Spring storm
♡ ♡ ♡
ピシャッ!
ゴロゴロゴロ!
すっかり暗くなってしまった窓の外で稲妻が光り、滝のような雨が寮の屋根や壁に叩きつける音が自室に響く。荒れる外の天気にシンクロするように、部屋の中にもかつてない張りつめた空気が漂っていた。
茉莉の予感は的中していた。その夜予想どおり、修羅場が訪れてしまった。
(にしても、まさかこんなに早く訪れるなんてね……)
「ね、ねぇ二人とも……」
茉莉は目の前で鞄を肩にかけたまま一点を見つめる杏咲と、自分のベッドの上でペタンと座り込んで杏咲を睨みつける羚衣優を交互に眺めながら恐る恐る声を上げた。
「どうして……どうしてこの人がわたしたちの部屋にいるの……」
「雨が強くて帰れないので、自宅組は寮に泊まることになったんですよ? 連絡来ませんでしたか?」
「じゃなくて、なんでよりにもよってあなたがこの部屋に来るの……!」
羚衣優は杏咲の存在が気に入らないらしい。ぷくーっと頬をふくらませて明らかにご立腹の様子だった。普段は穏やかな彼女らしからぬ──茉莉がいなければ枕でも投げつけてきそうな勢いだった。
「たまたま……そう、たまたまですよ? 別に狙ったわけじゃありません。それとも私がいると気まずくてイチャイチャできませんか?」
「そ、そんなことっ……!」
明らかに羚衣優は劣勢だった。それはそうだろう、彼女の主張はただのわがままにすぎないのだから。羚衣優は助けを求めるような視線を茉莉に送ってきた。仕方ないので茉莉は助け舟を出してあげることにする。
「でもさ、寝る場所ないよ? 床で寝る?」
冗談のつもりで言ったはずなのに、杏咲はニヤリと笑った。
「それならご心配なく! 私、づきちゃんのベッドで添い寝するから!」
「なぜに!?」
茉莉の背筋をスーッと冷たいものが走っていった。まさか杏咲がそんなことを口走るとは思っていなかったし、そんなことを言ってしまっては羚衣優がどう思うだろう? 彼女が冗談が通じるようなキャラだとは茉莉はどうしても思えなかった。
ギシギシギシと、錆び付いたように動かなくなってしまった首を無理やり動かして羚衣優を窺う。
──すると
「……」
彼女はそのままの姿勢でフリーズしていた。否、わずかだがあわあわと口元を震わせている。
ピカッ! ゴロゴロゴロゴロ! ズドーン!
その時、すぐ近くに雷が落ちたのか、閃光と轟音が寮全体を揺るがし、びっくりしたのか羚衣優が「きゃぁぁぁっ!」と悲鳴を上げながら、ベッドの上に座ったままの姿勢で30センチくらい飛び跳ねた。茉莉は思わず笑いそうになってしまった。
だが、当の羚衣優はそれをきっかけにフリーズが解けたらしく、ベッドの上に着地を決めるや否や凄まじいスピードで茉莉の背後に周り、その腰に手を回して抱きついてきた。無駄に力が強い。
茉莉に比べて背の高い羚衣優がそんなことをしているものだから、茉莉の身体は床から浮き上がりそうになった。そもそも締められたお腹が苦しいし、何とは言わないが背中に押し付けられて杏咲の前なのに悶々としてしまう。
「……ってことだから、ね?」
「はぁ……仕方ないなぁ……ちぇーっ、羨ましー!」
肩を竦めた杏咲がスタスタと部屋の外に出ていって、外から布団一式を抱えて戻ってきた。どうやら寮で余り物が支給されていたらしい。先程の冗談が言いたくてあえて室内には持ち込まなかったのだろうか。だとしたら天然の杏咲に似合わずなかなかの策士だ。
「……最初からそれ持って入ってきなよ……」
「ごめんね? ちょっとからかいたくなって」
「もーう、相変わらず怖いもの知らずなんだから……」
そうこうしているうちにも、羚衣優は茉莉を離すまいと背後からぎゅうぎゅう締め上げてくるので、ついに茉莉の足は床を離れてしまった。
「うわぁ! ちょ、ちょっとせんぱい! ギブギブ! く、苦しいぐぇぇ……」
苦しいアピールをしながら羚衣優の腕をポンポンと叩いていると、やっとのことで羚衣優の手が緩んだ。が、手を離す気はないらしく、彼女は茉莉の背後にピッタリと密着している。
「渡さない渡さない……まっちゃんはわたしのもの……わたしのもの……」
「ねぇせんぱい……耳元で呟かないでください怖いんですけど……」
「ふーん、ほんとに仲良いんだね……なんか妬けちゃうなぁ?」
「あずにゃんもそんなこと言わないで? 羚衣優せんぱいに刺されるよ!?」
怖いもの知らずの同級生とメンヘラでヤンデレな先輩。二人に挟み撃ちされた茉莉は持ち前の明るさを発揮できず、ひたすら前門の虎と後門の狼をなだめざるを得なかったのだった。
その後は本当に地獄だった。いつも羚衣優とやっているように、茉莉の持ち込んでいる携帯ゲーム機を三人でプレイしたのだが、ことある事に羚衣優と杏咲の小競り合いが発生し、雷が落ちる度に羚衣優がびっくりして固まり、杏咲も杏咲で隙を見て茉莉に必要以上に接近するので全く気が抜けなかった。
疲れて羚衣優と杏咲が寝ついたのは深夜になってからだった。その時にはもう茉莉はヘトヘトで、メイクを落とすのもそこそこにベッドに入って死ぬように眠ったのだった。
♡ ♡ ♡
茉莉は何かが身体の傍でもぞもぞと動くような感覚で目が覚めた。
(うーん……眠りが浅いのは悩みだなぁ……)
「……って!」
違和感にはすぐに気づいた。背中が温かい。何か温かいものが背中にくっついている。そして何かほんのりと甘い、いい匂いがする。
もしやと思って寝返りを打った茉莉の目に、ほのかな明かりに照らされた金髪が飛び込んできた。
そしてその金髪に縁取られた人形のように整った顔。一対の瞳が夜闇に不気味に瞬く。
「おはよ、まっちゃん……」
「ひゃぁっ!?」
悲鳴を上げた茉莉の口はすぐに塞がれた。
「ダメ。大声出すと気づかれちゃうよ?」
そうだった。この部屋には杏咲もいる。ぐっすり寝ているだろうが、大声を出すと起きてしまうだろう。そして、この状況を彼女が見たらどう思うだろうか?
こくこくと頷くと、茉莉の口を塞いでいた羚衣優の手が退けられた。
「せ、せんぱい……なにしてるんですかっ」
小声で抗議すると、羚衣優は何も答えずにすりすりと顔を擦り寄せてきた。
「うぅ……よしよし……」
頭を撫でてあげると、ふふっと嬉しそうな声を上げる羚衣優。
「雷……怖いんですか……?」
羚衣優はふるふると頭を振った。
「眠れないんですか?」
ふるふる。
「寒い?」
ふるふる。
その時茉莉はあることに気づいた。羚衣優の目元に光る雫に。
「せんぱい、泣いてるんですか……?」
「……」
「大丈夫……ですか?」
「大丈夫……じゃない……」
「……よしよし」
なでなでしてあげるしかなかった。羚衣優が何も話してくれないのだから、茉莉は羚衣優が何に苦しんでいるのか分からない。──否、正確にはだいたい予測はできるが、確信は持てない……というべきか。
どれほどそうしていただろうか。やがて、羚衣優がポツリと呟いた
「……まっちゃん。まっちゃんは……どこにも行かないよね?」
「行かないですよ。ずっとせんぱいのそばにいます……」
「ほんと? ほんとだよね? ……まっちゃんが取られちゃったらわたしは……」
やっぱりその事か……ちょっとフォローが足りなかったかな……と茉莉は少し後悔した。
「まっちゃんが取られちゃったらわたしは死ぬよ……死ぬからね……」
「大丈夫です。せんぱいを死なせるようなことはしませんから……」
「信じるよ? わたしはまっちゃんを信じるからね?」
「約束します。あたしにとって羚衣優せんぱいが一番です。宇宙で一番大好きですよ」
そう口にすると、羚衣優は幾分か安堵したようだった。
「よかった……」
再びギューッと身体を抱きしめてくる羚衣優。茉莉も負けじとその身体を抱き返した。
「ぎゅーっ」
「えへへ、ぎゅーっ……」
「しあわせ……」
「あたしも、しあわせですよ……」
「まっちゃん……」
「せんぱい……」
安心して気が抜けたのか、羚衣優はすやすやと寝息を立てて寝てしまった。このままでは朝起きた時に杏咲に何を言われるか分かったものではないが、とても起こして移動させる気にはならないし、羚衣優もそれを望んでいないだろう。
「すぅ……すぅ……」
規則的な寝息を立てる羚衣優の寝顔は一段と幼く見えてとても可愛かった。
(まあ、可愛いからいっか……!)
愛する先輩の金髪を撫でながら、茉莉もまた眠りに落ちたのだった。
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