神絵師、発狂す。

 最初は親を喜ばせたかっただけだった、と彼は語る。

 幼い頃に拙く、小さい手で描いた母親の似顔絵。

 それを必死に見せれば母親は柔和な微笑みで『上手だね』『ありがとう』『嬉しいわ』と言うのだ。

 幼い子どもにとって、その言葉はまさに魔法のように感じられたのかもしれない。電撃が走ったかのような衝撃を与えられ、喜ばせようと思っていたのにその言葉だけで自分が舞い上がってしまっていた。

 だから、絵を描くのを好きになるのに、時間はそうかからなかった。

 少し時が経つと、いつしか絵を見せる相手がどんどん増えていった。父親、親戚のおじさんやおばさん、友達にも見せるようになった。

 絵を描けばみんなが喜んでくれる。褒めてくれる。

 数をこなすごとに格段に絵のレベルが上がっていくのを実感すると底知れぬ快感とまだこの先があるのではないかという探究心が彼の筆を走らせていた。

 文字を覚えた頃だろうか?

 もっといろんな人に見てもらいたいという思いにより初めてネットに絵をアップする。

 そして、現実を叩きつけられることとなった。

 確かに絵は上手かったのかもしれない。年相応に、というレベルよりは上だったのだ、確実に。しかし、ただそれだけだった……。

 コメント欄などを見ると絵を褒めてくれる人は確かにいたが心ない言葉で溢れかえっていた。

 初めて貶された。こんなはずではなかった。なぜ? どうして?

 疑問が尽きなかった。

 なぜ褒めてもらえないのだろう。なぜ涙が溢れ出るのだろう。


「ヘタ、クソだから、だ。……悔しいからだ」


 ——上手くなりたいッ!!


 その想いは新しい原動力となっていた。今思えば、それは初めて絵に対して努力と呼べる行動を起こした瞬間だったように思う。

 その後、どうなったのかは語るまでもないだろう。



 彼はこの世に生まれて僅か13年で、学校の学年で言えば中学1年生で世間から神絵師と呼ばれるようになっていた。

 その頃から彼、神野一紀じんのかずきはイラストレーターの〝ジンキ〟として活躍し、数々のラノベやゲーム、各地のイベントなどで美麗なイラストを手掛けてみせた。

 『ジンキ』のイラストはとにかく情報量が多く、無駄がなかった。

 数々のこだわりや遊び心を駆使して描かれたそのイラストは多くの人を魅了した。

 そんな一紀は、その頃から仕事をするようになっていたのだが、それとは別に自分のためだけに、とあるイラスト達を描き始めていた。

 一紀の趣味全開。自重もしない。掛ける時間もまた未知数故に度外視。とにかく本気で細部までこだわりにこだわって遊びに遊んで、まるで物語が作れそうなイラストを描き始めたのだ。

 それは彼にとって初めて自分の為だけに描き始めた絵だった。

 一紀は1つの国を作る事に決めていた。

 手始めにネットで国に必要な要素について調べる事にしたのだ。それも強い国、強国という奴だ。

 ただし、彼の知識は豊富という訳でもなく、いくらこだわったと言っても守備範囲以外の所は正直微妙にわからなかったりしているのだ。

 だからこそ、これがあればなんとかなるだろうという考えのもと、彼は5つの要素に力を入れる事にした。ファンタジーという要素も取り入れる事で知識不足も補う事も可能だろうとあたりをつけて始めた。

 そして、全てがこの中で循環できるように国を作る事にしたのだ。要は輸入など外から取り入れなくても大丈夫な国を築くつもりだった。

 まず、その5つの要素というのが自然、技術力、経済力、軍事力、そして彼が1番大事な、と言うより彼にとっての本命、主目的でもある国民キャラクターだ。後回しになるがそれらのバランス調整も上手く考えなければならないだろう。

 まずは、自然。

 これは国の基盤となる大切な部分だ。

 地形や環境、資源そこにある生植物を左右するものだ。

 だから一紀は手広く全てが欲しいと貪欲に思った。自分が考えられるもののすべてを取り入れられるような環境が欲しいと、それを描こうと考えたのだ。

 畑が欲しい、牧場が欲しい、街が欲しい、城が欲しい、火山や雪山、鉱山が欲しい、森も平原、巨木、砂漠、大瀑布、湖や地下施設も欲しい。

 一紀は想像をどこまでも広げていった。

 時間を気にする必要もないし自己満足の産物。臆する事は何もなかった。

 まずは、その国を囲うように外壁を描いた。金属製でとても頑丈という設定にした。更に、魔術的な補助までしてある。外から見えない様な結界の働きをさせる為のルーン文字が彫られていたりする。あくまで適当に付けた設定だが十分だろう。

 必要とする魔力は空気に漂う魔力で十分で攻撃用の魔法を放たれたとしてもその魔力をある程度なら吸収する事はできる。

 やはりやるならとことんまでなのだ。本当に一紀は自重をしなかった。

 そして、最終的にできたのはデタラメに過ぎる国だった。

 取り入れ過ぎた要素の所為で広大な面積になったのは言うまでもない。と言ってもなんでもかんでも取り入れた訳でもなかったし、国としても小さい方だろう。

 しかし、作業量が膨大だ。

 この広さを無理なく利用する為にはなにが必要なのだろうと考えたところで一紀は技術力という点に注目した。

 折角のファンタジー要素を取り入れたのだ。技術力として名前が上がらないと行けないものがやはりあるだろう。科学技術は当然使うとしてもう一つ、『魔学技術』と言ったところだろうか。

 そこで考えられるものは多く上がるがその中で魔導列車に魔導船、魔導飛行機などの様に魔力を糧にする乗り物は必要不可欠だろう。

 そして、各場所に転移魔法陣の設置もありだ。広大な地域だからやはり必要に感じた。「……あったらいいなぁ」という思いが一紀を突き動かしていく。無理のありそうな設定も趣味だからの一言で片付く。

 とはいえ矛盾しないようにいろいろ工夫もしていた。趣味とはいえ、いや、趣味だからこそ破綻はさせたくなかったのだろう。

 それ以外にやはり娯楽も必要だ。折角の広い土地なのだからそれぐらいの事がないと国に活気など出ないだろう。これにはコロシアムなどの設置をするべきだろうか、と一紀は思う。

 それに活気を出す為にはやはり経済力が大きく関わってくる問題だと一紀は思った。

 物々交換ってのは味気ないし、何より文化ってものが欲しい。

 人の足があっちこちへ行ったり来たりしたいと思うほどの動機。あそこは落ち着く、楽しいなど、なんでもいいのだ。その何かのためにお金を出すっていうのが大事なのだ。お金の為に働き、生きて楽しむ為にお金を使う。とにかく各自に楽しみがあって実際に楽しめる国にするという事が1番って事なのだ。

 通貨にする資源は作った鉱山から取ればいいし、他に娯楽などにもいろいろ手を出せる。

 貴重な資源も大量に取れるのでこの地で仕事に困る事はないはずだ。魔力が豊富に含まれた土地でもある。資源はお金の他にもいろいろな物に加工はできるのだし遠慮は要らないだろう。

 通貨と言うのは人生を楽しむのには必要なものだと一紀は考える。

 本当に自由に好き勝手に、だからこそなんでもありに無茶苦茶な設定をいじくることができるのは楽しく、清々しさすら感じられた。自分の為の絵と設定なのだ。不可能などある訳がない。

 軍事力に関しては国民と国民の組織力に任せる事にした。

 要は国民の戦闘力頼りと言う事だ。

 だから国民の役職や性格、戦闘スタイルなどの設定を大まかにでも決めていかなければならない。容姿も含めてだ。

 そのお陰か一紀は、キャラデザなどに更に熱が入り、力を殊更入れる様になった。

 一紀の趣味的に普通の一般人というのはなるべく避けたい傾向にあった。それ故に人型以外になれたり、長寿だったりとそんな国民ばかりが増えていく一方だった。

 職業も商人や宿屋などと幅広くなっていた。

 一紀自身が考えたオリジナルの種族なども出現し、自分で描いたキャラに1人で悶えたり、盛り上がったりする時間もあったくらいだ。

 そんなこんなで時は過ぎていった。

 そうして、神野一紀が自分の自己満足でイラストを描き始めて5年が経つと18歳の高校3年となっていた。



 もうすぐ梅雨が明ける。

 梅雨真っ只中である高校3年の夏。もう直ぐ夏休みが始まるこの時期、学生は自覚はなくともつい気持ちが緩んでしまう。

 だが、それを責めるのは酷というものだろう。梅雨のあのジメジメとしたなんとも言えない気持ち悪さや面倒な学校に行かなくて済む貴重な長期休みを渇望して悪い訳がないのだ。まあ、どれもこれも人それぞれの休日の過ごし方があるのだ。さぞかし、どう過ごそうかと休日の日々を夢想している事であろう。

 高校3年にもなれば自分の進路にいろいろと忙しくなる人も珍しくはない。

 しかし、誰もが思う事があるのだ。


「……働きたくねぇ」


 と。


「どうした? 唐突に」


 一紀は朝早く教室のドアを開けると、友人、斉藤晴信が机に突っ伏しながらアンニュイな感じで働きたくないと嘆く姿を目撃した。

 この時間帯だと大抵一紀と晴信の2人が教室にいる事が多い。

 晴信は部活のサッカーがあるからその朝練、の習慣で、一紀はただ単に家に居ても暇なのだそうな……。なかなか健康的である。

 晴信は部活を引退したので突然生活リズムを崩さないようにしていた。

 しかし、一紀のその言い訳はなかなか信用されにくかったりする。

 以前に「仕事とかあるだろ?」と聞かれたことがあるのだ。確かにそれもそうなのかもしれないが事はそんな単純ではないのだ。だからその際に「もうすぐ学校なのに絵を描くのは気が散る」と発言していた。

 絵を描く時はそれ相応の集中力が欲しいらしい。

 それはともかく呑気に教室に入りながら話しかけてくる友人に晴信はバンッ! と机に衝撃をあたえながら起き上がって詰め寄った。


「唐突なものか! 常日頃から俺は思っていたっ! 働くということがいかに ——面倒な事なのかをっ!」

「わかる! 世の中を適度に舐め腐って生きて行きたいよな!」

「そこまでは言ってねぇ! けど良いなそれ、でも高い地位がなきゃ無理じゃない? そこまで上り詰めるのも面倒だろ……」

「晴信、落ち着け。今、お前が1番面倒だぞ」


 一紀の辛辣な言葉に多少心を刺されながらもとりあえず落ち着きを見せた晴信。

 それを確認した一紀は「朝っぱらからどうしたんだ?」と聞く。

 晴信が若干落ち込みながらもなにがあったのかを言おうと口を開こうとした時、それは遮られた。


「大体、晴信は働いてないじゃん」

「ぐっ」

「しかも部活引退してからは毎日ダラダラしてんじゃん」

「ガハッ!」

「さらに言うとどんな仕事を探しても楽そうなのがないなぁとか思ってるだけだろ? ただただ無責任に世間の所為にして自分のことから目を逸らして現実から目を逸らそうとしてるだけだよね。それってさ、かなりカッコ……」

「あー、わかったわかった! ごめんって俺が悪かったです、ずびばせん!」


 一紀の怒涛の口撃に心をズタボロにされてしまった晴信は目を虚ろに彷徨わせ、うずくまる。


「別に泣かなくても……。冗談なのに……」

「嘘だろっ。俺を虐めたいだけだ!」


 一紀は晴信の意見に「はあ……」と気怠げに溜息をつくと一言返す。


「情けないなぁ」

「図星突かれたからって再び口撃しようとしないで!?」

「まあ、半分くらいはそう思ってる。んで、実際のところどうしたの?」


 じゃれ合いもひと段落ついたところでいい加減話を戻そうと一紀は強引に話を持っていった。

 その言葉のパワープレーに晴信は「え、半分!?」とか思いながらも、と言うか小さく呟きながらも自分が溢した一言について説明する事にした。


「いや、もうすぐテストがあるだろ? とっても大事なテストだ。そんでやっぱりこう言うのは進学とか就職に関わってくるだろ? そんな大して変わらないとは思うけどやっぱりいろいろ考えちゃうと働きたくねぇという帰結に!」

「はっきり言ってなにを言ってるのかはまったくわからなかったんだけど、要は図星だったんだろ?」


 晴信の額には汗が滲みでていた。

 別に大した嘘を吐いた訳ではなかったがなんとなく自分は何をやっているのだろうという感覚に囚われていた。「なんだか俺、凄く馬鹿っぽくね?」と。

 まあ、ただの事実である以上その抵抗は虚しいだけだったが。

 そこら辺をなんとなく感じ取ったのか一紀もとりあえず話を流す事にしたようだ。


「その、なんかすまん……」

「いや、いいよ」


 居た堪れないのか晴信は一応の形で謝ると、一紀は何時ものことだと笑う。体育会系と文系なのに以外と気が合う2人である。家もそれなりに近い事もあり、こう見えて2人は親友と呼べるような間柄だ。


「でも、一紀は良いよなぁ。趣味を仕事にできたんだから」


 晴信は「楽しそうだよなぁ」と言葉を続けるが一紀は少し悩ましげに顔を顰める。

 確かに好きな事を仕事にできたのは良い事だとは思っているし楽しい仕事だとは思っている。しかし、好きな事だからこそ溜まるストレスもあるらしい。


「でも、結構大変だぞ? 仕上げた絵に文句言ってくる人もいるしね。もう少し前に修正が楽な時点で言って欲しいよ」


 晴信は「マジ?」と顔に表す。

 彼自身、一紀の絵を見たことはあるし、正直素人の彼からすれば「スゲー」や「カッケー」の一言しか言えないようなものだ。でも、それでもかなりレベルの高い絵ってのはわかった。

 そんな絵に文句を言ってくる人が信じられなかったのだ。


「他にも、恥ずかしげもなくもっとエロくしてくれ〜、なんて頼まれる事もあるしな」

「微妙に困りそうな注文だなぁ」

「まあ、俺も興味津々だから話は盛り上がるんだけど」

「お前、恥ずかしいなら無理してそういう事言わなくていいからな? いや、本音だろうけど」


 恥ずかしそうなのを取り繕う一紀に晴信がそういうと一紀は咳払いをして続ける。


「でも、一応良い方向に絵が進化するから良いんだよ。1番困るのが『なんかもっとこう……すごいビビッとくるやつお願い』みたいな事言われたときだよね」


 そのどこか悪意のある下手クソなモノマネで言う一紀の様子を見て思わず苦笑が溢れてしまうのは仕方がない反応だろう。

 どこの天才肌の人だと言いたくなるような発言なのだ。擬音だけで人に物を教えようとする感覚だろうか。……その辺りの注文にも一応は応えようとしている一紀に少し尊敬の念を感じてしまう。

 そして晴信はなるほど、と思う。

 確かに楽しくて楽な仕事はないようだな、と納得した。そこで話はひと段落ついたらしい。

 2人が話し込んでいる間にだいぶ時間が経っていたようで朝の教室らしい喧騒が流れていた。

 その後、2人は自分の席に座り朝のホームルームを待つ事にした。





「そういえば」

「なに?」


 放課後、2人は並んで帰っていた。

 互いに家は近いので自然と2人で帰ることが多くもなる。部活もないので当然といえば当然かもしれないが。

 そんな帰り道の最中で晴信は思い出したように一紀に話を振る。


「今日の朝に話してた仕事で思い出したんだけど」

「結構今更だね」

「まあ、聞いてくれ」

「はいよ〜」


 一紀は今更の話に思わず口を挟んでしまうが晴信は笑っていなしながら話を続ける。


「前に、お前が見せてくれたまだ途中の絵ってどうなってんの?」

「ああ、あれなら今日で一段落着くはずだよ」

「一段落っていうと?」

「やっと男キャラを描きはじめられるって事」


 晴信は前回絵を見せてもらった時の事を思い出しながら「ああ〜」と口にする。

 確かに女キャラしかいなかったなという納得の表れなのだろう。

 そう、びっくりするぐらいに女キャラしかいなかった。


「えっと……何人になった?」

「4999だねぇ」

「……それ、5年かけたんだよな……」

「そうだね」

「…………うーん、結構速いペース、だよな?」


 確かに速いのかもしれない。

 単純に計算をすれば1日に2〜3人の絵と設定を細かく描いているという事になるのだ。

 学校もあるしその上、普通の仕事としての絵も描いているとなればその忙しさは計り知れない。


「確かに……でも、あのアプリがやたらと使いやすいからだと思う。なんか、スゲー集中力続くというかなんというか」

「たしか、タブレット端末使ってたよな? そんでそのアプリっていつの間にか入ってたってやつ、だよな。変な話だよな」


 たしかに変な話ではある。

 怪しさしかないアプリを使おうって思った事自体が不思議で変なのだ。

 しかし、結局は。


「まあ、使いやすければなんでも良いけどね」


 一紀の言う通りだったりする。

 自分にあった描き方ができたし膨大なデータを保存できる物だったからこそ絵が描けたのだ。でなければあんな大きな国の絵やその絵にキャラクターを組み込んでいく事など出来ないし、考えないだろう。

 晴信は一紀の言葉を聞いて納得したのか確かになと頷いて見せた。その後に「それよりも、だ」と言葉を続ける。

 女キャラの数に気圧されてつい聞いてしまった晴信だが聞こうとしていた事とは別の事だった。


「俺が聞きたかったのはどうしてそんなに女キャラを入れたのかって事だよ。いや、男キャラも入れるって言ってたから言葉通り入れるんだろうけど、別に男もたまにぐらい描いても良くないか? いきなり一気に描かなくても良いだろうに……」


 要は「別にランダムに描いても良かったのでは?」と言う事なのだろう。

 順番がどうのこうのというわけではないのだが数が数だったのでずっと気になっていたらしい。女性しか入れない国なのかな? などとも思っていた時もあったとか……。

 一紀は溜息を一つ吐いて晴信に向き直る。


「いいか? 晴信」

「おう」

「まず第一に俺は苺が好きだ」

「………………は?」


 晴信の目から物凄い勢いで光がなくなる錯覚がした。心なしか気温もちょっと下がったような? と一紀は肩をぶるりっと震わせる。

 あまりにも唐突に脈絡もなく突然に苺好き宣言に当然とばかりに晴信の顔には「コイツ、頭沸いてんじゃねぇの?」とありありと書いてあった。勿論、戸惑いもあるのだろうが。


「お前、頭沸いてんじゃねぇの? いきなりどうしたよ」


 というか口にしていたけれども。


「まあ、落ち着け。それでだ」


 一旦、晴信を宥めて言葉を続ける一紀。

 その素振りがすごく腹立たしい。

 晴信の額にピシッとヒビがはいったような?


「俺はな? ショートケーキは苺から食べるんだよ」


 眉間に皺を寄せてこめかみを押さえる晴信。彼は塾考する。

 いや、問題は簡単なんだ。ただこいつをどうしようか、ていう塾考。彼はとりあえずまだ我慢する事にした。


「つまり、好きなものから描きたかったって事だよな? にしては国から作ったよな? 国の方が好きなのか?」


 一紀は両手を肩の高さまであげて心底「わかってないなぁ」と伝わる表情をした。どこか自慢気でかつ余裕のようなとてもウザい表情と仕草。勿論、晴信の額からはさらにビキッと割れるような音が漏れ出る。


「スポンジケーキがなけりゃ元もこうも無いじゃないか」


 晴信の手はこめかみから眉間に移動してほぐし始めていた。

 晴信は思った。「コイツ、今日やたらとウザくないか?」と。


「つまりは、基盤の国が無ければキャラを描いても意味がない、と」

「まあ、そんなところ」

「なるほど。別に大したこだわりとかじゃなくて好み、と」

「そうそう、ショートケーキを食べるのに理由はいらないようにね!」

「ケーキに例えるのやめよう!? さっきからなんなの? その例え! 意味わかんねぇんだよッ!」

「……落ち着こうか」

「わかった。けどそのなんか俺が可笑しいみたいな空気作るのやめよっかっ!?」


 最後の晴信の笑顔が非常に怖かったからか一紀も流石に悪ふざけをやめる事にした。

 晴信はやれやれとばかりに首を振る。

 そして、以前に見せてもらった絵でも思い出してたのかあのキャラ可愛いよなぁ、だのと言い合っていた。


「一紀はさ、お気に入りのキャラとかはいねえの?」


 一紀はうーん、と頭を悩ませる。


「特にこれといったお気に入りはないな。順位とかもロクにつけられないぐらいに全員愛してるね!」

「ああ。まあ、お前はそうだよなぁ」


 一紀の発言に少し納得する晴信。

 一紀は「あ、でも」と言葉を続ける。


「でも趣味とかならあるぞ?」

「へえ、どんな?」

「例えば髪がツートンカラーとかすごい好き。オッドアイもいいよな。そういうのは割と強い設定とかにしてる」

「他は弱いってことか?」


 晴信の当然の疑問に一紀は違う違う、と笑いながら否定する。


「全員強いけど質が違うというか」

「あ、あの五玄星ごげんしょうとか全員そうってことだよな?」


 一紀は覚えていたのかと驚いたような素振りを見せてから続ける。晴信に見せたのは結構前の話なのだ。


「そうそう、あの子達は玄星げんしょうっていう種族でな? 現象とちょっと掛けてる部分もあってだな。あの国では6人しかいない強力な子達で……」

「ああ、待った待った。落ち着け」


 一紀がヒートアップしそうになったことにより晴信は苦笑しながら止めに入った。

 本当に好きなんだな、と若干羨ましげに思いながらも疑問を口にする。


「五玄星なのに6人ってどういう事?」


 五玄星というのはいわゆる称号や集団の名称のようなものだ。

 そこに5と書いてある以上6人目がいるのが不思議だった。

 しかし、一紀は微妙な顔をする。まるで奥歯に何かが挟まったもどかしさのようなものを感じられる表情だった。


「あの子は……なんというか。括りにくい位置にいるんだよなぁ」

「無駄な拘りだな」

「まあそうだね。意義ある無駄な拘りだ」


 晴信はその言葉の意味はわからなかったがどうせ趣味の話なのだ。きっと無駄な拘りなのだろうと納得する事にした。


「あ……。失敗したなぁ」

「なんだよ?」


 一紀から突然何かを思い出したような声が上がる。一紀は心底悔しそうな表情だった為に晴信は少し怪訝そうに問いただす。


「いやな? さっき無駄な拘りって言ってただろ?」

「おう」

「実はその後、まるでケーキのデコレーションのようにな! って言おうとしたのを思い出して……」

「……まだそれ続ける気だったのか。後、デコレーションは無駄じゃねえぇ!」


 食欲そそるじゃねぇかっ! と叫ぶ晴信に一紀はいいツッコミだとウィンクを添えてサムズアップして頷いた。

 それから数分歩いてから2人の帰り道が別になる場所まで来た。


「じゃあな、親友」

「またな、親友」


 コツンと互いの拳を軽く打ち付けて別れを告げた。


「…………晴信、これやっぱり恥ずいからやめない?」

「い、いいだろ、カッコよくて!」


 そうして2人はそれぞれ自宅へと帰った。



「ただいま〜っと」


 家の扉を開けてそのまま自分の部屋に駆け出す一紀。家にはまだ誰も帰っていないし特にやることもなく、絵を描くためにそのまま部屋の中に閉じ籠った。

 部屋の中は割と整理整頓がされていて居心地はなかなか良さそうである。

 ベッドの近くには本棚があり、そこにはラノベや漫画がいくつか並んでいた。中には一紀自身が描いた絵も表紙を飾っていたりもしていた。


「さて、描きますか!」


 さっそくタブレット端末を手にし5000人目の女性キャラを描き始めた。

 今日は5000人目の女性のキャラと1人目の男性キャラを描く予定だ。終わりのちょっとした寂しさと新たなる一歩への期待からいつもより所作がキビキビしているように見える。

 いつものようにアプリを起動してちょっとした高揚感を感じながら描き進める。

 3時間後にはそのキャラは出来上がっていた。驚くべき速さである。

 まるでそのアプリを使っている時だけ時間の進みが別のものになっているかのよう。

 今回はどうやらいわゆる獣人という奴を描いたらしい。

 今までにもいくつか描いてはいるが種族として括るとどれも違うものになっている。

 みんな良いところがあり、可愛くて思わず身悶えしてしまう、と一紀は自画自賛する。

 何度見返してもやはり良いものは良いと思う。

 一紀はひとしきり絵を眺めた後、晴信の言っていた事を思い出す。


「確かに不思議な話ではあるんだよなぁ……。このアプリ」


 いつの間にかタブレット端末に入っていたアプリ『Your New World』。

 アイコンには『わーるど』と赤い筆で描かれたものだ。当初、不思議と興味を引いたそのアイコンをタップしてからというもの、今までずっと好きだった絵に更に熱が入ってのめり込んだのを一紀は良く覚えている。

 今では良き思い出の1つだ。

 それはともかく、次の絵を描く事にした。

 自分の描いた国の初めての男性キャラ。その男性キャラをどんなものにしたいかは一紀の中では結論がすでに出ていた。

 渋い老賢者や老執事などと色々と妄想を暴発させて思わず興奮してしまうがまずはこの国の王を描く事に決めていたのだ。


「そんで、その王は勿論、俺でしょう! あぁ、やっとここまで来た、これでようやく半分突破だな」


 自分の趣味全開で自己満足の為の絵なのだ。一紀自身が王の立場にいない訳がなかった。

 ちなみにそれなりに自分を美化して描いているのは言うまでもないことである。

 身長175センチほどで筋肉の引き締まった細マッチョ。顔も結構整った形にした。多少の美化、なのだろうか? まあ、人の価値観とはみんな違うから面白いのかもしれない。

 一紀は少し微妙な顔をしてしまう。


「さすがにこれは晴信に見せられないな。俺が死ぬ」


 間違いなく黒歴史に刻まれているだろう。自分を美化した絵など恥ずかしげもなく晒せるほど一紀の心臓は強くない。

 そして、こんなものを晴信に見せたら恥ずかし過ぎると一紀は苦悶を洩らす。

 だからと言ってやめないあたりが一紀が一紀たる所以だろうか。

 外見の設定はなんとか無事に終えた。

 次は能力面の設定に移る事になった。

 内面はそのまま自分のありのままを示せば良いので特に困る事はない。一紀は内面の部分、つまりは性格なのだが、それを実際に文字にするとなにやらまた黒歴史が量産される気がしてならないので流石にやめといた。ポエムのような形になったら一紀は耐えられる自信がなかったのだ。それはもう、いろいろと。

 と、言うわけで能力面だ。


「どうするかなぁ。他の子もかなり強いのがいるからなぁ……。よし、決めた!」


 即断即決、とまではいかないがそれなりに早めの決断だった。

 彼は早速とばかりに思い浮かんだ能力を文字にし始めた。

 まず、魔力は膨大の量を保有している事にしよう。しかし、魔法は使えない。その代わり身体能力の高さや魔力操作に秀でている。さらに魔法抵抗力も高めに設定しておく。

 とはいえ、数値化すると時間だけが過ぎて殆ど作業が進まなくなるのであくまで文字で設定し、多少曖昧なぐらいがちょうど良いだろう。

 キャラが多過ぎて数値化するのは流石の一紀でも途方がなかったらしい。

 閑話休題。

 魔法が使えないのに魔力操作が得意にしたのは無駄に見えるかもしれないが、一紀はココにこそポイントがあるのだ、と1人で得意げな顔をする。

 他に何か付け足そうかとも思わなくもなかったようだが、王の能力はこのぐらいコンパクトでシンプルの方がいいだろう、というのが一紀の最終的な考えに収まった。

 さて、こんな能力を持った黒髪の少年である若き王の種族はどんなものが良いだろうか?

 ただ、常人種ヒューマンとするのは芸がない。だからと言って別の種族にするのも面白みがない。


「どうしようかねぇ……。人の身でこの魔力量は、ないな。だからと言って神とか亜神ってのは違うし俺が嫌だな。ハイエルフみたいにハイヒューマン? 違うなぁ〜」


 なかなか考えが纏まらないのか回転椅子にドカッと倒れこみ、うーんと唸りながらクルクルと回り始める。

 ハイヒューマンはなんか違う。パーフェクトヒューマンとか思わず失笑……。

 やがて、自分の名前の紀から取ってみようかと考えた。

 。年代やとし、きまりや掟、つまりはルール。史書においては帝王の一代を記されてる。英語にすると『periodピリオド』だ。ピリオドは終止符、という意味にもなる。

 一紀は「これはなかなか良いのでは?」と思案した結果『紀人種レイズ・ピリオド』。

 ……若干センスがないかもしれない、とは思いつつも。

 しかし、無駄な所の決断力だけは無駄にある男、神野一紀。迷いなく即決であった。

 ターンッ! とエンターキーを打つかのように決定ボタンを押した。

 しかし、過去を振り返る事の出来る彼は知らない。冷静になって考えればこれは黒歴史だ、と。


「ふぅ〜……ん? なんだこれ?」


 一紀は、一通りの作業が終わり、心地良い脱力感に襲われていた所に突如、アプリからお知らせが届いていた。

 そして、そこに書かれていた内容は


『以前男性と答えたYou! 今回Youは初めての男性をpaintしたね? このキャラクターはYouですかい? 【イェッス〜ッ!イェーイ!!】 【ッンノォオオオオ〜……】』


 であった。


「…………」


 ……とりあえず、困惑はしていた。


 ——なんだこのノリノリのテンションは!


 とてもではないがついていける気がしなかった。

 折角の心地の良い気だるさに身を任せようとしていた所にこんな空気の読めない、そもそも読む気もない文を読んでしまえばそれもぶち壊されるのも当然だ。

 一応、話の中身だけは重要そうだ、と一紀は気を持ち直す。


「ていうか以前? ……ああ、そう言えば前にもあったな。こんなのが」


 そう。5年前に初めての、キャラクターを描いた時にもこんなムカつく文が送られてきて性別を確認してきていたのだ。

 まあ、今はどうでも良い事なのだが……。


「まあ、もちろんイエスなんだけど……これ選ぶの凄い嫌だな……」


 とはいえ、選ばなければ進まない。

 そのまま肯定を示すボタンを押してしばらくするとまた次のお知らせが来た。


『サンキューッ!! では、神野一紀クン! このYouの創りあげた世界を数百段階上へとアップグレードする気はないかいッ? 【ようこそ!New Worldへ!!】 【Sorry……また今度にするよ☆】』


 前の文と同じような軽さで重要そうな事が綴られていた。

 一紀はこの内容を確認した時に電撃が走ったかのような衝撃が全身を駆け抜ける。


「数百段階……上? アップグレード?」


 ——俺が描いた絵をさらに数百段階上に引き上げるだと?


 一紀の目はそう物語っていた。

 全身がワナワナと震えだす。全く何を言っているんだか、とばかりに。


「時代が来たかっ!」


 全力のガッツポーズを決めて、またしてもエンターキーよろしくとばかりにタターンッ! とタブレット端末を打ち鳴らしていた。……壊れてはいない。

 今でこそこの口調のせいで信頼などだだ下がりだけれど、このアプリは一紀とかなり相性が良かった。彼にとってとても描きやすい媒体だったのだ。

 そして5年間うんともすんとも言わなかったこのアプリがアップデートをしようぜ! と言っている。

 実際はアップグレードなのだが一紀はどっちも同じようなもんだと断定している。

 故に、非常に肯定を押すのが憚れる文字列を押したのだ。まあ、否定の方の選択肢も妙に押す気のなくす文ではあるが……。

 その後に、通貨の形と単位が変わるけど良いよね? ね? と、聞かれていた一紀は「後でまた変えれば良いか」と、そのまま了承する。

 そして、画面には横長の細い棒が一本出現し、それがだんだん満たされていく仕組みのあのダウンロード画面に引っ張りだこの棒がパーセンテージと共に満たされていく。


「ふんふんふふ〜ん♪」


 一紀は上機嫌に鼻歌を歌いながらパーセンテージが100%になるのを待っていた。

 やがて、100%になると画面にまたあの軽〜い文字の羅列が並んだ。


『んじゃ、送信と圧倒的改良化アップグレードが終わった所でこのWorldのデータからさらばしようゼ!』


 その文章を目にした瞬間、世界が止まったのではないかと思うぐらいの静寂が一紀の部屋に訪れていた。

 笑顔もそのまま固まり、今ではただただ不気味なだけであった。

 どのくらい時間が経っただろうか? 短いような長いようなよくわからない時間が流れた後、部屋の中で1つの変化が生まれた。

 タブレットの画面に10秒前とカウントダウンの数字が写ったのだ。


「フッザケンナォアアアアアッ!!!!」


 一度、持ち上げられたものを落とすとどうなるだろうか? そういう事だった。

 滂沱の涙を流しながら画面にひたすら叫び続けることしか一紀にはできなかった。

 ウィルスの一種だろうか? こんな事なら怪しげなアプリを使わなければ良かったと後悔し始める一紀。


「俺の作品をッ! 俺が! 心血注いだ俺の自慢のキャラを奪いやがってぇえええええっ! クソッ! コノッ! アァアアアアアアアッ!」


 叫んでいる間にも数字は進み、タイムリミットが来ると、タブレットの画面から凄まじい光が部屋中を包み込んだ。

 そこで一紀の意識は暗転する事になる。

 光が収まるとその部屋には一紀の姿はどこにも見当たらなかった。

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