【5】嫉妬しているわけじゃない
「……ジルバ料理長。私、あんな艦長初めてみたわ。それとも彼って、ああいう趣味があるの?」
私は急に疲れを感じながら、隣に座っているジルバ料理長に話しかけた。
あれ? どうしたんだろう。陽気なジルバ料理長が、珍しく眉間を寄せて顔をしかめている。
「ジルバ料理長?」
改めて声をかけると、彼は物思いからさめたように両目をしばたたかせ、ひゅーとおどけたように口笛を吹くと肩をすくめた。
「さぁね。僕も初めてみるよ。でも……」
「でも……?」
その顔をのぞきこんだら、ジルバ料理長は小麦色の肌のうえに、再び元のまぶしい笑みを浮かべて見返してきた。ちょっと垂れた青い瞳が無邪気に伏せられる。
「アースシーにとっては大事なものなんだよ。じゃないと命がけであんな馬鹿な事できるわけないじゃないか。それに、彼女はべっぴんだもんな……あっ!」
ジルバ料理長は急に大きく叫んで、私の顔をまじまじと見つめた。
「なっ、何?」
「ふふーん、さてはルティーナ。自分が艦長に助けてもらえなかったんで、それで機嫌が悪いんだ」
「……なっ!?」
私は咄嗟に反論することができなかった。
なんで、なんで私が、あんな木像相手に嫉妬しなくちゃいけないの?
私は、自分の面倒は自分でちゃんとみれるのに。
「別に私はそういうつもりじゃ……!」
腹立たしさのあまり雑用艇の座板から腰を浮かせると、ジルバ料理長の顔にはさらに意地悪な微笑が広がっていく。
「だったら、早く艦長を助けてやりなよ。懸命にこっちまで泳いでいるのに、なんで船を近付けてやらないんだい。やっぱ、怒ってるんだよねー?」
えっ。
私はようやくルウム艦長が、私達の乗る雑用艇に向かって泳いでくることに気付いた。彼との距離は約十五リールぐらいだろうか。
陽は傾きつつあるが、幸い風は弱く波もさほど高くない。
放っといても彼はここまで泳ぎ着くだろう。
……と思ったけれど、私はそんな冷たい女じゃない。
「みんな、
私は水兵達に命じた。
ジルバ料理長だけが、意味ありげな微笑を浮かべて私の顔を見上げている。
うう……なによ。
彼は悪い人じゃないんだけど、こっちの心情を見透かすようなまねだけは、やめて欲しいと思う。
数分後、私達はルウム艦長を回収し、そして深き海の底へ沈んでいくアマランス号を見守った。
火災発生から五時間後――。太陽が水平線に沈んでいく頃、私達はジェミナ・クラスへ帰港するアバディーン商船の大型船に発見され救助された。
勿論、あの美貌の『船首像』も一緒にね。
ジェミナ・クラスの軍港に帰港したのはそれから一時間後。
しかし、私やルウム艦長はもとより、アマランス号の乗組員の一日はまだ終わらなかった。
何故火災が発生したのか。
その事情聴取のため、延々と軍港内の詰所で拘束されたのは言うまでもない。
◇◇◇
翌朝。
私は結局、軍港詰所の仮眠室で一夜を過ごした。
さんざん待たされた挙げ句、私の取り調べは深夜0時をとっくにすぎた頃にやっと始められたけれど、それにかかった時間は十分にも満たなかった。
当然といったら当然か。だって火災が起きた時、私は甲板にいたのだから、詳細を話せと言われても、それ以上のことを知る術がない。
それはルウム艦長も同じだ。でも彼は、軍港詰所に入った途端、すでに連絡がいっていたのだろう――ジェミナ・クラス軍港司令官・バルファム中将に出頭を命じられたのだ。
船で何か問題が起こった時、すべての責任を負わなくてはならないのが艦長だ。司令官執務室には夜遅くまで、灯りがついたままだったらしい。
「それで、ルウム艦長は詰所を出ました?」
仮眠室でざっと身なりを整え、私は詰所の玄関ホールまで行った。ルウム艦長が詰所をすでに出ていたら、警備担当の士官がその姿を見ているはずだ。
「いえ、ルウム艦長はまだいらっしゃいますよ……あ、ほら」
年若い士官が右手をあげてそれを軽くこめかみへと添えた。
私は振り返った。
すると詰所の出入口の扉が開いて、ルウム艦長が中に入ってきた所だった。
私は少しだけ驚いた。ルウム艦長は襟飾りを外したシャツと黒のズボン、黒の長外套をまとった私服姿だったからだ。そして、昨日はあんなどたばた騒ぎで気付かなかったけれど、右手の甲とゆるく垂れ下がった前髪の下――額に、白い包帯が巻き付けられているのが見えた。
「――今朝は随分とひどい顔してらっしゃるわ、艦長」
ルウム艦長は私の姿をみて、一瞬驚いた様子だった。
「ルティーナ……ああ、そうか……君も結局、詰所で朝を迎えたクチか」
「ええ、おっしゃるとおり。それよりも、怪我の具合はどうなんですか」
ルウム艦長はそっと肩をそびやかした。
「軽い火傷だ。大した事はない」
アマランス号の乗組員達は早めに雑用艇へ避難したので、怪我をした者は誰もいない。艦長もそうするべきだったのに、彼にはどうしても救助しなければならない大切な者がいた。
アマランス号の『船首像』。
彼女に名前があったとしても、私はそれを知りたいとは思わない。
「ええ、艦長は立派でしたわ。あの美貌の木像も、命がけで艦長に救っていただいて、とっても感謝してると思います」
「ルティーナ? 今日の君はなんだか機嫌が悪そうだな」
私は頭を振った。
「……船を焼失し、昨夜は詰所の長椅子で夜を明かしたんですから、あまり気持ちの良いめざめではありません」
私はつい本音を言った。
顔にまでその機嫌の悪さが出るのはかろうじて堪えたけれど。
だって、疲れているのは私だけじゃない。
――私だけじゃないから。
「それより艦長。バルファム司令官に何か言われました? そして船の火災の原因はわかったんですか? 私、それをどうしても知りたくて――」
ルウム艦長は目を細めて静かにうなずいた。
「そうだな。俺も話そうと思っていた所だ。だからルティーナ」
「はい」
ルウム艦長の目が更に細くなって、薄い唇が笑みを浮かべた。
「これから一緒に朝飯を食べに行こう。そうだ、マルガリータの店がいい。今ならマルガリータおすすめの『特別朝食セット』にありつける」
「えっ、え、まあ……その……い、いいんですか? もう詰所を出て?」
「バルファム司令から行動の制限は受けていない。とにかく、朝飯を食べてから仔細を話すことにする。さあ、行こう」
相変わらず強引なんだから。
でも、マルガリータは常に焼き立ての美味しいパンを出してくれる、ジェミナ・クラスの街で最もおすすめな軽食屋だ。
そういえば、あそこの特製黒パンサンドを最後に食べたのはいつだったかしら。
その味を思い出しながら、私はやっと心がほんの少しだけうきうきするのを感じていた。
けれどルウム艦長と共に海軍詰所から外に出ると、私のそんな春の陽気のような気分は吹き飛ばされた。
どうして――?
「なっ……なんであれがここにあるんですかっ! ルウム艦長っ」
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