第一章第35話 たいせつな約束

地下墓地へと降りてきた私たちが見たのは、あまりにも凄惨な光景だった。


辺り一帯に飛び散った血痕、これはジョセフのものだろう。


そして、血痕のついた墓石の上に浮かび上がるぼんやりと浮かび上がるアンジェリカさんの姿。彼女は両手足を赤黒い鎖で縛られていた。その鎖は天井と地面にそれぞれ結ばれており、手足を無理やりに伸ばして X 字状になっている。無残に磔にされた彼女は力なくこうべを垂れており、その肢体には赤黒い霧のようなものが纏わりついて、まるで撫でまわすかのようにうごめいていた。


「ア、アンジェっ!」


あまりの光景にシャルロットさんが悲鳴を上げるが、アンジェリカさんは反応しない。


「これは……おそらくあの悪霊ジョセフの怨念が、このような非道な形でアンジェリカ様の魂を地上へと縛りつけたのでしょう」


あー、やっぱり片思いのストーカー野郎だったか。


「怨念に囚われた魂はその怨念によって塗りつぶされ、悪霊と化してしまうと言います。どうか、アンジェリカ様を早く解放してあげてください」

「でもっ、このままアンジェを昇天させたらっ!」

「はい。悪霊として地獄に送られてしまうかもしれません。ですが、このまま理性を無くして罪を重ねさせてしまうよりは……」


ん? そんなシステムになっているのか。


「じゃあ、この鎖と霧をどうにかすればいいんじゃないですか?」

「え? そんなことできるわけ――」

「フィーネ様、どうにかできるのですか?」

「え、難しいことなんですか? 普通に、この鎖を浄化して、霧を剥がしてあげればいいんですよね?」

「そ、そんなことが簡単にできるなら誰も苦労などしませんわ!」


ああ、なるほど。どうやらこれは難しいことらしい。


「うーん、やったことないですけど、試してみますね」


──── ええと、まずは鎖を浄化。弱い出力で手足の部分は丁寧にっと


淡い光が鎖を包み込み、そして鎖が浄化されて消える。アンジェリカさんはそのまま倒れ込んだ。


「じゃあ、次はこの霧ですね」


浄化魔法で浄化しようとして、私は気付いた。常に蠢いているので少しでも制御を間違えるとアンジェリカさんの魂ごと傷つけてしまいそうだ。


「ああ、なるほど。これはちょっと大変そうですね。普通のやり方だとアンジェリカさんまで焼いちゃいそうです」


ああ、やっぱり、というシャルロットさんが落胆の声をあげる。


──── 闇属性の魔法で、この黒い霧を移動しろっと


さて、どうだろうか? 【闇属性魔法】のスキルレベルは 1 だから強力な魔法は使えないけれど、纏わりついているだけのものを動かして集めるくらいならできるんじゃないかな?


しばらく見ていると、纏わりついていた霧が徐々に移動を始めた。


「よーしよし、こっちにおいで」


そしてしばらくすると、アンジェリカさんの左の中指の先に赤黒い霧が全て集めることができた。ここからさらにぎりぎり、中指の爪の先の先まで移動させてっと。


「シャルロットさん、この赤黒いやつ、浄化してくれませんか? 一人で浄化まですると失敗しちゃいそうです」


私がそう声をかけると、シャルロットさんは弾かれたようにビクッとしてから、近づいてきた。


「ふ、ふん。アンジェのためですもの。今回だけは力を貸してあげますわ」


あれ? これってもしかしてツンデレってやつかな?


「神よ! この世ならざる穢れを払いたまえ。浄化!」


シャルロットさんが浄化魔法を唱える。光が赤黒い霧を浄化していく。


──── そういえば、ちゃんとした詠唱ってはじめて見た気がしますね


シャルロットさんの浄化の光が消えると、アンジェリカさんの体を覆っていた霧も全て消え、禍々しい気配は何も感じなくなっていた。


「ふう、何とかなりましたね。さすがです。シャルロットさん、ありがとうございました」

「ふ、ふん。アンジェのためですわ。フィーネ、あなたのためなどではありませんことよ?」

「はい」


うん、完全なツンデレってやつだ。なんか名前で呼んでくれるようになった。よし、じゃあ、ちょっとサービスしてあげよう。大丈夫、きっとできるはず。


──── 闇属性魔法、アンジェリカさんの魂を正気に戻して話しをさせてあげて


ほとんど見えないけれど、僅かな闇の魔力がアンジェリカさんの魂に吸い込まれていく。


「……あ、あれ、シャル? わたし、どうして?」


よし、成功した。アンジェリカさんの魂が目を覚ましてくれたぞ。


「ア、アンジェ!!」

「あれ? わたし、死んだはずじゃ? どうして?」

「アンジェ、ごめんなさい。わたくし、あなたが外の世界のお話を聞くのがそんなに嫌だったなんて思っていなくて! 傷つけてしまって! それなのに、わたくし親友面して!」


アンジェリカさんがキョトンとした顔をしている。


「シャル、そんなことあるわけないじゃない。わたし、いつもシャルが来てくれるのを楽しみにしてたんだよ? 外の世界のお話も、社交パーティーのお話も、いっつも楽しみにしてたんだよ? わたしは体が弱いから行けなかったけど、シャルがいつもお話してくれるから、わたしも参加した気になれていたんだよ。いつもありがとう、シャル」

「あ、あ、あ、アンジェぇぇえええ」

「ねぇ、シャル、覚えてる? まだ私たちが小さかった時の約束。いつか本当の聖女になって私を治してくれるって」

「もちろんですわ。わたくしが忘れるわけがありませんわ!」

「うん。その、たいせつな約束があったから、わたしはここまで頑張ってこられたんだよ? シャルは、わたしの大好きな、自慢の親友だよ?」


シャルロットさんがわんわんと泣いている。なんか、ちょっとサービスしてみて良かったかも。


「あ、シャル。でもごめんね。わたし、死んじゃったから。もう――」

「ア、アンジェ、ダメ。逝かないで。わたくしを置いて逝かないで。きっと、きっとまだ何か方法が。あ、そうですわ。わたくし、ユーグ様にお選び頂いて、聖女候補になったんですのよ! ほら、これがその証のローブとロザリオですわ」

「うん、おめでとう。シャル。さすがだね」

「ですから、あと、あと少しだけ」

「ダメだよ。死者の魂がこの世に残り続けたら、そのうち怨霊になっちゃうんだよ?」

「でも! それでも! わたくしは!」

「ありがとう、シャル。大好きだよ。でもね。だから、シャルがわたしを神様のところに送って?」


シャルロットさんが息を飲んだ。そして困惑したような、そして今にも泣き出しそうな表情を浮かべている。


「ぁ」

「アンジェ!? アンジェ!」

「ごめん、もうダメみたい。でも、約束だよ? 私はいなくなっちゃうけど、必ず聖女になってね。シャルは、こんな体の弱いわたしにだってずっと優しくしてくれる自慢の親友だもん。きっと、すごい聖女になれるよ! ずっと、ずぅっと……天国から応援してるよ。だから……だから……シャル……バイバイ…… …… ……ぅ……」

「アンジェ、アンジェぇぇ!」


最後の言葉は聞き取れないくらいの小さな声だった。果たしてシャルロットさんには届いていたのだろうか。


アンジェリカさんの魂は徐々に形を失い、ぼんやりとした霧のようになっていた。シャルロットさんはボロボロと涙を流しながらその霧をじっと見ている。


しばしの沈黙の後、シャルロットさんが涙声ながらも優しく宣言した。


「アンジェ、わたくしは必ず聖女になって見せますわ。そして、世界を救って見せます。だから、だから、どうか天国からわたくしを見守っていてくださいまし。あなたは、わたくしのかけがえのない大切な親友ですわ」


そして、片膝を突き祈りの姿勢をとる。だた、その目はしっかりと、今にも消えてしまいそうなアンジェリカさんの魂を見据えていた。


「神よ。今こそ迷える魂をその御許に導きたまえ。彼の魂に永遠の安らぎを与えたたまえ。葬送」


そして、シャルロットさんが葬送魔法を発動する。


なるほど、死者の魂を送る時はこうやるのか。何でもかんでも浄化しちゃダメなのね。


アンジェリカさんの魂が聖なる光に包まれる。


こうしてアンジェリカさんの魂は天に昇っていった。そして、シャルロットさんは私を見てきっぱりと宣言する。


「フィーネ、あなたがどれだけ優れた聖魔法の使い手であっても、わたくしは絶対に負けませんわ。わたくしが必ず聖女に選ばれて見せますわ。あなたは、そうですわね。さしずめライバルといったところですわね」

「はあ」

「あら、煮え切らない返事ですわね。折角このわたくしがライバルと認めて差し上げたのに。さてはフィーネ、あなたご自身のほうが聖女に相応しいと思ってらっしゃるの? 今はまだあなたの方が実力は上かもしれませんが、いつか必ず追い越して差し上げますわ。首を洗って待っていることね」


そういって素敵に笑ったシャルロットさんはアンジェリカさんのお墓の前に跪き、祈りを捧げたのだった。


それを見た私も真似をして隣でお祈りをすることにした。


──── どうか、シャルロットさんが聖女になれますように

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