【終章】ある晴れた日に

 あれから一年以上の歳月が流れた。

 私は結局アスラトルへは帰らず、海軍を一身上の都合で退役した。


 ルウム艦長は今、半年前に正式に設立された海賊拿捕専門艦隊・通称『ノーブルブルー』の旗艦である1等軍艦アストリッド号へ、副長として配属されてその任に着いている。

 ノーブルブルーを率いるアドビス・グラヴェール提督の采配も相まって、このエルシーア海からは、確実に横暴な海賊たちが姿を消しつつあった。



 ◇



 青空と海の境目がくっきりと浮かび上がる晴れ渡った日。 

 ジェミナ・クラスで一番人気のパン屋マルガリータの店を手伝う私の元へ、一通の手紙が届いた。

 これは隔週、欠かす事なく届いてくる、あの人からの手紙。


「ルティーナ、ちょっと一息つきましょうよ」


 マルガリータと私は、彼女の店の裏手にある庭で、恒例の午後のお茶会を始めた。今日はマルガリータが木の実を練り込んだマフィンを焼き、私はさわやかな林檎の匂いが香るシルヴァン・ティーを煎れた。


「それで、どうなのよ」


 私もどきどきしてるけど、マルガリータの方が待ちきれない様子で、私が手にしている手紙を見つめている。


「じゃあ、開けてみるわね」


 私は封筒の口を破り、中に入っていた一枚の白い便箋を取り出した。

 恐る恐る開いてみる。


「……」


 私はその手紙を胸に押し当てた。

 なんだ。

 そうなんだ。


「ルティーナ?」


 焦れたように、だが大人の意地でマルガリータが、かろうじて笑みを浮かべたままこちらを見ている。私は手紙を彼女に見せた。


『 ―― 女だったら、ミリー。男なら、ミリアス』



「へぇー、ミリーちゃんにミリアス坊やね。いいんじゃない?」


 私はうなずきながら、黄金色に揺れるお茶を口に含んだ。

 あれから一年以上がすぎたけれど、『彼』の姿はおろか、噂すらきかない。

 ひょっとしたらエルシーアを離れて、今も綺麗な女の人を追いかけているのかもしれない。


 でも私にとって彼の存在は、すぐに忘れ去る事などできない。

 少なくとも、あの朴念仁ルウムを本気にさせてくれた、恩人なのだから。




「ルティーナ」


 不意にマルガリータが私の腕をつついた。


「なによ、マルガリータ。お茶がこぼれちゃうじゃない――」


 そして私は自分が言った通り、ティーカップを取り落としそうになった。

 マルガリータの店内へと続く、ひし形の硝子がはめられた扉が開いて、見覚えのある濃紺の海軍の軍服をまとった人物がそこに立っていたのだ。


「間に合ったかな、ルティーナ。拿捕した海賊船を港まで回送して、戻ってきたんだ」


 ちょっと待って。私、こんなのきいてない。

 そうよ。

 帰って来るなんて思ってもみなかったわよ。

 帰って来るなら帰って来ると、手紙に付け加えておいてくれればわかるのに。

 もう……いつも唐突なんだから。


 だけど私のいら立ちは急速に消え失せていった。

 航海服の襟足にかかるほどのはねた黒髪を揺らした彼は、がらにもなく大きく息を弾ませていたからだ。

 ひょっとして、港からきた?

 三十分かけて?


 途端、笑いが込み上げてきた。

 気にしてくれてたんだ。

 ひょっとしたら、もう産まれているんじゃないだろうかって。

 私は歩み寄ってきた彼の広い背中に両手を回した。


「お帰りなさい、アースシー。大丈夫、あなたは間に合ったわ」


 彼が私の所へ帰ってきてから三日後。

 我がルウム家には新しい家族が増えた。

 一度にも。


 ミリーとミリアス。この双子に私はさんざん手を焼かされることになるのだけれど、それはまた別の話――。



 最後に、私達を振り回してくれた、あのアマランス号の船首像のこと。

 彼女は今、ジェミナ・クラスを離れ、アスラトルの軍港近くにある居酒屋『青の女王』亭にいる。

 滅多にみられない美しい女神像だと評判で、多くの客をその美貌で招き、店の売上に貢献しているそうだ。




『炎の海賊の船首像』

 ―完―



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