第二十七話 万が一

「……え……?」


 私の聞き間違いでなければ、彼は今「赤の王の弱点を知っている」と口にした。

 決してその発言を疑っているわけではないのだが、『呪い』によってあらゆる事象を可能とし、この世にある全ての“もの”を掌握しょうあくするあの男には『最強』という漢字二文字を当てはめても過言ではないだろう。

 だからこそ、そんな赤の王に“弱点”と呼べる部分が存在することに内心、驚きを隠しきれなかった。


「ふふっ……うん、そうだよ~。王様は別に『無敵』ってわけじゃないんだ~」


 ――……どうやら表情に出てしまっていたらしい。

 白の王は私を見て口元に緩やかな弧を描き、優雅な動きで椅子から立ち上がると自身の背後で狼狽うろたえていたシェフの背中を撫でながら「大丈夫? 怪我はない?」と声をかける。


「あわぁ~!! お、王様……もも、申し訳ありません~……っ!!」

「良いんだよ、気にしないで~。ね?」

「……」


 対して、ウミガメに似たシェフは何度も頭を下げているが、白の王はその場に片膝を付き皿の破片を集めつつ「それより、これを捨てる袋とか持って来てほしいな~」と相変わらずの笑みを浮かべていた。

 粗相をした使用人など、人前で鞭打ちにするなりプライドが折れるほどの罵詈雑言を浴びせてしまえばいいだけだというのに。……やはり、彼はどこまでも優しい蜘蛛ひとだ。


「……あの、ちょっと、いいかしら?」

「ん? な~に? アリスくん」


 彼がウミガメもどきシェフの尻ぬぐいを終えるまで待ってから声をかければ、白の王は椅子に座り直しこちらに笑みを向けながら首を傾げる。


「彼の……赤の王の弱点、って……」

「……知りたい?」


 当然だ。

 知ったところで私が的確に“それ”を突けるとは限らないが、『知らない』より何億倍もマシに決まっている。


「ふふっ。良いよ~教えてあげる。だって、アリスくんは俺の味方だもんね~!」

「……」


 私が白の王の味方であるという表現はまさにその通りでしかないため、何の違和感も生まれない。しかし、彼の物言いには一点だけ引っかかる箇所があった。

 一瞬、口にするべきかどうか“らしく”もなく躊躇ちゅうちょしてしまい口をつぐんだあと、一つ大きな唾を飲み込んでから慎重に言葉を落とす。


「教えてくれるのは、正直とても助かるわ。でも、貴方……味方だからって理由だけで、そんな大事そうなことをほいほい話していいの? 私が赤の王の弱点を聞いてから、貴方を裏切ったりしたらどうするつもり?」


 他の誰かであればまだしも、恩人である彼にそんな事をするつもりは毛頭ないけれど、例えばの話。私が白の王の味方のふりをして情報を聞き出し、ユニコーンと第三の勢力をつくり上げて赤の王を殺し自分だけが得をするなり、はたまた口封じや厄介者潰しのために白の王を殺すなりしようと目論んでいたら。どう対処するつもりなのだろうかと心配になってしまった。

 所詮は口約束で徒党を組んだだけの仲に過ぎないのだから、可能性はゼロだと言えないだろう。


「……」


 何も返さない白の王に目をやり、震え始めそうになる手をぎゅっと握りしめ次の言葉を待っていると、彼は自身の手のひらをポンと叩いて感嘆かんたんの声を上げた。


「あ~! そっか! 言われてみれば~! うん、どうしようか~!?」

「どうしよう、って……」


 彼のことは「明敏めいびんな蜘蛛だ」と買っているのだが、どうやら少し抜けている……もとい、天然の入った蜘蛛ひとだったらしい。

 予想外の脳天気な返答に困惑し憂う私をよそに、白の王はからからと笑いながらワイングラスを揺らす。


「うーん、そうだなぁ……罰ゲームか~。思い浮かばないな~……『逆』ならあるんだけど……」

「逆?」

「そう。俺が万が一、アリスくんを裏切ったらどうするかって私案」

「!!」


 何度も言うように、私は彼を疑っていない。赤の王を殺すため、彼と協力するのも

 けれど、どうしても興味を惹かれる話を人参のごとく鼻先に吊るされつい食いついてしまう。


「もし、貴方が私を裏切ったら……? どうするの?」

「その時は、俺を殺していいよ。アリスくん」


 思いもよらない提言に、時の止まったような錯覚を覚えた。

 同時に、この程度で周囲と変わらないの反応ができたことに大きな感動が湧き上がり、彼に対する感謝の意から力いっぱい抱きしめたい衝動に駆られる。


「……? アリスくん?」

「……ごめんなさい、驚いてしまって……」


 ええ、それはもう。とても『驚いた』わ。

 ここまで“私”の心を揺さぶれるだなんて、本当にとんでもない王様ね。


「そうだよね~。殺していいよなんて、驚かせちゃったよね。でも、俺は本気だよ~」

「気持ちだけ受け取っておくわ」

「え~? どうして?」


 どうしてだなんて、そんな事は決まっている。


「だって、そんな『万が一』はやってこないもの」


 ――……彼がアリスのだから。

 アリスはみんなに愛されて、花でさえも味方をしたがり、女王ですら身代わりになりたがる。そんな唯一無二の尊い存在だと、物語が生まれた時から決まっている。


「……ははっ。信頼されてて嬉しいよ~ありがとう、アリスくん」

「お礼を言いたいのは私の方よ」


 一度ならず二度・三度、一般人が何の苦労もせず心に浴びているであろう『当たり前』の感情を与えてくれる彼には、赤の王がのうのうと生きている今現在の時点ですでに感謝してもしきれない思いだ。

 あの王様気取りの男を殺せた暁には、半分くらいこの恩を返せているかしら。


「あっ、そうだ~! 忘れないうちにもう一つ言っておくんだけど、アリスくん。『呪い』の話はユニコーンにしない方が良いよ~」

「……? 何を言っているの? そんなこと、当たり前でしょう?」


 そも、窮地きゅうちで助けに現れなかった役立たずのバイコーンになど話してやる事は何も無い。更に、彼から『呪い』の説明を受けたあと、その考えは強い確信に変わった。


「ユニコーンも私に嘘を吐いていたのだから、私だけが罪悪感を覚える必要も、詫びなければならない理由も無いはずよ。『嘘つき』はお互い様だもの。そうでしょう?」


 あの湖で『奇跡』などと宣い素知らぬ顔で私を騙していた、いけないバイコーン。

 でも私は“アリス”だから、次に顔を合わせた時も変わらず貴方に微笑みかけてあげる。「会いたかった」と手を握り、ただの一言も貴方を責めたりしないわ。ねえ、嬉しいでしょう?


「……さすがアリスくん! 俺は君を嘘つきだなんて思わないけど、その意見はもっともだよ~」

「ふふ、ありがとう」

「どういたしまして~。それじゃあ改めて、王様の弱点について話そうか」


 ――……チリン。

 彼の声に被さって、鈴の転がる音が耳たぶをくすぐった。

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