kiss×7 小悪魔ちゃんの秘密
俺は美容院を出て颯爽と商店街を歩く。家に帰るには何だかもったいない気がして寄り道したくなった。途中、馴染みの精肉店で大将に声をかけられた。大将といっても三十歳の若き青年だ。髪型が変わっても自分だと認識してくれたことに感動した俺は、大将を抱きしめたくなっていた。
「景都くん、お腹すいてない?」
「え、何でわかった?」
大将に「顔にそう書いてある」と言われた。よほど物欲しそうに肉を見ていたんだろうか。
「コロッケ買ったら唐揚げ一個プレゼント! どう?」
「商魂たくましいな」
「商売上手って言ってよ」
「じゃあ……牛肉コロッケ一つ。からあげも忘れないでよ?」
「毎度!」
小腹が空いていたのは事実で、俺は牛肉コロッケ(唐揚げ付き)をテイクアウトした。
(コロッケの揚げたての香り最高やな。ひき肉もたくさん入っててジャガイモもホクホクやし。これは空腹には勝てん)
足元を見れば新しくおろした青いスニーカー。ゴッドハンド聖さん(ヴァンパイアメイド含む)によって生まれ変わった髪型。寄り道したくなった理由は道行く知らない人にもこの髪型を見せたくなったから。(違うな、見せびらかしたい)
早くも夕陽が沈みかけていく街を歩く。洋菓子店の前でピタリと足を止めた。いつもみたいに視界に飛び込んできたのはケーキではなかった。
ガラス越しに映る俺自身を見る。
明るくカラーリングされ、襟足もすっきりとした髪に喜びと幸せを覚えた。髪型ひとつ変えるだけで自分の中の根暗が小さくなったような気さえする。
気分のいい俺は帰る前に本屋へ寄ることにした。
(んあー! 本屋サイコー! 俺、ここに布団敷いて寝たい)
ただでさえ、だだっ広いフロア。好きな恋愛小説や漫画を探すのは至難の業だ。だが本好きは、その作業すらも楽しかったりする。
後ろの棚もチェックしようとして振り向いた、その時──。
ドンッ、ひゃあっ、ズサアアアッ──、バサバサバサ
「いったああっ……」
「すいません!」
その人が床に落とした何冊かの本を見た。
「ああっ、待って! 大丈夫です、自分で拾いますから」
彼女は落ちた本を見て、やけに慌てている。
「でも俺が急に振り向いたから。拾います。すいません」
あれ?
何これ。
何このシチュエーション。
似たような状況、ケーキ屋でもありました。
彼女は床にぶちまけた本を急いで拾い集める。
顔を見て確信した。
小悪魔ちゃんだ。間違いない。
「あー、またお前かよ」
「へ?」
小悪魔ちゃんが俺の一声に驚いて拾う手を止めた。顔が凍り付いたのを見逃すはずもない。
「う、うそうそうそ! 嘘でしょおおお──! 何であんたがこんな所にいるのよ? しかも何髪の毛染めちゃってんの、わかんないじゃない!」
そりゃそうだ。
「何でいるのって、いやそれこっちのセリフだし」
「もう意味わかんない! あんたの名前、
フルネームで覚えてましたか。
「お前は、こあく……」
一旦言いかけた口を閉じた。
小悪魔ちゃんはまずい。メスブタ野郎はもっとまずい。
またネクタイを鷲掴みにされかねない。いや、今日は制服じゃない。ネクタイないから鷲掴み不可。
うん?
小悪魔ちゃんのフルネームなんつったっけ?
名前思い出せないも相当まずいかも。
ひとまず落ち着かせるために彼女と同じ目線でしゃがみ、散らばった本を拾う。
漫画だな、これ。
俺は小悪魔ちゃんが小さな雄叫びを上げる前に本の内容をあらかた察知する。
「や、やだ! やだやだやだやだ! 旭 景都! ねえ……見た?」
「見た」
それはもう、この世の終わりみたいな絶望的な表情をしている。
「じゃあさ、見なかったことにしてよ」
「は? 何で」
「はあああっ? そんなことも察知できないなんて最悪! 女心をわかってないなー、旭 景都は!」
「ああそれはすいません配慮が足らなくって。この漫画BLっすよね? 別にいいんじゃねえの」
「うそ! 何そのまさかの返事……」
俺の予想外の言葉に小悪魔ちゃんは右によろめく。
「俺、何か変なこと言った?」
「ううん、その逆。だって旭 景都から、まさかそんな天使みたいな返事が返ってくるなんて思ってなかったもん」
はは……俺も君の口から天使なんて可愛い言葉、出てくるなんて思いもしませんでした。俺が天使なら君は小悪魔ちゃんだけどな。
「ねえ、旭 景都」
「つーか、フルネーム呼び、やめてもらっていいっすか?」
「じゃあ旭くん」
やたら素直じゃん。
何かムチでも隠し持ってんのか?
「そっちこそ私のこと、お前お前って女房みたいに言うのやめてよお!」
「ああそうだな。悪い。じゃあ何て名前?」
これはナイスタイミング。忘れたことを聞いてなかったことにできる。
「忘れたの? ひどい! 私は
やっぱ素直っての撤回。呼び方まで命令するとかドSかよ。俺は拾い上げたBL漫画を小悪魔ちゃんに渡す。
「んー? 夜野先輩は僕の仔猫ちゃん。君に好きにされたいんで……」
小悪魔ちゃんは小さな手のひらで俺の口をいきなり塞いだ。
フンガ、フンガ。
「ちょっ──! あんた正気? こんなとこでBLのタイトル読み上げるとか馬鹿じゃないの?」
(や、君もわりと大きな声でBLのタイトルうんぬん言ってるのも注目浴びてると思うけどなー)
フンガ、フンガ。
口はともかくだ。
鼻まで抑えつけんな、息できんだろうが。
俺がフンガフンガとうるさいから、すぐにその手は離れた。
ぷふああっマジで息止まる。
「海緒先輩」
「な、何よ──」
少し潤んだ瞳で俺に助けを乞うようにキツく睨みつけてくる。
これはあれだな。好きな子にわざと意地悪してイジメ倒す感覚と似ている。
したことないけど。
そんな俺もドSなのか。
「BL漫画って面白いの?」
「……えーっと、そりゃあ面白いよ」
「じゃあ今度貸してよ」
「う、うそ。何この会話」
「いーじゃん別に。何となく読んでみたくなったし」
「変な奴!」
プイッとふくれっ面の小悪魔ちゃんもそんなに悪くない。
俺の前から去った海緒先輩は、合計十冊のBL漫画を大事そうに抱えレジへと向かった。
(俺も帰ろう。柊が待ちくたびれちゃって拗ねてるかもしんないから)
*
line
今から帰る(景)
景都遅いぞ。どこほっつき歩いてるんだよ怒!(柊)
本屋寄ってた。飯食ったらそっち行くな(景)
待ってる(柊)
*
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