第2話 もうやだ、帰りたい……

『最近の若いもんはたるんどる! 俺が若い時はなぁ!』から始まる上司の昔話。それを毎週金曜日に部署の皆と聞かされた。

 武勇伝だか何だか知らないが、『嫌なことはビシッと断ってやったもんだ!』とか『嫌いな上司とは絶対に酒飲みには行かなかった!』『断る勇気も必要だ!』とか、俗に言う“おま言う理論”をかましていた。

 それを真に受けた女の子が、『もう部長の飲み会には行きません』と言った次の日から嫌がらせられて、一週間もしないうちに仕事を辞めた。


 ***


 懐かしい夢を見て、朝の五時に目を覚ます。ブラック企業に勤めていた時のクセだ。出社は八時なのに、『朝の六時に来て掃除をしろ! それでもお前ら会社員か!』なんてクソどうでもいい説教をくらい続けたせいだ。


 俺は目を覚ますなり、「昨日のことは夢だった」と自己暗示をかける。

 田舎には引っ越した。熊は狩りに行ってない。役場のおばちゃんと飯岡さんが色々と世話を焼いてくれた。熊は狩りに行ってない。もうブラック企業に務めていないんだから、朝早くに起きる必要は無い。熊は狩りに行ってない。


 俺は布団から出て、顔を洗いに洗面所に向かう。冷たい水で顔を洗って朝ごはんを作りに台所へ行く。そういえば、昨日の夜役場のおばちゃん──入山いりやまさんから野菜をもらった。それで今朝は野菜炒めでも──



「あぁんもう! まだいるじゃぁぁぁん!」



 俺は台所に入るなり床に蹲る。綺麗に片付いた台所のシンクの上に、どん! と乗っかり存在感を出す熊の頭。

 血走った目と口からはみ出た舌が、まだ生きている様に見えた。首だけなのに。


 飯岡さんは俺が「熊ヤバいって! ダメだって!」と止めた時、「ほんとに言ってんの?」と言いたげな顔をしていた。


 俺が青ざめた顔であまりにも止めるから、飯岡さんは笑って「じゃあここで待っててください」と行って、草をかき分けて山に入っていった。

 そして、ものの三十分で百六十センチほどの熊の首を絞めながら、山から降りてきた。

 ──俺は女の悲鳴より、高い声を出した。


 その首がまだ台所に残っている。飯岡さんに「持って帰ってください」とあれだけお願いしたのに。

 これ一人で片付けろって、まず熊の首って、可燃ごみですか? 粗大ゴミですか?


 悩んでいると、家のチャイムが鳴る。

 まだ五時半だ。俺が玄関を開けると、見るからにヨボヨボのおばあちゃんが立っていて、歯が抜けてガタガタの口で笑ってお辞儀をした。


「おはようさんです。隣の藤枝トミです」

「あ、おはようございます! 挨拶に行けずにすみません」

「いえいえ、飯岡さんとこの坊ちゃんから聞いてますよ」


 トミはニコッと笑って「大変だったでしょ」と言う。ああ、やっぱり飯岡さんがおかしかったんだ、と俺は胸を撫で下ろす。


「ごめんなさいねぇ。引っ越してきてすぐに······」

「いえいえ、ちょっと驚きましたけど」



「いきなり熊さんは、早かったわねぇ」

「はぇっ!?」



 トミはニコッと笑ったままだ。驚いて固まったままの俺に、トミは後ろから「そうそう、これ」と縄を引きずる。


「やっぱり最初は、猪が基本よねぇ。ごめんなさいね、急かしちゃったみたいで。今度教えてあげるから、今日はこれ、食べてちょうだい」


 トミは縄を俺に、握らせる。呆然とする俺にお辞儀をすると、ゆっくりゆっくり、家へと帰っていく。

 俺は引越し二日目にして、もうこの村を出たいと思い始めていた。

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