プロローグ・その日、やはり雨は降ったのだ

 悲哀。つまりは悲しみを表現するのに最も使われる、最早代名詞と言ってもいい事象は雨ではないだろうか。

 涙雨という言葉があるぐらいだ。

 少なくともプラスの感情面で使われる事はほとんど無いはずだ。

 強いて1つ、例を挙げようと思えば〝恵みの雨〟というやつぐらいだろう。

 なんとも酷く限定的なことか。

 あらゆる物語で、数多くある悲劇的な現場に、雨は降っていた。

 殺人現場然り、友人の旅立ち、大切な人との決別、涙を飲んだ重要な場面。

 雨が降るから事件が起きるのか、事件が起きるから雨が降るのか。

 考察してわかるようなものではないが、やはり嫌な天気だと、思わずにはいられない。

 その日もまた……。



 馬車1台。

 御者1人。

 護衛に5人の男。

 それはどこかの個人規模の商会、もしくは村の特産品を販売する為に街へ向かう道中のような光景。

 然程珍しくもない光景。

 しかし、よくよく観察してみれば多少なりとも違和感が浮き彫りになってくる。

 商会なのであれば村を行き来するだけにしてはやけに厳重な警備であるし、村人にしては緊張感に欠ける上に装備が整い過ぎてるように思える。

 しかしまあ、常識の範囲内なのだろう。

 その一団を見かけても誰も声を掛けることはない。そもそもそこまで気に留める人はいないのだ。

 その一団は今日も何事もなく街に辿り着くだろうと確信していた。


「ん?」


 先頭を歩いていた護衛の1人が前方に注意を向けるとなにやら複数の動く物体を視認する。

 水色で透明感のある丸い身体。それでいて触れれば割れてしまいそうな程ぷるぷるとしている。

 それだけわかれば、それが何かはすぐに察知できる。


「スライムか……」


 種類の幅がとりわけ多いスライムだが前方にいる奴は一般的なスライムだろう。

 つまりは雑魚という事である。

 男の呟きを聞いて、近くにいたもう1人の男は顔を顰める。


「楽な道のりだとは聞いていたが、ここまでとはな……。どうりで村の奴らが飽きるわけだ」


 安全なルートを選んでいるとはいえ、彼らにとっては退屈に思えて仕方がない。

 別のルートを選べばいいと思うかもしれないが……万が一にも荷物の受け渡しに失敗すれば、上は彼らを許しはしないだろう。


「慎重なことで。感心だなぁ」


 つまらなそうにボヤく男の気持ちは、この旅路について来ている者達の誰もがわかる物だった。


「そんなに退屈ならお前がスライム倒してこい」

「しゃあない。誰がやっても変わんねーしな」


 男が剣を肩に担ぎながら1人先行して歩きだす。

 馬車側は談笑でもしながらゆっくりと道を進んでいく。特に特別な事はなく、スライムが現れても尚、今まで通りの光景であった。


「ぐあぁっ!」


 しかし、状況は『パキパキッ』っという音とともに響き渡った悲鳴により、すぐに変わった。


「な、なんだ!?」


 前方に注意を向けると先程スライムを倒しに行った男が剣を振り下ろした状態で氷漬けになっていた。

 よく見れば振り下ろされた剣から水が弾けたように鋭い氷が伸び、男を串刺しにされていたのだ。

 その周りには先程のスライムが3匹いる事からスライムの仕業だと推測できた。


「上位種か! おい! 遠くから攻撃しろ! 多分自爆するタイプだ!」


 的確な判断で指示を出していた男だが混乱が完全に収まるという事はなく少しもたついてしまう。

 その間、3匹のスライムは1人の男を囲んでおり、一斉に飛び掛かる。

 しかし、所詮はスライムの動きなのかその動作は緩慢である。

 男は剣で弾き返そうとスライムに振るう。


「バカ、やめろっ!」


 それを目にした指揮をとっていた男は怒鳴るが時既に遅し。


「え?」


 剣が触れた瞬間、風船のように割れ、氷柱に身体を貫かれて氷漬けになっていた。

 間抜けな表情での最期は遺された仲間になんとも言えない感情を去来させるのには十分であった。


「クソがッ!」


 周りにスライムはもういない。しかし、余りにも一方的で情けない出来事だった。

 スライムに仲間を2人もやられた。


「村に帰れば笑い者だな……」


 誰もその言葉に応える事は出来なかった。

 ただ1人を除いて。


「はて? 村に帰れるおつもりで?」


 冷ややかに、それでいて不思議なくらいに綺麗に響いた声。

 それはゾクリと悪寒を感じさせる程、不自然なものだった。

 誰何の声よりも何時の間にという疑問が思考に割り込む。

 それは、彼女は美しかった。

 年の程は15前後だろうか。落ち着いた雰囲気からはそれ以上にも映るかもしれない。

 吸い込まれてしまいそうなボブカットの深い青の髪はクールさと愛らしさを上手く同居させている。しかし、その鋭い眼光には万人をたちまち射竦めさせ、底冷えする程に冷たい。

 歪みのない均等な顔立ちはまるで人形のようで、それはまさしく誰かに作られた・・・・のでは、と考えさせられる程だ。

 その身に何処と無く和のテイストを感じさせる給仕服を纏う美少女にその場にいる誰もが口を開くことができないでいた。

 って意味がわからないのだ。格好も掛けられた言葉の意味もこの場に居ること自体さえも意味不明だった。

 余りにも場違い。

 そんな彼等の様子に当の彼女はどうしたのだろうかと首を傾げる。

 しかし、無駄な問答は要らないかと思い直すと右の掌からぐにゃり、と水の塊が現れる。一粒の水滴が滴る目前のように掌から垂れ下がっていた。

 それは先程のスライムを彷彿とさせる姿形で、ここに来て指揮を執っていた男は全てを悟るに至る。


「後を追うのも面倒なのでここで大人しくさせていただきます」


 そう言って涼しい顔で腕を振るうと手に垂れ下がっていたものが馬と馬車をまとめて凍らせ、御者を貫いていた。

 移動手段は封じられたと言っていい。

 そして、残り3人。いや、もう1人いるが暫くは出てこないだろうと男は馬車から目を逸らす。


「クソ! お前ら、相手は魔創師だ! 油断はするなよ」

「3対1でか弱い女性を襲う……。下衆ですね」

「どこがだッ! 言ってろ!」


 男達は怒気を放ちながら謎の女性に襲い掛かった。

 しかし……。


「ふぅ……」


 5分後には全てが終わっていた。

 そこには氷漬けにされた男達と1人佇む女性。

 彼女は一息入れると馬車に視線を向ける。

 反応は三つ。

 目的は弱々しい二つの反応だろう。

 馬車の様子を見る限り彼等の本命である1人が出てくるまでしばらく時間が掛かる筈だ。


「……出て来るのを待ちましょうか」


 戦意は大分あるようですし、と。

 彼女は少し呆れを顔に滲ませながら馬車がやって来た道を見る。

 その先には一つの村があるはずだ。


「間が悪いのか良いのか……」


 彼女は僅かに顔を顰める。


「嫌な空模様ですね……」


 空は黒い雲に覆われていた。



 その日もまた、雨は降ったのだ。

 偶然か必然か。

 起きるべくして起きたのか。

 やはり、雨は降ったのである。

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