第一章 殿下の様子が、ちょっと変です!③
女の子同士のおしゃべりというのは放っておくといつまでも続くものですが、気が付くと昼食時になっていました。
屋敷の料理人さんにお願いしてマリアの分も昼食を用意してもらい、そのまま庭で食べることにします。
今日のメニューは『サンドイッチ』、ご先祖さまが考案した料理のひとつです。
ふわふわのパンでハムやチーズ、野菜などを挟んだもので、我が家に残っている古文書によれば『遠足のお弁当にオススメ』なんだとか。
ひとつひとつが手ごろなサイズにカットされているおかげか、ヒョイヒョイと食事が進んで、二人してあっというまに食べ終わってしまいました。
「ふう、満腹ですわ」
「少し眠くなっちゃいますね」
「お昼寝でもします?」
「喜んで……と言いたいところですけど、私、午後から大聖堂で用事があるんですよね。よかったら一緒に行きませんか」
「もちろん、喜んで。たまには教会のお偉い方々にご挨拶でもさせていただきますわ」
というわけで、私はマリアを連れて教会に向かうことにしました。
この国では星の女神テラリスを最高神とするテラリス教が信仰されており、北の聖地テラリスタを始めとして各地に教会施設が存在します。
今回の目的地は、王都の南区画にあるリベリオ大聖堂です。
リベリオというのは古い言葉で『精霊を統べる地上の王』という意味ですね。
王都に神殿を建設するにあたり、それにふさわしい名前を……ということで付けられたそうです。
純白の大理石で作られた柱とアーチ、そしてドーム状の天井が特徴的なリベリオ大聖堂は、王宮に負けず劣らず、荘厳な雰囲気を漂わせています。
ちなみにドーム状の天井ですが、その内側は美しい絵画によって彩られています。
星々の世界を治めるテラリス様と、彼女に代わって地上に恵みをもたらす精霊たち。
精霊の姿はさまざまですが、みな動物の姿をしています。
ネコとか、イヌとか、トリとか――。
テラリス教の伝承によると、地上にいる動物たちはすべて精霊の眷属だそうです。
だから無暗に命を奪うべきではありませんし、食べるときは精霊に感謝の祈りを捧げるように教義で定められています。
さて、私が何の用事でリベリオ大聖堂に来たのかといえば、ええと。
治療活動、でしょうか。
これはお父様が常々口にしていることですが、貴族というものは贅沢な暮らしを約束されている代わりに、平民の人たちが幸福に暮らせるように力を尽くす義務があります。
私がクロフォード殿下の婚約者に選ばれたのは五年前のことですが、そのときに一度、深く考え込んだことがありました。
政治的な思惑で決まった結婚とはいえ、王族という、貴族社会のトップに立つ存在の一人になることは確かです。
では、そんな私がこの国の人々のためにできることは何でしょう。
周囲の人たちに相談に乗ってもらいつつ、やがて色々な活動を始めたのですが、そのうちのひとつがリベリオ大聖堂での治療活動でした。
世界には魔法という不思議な力が存在し、そのなかでも私は回復魔法を得意としています。
回復魔法の使い手は珍しく、初級の《ライトヒール》を使えるだけでも食べるのに困らないだけの稼ぎを得ることができますし、中級の《ミドルヒール》や《ポーション生成(ジェネレート)》が使えれば貴族家に高待遇で召し抱えてもらえます。
私が扱えるのは初級、中級、上級、そして最上級。
要するに、すべての回復魔法です。
最上級となれば瀕死の重傷を一瞬で癒すことも可能となります。
せっかく大きな力を持っているのですから、困っている人のために使うのは貴族として当然の義務でしょう。
なにより――。
それくらいのことをしなくては、お母様たちが捨てた命には釣り合いませんから。
今日、最初に私のところにやってきたのは、右腕を失った若い傭兵さんでした。
二の腕の途中から先がありません。
「東の方で魔物退治をやっていたんだが、泊まっていた宿が地震で崩れちまってな」
傭兵さんは近くにいた吟遊詩人の女性を庇い、その際、瓦礫に右腕を潰されてしまったそうです。
「女を庇ってのことだ。名誉の負傷といえば負傷だが、このままじゃ自分の食い扶持も稼げねえ。どうかおれの腕を治してくれ。銀の聖女様」
「分かりました。あと、その名前で呼ぶのはやめてください」
だって恥ずかしいですし。
銀の聖女。
それは、なんというか、王都での私の綽名みたいなものです。
リベリオ大聖堂での治療活動は一年ぶりですけど、その呼び方、まだ残ってたんですね……。
ご先祖さまの故郷には『人のうわさも四十九日』というコトワザが――あっ、間違えました。七十五日ですね。ごめんなさい。
とにかく、時間が経てば『銀の聖女』などという、実態からはかけ離れた呼び方も忘れ去られると思っていたんです。
私、たしかに銀髪ですけどね。
でも、聖女なんてガラじゃないです。
あんまり口もよくないですし、我が家に伝わる『ジュージュツ』で暴漢を取り押さえちゃったりしますから。たぶんもっと清らかな乙女がこの世にいるはずです。
そんなことを考えつつ、治療を始めます。
「ジッとしていてくださいね」
私は傭兵さんに声を掛けつつ、右手をかざします。
ご先祖さまの書き残した書物によると、魔法というのは想像力が大切だそうです。
回復魔法においては、頭の中にきっちりと人間の身体を思い描く必要があります。
骨、血管、神経、筋肉、皮膚――。
イメージが鮮明になるにつれて、身体の内側から大きな力が湧き上がってきます。
よし。
準備、完了です。
私は大きく息を吸い込むと、呪文を唱えました。
「――《リザレクション》」
それは最上級の回復魔法です。
まばゆい閃光とともに銀色の粒子が広がったかと思うと、傭兵さんの右腕あたりに集まり、少しずつ輪郭がはっきりとしてきます。
それは腕の形をしていました。
「すげえ……」
傭兵さんが感嘆のため息を漏らしました。
やがて数秒もしないうちに光は消え――傭兵さんの右腕は元通りになっていました。
「な、治った……! おれの腕が、帰ってきた……!」
傭兵さんは眼を大きく見開きながら、右腕の動きを確かめます。
拳を握ったり開いたり、手首を回したり、肘を曲げたり伸ばしたり――。
「ありがてえ……! 聖女様、本当にありがとうな……!」
また聖女様と呼ばれてしまいましたが、さすがにここで指摘するのは無粋というものでしょう。
傭兵さんはポロポロと涙を零しながら、何度も何度も頭を下げました。
「本当に感謝してるぜ。実は今度、結婚するんだ。よかったら式に来てくれ」
ちなみにお相手は地震のときに庇った吟遊詩人の女性だそうです。
いずれ王都を離れ、二人を宿屋を始めるつもりなのだとか。
どうかお幸せに。
傭兵さんが去った後も、治療を求める人たちが次から次へとやってきました。
回復魔法のコツは、相手について知ることです。
その人がどんなふうに生きてきたかを理解すると、イメージがより具体的になり、魔力の節約や効果の向上につながります。
私はひとりひとりの話に耳を傾けつつ、《リザレクション》などの回復魔法を施していきました。
そして――
「疲れました……」
いま、私は大聖堂の一角にある貴賓室で、ぐったりとソファに沈み込んでいます。
調度品はどれも質がよくて、まるで貴族の邸宅にお邪魔したみたいです。
窓の外に眼を向ければ、空は茜色に染まっていました。
「昼からずっと、休憩もなしに最上級の回復魔法ばかり使っていたそうですわね」
左隣にはマリアが座っており、私の髪で三つ編みを作りながら苦笑しています。
「本当にすごい体力というか魔力というか……一年前よりも実力が上がっておりませんこと?」
「それはまあ、修羅場にいましたから」
私はこの一年、ナイスナー辺境伯領に戻っていました。
というのも、過去に例がないほどの規模で魔物の大軍勢が西から押し寄せてきたからです。
当然ながらこちらの被害も大きく、私は最前線の砦に籠り、昼も夜もなく負傷者の治療にあたっていました。
その経験のおかげか、現在の私の魔力容量は一年前の倍以上にまで増加しています。
ご先祖さまの書き残した魔導書には『魔力を増やすには、とにかく限界まで魔力を使い続けろ』という記述がありますが、どうやらその通りだったみたいです。
「それにしても」
とマリアがぼやきます。
「クロフォード殿下は、どうしてモニカさんを婚約者に選んだのやら。あの泥棒猫に、フローラと同じことができるとは思えませんわ。大聖堂での治療活動もそうですし、王都の貧民街で炊き出しもやっていましたわよね」
「ええ、まあ」
確かにそうなんですけど、あらためて他人の口から聞かされると、妙に照れくさいですね。
「ごはんを食べないと、働ける人も働けないですから」
幸いなことにナイスナー辺境伯家は土地に恵まれており、毎年、有り余るほどの作物が収穫されています。
他の貴族領や他国にも輸出しているのですが、それでも在庫が生まれるほどです。
その活用先として始めたのが、王都の貧民街での炊き出しでした。
ちなみに私が不在だった一年間についてはリベリオ大聖堂の方々に任せきりだったのですが、大きなトラブルはなかったのでしょうか。
たとえばそう、我が家を敵視しているトレフォス侯爵家が横やりを入れてくるとか。
マリアに訊ねてみると、こんな答えが返ってきました。
「確かにそういうこともあったみたいですわね。あのヒゲ中年、フローラのやることにケチをつけるのが生き甲斐みたいなものですから」
「大丈夫だったんですか」
「ええ。意外かもしれませんが、ギーシュ殿下がトレフォス侯爵を止めに入ったそうですわ」
「ギーシュ殿下が?」
それはまったく予想していなかったことなので、本当に驚きでした。
ギーシュ殿下はこの国の第二王子で、クロフォード殿下の実弟にあたります。
年齢は、今年で十八歳だったでしょうか。
ある種の野心家ではあるのですが、王位継承争いは起こっていません。
というのも、その情熱はすべて宝探しに向けられているからです。
冒険者や傭兵を引き連れては王国の各地に赴き、あちこちの山を掘り返しています。
それもあって国内では放蕩王子として知られており、私もそのイメージでしたので、ギーシュ殿下がトレフォス侯爵を止めてくれたという話はかなり驚きでした。
「わたくしのカンですけれど、ギーシュ殿下もきっとフローラに人生を狂わされたのですわ」
マリアが、いたずらっぽい表情で呟きます。
「ハッ、もしかして今回の婚約破棄は、クロフォード殿下とギーシュ殿下、兄弟のあいだでフローラを取り合った結果とか……!」
「ないです、ないです。ありえないです」
「三回も否定されてしまいましたわ」
「だって私、ギーシュ殿下と話したことなんて数えるほどしかないですよ。かろうじて顔を知っているくらいです」
「フローラのことですから、知らないところでギーシュ殿下の命を助けていたとか、放蕩王子の心を掴むような言葉をうっかり口にしている気がしますわ」
「まさか」
私が肩をすくめたところで、応接室のドアがコンコン、とノックされました。
……さて。
それでは、もうひとつの用事も済ませましょうか。
私が貴賓室にいるのは、休憩するためではありません。
ある人物と、ここで面会することになっていました。
忙しければ後日で構わないと伝えたのですが、ありがたいことに、わざわざ時間を作ってくれたのです。
やがて貴賓室に入ってきたのは、白い法衣を纏った初老の男性です。
年齢としては六十代前半くらいでしょうか。
ニコニコと穏やかそうな笑みを浮かべています。
この人に会うのも一年ぶりですね。
名前はユーグ・レグルス。
テラリス教の大司教にしてリベリオ大聖堂のトップ、そして、長年に渡り王家との関係改善に努めてきた人物です。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます