第二章 竜の生贄になります!①
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なんとか魔物の猛攻を防ぎ切ったナイスナー辺境伯領軍。
フローラも得意の回復魔法で大活躍!
だが、魔法の使い過ぎでネコ、タヌキ、キツネの幻覚(?)を見始めるほどで……。
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西の山々はいまだ瘴気に覆われており、決して戦いが終わったわけではありません。
とはいえ態勢を立て直す時間を得られたのは幸運と言っていいでしょう。
朝日に照らされながらガルド砦に凱旋したお父様たちを出迎えたあと、私は自室のベッドに倒れこみました。
そこから先のことは覚えていません。
よほど疲れが溜まっていたらしく、すぐに眠ってしまったのでしょう。
『おきてー、おきてー』
ゆさゆさ、ゆさゆさ。
肩を揺さぶられて、私は目を覚ましました。
「ふぁ……?」
身を起こし、部屋の中を見回します。
誰もいませんね。
私、どうやら寝惚けているみたいですね。
窓の外を見れば、夜もすっかり更けています。
まだ眠気もありますし、寝直すとしましょうか。
あらためて横になったところで、またも声が聞こえました。
『ねちゃだめだよー、だめだよー』
ぷにぷに。
ほっぺたに、何か柔らかいものが押し当てられました。
なかなか気持ちいいですね。
ポカポカと温かいのも高ポイントです。
これはいったい何でしょうか。
目を開けると、そこにはふっくらまんまるなミケネコの姿がありました。
『わーい、おきた!』
ミケネコはにぱっと嬉しそうな笑みを浮かべました。
「フローラさま、おはよう!」
「ええと。おはようございます……?」
私は戸惑いながら右手を伸ばしてミケネコに触れます。
『わわっ。くすぐったいよ!』
「幻覚じゃ、ない……?」
喋る動物なんてものは非現実的ですし、これまでは幻覚とばかり思っていました。
けれども、今、私の手はしっかりとミケネコに触れています。
その毛並みは上質で、まるで高級な絨毯のようでした。
「……もふもふですね」
私は小声で呟きながら認識を改めます。
人間の言葉を話す動物というのは幻覚ではなく、現実の存在だったようです。
「でも、他の人には見えてなかったような……」
『ぼくたちを見たり聞いたりできるのは、今はまだ、フローラさまだけだよ』
ミケネコはピョンとベッドから飛び降りました。
『今から大切な話がはじまるよ! ついてきて!』
夜中に、喋るミケネコを追いかけて部屋を抜け出す――。
私はいま、絵本のようなシチュエーションの真っ最中でした。
『こっちだよ! 階段を上るけど、転ばないように気を付けてね!』
「……なんだか喋り方がハッキリしてきましたね」
『フローラさまが元気になったからだよ! 魔力をちょっとお借りしてるよ!』
「借りているってことは、いつか返してくれるんですか?」
『えっ』
「冗談ですよ」
『びっくりしたー』
ミケネコはホッとしたように安堵のため息をつきました。
なかなか真面目な性格のようです。
「そういえば、まだ名前を伺っていませんでしたね」
『ぼくはネコだよ! 名前はまだないよ! つけてくれたらうれしいな!』
「……いきなり重大責任じゃないですか」
私はしばらく考えてから、こう告げました。
「ミケネコですから、ミケーネというのはどうでしょう」
『わーい! かっこいいね!』
「気に入ってくれましたか?」
『うん! ぼくは今日からミケーネだよ!』
ミケネコあらためミケーネさんは、ふふーんと得意げな表情を浮かべます。
同時に、その身体がぺかーとまばゆい光に包まれました。
「ミケーネさん、今のは何ですか」
『えっとね』
「はい」
『わかんない!』
なんということでしょう。
ものすごく自信満々の口調で、まったく中身のない答えが返ってきました。
私としては困惑するしかありません。
「分からないんですか……」
『ごめんね。ぼく、記憶がところどころ欠けてるんだ』
ミケーネさんは、しゅん、と肩を落としました。
くたりと倒れた耳がちょっと可愛らしいですね。
『でも、王様が復活したら、きっと思い出せるよ』
「王様って、ミケネコの王様ですか?」
『ううん、ぼくたち精霊の王様だよ。すごく大きくて、とっても強いんだ!』
なるほど……って、ちょっと待ってください。
いま、精霊って言いましたよね。
それって伝承の中だけの存在じゃなかったんですか。
私が質問を投げ掛けようとした矢先、ミケーネさんが足を止めました。
こちらを振り返って、ちょいちょい、と尻尾で前方を指差し(?)ます。
そこはお父様の執務室で、普段はぴっちりと閉まっているはずの黒塗りのドアが少しだけ開いていました。
『よかった、間に合ったよ』
ミケーネさんは安心したようにホッと一息つきました。
『これから大事な話が始まるから、よーく聞いてね』
私はコクリと首を縦に振り、ドアの隙間からそっと執務室の中を覗き込みます。
橙色の魔道灯に照らされた室内には、お父様とライアス兄様の姿がありました。
二人の間には、どこかピリピリした空気が漂っています。
「なあ親父。あんた、フローラに死ねって言うつもりなのか。オレは反対だぞ」
ええと。
いきなり私の名前が出てきたのですが、何の話をしているのでしょうか。
なんだか不穏な内容であることは間違いなさそうですが……。
「落ち着け、ライアス」
お父様はあくまで冷静にライアス兄様をなだめます。
「まずはこの記録水晶の内容を聞け。詳しいことはそれからだ」
お父様は執務机の上に置いてあった青色の水晶玉を手に取りました。
サイズとしては赤ちゃんの頭ほどあります。
「親父、それは?」
「我々の先祖、初代当主のハルト・ディ・ナイスナーが作った特別な記録水晶だ。管理は代々の当主に任されている」
へえ、そんなものが存在したんですね。
ちなみにミケーネさんですが、いつのまにやら私の頭によじのぼっていました。
それが関係しているのかどうかは不明ですが、普段よりも聴覚が鋭くなったような気がします。
お父様とライアス兄様の会話を、はっきり聞き取ることができました。
「この記録水晶には特別な遺言が残されている。だが、封印のせいで再生することはできなかった。……これまでは、な」
「今は違うってことか」
「ああ。何らかの条件が満たされたのだろう。先程、封印が解除された」
「親父はもう内容を聞いたのか」
「当然だ。ライアス、フローラの兄であるおまえも聞くべきと判断した。少し待て」
お父様は右手に水晶玉を持ったまま軽く目を閉じました。
どうやら魔力を流し込んでいるらしく、水晶玉の内側が青色の光に満たされていきます。
やがて、声が聞こえ始めました。
『あー、テステス。聞こえてるか? オレだ、オレオレ。イスズハルト……じゃなかった、ハルト・ディ・ナイスナーだ』
イスズハルトというのは、ご先祖さまの故郷での名前ですね。
イスズが姓で、ハルトが名にあたるそうです。
ご先祖さまは王国の危機を救ったことによって貴族となったのですが、領地の場所として西部の辺境、当時はナスカナと呼ばれていた地域を希望した結果、当時の王様によって『ナイスナー』の家名を賜ったとか。
『この記録水晶が再生されているころ、オレはこの世にいないだろう。……まあ、当り前だよな。オレの時代からは五百年くらい経っているだろうし、さすがにそこまで長生きできるとは思えねえ』
ご先祖さまはハハッと軽い笑い声を漏らします。
それからコホンと咳払いすると、まるで別人のように真面目な口調で話し始めました。
『さて、本題に入るか。まずはそっちの現状を言い当てるぞ。西の山脈にドス黒い瘴気が出ているんじゃないか? 魔物の大群がガルド砦に押し寄せてきて、一度は凌ぎ切ったが、次はどうなるかわからない。……そんなところだろう』
大正解です。
ご先祖さまの言葉は、現在のナイスナー辺境伯領の状況にぴったり一致していました。
まるで見てきたかのような正確さです。
……そういえば我が家の古文書に『初代当主ハルトは未来視の魔法を持っていた』なんて記述がありましたね。昔話にありがちな誇張かと思っていましたが、もしかすると真実だったのかもしれません。
『危機を乗り切る方法を教えるぞ。よく聞け』
ご先祖さまは真剣な声で続けます。
『ガルド砦の北東に、精霊の森と呼ばれている場所があるはずだ。その奥の洞窟に、精霊王にして偉大な竜が眠っている。そいつに、極級の回復魔法の使うことのできる、ナイスナー辺境伯家の娘を捧げろ。西の魔物を一掃して、ついでに他の厄介事も片付けてくれるはずだ』
プツン。
ご先祖さまの言葉が終わるのと同時に、記録水晶の再生が止まりました。
極級の回復魔法を使うことのできる、ナイスナー辺境伯家の娘。
これって、どう考えても私のことですよね……。
ライアス兄様も同じ結論に至ったのか、声を荒げます。
「捧げるって、どういうことだよ」
「言うまでもないだろう」
お父様は記録水晶を執務机に置くと、低い声で答えます。
「眠れる竜に生贄を捧げることで頼みを聞いてもらう。そのような昔話は、王国の各地に残っている。おまえも一度は耳にしたことがあるはずだ」
「……ああ。オレが小さかったころ、母さんが何度も聞かせてくれたよ」
ライアス兄様は苦い表情を浮かべます。
「けど、竜ってのはおとぎ話の中だけの存在じゃなかったのか」
「実在する。そう考えるべきだろう。我々の先祖がこうして遺言を残しているのだからな」
『そうだよー』
私の頭上で、ミケーネさんが呟きました。
『竜は本当にいるよー。ぼくたち精霊の王様だよー。みんな忘れちゃったみたいだけど、大昔には、人間さんとも仲良くしてたんだよー』
ちょっと待ってください。
私はナイスナー伯爵家だけでなく、王家や教会の古文書などにも色々と目を通しているのですが、竜についての記述は見たことがありません。
ミケーネさんの話が本当なら、歴史がひっくりかえるレベルの新事実ですよね……。
盗み聞きをしているという状況じゃなかったら、驚きのあまり叫んでいたかもしれません。
「我々はいま、大きな危機にある」
お父様は、ライアス兄様に向かって告げました。
「西の山脈には依然として瘴気が残り、新たな魔物が生み出されている。偵察隊の報告によれば、現時点でも二〇〇〇匹を越える規模らしい。明日、あるいは明後日には攻め込んでくるだろうが、その時にはもっと数が増えているはずだ」
「冗談だろ、おい……」
ライアス兄様の顔には驚愕の色がありありと浮かんでいました。
「こっちの戦力は一〇〇〇人ちょっとだ。昨日までの疲れも抜けてない。いくらガルド砦があっても、さすがにキツいぞ」
「……一応、国王陛下が応援の兵をよこしてはくれるらしい」
だが、とお父様は苦い表情で続けます。
「軍を率いているのは、以前からずっと我が家を敵視しているトレフォス侯爵だ。……最悪、背後から刺してくる可能性もある。いや、間違いなくそのつもりだろう」
さすがに魔物と戦っているところに殴り掛かってくることはない……と信じたいところですが、トレフォス侯爵のことですから油断はできません。
「あのヒゲモジャ、うちの家を追い落とすためだったら何をやってもおかしくねえからな……」
お兄様が苦々しげに呟きます。
私も同じ意見でした。
さらに付け加えるなら、現在のトレフォス侯爵領は『精霊の怒り』のせいで土地が荒れ果て、税収が大きく落ち込んでいます。
それなのに侯爵は王都での贅沢三昧をやめられず、借金が膨らみ続けるばかり。
ですから、土地が豊かで税収も多いナイスナー辺境伯領はさぞ魅力的に見えることでしょう。
目先の利益に釣られて、魔物そっちのけの暴挙に及ぶ危険性は否定できません。
「……フローラの婚約破棄は、トレフォス侯爵が裏で糸を引いていたのだろうな」
お父様が、ふと、そんなことを口にしました。
「次期王妃の実家に攻め込めば、それは王家への反逆と見做されかねない。だが婚約が解消された後ならば、どうとでも理屈は付けられる。……新たにクロフォード殿下の婚約者となったモニカ嬢だが、実家のマーロン男爵家はトレフォス侯爵家の親戚筋にあたるそうだ」
「間接的ではあるものの、王家への影響力を手にしたってことか。……最悪だな」
ライアス兄様は嘆息すると、あらためてお父様のほうを向き直ります。
「とりあえず、親父の考えは分かった。……我が家は想像以上に追い詰められている。前方には魔物の大群、背後にはヒゲモジャの軍勢。まさかの挟み撃ちだ。こいつを打破するには偉大な竜とやらに生贄を捧げるしかない。そう言いたいんだな」
「……ふむ」
「オレは反対だぜ。フローラはたった一人の可愛い妹なんだ。アイツを死なせるくらいだったら、ここでアンタを斬る。妹殺しよりは父親殺しのほうがまだマシだ」
ライアス兄様は腰の剣に手を掛けます。
視線には明らかな殺気が込められていました。
私は思わず声を上げそうになりました。
ですが、それよりも先にお父様が口を開きます。
「それでこそだ、ライアス」
「……は?」
「先祖の言葉を無視するのは心が痛むが、父親として、大切な娘を竜にくれてやるものか。おまえも同じ考えで安心した」
お父様はフッと口元に笑みを浮かべます。
「魔物、そしてトレフォス侯爵。両方に対応せねばならんのは頭が痛いところだが、もちろん投げ出すつもりはない。最後まで力を尽くすつもりだ。……いざとなればフローラではなく、わたしが犠牲になればいい」
「親父が竜の生贄になるのか?」
「わたしのような可愛げのない中年が行ったところで竜は喜ばんだろう」
お父様はいたって真面目な調子でそう答えると、さらに言葉を続けます。
「おまえも知っているように、わたしは氷魔法を得意としている。魔力容量もそれなりのものだ。魔物たちのところに飛び込んで魔力を暴走させれば、その大半を氷漬けにできるだろう」
「……それ、親父も無事じゃ済まねえよな」
「当然だ。魔物を道連れにして、わたしは物言わぬ氷の彫像になるだろう。……そうなった場合、次の当主はおまえだ。くれぐれも、フローラのことを頼む」
* *
お父様とライアス兄様の話が終わったところで、私はそっとドアの前を離れました。
フラフラとおぼつかない足取りで自分の部屋へと戻り、ベッドのすみっこに腰掛けます。
頭の上に乗っていたはずのミケーネさんはいつのまにか姿を消していました。
どこに行ったのか気になるところですが、今は別のことで頭がいっぱいでした。
「お父様……」
西には魔物の大群、東にはトレフォス侯爵の軍勢。
我が家の置かれている状況はかなり厳しいものですし、先程のお父様の口ぶりからすると、死ぬ覚悟をすでに決めているようにも感じられました。
大切な人が命を落とすかもしれない。
その可能性を考えるだけで、息が詰まりそうになります。
「……でも」
お父様が犠牲にならずに済む選択肢が、ひとつだけ存在しています。
ご先祖さまの遺言に従い、私が生贄になることです。
そうすれば精霊の王が目を覚まし、西の魔物だけでなく、トレフォス侯爵の軍勢も追い払ってくれるでしょう。
……もちろん、死ぬのは怖いですよ。
けれど、家族を失うことの悲しみに比べたら、いくらかはマシに感じられます。
後悔、無力感、やりきれなさ――。
あんなに苦しい気持ちはお母様の時だけで充分です。
――だから、私は心を決めました。
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