第二十九話 教育
「申し訳ありませんでした……!!」
白の王に案内された別室で顔を合わせるなり、ユニコーンはそう言って深々と頭を下げる。
「……」
もう彼を叱りつける気など毛頭なかったので謝罪は求めていないのだが、初対面では口を開くことにすら許可を要したあの気高い“ユニコーン”が、
そして同時に、わずかばかりの悪戯心が湧き上がった。
「……あら、どうしましょう?」
「……っ!!」
美しい九十度の角度で保たれたユニコーンの背中が、ほんの一瞬だけビクリと震える。
思わず漏れそうになった笑いを寸でのところで飲み込み、シルク素材で出来たスーツジャケットの縫い目に沿って彼の背骨に指を這わせた。
「あの後、私がどんな目に遭ったかわかる?」
「す、すまない……分からん……」
「そうでしょうね。きっと、貴方には想像すらできないような事よ」
私のセリフに対し、ユニコーンは
無言でその場に屈み込み人差し指で彼の顎を持ち上げれば、グレープ色の瞳が揺らぎ喉仏が上下した。
「……それじゃあ、想像できる?」
――……いいえ、貴方にはできないでしょう?
「私の、『アリス』の腹が大鎌で裂かれて、内臓が挨拶しに出て来るところ……両手首が切り落とされて、
「――っ!?」
「それから……体が真っ二つに分かれて、
ねえ、ほら。私のためだけに、上手く脳みそを働かせてちょうだい。
利口で無能で、
「……そんな事、貴方に想像できるのかしら?」
改めて問うと、黙ったままのユニコーンの体がカタカタと震え始める。
まさか、『アリス』に対しても沸点が飛躍的に上昇するだけで決して全てを許すという訳ではないのだろうか?と焦りに似た感情が湧き上がり、入口付近で壁にもたれかかり静観する白の王に目線を投げてしまったのだが、そんな心配をよそにユニコーンは絞り出すような声で「あの
「
「アリスの体を傷つけたのは誰じゃ? 赤の王のクソガキか……?」
(ああ、)
そういえば、いつだかあの王のことをそんな風に
出血するのではないかと思うほどに食いしばられたユニコーンの歯がゾリゾリ音を立て、満月型だった瞳孔が縦長で細い楕円形に変化する。
「ええ、そうよ」
肯定した瞬間――ユニコーンは弾かれたように上半身を持ち上げ、両手で私の肩を掴みながら声を荒げた。
「どこじゃ!? 最後にどこであのガキの顔を見た!?」
「……痛いわ」
「私が
「ユニコーン。肩が痛いわ」
「!!」
なすがままになりつつ静かに
……ああ、可哀想。『感情』なんかに理性まで支配されてしまうだなんて。
「す、すまなかった、アリス。頭に血が上っておった……」
「いいのよ、気にしないで」
「……!! アリ、」
「って、言ってほしいの?」
湖で私が目覚めた時、彼は『アリス』に嫌われてしまうことをひどく恐れているような発言をしていたことも思い出し、あえて突き放す“ふり”をした。
甘えても良いのだと判断するための材料を集めるのはとても簡単で、一度支え棒判定を受けた者が下に見られるまでそう時間はかからない。大切なのは「私はお前に餌を与えるが、リードを握る飼い主である」と立場をしっかり教え込ませる事だ。
そして、教育に有効なのは痛みと恐怖。
「ねえ、ユニコーン。許してほしい?」
「は、はい!」
「貴方が私を助けに来なかったことも、私が
「……っ、はい……」
それから、
「……いいわ。許してあげる」
甘ったるいほどの優しさである。
「ア、リス……」
ユニコーンの長身をそっと抱きしめた途端、彼はぴたりと動きを止めて蚊の鳴き声より小さな息を短く吐き出した。密着しているため、自称・一角獣の心臓がバクバクと踊る感覚が私の肋骨越しに伝わってくる。
過去にも他人に対して自分からこうした経験はあるが、自分以外の鼓動を「気持ちが悪い」と感じなかったのは初めてかもしれない。
(……不思議)
心臓の音は好きじゃない。
目の前のものが今この時間を生きているのだと、嫌でも教えられるんだもの。
「許してあげるけど……その代わり、お願いがあるの」
「な、なんじゃ。他でもないアリスの頼みとあらば、勿論何でも従う」
彼が私の
ゆっくり体を離してユニコーンの美しい髪を撫でた後、宝石に似た瞳を覗き込む。
「クソ鳥さんを捕まえてきて?」
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