第34話 ワタシに還りなさい

 ナコトが上半身の倒れ込む勢いで体を前に出そうとするから、

 ワタシは肩と上半身を捻って進行方向を変えます。


 結果として、ナコトは転倒。


「ぎゃーっ! 痛い! 痛い! 痛いのです!」


 転んだだけなのに音速で海面に落下したかのような衝撃が肩に襲いかかってきました。

 しかも、体表への刺激が消えません。


 じわじわと体の中に染みこんで広がっていく感じです。


 ううっ。

 体のダメージコントロールシステムに異常ありです。


「あううっ。

 目が液漏れするし、口の中が濡れていて気持ち悪いのです!」


 聞こえる音が減ったし、

 自分が何処でどういう姿勢をしているのかも分かりません。


 なんなんですか、生身というのは、まるで自分の状況が分からないのです。


「この不便すぎる状態が、生身の五感なのですね」


 ワタシが発するのは、ナコトと全く同じ声。


『なんでだよ!

 オレの体に戻ることを拒否していたのに!

 だから、ヴァル・ラゴウから開放して、

 オマエを自由にしてやったのに!

 なんで、いま、戻ってきた!』


 同時に口を開くのを避けるため、ナコトは思考だけで伝えてきました。


 ワタシは初体験する発話の感覚が新鮮で楽しいので、声に出します。


「させません。光輝を殺させはしません!」


 起きあがろうとするナコトに対し、

 ワタシは寝転がろうと抵抗します。


 とにかくナコトの行為を妨害するようにします。

 1つの体に2つの人格。ワタシが体の主導権を奪うのです!


 コクピットの床に押しつけられた頬から

 、金属の冷たさが伝わってきました。


 かつて熱は数値として認識し、

 装甲が耐えられるかどうかがすぐ分かったのに、今は分かりません。


 ワタシ達の状況に気付いた光輝が、困惑した視線を向けてきました。


「おい、ヴァル。まさかルァラの中に戻ったのか」


「ひゃわっ。

 初めて耳で聞く光輝の声です。耳がくすぐったいのです」


「それは、やっても大丈夫なことなのか?」


「ふっふっふっ。

 ナコトの体を奪うために、ワタシ丸ごと大移動です。

 融合するかワタシが消滅するか、何か危険はあったみたいですが、

 なんとか、なりました。

 今のところ、混ざらずに共存できています」


 ヴァル・ラゴウを制御しつつナコトの体を奪うことなど、

 端から無理と諦めています。


 ワタシは、もう、ヴァル・ラゴウに戻れなくても構いません。


 もし、人格が共存ではなく融合になってしまったとしても、

 なんの問題もありません。


 ワタシと混ざればナコトも光輝大好きになるはずなのです!


 ワタシの愛でナコトを満たして、

 ナコヴァルと光輝が仲良くなって大団円なのです!


『ふざけるな!』


 ナコトが右手を挙げようとすればワタシが降ろし、

 立ち上がろうとすればワタシが転び、一切の行動を封じていきます。


 端から見れば地面に転がってのたうち回っているだけかもしれませんが、

 今、ワタシは自分と同じ能力を持った自分と組み合っている状態なのです。


「ふふっ。

 ナコト、甘いのです。戦闘経験の差が出たようですね」


『ふざけるな! ふざけるな! ふざけるな!』


 体に対する命令権が同じでも、発する命令の質が違います。


 戦闘経験があるワタシと、訓練経験すらないナコトとでは実力差は明白。


 主導権はワタシが握りつつあります。


 ワタシが後出しで行動しても、ナコトの動きを抑えられるのが何よりの証拠。


 でも、ワタシが少しでも気を抜けば、ナコトは光輝を殺そうとします。


 このまま一生、ここで芋虫ごっこをしているわけにもいきません。


「光輝、ワタシを抱いてください!」


「分かった。何か狙いがあるんだな」


 光輝がワタシに覆い被さろうとし、

 触れる寸前に一瞬だけ指先を強ばらせてから、

 ワタシの体を抱き起こしてくれました。


 はうっ。

 こいつは、やばいですね。

 古典落語に出てくる矢場谷円の無理茶漬けとは、まさにこのこと。


 まさか、

 ヴァル・ラゴウの小指の第一関節よりちっこい光輝が、

 ワタシの全身を包み込むなんて、想像したことすらありませんでした。


 ワタシの暴れる四肢が周りにぶつからないように、

 両手足を使って押さえつけてくれています。


 はううっ、胸がキュンキュン。


 まるで動力部からの緊急警告が連続ピンポンしているみたいなのですよ。


 排熱に失敗したみたいに呼吸が辛いのに、なんだか、とてもいい気分なのです。


 顔が熱いのです。

 内部からの熱膨張で表面装甲が歪んでいます。


 しかも、目の間のちょっと下の方が、フワフワして落ち着きません。


 ん? ん?

 もしかして、嗅覚ですか?

 初めての感覚なのです。


 ああっ、ワタシ、光輝の匂いを嗅いでいるです。


 こうなったら、もう、光輝の味も確かめなければなりません!

 首筋のあたりをペロペロしましょう……。


 あっ。

 でも光輝が後ろからしっかり抱きしめてくれているので、

 振り返ることができないのです。抱く……?


 はぅっ!

 幸せすぎてすっかり忘れていました。


「違うのです。光輝!

 抱くの意味が違うのです!

 気持ちよすぎて満足しかけちゃったじゃないですか!」


「悪い。

 拘束用の道具は持っていないんだ。

 このまま救助を待とう。

 乱暴かもしれないが、ルァラを拘束してから説得する」


「違うのです。

 抱いてといったのは、そういう意味ではないのです。

 赤ちゃんを作ろうという意味で、抱いてなのです!」


「……は?」


 ……ん?

 光輝もナコトも停止しました?


 ワタシ、変なこと言いました?


 『抱く』ってハグを意味する他に、

 赤ちゃんを作る行為の隠語でもありますよね?


『ふざけるなヴァル! 何を言いだす!』


「ますます強くナコトが暴れ始めました!

 光輝、強く抱いてください!」


 体が動かないなら噛みついてやるとばかりに首や顎を動かすから、喋るのが大変なのです。


「体の動きはワタシが抑えます。早く!

 早く赤ちゃんを作ってください。

 幸いナコトは光輝が着せたセーラー服の下は全裸。

 エッチな行為に及びやすいはずです」


「まて、待て、待て!

 こんな時にふざけるな」


「ふざけてなどいません!

 愛の力でナコトを説得するのです」


「言ってること、おかしいぞ!」


「高慢な魔族の姫を、

 騎士が無理やり押さえつけて、

 孕ませるのです!」


 ワタシが反論しようとしたら、口が勝手に動こうとしています。

 ナコトがワタシ達の口を使って発言します!


「やめろ、ヴァル!

 オレはオマエに、アクセス制限をかけていた。

 だから、オマエが仕入れた知識じゃ、赤ちゃんはできないんだ!」


「そうだ。

 ふざけている場合じゃないことくらい、お前だって分かっているだろ」


 うっ……。

 なんかふたり対ワタシの構図になってません?


 甚だ不本意ですが、

 ワタシがふざけていると思われてしまっては、

 せっかくの作戦が水泡に帰してしまいます。


 真面目な口調に切り替えます。

 ゆっくり、はっきりと言葉を紡ぎます。


「ワタシは、3年前、ナコトの心から生まれました。

 ナコトは地球人に復讐するために、

 不要な感情を全て捨て去り、ワタシに押しつけました」


『ヴァル……。

 何を言おうとしている。……オマエ、まさか!』


 ナコトに気付かれてしまいました。

 必死に妨害してワタシに喋らせないようにしてきます。


「やめろ、言うな!」


 ワタシとナコトで声帯の奪い合いです。


「ワタシ、生まれたときから、光輝のことが大好きで

 恐怖と苦痛から逃げるために産み出した感情に過ぎない

 生まれたときから好きってことは

 出任せだ。都合のいいように解釈するな

 ナコトは光輝のことが好きだったということなのです」


 光輝とナコトのふたりが息を詰まらせたのが分かります。

 光輝にとっては意外なのか嬉しい事実なのか分かりませんが、

 ナコトにとっては隠しておきたかった秘密に違いないのです。


 繰り返しますよ?


「ワタシは生まれた瞬間から光輝のことが大好きでした。

 この気持ちはナコトからもらった感情です」


 軍事兵器の制御コンピューターとしての機能は生まれた後に追加されたものです。


「赤ちゃんを産みたくなるまでに成長したワタシの愛は、

 もともとナコトが芽を育てていたのです」


 ワタシはオリジナル人格から切り離された、

 もうひとりのナコトなのです。


 ワタシの感情は無から発生したわけではないのです。

 基になった感情は、ナコトが持っていたはずなのですよ。


「ちょっとだけ残念な気もしますが、

 ワタシの光輝への思いは、ワタシのではなく、ナコトの恋だったのです」


 ワタシが生まれる前、ふたりの間に何があったのかは知りません。


 きっと、年頃の女の子と年頃の男の子らしく、

 互いを意識していたのでしょう。


 好きすぎたから、

 裏切られたと感じたときの反動が、殺意になっちゃったです。


 極端に突っ走りすぎなのです。

 ナコトは困ったちゃんです。


 だいたい、本気で光輝を殺すつもりだったら、

 初手で光輝を上空か海の底に転移させてしまえばよかったのです。


 ナコトは手加減していた。

 ナコトの体に入ったからか、そう思えるのです。

 この体の能力なら、ナコトは何度も光輝を殺すことが出来た。

 でも、しなかった。


 何が、地球に復讐を企む魔王の娘ですか。

 ナコトなんて、ただの恋人いない歴イコール年齢のひきこもりです!


「さっき、光輝に一緒に地球人を殺せとか言っていたのだって、

 要するに『世界とワタシ、どっちを選ぶの』って意味じゃないですか!

 本当は、光輝に自分を選んでほしかっただけなんでしょ!」


 ナコトはワタシ以外と会話したことがほとんどないから、

 どうやって好きって伝えればいいか分からずに暴走しているだけです。


 だから、ワタシみたいに素直に、好きって言えばいいのです。


「光輝、大好きです!

 さあ、ワタシと愛しあ

 オマエは暴走している! 生身で浮かれすぎている!

 ナコト、人の発言中に発言しないでください!」


「いや、待て、ヴァル。いったん、落ち着け」


「ワタシの心は昂ぶっているのです。

 五感を得た今のワタシなら分かります。

 ワタシの体は性的な興奮状態にあります!」


「やめてくれヴァル、ルァラの口でそういうことを言うな!」


「何故ですか!

 光輝はルァラのことが好き。

 ルァラはワタシです。

 ワタシは光輝が好き。

 なんの問題もないのです!」


「友人としての好意だ。

 関係が進展したら嬉しいと思うが、まだだろう!

 色々と間をすっ飛ばすな!」


「光輝のヘタレ!

 あっ。固いのが背中にあたってる!

 もう、体は素直なんだからっ!」


「何処でそういう言葉を覚えてくるんだ!

 操縦桿か何かだろ!」


「おい、ヴァル。こんな時にラブコメ発言するな!」


 む。

 ふたりとも息ぴったりじゃないですか。

 ラブコメ的にいい傾向です!


「ナコトは以前、光輝の尻尾を見て、

 自分が赤ちゃんを産めるか想像して顔を真っ赤にゃぁぁぁっっ!

 っあれはオマエがオレの体に戻った場合のことを仮定しただけだろ!」

 仮定じゃなくて期待です! 今が実践のときです!」


「ヴァル。

 頼む。ふざけるのはやめてくれ!」


 光輝、顔真っ赤で怒っているように見えても、ニヤけてますよ!

 ワタシの裾がめくれ上がってるから、

 さっきからちらちら見ているのも、分かってますよ!


「くっくくっ……殺してやる。

 殺してやる……。

 もし、ワタシの体にエッチなことしようとしたら、噛み千切ってやる」


「おい、ルァラ、落ち着け。

 ヴァル、お前も落ち着け」


「契ってやると言っているのです!

 ほら、契るです。

 それとも、光輝はワタシが嫌いなんですか?」


「状況を考えろ!」


 状況?

 大好きな異性に抱きしめられて、とても興奮している状態なのです!


「ふっふっふっ。

 光輝がワタシを抱きしめれば抱きしめるほど、

 ワタシの愛は大きくなっていくのです!

 赤ちゃん産むまで愛は止まりません!」


「ふざけるなヴァル! 光輝、放せ!」


「どういう悪循環だよ。

 放せば殺されるんだろ、俺は」


「はぁはぁ……早く! 早く!

 いつまでもワタシがナコトの体を押さえつけていられるとは限りません!

 赤ちゃんの顔さえ見ればナコトも大人しくなるはずです!

 光輝の身の安全のためにも、純潔を奪ってください!」


「赤ちゃんなんてすぐ生まれるものじゃないだろ!」


「……え?」


 なんか聞き捨てのならないことを言いましたよ。

 雄性と雌性の遺伝子から、優秀な部分を組み合わせればいいのですよね?


「ふたりの遺伝子を解析していいところ取りして、

 警備ロボか第2世代ETRにでもインストールすればいいのです……よね?」


 はうっ。

 光輝がため息をして、急に冷めた態度になりました。

 何故か拘束する力がガクッと弱くなりました。


 ナコトも余裕を覚えたのか、抵抗が弱くなりました。


 いったい、何事です?


「……ヴァル。

 オマエの知識は断片的で偏っている。

 いや、性知識が、ワタシから生まれたときのままだ。

 オマエは地球人がどうやって赤ちゃんを産むのか知っているのか?」


「もちろんです!

 朝チュンです!

 全裸で一緒のお布団に入って眠ればいいのです!」


「なあ、それの何処で尻尾を使うんだ?

 オレは少し、大人しくしていてやる。

 ほら。アクセス制限を解除したから、

 ネットワークに繋いで、子供の作り方を調べてみろ」


「むむむ。

 ナコトがそういうのなら……」


 インターネッツに接続して、検索です……。

 大量の動画や画像がヒットしました。

 地球人は生殖行為に興味津々?


「……ひゃあっ。

 な、ななな、なんですか、これは。

 尻尾で何をしているんですか。

 えっえっ、わっ。

 だめなのです、尻尾はそんなことにつかうものではありません!

 ワタシやナコトのちっちゃい体にこんなことするなんて、駄目なのです!

 体が壊れちゃいます!」


「分かっただろ、ヴァル。

 自分の無知っぷりが……。

 ああ……もう、疲れる。

 自分の馬鹿さ加減に呆れる……。

 いや、まあ、オマエはオレがそういう知識がないときに分裂した人格だから、

 知らないのは当然だが……」


 ああっ!

 ワタシが動揺したせいで体の自由をナコトに奪われていきます。


「光輝!

 早く赤ちゃんを!

 光輝が助かるためには、ワタシに赤ちゃんを産ませるしかないのです!

 急いで!」


「ヴァル。少しの間、オレから出ていけ」


『ああっ!』


 ま、まずいです。


 体が、体が、ナコトに奪われる!


 こうなったら、最後の手段――。

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