第一章 殿下の様子が、ちょっと変です!②

 夜会の会場である王宮を出たあと、私とお父様は王都の貴族街にあるナイスナー辺境伯家の別邸に戻りました。

 領地から連れてきた執事さんやメイドさんに出迎えられ、お風呂やら着替えやらを済ませて自分の部屋に戻ったころには、すっかり夜も更けていました。


 いやー、激動の一日でしたね。

 自分のことながらびっくりです。


「婚約破棄って、本当にあるんですねえ……」


 ベッドに寝転がると、枕元に置いてあったワタワタ羊のぬいぐるみを抱き寄せま

す。

 ワタワタ羊というのはナイスナー辺境伯領で放牧されている羊で、その胴体は分厚くてやわらかい羊毛に包まれていますが、ショックを受けると全身の羊毛をポーンと爆発させてワタワタと逃げ惑う習性があります。

 これを利用したのが春先に行われる「ワタワタ狩り」で、領地のみなさんと一緒になってワタワタ羊を驚かせて回るのが我が家の恒例行事になっています。


 おっと。

 すぐに話が逸れてしまうのが私の悪いクセですね。


 クロフォード様から婚約破棄を叩きつけられたことについては、正直なところ、いまだに実感というものがありません。

 自分の身に起こったことなのに、どこか他人事のように眺めている私がいます。

 まあ、六年前にお母様たちが亡くなった時のように、後々になってから感情が追い付いてくるのかもしれません。

 私はワタワタ羊のぬいぐるみに顔を埋めます。

 ぬいぐるみの表面には本物のワタワタ羊の体毛が使われており、モフモフかつポカポカ、おかげですぐに眠ることができました。


 翌朝のことです。

 朝食を済ませたあと、私が中庭のテーブルセットでナイスナー辺境伯領の名物である『リョク茶』を飲みながら、『ヨーカン羊羹』をもぐもぐと食べていると、我が家に一人の来客がありました。


「フローラ、お邪魔しますわよ。……あら、意外に元気そうですわね」


イラスト:阿倍野ちゃこ


 くるくると巻かれた黄金色の長い髪を持つ彼女は、ふっと安心したような笑みを浮かべます。


 名前はマリアンヌ・ディ・システィーナ、愛称はマリアで、ナイスナー辺境伯領の南隣りにあるシスティーナ伯爵家の娘さんです。

 領地が隣接していることもあり、彼女とは幼いころからの付き合いなのですが、最初のころは顔を合わせるたびにケンカばかりしていました。


 現在は愛称で呼び合う仲になっていることを考えると、人生って何が起こるか分かりませんね。

 ご先祖さまの故郷のことばに『昨日の敵は今日の友』なんて言葉がありますが、まさにその通りだと思います。


「フローラ。念のために言っておきますけれど、わたくしたちは手に手を取り合ってワタワタ羊の大群に挑んだ戦友ですわ。もし吐き出したい気持ちがあるのでしたら一晩でも二晩でもお話を伺いますので、どうか遠慮なさらないでくださいまし」

「ありがとうございます。辛くなったら頼らせてもらいますね」


 私は胸がほっこりと温かくなるのを感じていました。

 マリアは婚約破棄された私のことを心配して、朝一番で駆けつけてくれたのでしょう。

 まるで太陽の光を宿したように輝く黄金色の髪に、パッチリと大きな真紅の眼。

 いかにも気の強そうな顔立ちのせいで誤解されがちですが、友達思いの優しい子なんですよね。

 私にはもったいないくらいの、自慢の親友です。


「マリア、よかったら座りませんか。あと、ヨーカン食べます?」

「そうですわね。ここで断るのも失礼というもの、ご相伴に預からせていただきますわ」


 マリアはテーブルを挟んで向かい側のイスに腰を下ろします。

 私は屋敷のメイドさんに声をかけ、二人分のリョク茶とヨーカンを持ってくるように頼みます。

 片方はマリアの分、もう片方は私のおかわりです。

 ほどなくして、ほんわりと白い湯気の立つリョク茶と、しっとりと分厚いヨーカンが運ばれてきました。


 いただきます。

 私は『カシヨージ(菓子楊枝)』という木製の小さなナイフを使ってヨーカンを切り分け、そのうちのひとつを口に運びます。

 もぐもぐ……。

 ケーキや果物とは異なる、濃厚な甘味が舌に広がります。


「んんっ……、この強烈な甘さ。たまりませんわ……」


 向かい側に視線を向ければ、ヨーカンを口に入れたばかりのマリアが恍惚の表情を浮かべていました。

 昔からヨーカンが大好物で、これだけで三年は生きていける、と言い切ったこともありました。

 まあ、本当にそんなことを始めたら止めますけどね。

 どう考えても病気になっちゃいます。


 二人で一緒にヨーカンを食べ、リョク茶をのんびりと傾け、まったりとした時間を過ごしていると、マリアが安堵のため息を吐きました。


「この様子なら、本当に大丈夫そうですわね」

「ええ。長い付き合いですし、親友に嘘はつきませんよ」

「親友……」


 マリアは、じいん、と感じ入ったような表情を浮かべました。


「ふふっ、ふふふふっ……。そうですわよね。わたくしたち、親友、ですわよね!」

「当たり前じゃないですか。長い付き合いなんですから」

「それはそうですけれど、王都にいると面倒な人間関係ばかりで頭が痛くなりますの。フローラの存在はわたくしの癒しですわ……」

「クロフォード殿下との婚約も破談になっちゃいましたし、マリア、私と結婚でもしますか」

「それは素敵なお誘いですわね。確かにわたくしが男性であれば、ここぞとばかりにアプローチしていたと思いますわ」


 マリアはクスッと小さく微笑むと、冗談めかした口調で続けます。


「月のようにきらめく銀色の長い髪、水晶を溶かしたようにすきとおった青い瞳。可憐な容姿を持ちながらも、内面はしたたかで、実はかなりの毒舌家。……ええ、控えめに言って最高ですわね」

「なんだか悪口が混じってませんか」

「問題ありませんわ、外見と内面のギャップがフローラの魅力ですもの」


 マリアはやけに自信満々の表情で言い切りました。


「しかも毒舌家と思わせておいて、ふとした瞬間に胸にグッとくる言葉を投げてくるから大変なのですわ。心を揺さぶられて、気が付いたら頭の中はフローラのことばかり。わたくし以外にも、心を惑わされた男女がどれだけいることやら……」


 なんだか話だけ聞いていると、私、ものすごい魔性の女に思えてきますね……。

 実際はといえば、クロフォード殿下に婚約破棄を叩きつけられているわけですし、魔性には程遠い立場だったりするんですけどね。


 私が冷静に聞いている一方で、マリアはますますヒートアップしてきます。

 いかにも女子会って雰囲気になってきましたね。


「まったく、クロフォード殿下もどうかしていますわ。まさか、よりによってあんな泥棒猫を選ぶなんて……」

「泥棒猫って、モニカさんのことですか?」

「もちろんですわ。あの頭ゆるふわの猫かぶり、晩餐会や舞踏会があるたびにクロフォード殿下に付き纏っていましたの。いずれフローラさんが王都に戻ってきたら、きっとモニカさんは王宮の裏に呼び出されて翌日には変わり果てた姿で発見される――。わたくしを含めて誰もがそう思っていましたの」

「ちょっと待ってください。私、そんな乱暴者じゃないですよ」

「でも、いざとなったら首をキュッとしますわよね」

「しません」

「二年前、王宮に泥棒が入った時とか……」

「あのときは相手が暴れていたから当然です」


 私はきっぱり告げたあと、話を戻します。


「そもそも、モニカさんはどれくらい前からクロフォード殿下にアプローチしていたんですか」

「わたくしが最初に見たのは夏の始まりの舞踏会でしたから、二、三ヵ月前からだと思いますわ。クロフォード殿下はかなり鬱陶しそうにしていましたわね」

「そこからだんだんと心惹かれていく様子とかは……?」

「まったくありませんでしたわ」


 マリアは断言しました。


「だから昨夜の婚約破棄には本当に驚きましたの。正直なところ、何かの陰謀じゃないかと勘繰りたくなりますわね……」


 どうやら昨夜の婚約破棄に違和感を覚えているのは私だけではなかったようです。

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