第二章 竜の生贄になります!②
形見の髪飾りを頭に付けて着替えを済ませると、部屋を出ます。
ここからの行動は他の人に知られるわけにはいきません。
かといってコソコソ動き回れば、かえって不審に思われるだけでしょう。
むしろ堂々と、いつも通りの態度を心掛けるべきです。
途中、見回りの騎士さんに出くわすこともありましたが、軽く挨拶をして立ち去ります。
――砦の裏口から外に向かうと、思いがけない相手が待っていました。
「こんばんは、フローラ。夜遊びなんて悪い子ですわね」
私の親友のマリアです。
動きやすそうな旅装束を着て、一匹のナーガ馬を連れています。
「マリア、どうしてここに?」
「乙女の秘密ですわ」
マリアは右手の人差し指を自分の口元に当てると、いたずらっぽく微笑みました。
「実はさっき、奇妙な夢を見ましたの」
あっ、普通に教えてくれるんですね。
もったいぶらないところ、私は好きですよ。
「人の言葉を話す、ほっそりとしたキツネがわたくしに告げましたの。これからフローラが大切な役割を果たしに行くから、途中まで付き添いをしてほしい、と。……半信半疑でしたが、本当だったみたいですわね」
「ほっそりしたキツネ、ですか」
心当たりはあります。
以前、ミケーネさんと一緒に話しかけてきた動物のなかに、そんな子がいたはずです。
夢という形なら、私以外の人にも干渉できるのかもしれません。
テラリス教の伝承にも、テラリス様や精霊たちが夢を通して人間にメッセージを伝えるシーンがいくつも出てきますし、そういう意味では納得です。
「騎手はわたくしが努めますわ、さ、お乗りなさいな」
私はマリアの後ろに乗ると、北東にある精霊の森に向かってほしいと伝えました。
距離としては、そこまで遠くありません。
ナーガ馬ならば一時間ほどでしょうか。
「フローラ。あなたの役割というのは、いったい何ですの?」
私は少し考えてから答えます。
「森の洞窟に眠っている、精霊の王様を起こすことですね」
王様が竜であること、そして身を捧げるように言われていることは伏せました。
うっかり話してしまったら、絶対に止められてしまいますからね。
「精霊なんて伝承の中だけの存在……と言いたいところですけど、難しいところですわね」
マリアが考え込むように呟きます。
「さっきの夢に出てきたキツネは、大聖堂の天井画に書かれていた精霊の一柱にそっくりでしたわ。その言葉通りになっているのですから、常識を捨てて考えるべきかもしれませんわね」
「私、キツネだけじゃなくてネコやタヌキ、あとはイヌ、サル、キジなんかも見ましたよ」
「あら、なんて羨ましい」
「ふふん。いいでしょう」
私は胸を張ります。
洞窟に到着した後のことを考えると逃げ出したい気持ちになりますが、マリアと話している間は不安を忘れることができました。
やはり、持つべきものは頼れる親友ですね。
一人で精霊の森に向かっていたら、途中で足が竦んでいたかもしれません。
やがて私たちは精霊の森に入りました。
ナーガ馬の速度を落としてもらい、ゆっくりと奥に進んでいきます。
「洞窟の場所は分かりますの?」
「ええ、たぶん。……右に進んでください」
私はマリアに方向を告げます。
彼女には見えていないようですが、少し先のところをほっそりとしたキツネが走っていました。
きっと道案内をしてくれているのでしょう。
ときどき立ち止まっては、こちらをチラリと振り返ります。
目が合ったので、小さく頷いておきました。
大丈夫。ちゃんと追いかけてますよ。
しばらく進むと開けた場所に出ました。
切り立った崖の下です。
ゴツゴツとした岩肌に囲まれた場所に、洞窟の入口がありました。
キツネは最後にもう一度だけこちらに視線を向けると、タタタタタタッと洞窟の中へ駈け込んでいきました。
きっとここに精霊王が眠っているのでしょう。
「ありがとうございます、マリア。助かりました」
私は礼を告げ、ナーガ馬から降ります。
「ここから先は一人で行きます。砦に戻っておいてください」
「お待ちなさい、フローラ」
マリアはサッと馬から飛び降りると、私の横に並びます。
「精霊の王様を起こしに行く。そう仰っていましたけれど、危険はありませんの?」
「……大丈夫ですよ」
「本当に?」
「はい。この目を見てください」
「まるで宝石を嵌め込んだように美しい瞳ですわね」
マリアは私の両肩に手を置くと、こちらをジッと覗き込んできます。
「わたくしを魅了することでごまかす気なのでしょうが、その手には乗りませんわよ」
えっと。
別にそういうつもりじゃなかったんですけどね。
「……まあ、いいですわ」
マリアはクスッと口元に笑みを浮かべました。
それから私の両肩から手を放して、言葉を続けます。
「フローラが頑固者なのはよく知っていますもの。わたくしが何を言おうと無駄なのは最初から分かっていますわ。ただ、あなたの身をいつも案じていることは覚えておいてくださいまし」
「もちろんです。マリアは私にとって、最高の親友ですよ」
「そう言ってもらえるなら、友人冥利に尽きますわね。……フローラ、そのまま動かないでくださいまし」
マリアは両手を伸ばすと、私の髪に触れました。
左耳のあたりにみつあみを作っていきます。
「できましたわ。これでお揃いですわね」
今更になって気付きましたが、マリアの髪にも三つ編みがありました。
私と同じで、左耳のすぐ横です。
「たとえ離れていても、心はいつもそばにありますわ。気を付けていってらっしゃいまし」
「ありがとうございます、マリア。……いってきます」
私は右手でかるく自分のみつあみに触れると、彼女に背を向けて歩き出しました。
胸のあたりがぽかぽかしています。
本当に、自分にはもったいないくらいの親友です。
私は洞窟の中へと足を踏み入れました。
直後――。
「油断しましたわね、フローラ!」
私を見送っていたはずのマリアがものすごい勢いで追いかけてきました。
「帰れと言われて素直に帰るわたくしではありませんわ!」
ええっ。
いい感じで別れたのに、自分でぶち壊しちゃうんですか。
私が呆気にとられているうちにマリアも洞窟に入り――かけたところで、不思議なことが起こりました。
青白い半透明の壁が現れたかと思うと、彼女の行く手を阻んだのです。
激突。
ひいっ。
……ものすごく痛そうです。
「は、鼻を打ちましたわ」
「大丈夫ですか? ――《ライトヒール》」
私は初級の回復魔法を唱えつつ、右手を伸ばして半透明の壁に触れようとします。
あれ?
どういうわけか、私の右手は壁をすり抜けるばかりでした。
そのあとマリアと一緒に色々と試してみましたが、どうやらこれは特殊な結界らしく、私以外の人間は通り抜けができないようです。
「ぐすん。……わたくし、とんだ道化ですわね」
「そんなことありません。追いかけてくれたのは嬉しかったです」
「当然でしょう、わたくしたちは親友ですもの。……とはいえ、同行できない以上は仕方ありませんわね。おとなしく砦に戻りますわ。ただし!」
マリアは、ちょっと偉そうに胸を張って宣言しました。
「商会の総力を使ってとびきりのごちそうを用意しておきますわ! ですから、ちゃんと帰ってくることですわね!」
「ふふっ、分かりました」
私は小さく笑いをこぼしながら答えます。
「帰ってくるときは精霊の王様も一緒ですから、豪勢にお願いしますね」
* *
私はマリアと別れ、洞窟の中を進んでいきます。
天井には一定間隔で水晶玉が埋め込まれており、近づくとパッと橙色の暖かな光を放って周囲を照らします。
細かい仕組みは分かりませんが、魔導灯の一種でしょう。
しばらく歩くと、そこには分厚い金属製のドアがありました。
ドアの手前には全身の毛がやたらフサフサしたタヌキがいて、私の足元に駆け寄るなり鳴き声を上げました。
『たぬー』
「いや、ちょっと待ってください」
『たぬー?』
「あのですね」
私は少し戸惑いながら告げます。
「タヌキは『たぬー』って鳴きませんよ」
『そうなの?』
あ、ちゃんと言葉が話せるんですね。
『タヌキって、どんなふうに鳴くのかな』
「私に訊かれても困るんですが……」
というか、どんな鳴き声でしたっけ。
ネコなら「ニャー」や「ミャー」、イヌなら「ワン」や「バウ」でしょう。
ですが、タヌキはパッと思い浮かびません。
『ぼく、記憶が欠けてるせいで鳴き声を忘れちゃったんだ』
「だから『たぬー』なんですか」
『うん。かわいい?』
「……まあ、愛嬌はあると思いますよ」
『わーい』
タヌキは両手をあげてバンザイします。
なんだか、ゆるい雰囲気がクセになりますね。
「あなたはここで何をしているんですか?」
『ぼくはフローラさまを待ってたんだ。このドアに触ってみて』
「こうですか?」
私は右手を伸ばして、ドアの表面に触れました。
ゴ……ゴゴゴゴゴ……。
重低音がゆっくりと鳴り響き、ドアが左右に開いていきます。
どういう仕組みなのでしょうか。
『このドアは、ナイスナー辺境伯家の血に反応して、自動で開くんだ』
タヌキがのんびりとした口調で解説してくれます。
『大昔にハルトって人が作ったんだよ』
私のご先祖さまですね。
天才的な魔導士にして錬金術師だったそうですから、何を作っていてもおかしくありません。
ドアの向こうには、地下へと続く細長い階段がありました。
足元からひんやりとした空気が流れ込んできます。
「この下に、精霊の王様がいるんですか?」
『うん、そうだよ』
タヌキはくるりと私に背を向けると、階段に向かってトコトコと歩き始めます。
『落ちたら痛いから、足元に気を付けてね。……わわわわっ!』
え、いや、ちょっと。
言ってるそばから自分が落ちてどうするんですか!?
『たーすーけーてー!』
コロコロコロコロコロコロ……。
タヌキはものすごい勢いで階段を転げ落ちていきます。
って、ぼんやりしている場合じゃありませんね。
私は大急ぎで階段を駆け下りました。
* *
階段には手すりが取り付けられていました。
きっと、これらもご先祖さまが作ったものでしょう。
手すりのおかげもあり、私は慌てながらも転ばずに一番下まで降りることができました。
そこは石造りの小部屋になっており、正面には細い通路が続いています。
「タヌキさん?」
おかしいですね。
階段から転げ落ちていったはずのタヌキですが、どこにも姿が見当たりません。
「……先に行ったのでしょうか」
心配ではありますが、ここでボンヤリしていても状況は変わりません。
ひとまず通路を進むとしましょう。
私はこれから竜に身を捧げるわけですが、不思議と恐怖はありませんでした。
いよいよ逃げられない状況になったことで、自然と覚悟が決まったのかもしれません。
まあ、心残りは色々とありますけどね。
もしも幽霊になれたら、クロフォード殿下に、モニカさん、国王陛下、あとはトレフォス侯爵とその一派の枕元に出てやろうと思います。……なんだか過労死しそうな死後ですね。
通路はあまり長いものではなく、ほどなくして視界がパッと開けました。
そこは巨大な鍾乳洞でした。
小さな村であればまるごと入ってしまいそうな印象です。
中央には台形の大きな祭壇が設けられており、そこに覆いかぶさるようにして、一匹の竜が眠っていました。
つややかな光沢を放つ、真紅の鱗。
まるで研ぎ澄まされた刃のような、銀色の角。
私は呼吸さえも忘れて、その荘厳で美しい姿に見惚れていました。
「……はっ」
窒息する寸前で我に返ります。
おそらく、この竜こそが精霊王なのでしょう。
私はゆっくりと祭壇の方に近づいていきます。
……あれ?
竜をよく見れば、身体のあちこちを怪我しています。
眠っているのは傷を癒すためでしょうか。
身を捧げようにも、まずは起きてもらわねば話になりません。
そのためには、まずは治療が最優先でしょう。
「……やりますか」
幸い、私には回復魔法の才能があります。
竜の治療なんて人生初ですが、以前、リベリオ大聖堂にペットのトカゲが持ち込まれたときの経験を応用すればなんとかなる……かもしれません。
ご先祖さまも「魔法はイメージがすべて」と魔導書に書き残しています。
できると思い込めばあらゆる不可能は可能になるでしょう。
そんなふうに自分を奮い立たせつつ、私は意識を集中させます。
鼻から深く息を吸い、一瞬だけ止めてから、口でゆっくりと吐き出す。
そうやって魔力を練り上げ、ピークに達したところで呪文を唱えました。
「――《ワイドリザレクション》!」
竜はとても巨大なので、通常の回復魔法では全身をカバーしきれません。
そこで極級回復魔法の《ワイドリザレクション》を使いました。
むむむ……。
これは厄介ですね。
魔法を発動させて分かったことですが、竜の身体は、内側がかなりボロボロになっていました。
このまま眠り続けていても傷は癒えず、いずれ衰弱して死に至ることでしょう。
私はありったけの魔力を注ぎ込み、竜の体内を元通りにしていきます。
「……っ」
ぐらり、とめまいが襲ってきました。
どうやら昨日までの疲労がまだまだ残っているようです。
歯を食いしばって、途切れそうになる意識を繋ぎとめます。
「ここは無茶のしどころ、ですね」
あとは生贄として食べられるだけなので、後先を考える必要はありません。
全身全霊でいきましょうか。
イラスト:阿倍野ちゃこ
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