【6】積荷の中身

 ひやりとした清々しい朝の空気に包まれて、一台の古ぼけた荷馬車が人っ子一人通らない、海軍詰所前の石畳に止まっていた。その荷台の上には、灰色の帆布のようなもので包まれた、長細い大きな塊が載せられている。


 私にはその塊が何であるか即座にわかった。

 荷馬車の御者――四角い黒い帽子を被り、色褪せた(元は赤色だろう)襟巻きをした茶髪の少年が、興味深げに覆いをはぐって中を覗いていたからである。


「ルース! 客の荷物を勝手に見るんじゃない」


 私の背後でルウム艦長が鋭い一声を発して少年をとがめる。少年は一瞬肩をすくませ、くるりと後ろを振り返った。そばかすだらけの顔を真っ赤にして、悪びれた様子もなく、苦々しい笑みを浮かべている。


「だっ、だってー、これすっごい重いんだ。オレのエルナンテがへばっちまうー」


 少年の主張を裏付けるように、荷馬車に繋がれている年老いたロバが、哀れっぽい鳴き声を上げた。

 確かに。あんながりがりのあばら骨が浮いているようなロバに引かせるなんて。私だったら即、お断りするわ。


「いいから早く、覆いを元に戻せ」

「はいはい。わかりましたよ」


 少年が再び積荷の方を向く。

 あらあら。艦長にしては妙に焦った口調だけど。

 もう遅いわよ?

 私にその積荷の中を見せたくないと、思っているのだとしたら。

 私は腕を組んで、隣へ並んだルウム艦長の顔を見上げた。


「昨夜はあの『船首像』と、でしたの?」


 するとルウム艦長は、先程までの焦りを微塵にも感じさせないさっぱりした顔で、首を縦に振った。


「ああ。詰所に放置するわけにはいかないから、馴染みの運送屋を手配した所だ」

「馴染みの運送屋って……まだ子供じゃない?」


 どうみても十才いくかいかないくらいの、こういってはなんだけど、貧しい身なりの少年だ。彼自身もロバのように痩せこけていて、よく見ればぶかぶかの大人のブーツを履いている。


「海軍のお姉さん。オレの事、子供って言ったな!」


 ルウム艦長の積荷(実はアマランス号の船首像)に、再び縄をかけ終えた少年ルースが、青い大きな瞳を細めて私を睨んでいた。


「オレは子供だけど、仕事しなくちゃメシを食っていけないんだ。あんたはそれに文句つけるのかい?」

「いっ、いいえ。そんなつもりで言ったんじゃないわ。私はただ……」


 子供なのにすごい剣幕。

 鋭利な刃物のような物言いをする。私は一瞬気後れした。


「ルース。彼女は単に年端もいかぬ子供が働く事に驚いているだけなんだ。ほら、運び賃の6000リュールだ」


 ルウム艦長が私の前を横切って、荷台の上に立っていたルースに金の入った小袋を手渡した。


「6000じゃ割にあわない仕事なんだけど。あんたの荷物、ホントに重いんだから」


 ルースは私に目もくれず、ふてぶてしい態度で腕を組んでいる。

 ルウム艦長は両手を長外套のポケットに突っ込み、それをもぞもぞとかき回した。そして真新しい包帯を巻いた右手だけを握りしめてそこから出すと、再び少年へ金を手渡した。


「ほら、もう5000だ。これで十分だろ」


 朝日に輝く銀貨を両手に受け、ルースがにかっと白い歯を見せて無邪気に笑う。


「まいどありー。また何か、を運ぶことがあったら、遠慮なく声かけてくれよ。アースシーの兄貴」


 ルースは素早く銀貨を継ぎの当たった上着のポケットへ押し込むと、ほんの三歩で音もなく御者台へ飛び乗った。


「人の誤解を受けるようなことを言うな、馬鹿! ルース、いいか? 本当に大切なものだから、丁寧に扱えよ」


 口調は真剣だったが、少年を見上げるルウム艦長の目にはあたたかい光に満ちていた。


「はいはい~。じゃーオレはこれで」


 ヒヒーン!


 ぴしゃりとかん高い鞭の音が木霊した。眠そうな顔をしていた年老いたロバが、鞭をくらったせいで目を大きく見開き、四肢を懸命に動かしはじめると、おんぼろ荷馬車はごとごとと危なっかしい音を立てながら、商港の方へと去っていく。


 ルウム艦長と私はその後ろ姿をしばし見送った。朝霧に消えていく荷馬車を見ながら、私は気になっていた。ルウム艦長があの少年――ルースに言った言葉が。


『彼女は単に、年端もいかぬ子供が働く事に驚いているだけなんだ』

 

「待たせて悪かったな、ルティーナ。じゃ、マルガリータの店に行こうか」


 マルガリータの店は荷馬車が去って行った商港とは逆の方向にある。

 私はルウム艦長にうながされるまま、商港方面へ背を向けて、石畳が続く緩い登り坂になっているその道を歩き始めた。


「ルウム艦長」

「何だ?」


 左手に見える海が朝日を浴びて虹色に輝いている。ルウム艦長はそれがまぶしいのか目を細めて私を見た。


「私は別に、あの子が幼くして働いている事に驚いたわけじゃありません。私の故郷アスラトルだってジェミナ・クラスのように、家計を支えるために働いている子供がいることを知ってますから。でも……あんな小さな子が働かなくてはならないなんて。あの子――ルースの両親はちゃんと仕事をしているのかしら」


「……ルースに親はいない」


 ルウム艦長が肩をそびやかした。


「えっ」

「孤児なんだ。いいや、ルースだけじゃない」


 歩きながらルウム艦長は、ふと視線を右手前方へ向けた。ルースと恐らく同じくらいの年齢の痩せっぽちの少年が、黒い塗料で塗られた街灯の下に立っている。彼は右手にふたのついた長細い鉄の棒を持っていて、それで街灯のランプの芯を覆う事で火を消している。


 その少年の傍らを、朝採り野菜の入った籠を背負った十、三四ぐらいの少女が、顔を真っ赤にして通り過ぎて行く。二つに編まれた金色のお下げが小さな双肩の上で揺れている。商港の広場で毎朝立つ市で売るのだろう。


「俺が子供の頃より、親を亡くしたり捨てられた子供の数が増えている」


 ため息混じりにルウム艦長がつぶやいた。


「それは……何故?」


 思わずそう訊ねると、ルウム艦長の顔には何とも形容し難い複雑な表情が浮かんでいた。


「さあね。ジェミナ・クラスの治安のせいか、世の中のせいか……原因はいくらでもあるだろうが。ルースに関しては、彼の両親はこの辺りを仕切っている海賊ロードウェル傘下の海賊船に襲われたせいで命を奪われた」


 海賊ロードウェル。

 最近特にかの海賊の悪名は、ジェミナ・クラスはもとより、南部のアスラトルの方まで響いている。彼の船を警戒するあまり、ジェミナ・クラスで海運業を営む商人達は、船に大砲を装備させて武装し、そして数隻の船団を組むようになった。


 船足の速さを生かして、商船を島影や背後から奇襲攻撃するのが、ロードウェル傘下の海賊船の共通する手口だが、商船には傭兵を雇っている船も増え、反対に返り討ちに遭う海賊もいるそうだ。


 だから、自分の船のみで行動している海賊――例えば、私達が追っているフラムベルクのように――は、警備の厳しい商船ではなく、を狙うようになった。


 もちろん獲物は乗船した客の金や貴金属だったり、中には高い身分の貴族の娘や富豪の地主などを攫ってきては身代金を要求したり、挙げ句の果てには東方連国や南方のリュニスへ連れて行って、人身売買をもしているらしい。


「ジェミナ・クラスは、エルシーアの北の玄関口だ。海賊に襲われて孤児になった子供が運良く商船に助けられても、大抵はここで置き去りにされる。もしくは、教会の慈善団体が細々と運営している孤児院に預けられる。ルースは俺も、幼少の頃に預けられていた、同じ孤児院の子供なのさ」


 えっ。

 私は一瞬戸惑った。


「艦長……あの、あなたは、孤児だったんですか」


 露骨にそう訊ねてよかっただろうか。言った後から私はものすごく後悔したけれど、ルウム艦長は穏やかに唇の端をすぼめてうなずいただけだった。


「そうだ。俺も十才の頃までルースと同じ孤児院にいた。ただ俺は捨て子だったらしいがね」


 孤児の上に捨て子だった。なんでこんな話にになったのかわからないけれど、私は意外な艦長の生い立ちに正直驚きを隠す事ができなかった。


「じゃあ、艦長のお父様は――」


「ああ。エーリエル・ルウムは俺の養い親だ。ジェミナ・クラスの商港で、生活費を稼ぐため、十才で水先案内人をやっていた俺を気に入って、養子として引き取ってくれた。今の俺が――海軍士官としての俺があるのも、養父ちちのお陰だ」


 石畳の古びた道を歩きながら、ルウム艦長の左手がそっと持ち上がり、黒い長外套の上から右腕に触れた。ルウム艦長の私服姿は実を言うとあまりみたことがないが、彼は養父の死を悼んで、敢えて今は黒を選んで着ているような気がする。


「もっとも、養父ちちは人格者だったが厳しい人でもあった。なんせ俺を、十二才で水兵見習いとして自分の軍艦に乗せたからな。十九で任官登用試験に受かるまで、徹底的にしごかれた」


 本来、軍艦に乗る事ができる最年少の年齢は十四才だけど、ルウム艦長はそれより二年も早かった(ただし違法)。


 勿論、養父エーリエル・ルウムが海軍士官だったから、一水兵のままではなく、士官候補生への道が開かれていたおかげかもしれない。


 ただルウム艦長は、軍艦乗りとして十六年というキャリアを持っている事になる。二十八才でジェミナ・クラス警備艦の艦長になれたのも、彼自身の並みならぬ努力があってこそだろうと思う。


「私、今驚きで胸が一杯です。まさか、艦長がそんな経歴をお持ちだったなんて、これっぽっちも思わなかったものですから」

「……それって褒めているのか?」


 ルウム艦長の青紫色の瞳が細くなった。その表情が一瞬陰る。

 まずい。あまりにも心境を率直に言い過ぎたみたい。


「いえ! 艦長のお養父上はすごい方だったんだなと思っただけです。あっ、マルガリータの店が見えて来ました。ああ、パンの焼ける良いにおいがする~」


 私はルウム艦長の左腕を掴んで微笑した。

 緩やかな登り坂を登った所に、真綿のような白壁の、真っ青な屋根を葺いたパン屋が見えてきた。赤茶色のレンガで作られた煙突からは、薄い煙が天空に向かって昇っている。


「ひと月ぶりかな。マルガリータの店で食事をするのは」


 私は大きく首を横に振った。


「このひと月はずっと船に乗って、軍港と海の往復ばかりだったじゃないですか。軽く三月は来ていませんよ」


 少なくとも、私はね。


「そうだったか」


 ルウム艦長の瞳が一瞬彼方を見つめる。けれどそれは徐々に強くなる、甘いパンの香りのせいか、生き生きとした光を帯びはじめた。


「なんにせよ、久しぶりと言う事には違いない。ルティーナ、君は一体何を頼む?」


 うふふ。

 私もさっきからそれを考えていた所なの。


「もちろん『特製黒パンサンド』に『スープ・サラダ付き』。あの焼き立ての黒パンのもちもちした食感と、ヤギのとろけたチーズと生ハムがたまらなく美味しいの。黒すぐりのソースも絶品」


 ああ、思い出すだけで涎が出てきそう。

 するとルウム艦長がにこにこしながら、不意に右手を長外套の内ポケットに突っ込んで、白いハンカチを取り出した。


「俺はマルガリータの『おすすめ』にしようと思ったけど、君の『特製黒パンサンド』がすごく食べたくなってきたな。涎が出るほど美味しそうとあれば」


 うわっ。

 私は咄嗟に口元を覆った。

 本当にー? 冗談抜きで私ったら!?

 気を抜けば腹の虫が音を立てそうだから、そればかりに気をとられてた。


「大丈夫。まだ涎は出てないみたいだ。ルティーナ」


 ルウム艦長は可笑しそうに私の顔を覗いている。


「艦長っ! ひどいじゃない。私、本当に……」


 私は恥ずかしさと怒りで顔が火照るのを感じながら、服の上からでも容易に引き締まった筋肉がわかる彼の背中を叩いた。


 真面目で朴念仁な外見のくせに、時々冗談なんていうもんだから、本当にタチが悪い。いや、これがルウム艦長の素の部分なのかもしれないと思いつつ、私達はマルガリータの店の中へ入った。


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