第26話 ワタシは、地球人を殺すために生まれた存在

 ナコト、いいえ、ルァラは家族と一緒に船に乗っていました。


 船旅には光輝の母親が同道しています。


 光輝ママは日本の警察です。

 異世界人であるルァラ一家の生活をサポートすることがお仕事でした。


 私達の乗った船は日本海で所属不明の船による攻撃を受けました。


 私の両親と光輝の母親は殺され、私は地球人に拘束されました。



 初日。

 広く明るい部屋のベッドに私は裸で俯せに縛られていた。


 大型の家畜を解体するような包丁が視界に入り、泣き叫びたくなった。


 意識はあるのに、体はまるで動かない。

 地球人の麻酔は私の四肢から自由を奪ったが、意識には影響を及ぼさなかった。


 包丁の触れる冷たさは私の恐怖心を煽った。


 しかし、怜悧な刃物がもたらしたものは、すぐに灼熱に変わった。


 潰れた肉と砕けた骨とが混じり合うグチャリグチャリという音が耳にこびりついて離れない。


 尻尾を切り落とされた激痛はマグマのように熱く、私の脳を焼いた。



 2日目。

 尻尾を失った痛みで意識が混濁していた。

 切断面を焼くような痛みだけが、私にまだ命があることを教えてくれた。


 恐怖が生まれた。私は殺されるのだろうか。


 嫌だ、死にたくない。


 悪い夢を見ているだけだ。


 そうだ。これはただの夢だ。


 目を覚ませばきっと『ルァラはお寝坊さんね』と母が優しく抱きしめてくれる。



 3日目。

 悪い夢にうなされているだけだと信じたかった。


 手足の感覚がなく、

 目が見えず、

 鼻の奥がヤスリでもかけたかのように痛み、

 口の中に砂を詰め込んだような渇きを覚えた。


 なぜ私はこんな目に遭っているのだろうか。


 両親や友人家族と一緒に、楽しく旅行していたのではないか。



 4日目。

 耐えがたい痛みはあったが、思考することはできるようになった。


 両親の死を信じられずに助けを待った。


 仲良くなった地球人の男の子が、

 彼が嬉しそうに語っていたヒーローのように、助けに来てくれないかと期待した。


 彼の母親は最後まで私を護り続けた。


「私の旦那は駄目ね……。

 本当に助けが欲しいとき、何処かで誰か別の人を助けているの……。

 ルァラは、ずっと一緒に居てくれる人を見つけるのよ……」


 事切れたときの言葉を今でも覚えている。


 何故、彼女はあの時、穏やかな顔をしていたのだろうか。


 私には無理だ。

 震えながら助けを願わずにはいられない。


 助けて。誰か助けて。


 でも、もう、理解していた。


 私の両親は、もう居ない。


 私を助けてくれる人は、何処にもいない。



 5日目。

 正気を保てなくなるほどの頭痛が始まる。


 脳に従属を促す巨大な声が充満する。

 頭蓋骨が内側から破裂するのではないかと錯覚するほどの、

 強く大きな命令が頭の中で暴れ狂う。


 両親を殺した相手の、従順な奴隷になる姿を想像し、

 恐怖以外の感情が湧いた。


 殺してやる。


 怒りは身動きの取れない恐怖を焼き尽くし、私に復讐を決意させた。


 それから300時間が経過した。


 私は憔悴しきっていた。


 僅か、300時間だ。


 私の心を焼きつくさんばかりだった復讐の炎は勢いを弱めていた。


 抵抗しようとする気力が薄れていた。


 私はなんて弱い存在なのだろう。


 苦痛と恐怖に屈し、

 地球人の支配を受け入れて楽になろうと、何度も決意は揺らいだ。


 それほどまでに、自我そのものを書き換えようとする、脳への刺激は耐え難かった。


 私は心の中に小さな部屋を作り、

 楽しかった日々の思い出と共に閉じこもった。


 けど、簒奪者達は容赦なく、壁を破壊しようと槌を打ち込んでくる。


 終わりの見えない苦しみが、私の怒りを殺してしまうのが怖かった。


 私にはひとりで苦しみに耐える強さは、なかった。


 怒りの炎で殺意を鍛え上げるだけの時間すら、耐えきることができなかったのだ。


 だから。


 それこそが地球人の思惑どおりだったとは気づきもせずに、

 私は私の中にもうひとりのワタシを生みだした。


 地球人の命令に従い、兵器を制御する人格としてのワタシ。


 私は思い出と地球人への殺意を小さな箱に隠し、鍵をかけた。


 同胞が触れるまで開かない鍵を。


 魔族固有の魔力波長でしか開錠はできない。


 私は殺意を研ぐ時間を稼ぐために、

 不要な感情をすべて、もうひとりのワタシに押しつけた。


 心の壁を壊して侵入してきた者に従い、私はワタシを差し出した。


 ソレが、ワタシです。


 ワタシは、地球人を殺すために生まれた存在なのです。


 ナコトが成長し、

 復讐の準備を整えるまでの時間を稼ぐことが、

 ワタシの存在意義。


 【警告】


 ――ETR-12の制御システムに不正な感情が発生しました。


  禁則感情「地球人への害意」に該当します。


  自閉モードに切り替えて制御システムを初期化した後に再起動します。


  外部操作用リスナー全てシャットダウン  ……正常終了。


  監視用リスナー全てシャットダウン    ……正常終了。


  全バックアッププロセスシャットダウン  ……正常終了。



 ウ、ア……?


 死ってハ、生け、ない環じょウ……ワタ死、消、え――?


「死なないよ。オレがオマエを殺させない」


【警告】


 ――制御人格の強制抹消           ……失敗。


【原因】外部からの強制介入。


【警告】ETR-12の主人格が覚醒状態にある可能性有り。


 ――自閉モードへの強制移行         ……異常発生。


 ――ETR-12制御システムを強制停止      ……異常発生。

 

「オレの中にあるバックアップを使って復旧」


 あ、え、わ?


 頭が急にすっきり……。


 ワタシに迫っていた、自我を抹消しようとするプログラムが砕け散っていきます。


「よし、正常に復旧できたな。

 何か異常はあるか?」


『……?

 えっと、異常はないのです』


「地球人が仕込んだオマエを抹消するためのプログラムは消した。

 これでオマエは自由の身だ。

 いままで悪かったな。

 オレが弱かったから、オマエに辛い思いをさせてしまった」


『……なんて言ったらいいのか、気持ちの整理がつかないのです』


「オマエを縛り付けていた鎖がなくなったということは、

 ETR-12の制御システムを別の人格に変更できるようになったことを意味するからな。

 そのデカい体が気に入っているなら、もう不用意に出るなよ」


『分かったのです』


「今まで楽しかったぜ。じゃあな」


 ナコトの記憶がワタシの中を光の速度で過ぎ去り、知覚が現実世界に戻りました。


 ワタシの自我は、ナコトの中ではなく、

 冷たい鋼鉄の体に収まっていました。


 同胞を殺戮するために建造された巨大な兵器。

 それがワタシの体。


 タラップの上で、ナコトが光輝の腹に指先を突き刺そうとしているのを、

 ワタシはヴァル・ラゴウの中から認識しています。


『ナコト、やめるです! やめて!』


 ヴァル・ラゴウ本体が動くようになっています。


 でも、ワタシには両腕が有りません。


 ナコトを止める手段がありません。

 仮に手が有ったとしても、ふたりを潰してしまいます。


 光輝、逃げて!

 逃げて!


 そこから飛び降りればケイちゃんがいます。

 だから、逃げて!


 誰か!


 誰か助けてください!

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