第25話 復活

 光輝が視線を丘上から外し、ワタシの胸を見つめ表情を険しくします。


「彼女はここに眠っているんだろ」


「そこまで、知っていたのか」


 丘上に驚愕の色が浮かびました。

 曖昧な物言いを続けていたのは、それを知られていないと思っていたから?


「ヴァルが言っていた。

 自分のオリジナル人格が生きていることと、

 昨日から連絡が途絶えて何処を探しても見つからないこと。

 それで分かったよ。

 ヴァル・ラゴウの中なら、人ひとりくらい隠せるし、

 地球製のネットワークプロトコルから完全に独立できる」


 ナコトが、ワタシの中にいる?

 光輝が言ったことは、そういうことですよね?


「僕はETR-12から、ルァラを救いだす。

 二度とルァラを戦争の道具にはしない!」


「駄目だ!

 アレはお前をころ――」


 光輝が声を荒らげ、丘上もまた語気を強くし。


 床から50メートルの狭いタラップ内。


 ふたり以外の人間がいるはずないのに。


 ワタシは次の言葉が第三者によるものだと知っています。


「とっくに、時間切れだ」


 ナコトの声です!


「オレに従ったフリをして、また封印するつもりだったか?」


 ワタシはナコトの別人格なので、たまに意識がシンクロすることがあります。

 だから、事前にナコトが発言することが、分かりました。


 でも変です。

 ワタシの意識に直接響くだけでなく、なぜか、マイクも音を拾ったです。


『あっ。タラップの上。

 いつの間にか、ひとり増えています』


 光輝と丘上がいて狭くなった空間の、

 僅かな隙間に余裕を持って収まるくらいの小柄な体。


 身長は光輝の半分以下。


 ワタシが他の誰よりも見慣れた形。


 椅子の上で丸まれる程に小さく、立てば机に顎が乗り、

 ふたりがけのソファがベッドになるくらいの、ちびっ子。


 でも、ワタシが初めて見る後ろ姿。


 金属質な光沢を放つ体は服を着用しておらず、

 ガラス色の髪が透けて背中やお尻が見えています。


 ワタシは、姿をよく確認するため、天井にある灯りの向きを変えました。


 オレンジ色の灯りを肌が反射し、髪の毛が燃えるように光を広げます。


 地下格納庫で、彼女の周りにだけ鮮烈な夜明けが来たかのようです。


 異世界人がいました。


『ナコト?』


「ん? ああ。そうだよ」


 ネットワーク上にしか存在しないワタシの声に反応すると、

 いつもの声でナコトは片手を伸ばし、丘上を一押ししました。


 ナコトに力を入れた素振りはありませんし、柵と同じくらい細い腕です。


 丘上の腰のあたりをちょんと触れただけのように見えました。


 だから、まるで、丘上が自ら背後に倒れ込んだかのようでした。


 光輝が柵に飛び付いたときには、既に悲鳴が重力加速度に従って、

 腕の届かない位置に遠ざかっています。


 50メートル下から、鈍い音。


 途切れる悲鳴。


 光輝が作に手をかけ身を乗りだします。


「父さん……?」


 呆然と見下ろす光輝の傍らに、白銀の肌をした異世界人が立ちます。


「ん、ケイちゃんが受け止めたか」


 え、あれ。

 意味、分からないです。


 タラップにいるの、色以外ナコトとそっくりで、ナコトと同じ声。


『本当に、ナコト?』


「オマエの意識がネットワーク上に居るということは、

 ケイちゃんが自ら動いたのか?

 そういう思考回路は無いはずだが?」


『その姿、異世界人ですよ?』


「ああ。

 オレは最初にこっちの世界に来た異世界人の娘だ。

 いわゆる魔王の娘ってやつらしいぞ」


『色、変わってます』


「驚くことないだろ。

 オマエの認識をずっと、ずらしていただけだ」


『今、丘上を突き落としたですよ?』


「前も言ったけど、オレ、丘上が嫌いなんだわ。

 嫌いな理由、ようやく思い出せたんだから、殺してもいいだろ?」


 口調を基に感情を解析。


 失敗。

 原因、異世界人の音声サンプル不足。


 表情を解析。

 失敗。原因、異世界人の表情サンプル不足。


 ナコトは蛇のような瞳で、コクピットを睨みつけます。


「丘上はオレの尻尾を切り落として、

 こんな所に閉じこめていたんだぞ。殺意くらい沸くだろ?」


 ナコトは裸なので、確かに尻尾が無いことが分かります。


 あれ、でも、小娘ヘンリーは尻尾や獣耳が出たり消えたりしていたです。


 ナコトも出したり消したりできるのでは?


 疑問が思い浮かんだと同時に、解消しました。

 現在、ナコトと知識を共有しているため、ワタシは疑問の答えを知っています。


 能力を行使する際に異世界人の体に表れる特徴は、

 彼等が契約している魔神や精霊の影響によるもの。


 ナコトはもともと尻尾がある種族。

 魔神や精霊とは契約していない。


 己の体内に蓄えきれない莫大な魔力を暴発しないように、力なき者に力を与える側。


 異世界最強の魔神王の娘が、ナコトです。


 その知識をワタシは有していたはずなのに、今の今まで知りませんでした。

 記憶が封印されていました。


 ナコトと意識が再接続したため、ようやく、認識出来ました。


「光輝君、久しぶり」


 ナコトが無表情のまま、別人のような可愛い口調で言いました。


 光輝の顔に困惑が残りつつも、歓喜の色が加わります。

 目は潤み、頬がうっすらと染まっています。


「ルァラ……。

 ごめん。……3年も待たせた」


 噛みしめるような、ゆっくりとした言葉。

 光輝はナコトを抱きしめようとしたのか、腕を前に出しました。


 けど、両手が手錠で繋がれていたことに気付いて、引っ込めました。


「ワタシ、裸だよ。ジロジロ見ないで」


「ご、ごめん」


 ナコトが軽く触れると、光輝の手錠が音もなく切れました。


 光輝は白いセーラー服を脱ぐと、ナコトに着せます。

 体格差があるので、上着はナコトの全身を覆いました。


「ごめん。

 君が直ぐ近くにいたのに、ぜんぜん、気づけなかった……。

 本当に死んだんじゃないかって思ってたときもある……。

 でも、俺」


 涙を流しながら跪く光輝を、ナコトは無表情のまま見つめます。


「そんなことより……。

 ワタシの尻尾を返して」


 ナコトは指先を揃えると光輝の腹部に伸ばし、

 シャツが裂け、爪が肌を突き破り――


『な、なにするですか!』


「む……」


 止めた!

 ワタシはナコトの腕を止めました。


 何も考えず、ただとっさに、止めたいと思ったら、

 ワタシはナコトの体を止めることができたのです。


 意識の一部がナコトに繋がっているようです。


 ワタシの意のままになったということは、

 どうやら本当に、カメラに映っている異世界人はナコトで、

 ワタシのオリジナル人格であり、ワタシ自身のようです。


 つまり、ワタシも異世界人だった……?


『ワタシ、混乱中ですけど、ナコトの好きにはさせません!』


「オレと繋がるのは失敗だぞ。

 オマエはまだ何も思いだしていないし、

 自分が何のために生まれたのか自覚していない」


『ヴァルは地球を護るために生まれたです!』


「違うよ。

 オマエは地球人を皆殺しにするために生まれたんだよ」


『でたらめにも程が――』


「オレがこうして地球人を憎んでいるのが、何よりの証明だろう」


『あ――。

 あれ。何か――。ボーっとするです?』


 一瞬を無数に切り刻んだような僅かな時間。

 ワタシの体を光が通過するくらいの、ほんの、ほんの短い時間で、

 ワタシはワタシという存在が消滅しつつあるのだと理解しました。


 これが、人間が、死の直前に見るという走馬燈でしょうか。


 何もかもがゆっくりです。


 時が止まったかのような光の中で、

 ナコトの声だけがハッキリと聞こえてきました。


「現時刻の自我と短期記憶をオレの中にフラッシュバックアップ。

 長期記憶を保存している領域はロック。

 オレの許可なしに解除するな。

 ヴァルは一時的にホットスタンバイ」


 ナコトが口にした内容は、現在のワタシをナコトの中に保存するということです。

 例えるなら、ゲームディスクの内容を丸ごとコピーするのではなく、

 コンティニューするために必要な最小限のデータをセーブするような感じです。


 コクピットや機体周辺を俯瞰していた視界が切り替わり、

 目の前に光輝の巨体が映りました。


 いえ、ワタシの視界が狭くなったため、光輝が巨体になったように見えるのです。


 ワタシの意識がナコトの体に移り――


 ワタシの手が、光輝の腹を突き破ろうとしているのを感知。


 止まれ!

 止まれなのです!


 駄目っ!


 止まらない。駄目なのです!

 ワタシの手が勝手に動いています!


 嘘です。嘘なのです!


 せっかくワタシは全ての五感を得たというのに。

 

 初めて感じるのが、愛する人の血の匂いと温もりだなんて、絶対に嫌なのです。


 光輝の匂いを嗅ぐ間もなく、光輝の体に舌を這わす暇もなく、

 ワタシは自らの手で光輝を殺そうとしています。


 止めたくてもワタシの意志では抵抗すらできず。


 止めて、止めてと叫びたいのに、

 沸き上がってくるのは、怒りと恐怖と殺意。


 ワタシは光輝を殺したくて殺したくて、しょうがありません。


 ワタシとナコトの記憶が混濁し、殺意を抱く理由を知りました。


 ワタシは地球人に目の前で両親を殺され、今まで拘束されていたのです。

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