第二章 竜の生贄になります!③
あれ?
どうやら私、気を失っていたみたいです。
床を背にして倒れていました。
うう、頭がズキズキします……。
魔法を使い過ぎた反動でしょうね。
私は顔をしかめながら身を起こします。
それから大きく伸びをして、あくびと一緒に眼を開くと――
「ようやく目を覚ましたか、人族の娘よ」
「……えっ」
深紅の竜が、私のことを上から覗き込んでいました。
「痛むところはないか」
威厳たっぷりの声で、そんなふうに話しかけてきます。
「ええと、はい。大丈夫です。ちょっと頭痛がしますけど」
「魔法を使い過ぎたせいであろう。小さな身体で、随分と無茶をするものだ」
竜はクク、と愉快そうに笑い声を零します。
「感謝するぞ。汝のおかげで我が命は救われ、その傷は完全に癒えた」
「それはよかったです。ところで、お願いがあるのですが」
「分かっている」
うむ、と竜は深く頷きました。
「汝には命の恩義がある。女神テラリスとの盟約に従い、汝が寿命を迎えるその日まで、病める時も、健やかなる時も、富める時も、貧しき時も、あらゆる災厄から守護し、幸福に寄り添い、慈しむことを誓おう」
なんだか結婚式の宣誓みたいな言い回しですね。
って、ちょっと待ってください。
「私のこと、守護するんですか」
「うむ」
「生贄として食べるのに?」
「なんだそれは」
「私、竜にその身を捧げろと言われてここに来たんですけど……」
「我は女神テラリスの眷属だ。愛し子である人族を食らうわけがなかろう」
竜は困惑したように答えます。
「そもそも、どこの誰だ。身を捧げろと物騒なことを口にしたのは」
「私のご先祖さまの、ハルト・ディ・ナイスナーという人ですね」
「ヤツか」
竜はなぜか疲れたような表情で嘆息しました。
「あの男の言葉をあまり真に受けるでない。振り回されるぞ」
「知り合いなんですか」
「それなりに、な」
竜はどこか遠い目をしながら呟きます。
「ともあれ、我が汝を食らうことは絶対にありえん。安心するがいい、人族の娘よ」
「フローラリアです」
「ん?」
「私の名前、人族の娘じゃありません」
「ふむ」
竜は私のことをジッと見詰めてきます。
もしかして機嫌を損ねてしまったでしょうか。
「面白い」
「はい?」
「我を前にして、その無礼を指摘した娘は汝が初めてだ。度胸がある、気に入った」
竜はやけに満足そうな様子です。
「我の名は星海の竜リベルギウス。命の恩義ある汝には、リベルと呼ぶことを許そう」
「ええと、ありがとうございます……?」
なんだかよく分かりませんが、きっとそれは光栄なことなのでしょう。
ともあれ向こうが名乗ったわけですし、こちらも名乗り返すべきですね。
「さっきもちょっと言いましたが、私の名前はフローラリア・ディ・ナイスナーです。親しい人にはフローラと呼ばれています」
「ならばフローラと呼ぶことにしよう。よろしく頼む」
「こちらこそ、ええと、末永くよろしくお願いします」
寿命が尽きる日まで守護してくれるわけですし、たぶん、この挨拶で間違ってないですよね。
互いに自己紹介を終えたところで、リベルが私に告げました。
「フローラ、汝は気を失うまで回復魔法を行使した。まだ疲れも残っているだろう。身を起こしているのもやっとではないか?」
「……正直、ちょっとキツいですね」
私が答えると、リベルは尻尾をゆっくりと動かし、こちらに近付けてきました。
「寄りかかるがいい。硬いかもしれんが、背もたれの代わりにはなろう」
「ありがとうございます。ちょっと失礼しますね」
私はリベルの尻尾に背を預けます。
……これ、すごいですね。
いい感じです。
深紅の鱗は見た目よりもずっとやわらかく、身体の重みをふんわりと受け止めてくれます。
しかも内側からポカポカと暖かい体温が伝わってきて……くぅ。
はっ。
いけません。
思わず眠ってしまいそうになりました。
生贄にならずに済んだこともあって、なんだか気が抜けちゃってますね……。
「フローラよ、我に遠慮することはない。眠りたければ眠るがいい」
それはとても魅力的な提案ですね。
でも、今はちょっと後回しです。
「リベル、あなたにお願いしたいことがあるんです」
「どうした?」
「実は――」
私は我が家の置かれている状況を手短に説明します。
西の山脈に瘴気が現れ、魔物の大軍勢が生まれつつあること。そしてその一方で、王都からトレフォス侯爵の率いる兵が近付いており、ナイスナー辺境伯領を狙っている可能性が高いこと。
「汝の家はなかなかの苦境に立たされているようだな」
「はい。だから私はここに来たんです」
「自分の命を引き換えに、我の力を借りるために、か」
リベルはフッと口元に笑みを浮かべます。
「フローラ。汝は強いな」
「そうですか?」
「人は死を恐れるものだ。だが、汝はそれを飲み込んで我のもとを訪れた。それは誰にでもできることではあるまい。褒めてつかわそう、末代まで誇るがいい」
「ありがとうございます。でも、私はそんな大した人間じゃないですよ。死ぬのはやっぱり怖いですし、親友が付き添ってくれなかったら、きっと途中で心が折れていたと思います」
「ほう」
リベルは興味深そうに声を上げました。
「汝には友がいるのか」
「私の自慢の親友です。いつか紹介しますね」
「楽しみにしておこう。……さて」
話が一段落ついたところで、リベルは長い首をぐるりと動かし、鍾乳洞の中を見回しました。
「汝の願いを叶えようにも、まずは外に出ねばならん。……どうしたものかな」
「出口、なさそうですね」
「ハルトのヤツ、我が目覚めた後のことを考えておらんかったな」
「ここ、ご先祖さまが作ったんですか」
「実際には精霊たちも力を貸したはずだが、まあ、ヤツが生み出したようなものだ」
リベルは視線を上に向けます。
「こうなっては仕方あるまい。天井を壊すぞ」
「巻き添えで私も死んじゃいませんか」
「案ずるな。汝には傷ひとつ付けさせん」
リベルは左手で私をヒョイと摘まみ上げ、右手の掌に降ろします。
一瞬のことだったので反応する間もありませんでした。
フワッと宙に浮かんだかと思ったら、リベルの右手に乗っていた……という感じです。
「ええと」
私は混乱しつつ、とりあえず靴を脱ぎました。
「フローラ、何をしている」
「土足だと汚いかな、と思いまして」
「いい心掛けだ。さて、少し騒がしくなるぞ。耳を塞いでいろ」
いったい何をするつもりなのでしょう。
私が両手で耳を押さえた、その直後のことでした。
「……グオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!」
咆哮。
リベルがその顎を開き、天井に向かってすさまじい大音量を発していました。
大気が震え、さらには鍾乳洞全体がグラグラと揺れ始めます。
「ォォォォォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!」
リベルの口元で、まばゆい閃光が弾けました。
私は反射的に瞼を閉じていました。
次の瞬間、何かが吹き飛ぶような爆音が頭上から響きました。
パラパラと砂粒のようなものが落ちてきます。
少し遅れて、烈風が吹き抜けました。
私はゆっくりと瞼を開きます。
なんだか周囲が明るいですね。
「……えっ」
驚きのあまり、声を発していました。
視線を頭上に向ければ、鍾乳洞の天井がきれいさっぱり消え去っていたのです。
澄み切った青空が広がっています。
えーと。
太陽がぽかぽかして気持ちいいですね。
……って、まったりしている場合ではありません。
「リベル、今のは……?」
「《竜の息吹(ドラゴンブレス)##》、星々の光を束ねて破壊の力に変えたものだ」
「すごい威力ですね……」
今更ですけれど、私、とんでもないものを目覚めさせてしまったのかもしれません。
「飛ぶぞ。落ちんように気を付けろ」
リベルは左右の翼をめいっぱいに広げました。
ゆっくりと羽搏きを始めます。
ばさ、ばさ。
ばさ、ばさ。
翼が上下するたび、その大きな身体が地面から離れていきます。
鳥の飛び方とはまったく違いますね。
我が家ではライアス兄様がタカやハトを何十匹も飼っているのですが、飛び上がるときはもっと激しく翼を動かしていました。
竜と鳥はまったく別の生き物ですから、飛ぶ原理も違っているのでしょう。
私がそんなことを考えているあいだにもリベルの身体は上昇を続けています。
鍾乳洞を出て、地上へ。
さらに空高くへと舞い上がりました。
落ちるという心配は、不思議とありませんでした。
リベルの手がとても大きいからかもしれません。
なにせ、まんなかに寝転がってゴロゴロゴロと三回くらい寝返りを打ってもまだ余裕があるほどの広さですからね。
私を包み込むように、かるく、指を曲げています。
指の隙間から西を見れば、山脈全体を包むようにして漆黒の瘴気が濛々と立ち上っていました。
あれ?
昨日よりも瘴気が濃くなってませんか。
しかも範囲が広がっているような……。
「手遅れだな」
リベルが呟きました。
「もはや山脈そのものが瘴気の発生源と化している。放っておけば瘴気が地上を覆い尽くし、ありとあらゆる場所に魔物が溢れ返るだろう」
「……何とかなりませんか」
どこにでも魔物が湧くようになったら、いったいどれだけの人が犠牲になるか分かったものではありません。絶対に避けるべき事態です。
「案ずることはない。我に任せておけ」
リベルは頼もしい口調で言い切ると、翼を力強く羽搏かせ、西へと移動を開始しました。
その速度はかなりのもので、あっというまにガルド砦を飛び越し、その向こうの草原や丘陵地帯を越え、山脈の手前に辿り着きます。
麓では魔物たちがゾロゾロと移動を始めていました。
どんでもない数です。
二千匹とか三千匹なんてレベルじゃありません。
大軍勢を越える、大、大、大軍勢です。
「多すぎじゃないですか……?」
「少なく見積もって、一万匹といったところか」
リベルはフッと不敵な笑みを浮かべて呟きます。
「この程度、どうということもない」
マジですか。
ここから見えるだけでも魔物たちの顔ぶれはかなり多彩かつ厄介なものです。
たとえば一軒家ほどの大きさを持つパクパクスライム。
可愛らしい名前とは裏腹、その性格はひたすらに狂暴です。
全身から溶解液を巻き散らして何でもパクパク食べてしまうので、迂闊に近づくと命はありません。再生能力もあるので討伐には時間がかかります。
弟神ガイアスに翼を授けられたという猛牛型の魔物、デッドブルもいますね。
空を飛ぶことはできませんが、風を操って加速し、ものすごいスピードで突進してきます。
他にもゴブリンやオークなど、群れを作ることで大きな力を発揮するタイプの魔物も多く混じっています。
現在のガルド砦の戦力では、時間稼ぎにもならないでしょう。
王国全土から兵を集めても勝てるかどうか怪しいところです。
リベルはどうやって戦うつもりなのでしょうか。
「――グゥゥゥゥゥゥァァァァァァァァァァァァッ!」
それは鍾乳洞の天井を消し飛ばした時よりも、遙かに巨大で、激しい咆哮でした。
一瞬遅れて、その顎から《竜の息吹(ドラゴンブレス)》が放たれます。
いえ。
それは息吹などという生易しいものではありませんでした。
光の激流です。
眼が眩むほどの閃光が迸り、魔物たちを白く、白く、塗り潰していきます。
爆発が起こりました。
炎の柱が立ち上り、青空を焦がします。
すべてが過ぎ去ったあと、そこにはとんでもない光景が広がっていました。
魔物の軍勢どころか、西の山脈がまるごと消滅していたのです。
瘴気はすっかり晴れていました。
地面は深く抉れ、巨大なクレーターが生まれています。
ええと。
あまりにも現実離れした光景に、何をどうコメントしていいか分からないのですが、その。
「結構なお手前でした……?」
ご先祖さまの故郷だと、こう言って褒めるのが作法でしたっけ。
イラスト:阿倍野ちゃこ
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