはその光景を見た瞬間、頬に汗を垂らしながら悟っていた。『一紀様は笑顔で怒りを露わにする、怖いタイプの人だ』と。

 普段は理知的なその碧眼に僅かな焦りの色が垣間見えた。


——襲撃の類かと思って来てみれば、なんで一紀様が怒ってるのよぉ〜……。


 フランはダイナに眼を向けると彼女はただただ涼しげに微笑んでいるばかりでなにもしようとしていなかった。

 ダイナからすれば当然といえば当然の反応だ。フランをからかおうという魂胆が透けて見えてはいるが別段変な反応ではない。

 しかし、フラン本人にとっては全てを丸投げにされたような気分だった。なぜ怒っているのかさえ見当がつかないどころか自分は今、来たところなのだ。

 ……どちらにしろテンパっている頭ではダイナのオモチャにしかならないだろう、と一紀は思う。


「か、一紀様? ど、どうかなさいましたか?」


 先ずは原因を突き止めなければ、とつっかえながらもおずおずと一紀に聞いてくる。

 一紀は『こりゃ完全に勘違いしてるな』と、察してどうしたものかと考える。

 誤解はなるべく早く解いておきたい。


「別にどうもしてないぞ」

「ほ、本当ですか?」

「おう」


 一紀は笑顔で答えてやり、フランは良かった〜と、脱力しようとした時だった。


「ええ、本当になにもおきていませんとも。ええ」

「ダ、ダイナ? ど、どうしたの?」

「いえ、ただドアってあんな簡単に壊れる物だったとは露知らず」


 続けて「少し賢くなりましたね」と満面の笑みをこぼすダイナ。

 一紀はダイナが笑顔で激怒するタイプだという事を知っている。ドアを壊したのが逆鱗に触れたのならば仕方がない。ここは自分ものってあげよう。

 一紀も満面の笑みを浮かべ、未だ混乱中のフランに向かって「後ろ」と指差す。

 フランはギギギッと音がしそうな素振りで振り返るとそこには凹んだドアに大胆にひしゃげた蝶番ちょうつがい

 フランは数々の不安や焦り、動揺などがどう奇跡を起こしたのかわからないが凄まじい勢いで頭が回転し、なんとか答えにたどり着く。しかし、『あ、ヤベェ』という1つの結論に達した時には「はあぁ〜……」と意識を手放していた。


「一紀様、すみません。普段は真面目でしっかりものなのですが……」

「あはは……まあ、知ってはいるよ」


 申し訳なく頭を下げるダイナに笑いながら返す一紀。ダイナはダイナで楽しそうにしていたなとは言わないあたり、いろいろと気をつけようと心を奮い立たせているのだろう。

 そんな時、何の予兆もなくそれは現れた。


「面白そうな気配がしたので下からニュルンッとメラニーちゃん、登場! ってアレ? フランちゃんが倒れてる!?」


 いきなり言葉通りに下からぬっと変なポーズで飛び出して来たメラニーと名乗のる少女はフランとその周りの状況を見るとおよよと大袈裟に動揺を露わにする。


「メラニーか」

「クッ! 出遅れたか……ッ!?」


 そして、悔しそうに歯噛みした。

 四つん這いになって小さな握り拳で地面を叩きつけ、この世の不条理を、理不尽を呪った。


 世界よ、覚えておけ。私は決して忘れはしない……ッ! この時の、この瞬間の悔恨を!

 嗚呼、怨嗟を届けよう! 絶望を届けよう!

 響け! 響いておくれ! この破滅への狂想曲よ!

 刻みつけよう、決して忘れることのできない傷を残そう。一期一会フラッシュバックとはなんなのかを教えてやろうッ!


「いや、悔しがり過ぎだろ!! ていうかなんだよ一期一会フラッシュバックって!」

「ツッコミが遅いですよっ!」


 あざとくテヘッとする彼女はメラニー・レイジュ。

 短い燃えるような赤と慎ましく綺麗な白い髪はボサボサで上の方で横に束ねている。いわゆるサイドテールというやつだろう。

 ショートパンツに『我思う、故に我有り』と書かれた白いシャツを着ている。

 とても元気でズボラな娘である。ちなみにシャツの文字にはいろんな種類があったりする。

 真面目なフランとは良く衝突することがあるメラニーにとってはフランの失態には大いに盛り上がる。

 だからかフランの情けない瞬間を見れなかったのが相当悔しかったのだろうとその大袈裟に涙を流す赤い眼を見れば簡単に察しがついた。

 それはそれとして変な方向にテンションが上がってしまう彼女にはやはりフランというストッパーは必要らしい、と一紀は自分には失敗はなかったと満足していた。


「というかフランとは違って全然心配しないんだな」


 そう口にする一紀だが、この程度ではメラニーが心配するような出来事には、なり得ないだろうとは思っていた。

 彼女が先ほど言った通り面白そうだったから。本当にそれだけのはずだ。

 その証拠としてメラニーはないないと肩を竦めておどけてみせる。


「だいたい、ちょっと考えれば襲われてないってことぐらい察しがつくはずだしね〜。フランちゃんは一紀様の事になるとす〜ぐ自分を見失うから」


 妙に鼻につく仕草に思わず『我ながらなんちゅう性格に……』と戦慄する一紀だがメラニーの話を聞きながらそれは仕方がないと一紀は思う。何より自分に非があるとすら思える。

 一紀の中では少し思い込みが激しい程度の認識だったが、どうやら自分の考えた設定と多少のズレがあるのかもしれない、と設定を過信しないようにと心掛ける事にした。

 そんな事を思っているときだったが一紀はふと穴の外から2つの気配が近づいてきているのに気が付いた。

 ダイナはそんな一紀の様子を見て察すると納得したような表情でなるほどと零した。


「何がだ?」

「いえ、とっくにヒュールが来ていてもおかしくはないと思っていたものでして」


 ダイナの言うヒュールとは、ヒュール・リンネールという子の事だ。

 翡翠色の眼とウェーブのかかったような癖のある緑の髪にはメラニーやフランと同じように白髪のメッシュもある。基本ショートだがサイドは長めに、襟足だけ細長く腰のあたりまで伸ばしている。いわゆるウルフカットといった髪型に合わせている。ボーイッシュで大人っぽい雰囲気で18歳ぐらいの見た目、大体ヘッドホンを首にかけていてゆるい服装を好んでしている。基本的にマイペースなボクっ娘である。


「あ〜、確かに」


 一紀がそう答えるとダイナは穴が空いた所を覗き見ると哀れみを帯びた視線と共に得心がいったかのような表情をする。


「些か、準備がいいみたいですね。可哀想に……」

「……みたいだな」


 一紀も確かに準備がいいと下の方からこちらに向かって飛んでいる2人を見て同意する。

 こちらに向かって来ているのは2人だ。1人はヒュールでもう1人はヒュールに脇のところに手を突っ込まれて抱えられている状態でこちらに連れてこられているパーカーを着た金髪の子。

 その子が準備が良いとダイナに言われた原因だ。

 名前はアミル・キスリット。

 金髪金眼でこちらはダイナと同じで黒髪のメッシュを持った子だ。

 身長はメラニーといい勝負だがこの中では1番低く、髪は地面につくぐらいに伸びている。その綺麗な金と黒の髪は白いロングジップパーカーのフードによって多少の露出しかしていないが。

 見た目15歳ぐらいのいつもあどけない表情をしている子だ。

 眠そうにしている事が多いが基本的に自由な子だ。

 ただ気分屋でもある為か今のヒュールがしているように連れ出される事が多い。顔が不機嫌そうにしているのは何かしらあったのかもしれないが……。いや、現在進行形であるのだろうが。

 その2人が穴から部屋に入ると、ヒュールが一言、笑顔で言った。


「この穴、修復させますね」

「……ヒュール。この扱いはどうかと思う。あと子供扱いもやめて。……ついでに、一紀様おはよ」

「……おはよう」


 ヒュールのあまりにも唐突な行動と言葉にアミルが目を細めながら言う。そして、ついでのように、というよりついでで一紀に挨拶をした。それに一紀は今日初めての挨拶だなと思いながらも返す。

 一方、ヒュールはといえば「そうかな?」とニコニコと笑みを浮かべていた。


「……うん。……とりあえずおろして」

「ええ? 嫌だよ〜。このままだとボク、壁に埋まっちゃうし〜」

「そんな事ない」

「じゃあこの足、なんとかしてくれないかな?」


 ヒュールの足は地面に手で掴まれたかのようにガッチリと捕まっている。

 十中八九アミルの仕業である。

 しかし、ヒュールの胆力もすごいものだと一紀は感心する。ずっとあははとほんわかしそうな笑顔でそのやりとりをしているのだ。

 可愛いものが好きな彼女は可愛いアミルのいろんな表情が見たいがためにイタズラまがいの事をしてしまう、らしい。もっとも、対象はアミルだけと言う事もないのだが……。

 なんとかアミルに許してもらったヒュールは壁にならずに済み、アミルはてくてくと仕方がなさそうに穴の方に向かって行く。

 一紀はどこか感慨深そうに考え込んでいた。その表情には喜びの感情が僅かにだが伺える。


——いきなり、五玄星ごげんしょう全員に会えるとはなぁ〜。


 いつか、会うだろうと一紀は思ってはいたのだが、思いの外、邂逅が速かったらしい。

 アミルは壁が壊れた場所に立ちそのまま地面に手を添えると魔力を流し始める。壁は徐々に形作られていく。彼女にこのような単純な作業に時間は対して要らないのだ。

 暫くしてアミルが壁を直すと「仕上げ、お願い」とフランの方に向かって口を開き、そのまま開いた口が塞がらないのか唖然としながらその光景を見ていた。全員がそれにつられて見てみる。

 アミルが作った壁は先程壊した壁とデザインなども全く同じだし文句など何もない。頑丈さもかなりある代物となってはいるのだが、その強度に拍車をかけてくれるのがフランの仕上げという訳だ。

 当のフランはと言うと……。


「……ふにゅぅ〜……。一紀様ぁ〜、そこはダメですよぉ〜……あっ、ん……ふふっ」


 とりあえず「あっ」じゃねぇよ! と一紀はツッコミたかったが、その前に寒気というべきか悪寒のようなものを感じてつい一歩引いて黙ってしまう。


「「「「……イラッ」」」」


 うん、なるほどね! と悪寒の正体に納得する一紀。

 しかし、納得している場合ではないと頭を振る。4人が殺気立ちはじめたからか気温が多少下がったような気がしてくる。


「お、落ち着こう! フランは寝ているだけだ!」


 なんとかいろいろと、それはもういろいろと誤魔化そうとさらに続けようとしたが「尚悪いです」とダイナにキッパリと言われれば一紀は続ける言葉を失わざるを得ない。

 そして、ダイナが静かに指示した。


「メラニー、……ボン」


 メラニーは指示されるがままに人差し指をフランにくるくる〜、ズビシッ! と指しながら「ボンッ!」と指さす。


 ——BOOOOOOOOM!!!!


「ふぎゃっ!?」

「ボン、じゃねぇよッ!」


 瞬間、フランの顔面が爆炎に包まれて苦悶の呻き声を上げ、一紀は堪らずツッコミを入れてしまった。

 なかなか息の合った連携は止める間もないくらいに良かった。


「なにすんのよ、メラニー!」


 涙目の顔を煤だらけにしてフランがメラニーに食ってかかる。

 メラニーは「べっつに〜?」と素知らぬ振りをして下手な口笛を吹いてシラを切るがフランはワナワナと両拳を握り締める。どうやら我慢しようとしているようだ。

 その間、一紀はオロオロしていた!

 ダイナは笑みを浮かべてフランに近づいていく。


「怒られる立場の人が楽しそうな夢を見るなんて、どうかと思うんです」

「ひっ!」


 ポンっとフランの肩に手を置くダイナ。

 その手はバチバチと何かが迸っているような?

 その間、「夢とか不可抗力なのでは?」と思いながらも一紀はやはりオロオロしていた!


「ダ、ダイナさん落ち着こう? 夢の事に言及されたら生きていける自信ないなぁ、なんて……。あと、ヒュールさっきからさり気なく足踏むのやめてくれないかなっ! 嫌がらせっ!?」

「フランには心の安寧が必要かなって思ってさ? ほら、癒し癒し!」

「言葉と行動の清々しいほどの違いっ!?」


 畏まってダイナに反省の色を見せつけようとフランは奮闘するが、どうも邪魔する者がいたらしい。

 ヒュールはフランの足をガシガシッ! と踏み付けていた。「こんなに可愛い顔を汚してさ〜」などともっともらしい事を言おうとしているがそこにはなにも感情が込められていない事にフランは気づいていた。というより行動が伴っていなかった。

 フランが「自分は一体なにをしたんだ!」と困惑するのも仕方ない事だろう。

 夢の出来事である上に覚えていない事なのだから。

 この時になって一紀は悟り始めていた。「フラン1人に4人の相手は厳しかったか……」と。どうもメラニー1人の面倒を見るのが手一杯だったらしい。それも危うそうではあるが……。

 フランはなんとか打開策はないかと顔を巡らせてやっとの事でアミルと目が合う。

 フランの顔に喜色が浮かんだ。

 しかし、アミルは味方などではなかった!

 プイッと顔を逸らされた瞬間に絶望の表情になったのは言うまでもない。


「ア、アミルゥ〜っ!」


 一紀は確信した! 常識人1、残念な人4にすると常識人などもっと残念な人に成り下がるのだと。……フランが常識人かどうかは議論の余地がありそうなのはどうなのだろうか。

 そこまで確信しといて、一紀はその問題を棚上げにした。そんな事実などなかったかのように、というかそろそろ止めよう、と。

 もはやその場はカオスと化していた。

 このままではなにも進まないので一紀は一言。


「フラン、壁仕上げてくれ!」


 なんやかんやありながらもフランは壁をしっかりと固めて場は収まった。

 一紀はフランの涙を……いや、目の端にキラリと輝く物を全力で見なかった事にして、なんとか収まった。

 そこで一紀はふと疑問を口にする。


「そういえばヒュールはなんでアミルが必要になるってわかったんだ?」


 そう。ヒュールがアミルを抱えて部屋まで飛んできた事から、最初から壁を直させる気だったのだろうと察しがついた。アミルはまだその事を気にしているのか不機嫌そうにしていた。

 一紀はそのアミルを膝に抱えてフードを外して露わになった頭を撫でる。本能の赴くままの行動だったとはいえ、少し失敗だったのかもしれない。羨ましそうな視線が少しだけ痛い。アミルが上機嫌なのが唯一の救いだろうか。

 ともあれ、確かにあれだけの揺れでなにも壊れていない、などとは思いにくいかもしれないが、この城の壁という候補はその考えが浮かびにくいぐらいには頑丈……のはずである。


「それはですね、ボクがシルネの所にいたからですね〜」

「……監視塔、か」


 シルネと言うのはこの魅想城の近くに建っている監視塔という塔の長である。

 しかし、一紀はなぜヒュールがそんな所に居たのか見当がつかない。ただ自分達を覗いていたというのはなんだか違うような気がしていた。


「はい。なかなか面白いものが見えましたよぉ? 行ってみます?」


 そう、茶目っ気に言うヒュールを見て考える。

 面白い、か。

 一紀ならともかくこの国に住んでいるヒュールが国を見回して面白いものがあるだろうか? そこまで一紀は考えてようやく合点がいった。


「そっか……外、か」

「はいっ!」


 最後に音符が付くのではないかというぐらいに弾んだ声音の返事があった。

 さすがにこれは少し困ってしまう。眉間に皺が多少寄るくらいには取り乱していた。正直、頭がパンパンだったのかもしれない。

 一紀は途中まで描いていた絵を無理矢理断念させられて、ここに……恐らくは絵の中の世界に飛ばされたのだ。異世界と言っても良いだろう。外と言う言葉から考えてもきっとそういうことなのだ。

 飛ばされて絵の中という現実離れした状況を一度、飲み込んで先ず最初に思うことと言えばやはり絵が完成していなかった、ということだった。

 よってそれにより生じる問題を考えれば国内のことに意識を向けてしまうのは仕方がないことだろう。元々容量オーバー気味なのだから尚更のことではある。

 いくらここで考えても始まらないと一紀は思い直す。


「……行くか。シルネのところに」

「ということでシル姉の所にレッツゴーッ!!」


 メラニーの掛け声により一紀達は王の寝室を出た。

 百聞は一見に如かず。

 一紀は痛い頭にそう言い聞かせて監視塔へと向かった。

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