第20話伊東小春の部屋から退去成功、しかし知らないお姉さんに声をかけられる 

翼は、「答えようがない」と思ったけれど、それ以上に、4月初めの寒さを感じた。

「引っ越しの整理頑張ってください」と話題を変え、頭を下げてドアを閉めようとする。


しかし、なかなかスムーズには進まない。


小春は、必死な顔。

「あの・・・初対面で、本当に申し訳ないのですが・・・」

翼は、「面倒」と思ったけれど、「はい、何か」と、心春の言葉を促す。


心春は顔を赤くする。

「重たい物の移動をしたくて・・・持ちあがらなくて、動かなくて」

翼は、「仕方ないな」と思い、「力仕事ということですね」と、微笑む。


心春は、途端にホッとした顔。

「あの・・・本当に申し訳ありません、お願いできますでしょうか」

翼は、「はい」と小声で、承諾の意。

「単なる事務的な力仕事、さっさと望み通りに仕事して部屋を出る」

「そう言えば、夕飯もなかった、出かけないと」と思いながら、心春の部屋に入った。


心春が恥ずかしそうな顔。

「まだ散らかっていまして・・・ごめんなさい」

「あの書棚とベッドの位置をどうしても変えたくて」

翼は、ここでも「はい」と小声。

それほど重くなかったので、「事務的に」すぐに望む通りの位置に移動させた。


心春は、本当に助かったようで、頭を下げて来る。

「ありがとうございます、こうしたかったので」

「感謝してもしきれません」


翼は、他には大きな荷物がないのを、目で確認。

「それでは、お邪魔しました」

と、心春の部屋から出る、との意思表示。

そして、今度こそ、スムーズに自分の時間に戻れると思った。


しかし、またしても、そうはスムーズに進まない。


心春が翼に近寄って来た。

「あの・・・お礼がしたくて」


翼は、困って後ずさり。

「いえ、たいしたことでないので、お礼はいりません」

ただ、それだけでは「退去できない」と思ったので、必死に理由を考えた。

「これから、出かける用事がありまして」

実は、「夕飯を外食」ぐらいしかないけれど、いかにも大事な用事のように表現する。


すると心春は、残念そうな、寂しそうな顔。

「あら・・・ごめんなさい・・・お出かけ前の貴重な時間を使わせてしまいまして」

「一緒に、お食事でも、と思ったのですが」


翼は、「いえいえ、そんなお気遣いをなさらず」と、今度こそは、スタスタと心春の部屋を辞して、自分の部屋に戻った。


「となると、すぐに、出かけなければならないな」

「この寒いのに・・・逃げるみたいに」

「どうして逃げる必要がある?」

「まあ、夕食で出かける予定もあったし」


紺のダッフルコートを着て、アパートを出て歩き出し、いろいろ考える。

「翔子さんはともかく」

「真奈さんと、美紀さんは、おそらく次はない」

「また逢いたいは、レンタル彼氏への社交辞令に過ぎない」

「郷土料理研究会の一日体験参加も、どうでもいいや」

「都合があるにして、断ればいいか」


隣の心春を思い出した。

「真奈さんとか、美紀さんとデートに出かけるのを見ていたのかな」

「見られたとして、心春さんには関係のない話」

「それにしても、簡単に動かせる書棚とベッド、自分でやればいいのに」

「顔を合わせたら会釈ぐらいするかな、それでいいや」


そんなことを考えながら、落ち着いた感じの洋食店を発見、そのまま入る。

外装も落ち着いていたけれど、内装もレトロで上品な感じ。


翼が、そのままカウンター席に座ると、二十歳前後のお姉さんが、メニューを持って来た。

「ビーフシチューとパン、ハムサラダと珈琲を」と、あっさり決めるまではよかった。


翼の注文を取りに来たお姉さんから、信じられない言葉が出た。

「もしかして・・・翼君?翔子の後輩の?」


翼は「え?僕のことを?」と、目を丸くし、慌てている。

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