第十五話 言いがかり

 ――……このまま、死んでしまうのだろうか?


(私……、)


 まだ白ウサギを殺すどころか、赤の王とやらに会えてすらいないというのに。

 こんなところで、私は。名前も知らない初対面の息切れ男に殺される?


(嫌……嫌、嫌……っ!!)


 死ねない、死ねない!せっかく“アリスになれた”のに、殺されてたまるものですか!!

 しかし、私の脳ときたらいさぎよく諦めてしまっているようで、迫り来る凶器の映像をスローモーションで海馬に送りつつ走馬灯を流し始める始末。


(考えるのよ、アリス)


 残りコンマ数秒で、この危機的状況を回避する方法がまだ……。


(……まだ、)


 嗚呼、本当は解っている。そんなこと……今すぐ私に超能力や魔法の類が宿るなり開花するなり、まるで少年漫画のように都合が良い奇跡の現象でも起こらない限り無理な話よ。


(……死ぬの……?)

「オイ……ッ!! 何をやっとるんじゃこのクソ鳥が!!」


 どすの利いた声が耳に届くと同時に、息切れ男の足元から巨大な針が出現する。

 しかし“それ”が男の体を貫くことはなく、金属同士のぶつかり合うような高い音が暗い森に響いた時には、息切れ男の体はぴょんと宙に舞い上がっていた。


(飛んで……)

「うわぁあーっ!!」

(……え?)


 どうやら自分の意思による跳躍ではなかったらしく、息切れ男はなんとも情けない声を出しながら地面に着地するなり「いっ、痛い! しし、しっ、死んだらどっ、どうするんだ!」と喚きながら改めて武器を両手で持ち身構える。


(……たす、か、った……?)


 安堵の息を吐いた瞬間――背後から何者かに抱き寄せられ、ふわりと鼻をくすぐった甘い香りを辿って振り返ると、


「先に私の質問に答えるべきじゃろうが……あ? 違うか?」

「!!」


 そこにあったのは、怒り心頭の様子で息切れ男を睨みつけるユニコーンの姿だった。

 きっと『目つきだけで人が殺せそうだ』という言葉を可視化すれば、彼のような瞳になるのだろう。


「喋ることを許す、そして答えろ。死に損ないのクソ鳥風情が……一体、どれほど立派な理由をもって私のアリスに刃を向けた……?」


 せっかくの綺麗な顔がどこまでも憤りに歪んでいく。

 そんな彼の顔を呑気に仰ぎ見ていると、獣に似た鋭い犬歯が生えていることに気がついたのだけれど今はどうでもいい話ね。


「ちちっ、違っ……ゆ、ゆに、ユニコーン、すっ、少しはなっ、話を聞いて、」

「黙れ、何も違わんじゃろが。自己擁護ようごの言い訳を聞くために割く時間などあるものか。これほど腹が立つのは久々じゃ……」

「だっ、だ、だっ、だって……!! ぼ、僕は!! ころっ、殺されかけた!! せいっ、せせ、正当防衛だ!!」


 ……え?


「……アリスを侮辱するか。良い度胸じゃのう……オイッ!!」

「ひぃっ!!」


 いつだかと同じくユニコーンが片足で勢い良く地面を踏みつければ、『クソ鳥』と呼ばれた男性の足元から巨大な針が出現し、クソ鳥さん(仮名)は短い悲鳴をあげて体を縮こませながら目を瞑る。

 すると、まるで彼を危険から守るかの如く盾のようなものが現れ、ユニコーンの巨大針を弾いてしまった。


「ちっ……」

「……なに? あれ……」

「鳥頭の本人は気づいておらんが、クソ鳥を常に護る『絶対防御』の能力じゃ……どんな攻撃も通さない、最強の盾とも呼ばれておる。故に、私の手では殺せぬのが腹立たしい……っ!!」


 盾に護られているのだと自分では気づいていない……というのは恐らく、クソ鳥さんは攻撃を受けるたび反射的に目を瞑ってしまっているからなのだろう。


「ほほっ、ほんっ、ほ、本当に! そっ、そい、そいつに! こ、殺されかけたんだ!!」

「まだ言うかこの死に損ないめが!!」

「……ねぇ。そいつ、ってもしかして私のことかしら?」

「そそっ、そうだ!! ぼ、ぼっ、僕をびっくりさせて……っ!! しん、心臓発作でころ、ここ、殺そうとした……!!」

「……」


 言いがかりにも『程度』というものがある。


「……失礼ね。たったいま殺したくなったけれど、まだ何もしていないわ」

「ほほほらっ!! きい、聞いたかユニコーン!! やっぱりこいつはぼっ僕を殺す気なんだ!!」


 ナイフ片手に喚き散らすクソ鳥に対してユニコーンは「光栄な事じゃろうが!!」と反論しており、どこからツッコミを入れるべきか悩んでしまう状況だ。


「はぁ……」


 これは今までの経験則でいうのであれば、正面からまともに付き合うだけ無駄と思った方がいい。

 つまり、


「それより、ユニコーン。貴方に聞きたいことがあるの」


 話題を変えるのが正解のはずだ。


「何じゃ? 何でも聞くが良い」

「白ウサギがどこに居るのか知らない?」

「白ウサギ……?」


 不思議そうに首をかしげたユニコーンに「殺そうと思っているのよ」と笑いながら理由を語った途端、彼はなぜか眉をひそめて唇を引き結ぶ。

 てっきり万々歳で喜んでくれるとばかり思っていたので、その反応にはさすがに戸惑いを隠し切れない。


「ははっ……あ、あはっ!! あははっ……!!」


 一方で、クソ鳥さんはお腹を抱えてげらげら笑い始める。


「あははっ!! 聞い、きき、聞いたかユニコーン!? この女、そっ、そそ、相当イカレてるぞ……っ!!」


 なぜそこまで言われなければならないのか見当もつかず、もやもやとした気持ちを抱える私の代わりにユニコーンが一喝しクソ鳥さんを黙らせてはくれたものの、その表情は相変わらず曇ったままだ。


(どうして……?)

「……アリス、」


 そして、真っ直ぐこちらへ向き直り薄い唇から紡ぎ落したのは、


「今の言葉を取り消してくれぬか」


 そんなつまらない台詞だった。


「どういうこと? 嫌に決まっているでしょう?」

「本心がともなわずとも構わぬ……!! 白ウサギを殺すという発言は取り消すと“言って”くれ……!!」


 ユニコーンはひどく焦った様子で私の両手を握ってくるが、それを振り払いなおも首を振る。


「嫌よ……!! 私はもう決めたの。邪魔になる白ウサギは殺す、これは決定事項よ。取り消すつもりはさらさらないわ!!」

「アリス……ッ!!」


 クソ鳥さんの小さな笑い声が耳に届き、星がきらりとまたたいて、


「そうか……それは非常に残念だ」


 次の瞬間には、二人の姿が目の前から消えていた。

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