第十四話 暗闇の物音

 白ウサギは私のことを憎んでいる、ですって?


「……そんなはずないでしょう?」


 そうよ。私が不思議の国の『アリス』である限り、のだ。

 いいえ、違う……あってはならない事なのよ。だって、


「白ウサギは、アリスを愛している。そのはずでしょう……?」


 アリスを愛していない『白ウサギ』なんて、そんなものはただの偽物ウサギだ。もしもあの真っ黒ウサギのが物語に不要な存在だったなら、なおさら早く消してあげなければならない。

 不思議の国のアリスという素敵な話を掻き乱したり、ワンダーランドが楽園であるための邪魔をする存在は、全て殺さなくちゃ。


「……たしかに……遅刻ウサギは、『アリス』を愛している……」

「……?」

「……だが……クッキーくんのことは、憎んでいるのだ……」

「……どういうこと? つまり、私のことを愛しているけど、憎んでいる……愛と憎悪が表裏一体になっている状態なの……?」


 首をかしげる私を見て、芋虫さんはなぜか不思議そうに目を丸くして同じように首を傾ける。


「……クッキーくん、繰り返すが……遅刻ウサギが、愛しているのは……『アリス』だ……」

「?」


 つまり、私を指しているはずだ。


「アリスは私よ?」

「……うむ……バイコーンが、『真のアリス』と認めたのは……たしかに、クッキーくんだ……故に……クッキーくんも、『アリス』なのだろう……だが……遅刻ウサギが、愛しているのは……『アリス』だ……」

「……」


 ああ……アリス、という言葉がゲシュタルト崩壊してしまいそうだわ。

 どれだけ頭を捻っても、今しがた語られた芋虫さんのなぞなぞじみた話の真意はどうしてもみ取れず、ストレスにより鈍い頭痛が脳を叩き始めてしまった。


「……本人の、口から……語られた名が、全てではなく……時には……真に、その人物を現していない場合もあるものだ……」


 つまり何が言いたいのか、相変わらず簡単には理解させてくれない話し方をする厄介な虫である。しかも、下手に掘り下げると論点がずれていく場合もあるというトラップ付きだ。

 この場合の正しい判断は、


「そう。覚えておくわ」


 深く触れない。

 これが最善の選択であると、私は彼との短い付き合いの中から学んだのである。


(白ウサギが本当に私を憎んでいたとしても……)


 邪魔になる存在は殺してしまえば良いのだから、どちらにしろ私には関係ない話だ。




***




 結局――芋虫さんの口から白ウサギの居場所を聞き出せそうな雰囲気ではなかったため、少し前に訪れた、森の一角にあるひらけた場所へ再びやって来る。

 四方向に分かれた道の先を全て詮索すれば、そのうちばったり白ウサギに遭遇するかもしれない。

 あの場に残って芋虫さんの電波発言を聞き続けるよりもよほど効率的な時間の使い方だろう。


「さて、と……」


 とは言ったものの、できることならあまり時間をかけずに見つけられた方が望ましい。


「うーん……」


 まず『不思議の国のアリス』のストーリーに則るのであれば、彼は『城』と呼ばれるような場所にいるのではないだろうかと考えた。

 見た目の色が白であれ黒であれ、“シロウサギ”と名が付く生き物はたいがい女王陛下のかたわらに生息しているものだろう。


(……そういえば、この国にもハートの女王はいるのかしら?)


 そんな疑問はとりあえず後回しにして、第一の目的を『城を探すこと』に絞り、自身から見て左手側の道へ足を踏み入れた。




***




 あれからどのくらいの時間が経っただろうか。

 面白みのない森の中をそう長くは歩き続けていないと思うのだが、ある程度進んだところで頭上に花のつるで作られたアーチが現れる。


(遊園地の入り口みたい……)


 辺りに罠が仕掛けられているような気配も無かったので、何の疑いも持たずその下をくぐり抜けた。瞬間――視界が暗闇に覆われ、咄嗟とっさに足を止める。


(なに!?)


 脳みその中で真っ先に浮かんだのは「失明してしまったのだろうか?」という最悪の展開だったが、少しずつ目が慣れてきたことによりパニックになりかけていた頭は冷静さを取り戻し始め、


「……え?」


 今の一瞬で視力を失ったわけではなく、このワンダーランド全体が夜のとばりに包まれたのだと理解した。

 アーチをくぐると夜に変わるだなんて到底信じがたい現象ではあるが、「ワンダーランドだから」の一言で片付けてしまえばありえないことではないような気がしてくる。


「驚いた……けど、」


 事態を飲み込み落ち着いた心で空を仰ぎ見ると、瞬く星たちが幻想的な夜空をつくり上げていて、まるでプラネタリウムを貸し切っているかのような錯覚をおぼえた。


「……綺麗……」


 十八年間の人生を思い返すと、こうしてゆっくり星を見たのは今日が初めてかもしれない。


「……」


 少しの間、その場に立ち尽くしたまま星空に見惚れていた。

 ……のだが、


「!?」


 不意に背後で響いた物音が、一気に意識を引きずり戻す。

 ガサリ、ガサガサッ!と、やけに大きく響いた“それ”は小動物が奏でるような可愛らしい音ではない。


(……あれ?)


 しかし、振り返ってもそこには何の生物も見当たらず、まさか私の聞き間違いなのだろうかと首を傾げた。

 先ほどの物音から連想された熊やそれに近い巨体の持ち主なら、今の一瞬で全身を隠しきるなんてことはどう努力したところで困難だろう。


(……?)


 たしかに聞こえたはずなのに、と心の中でぼやくと同時に、


「!?」


 ガサッ、ガサガサッ!!ザッザッ!!

 再度、草を揺らし地面を蹴る音が響き渡り『なにか』の存在を主張する。


(……なに……!?)


 その方角に体を向け息を殺したまま目を凝らすが、やはり先ほどと同じで“そこ”には何もいなかった。


(……ワンダーランドには透明な動物も存在するのかしら?)


 可能性がないわけでもない。

 しかし、もし肉食獣なのだとしたら姿を肉眼でとらえられた方が対話での和解を試みることができるので助かるのだけれど……。


「――っ!?」


 まばたき一回分。一瞬に等しいわずかな時間での出来事だった。

 そんな私の要望にお応えしましたとでも言わんばかりに、突如目の前に人?が現れ、驚きのあまり呼吸が止まる。


(誰……?)


 暗闇で顔はよく見えないが、背丈がそれほど高くない事と短髪である事。それから、


「はぁっ……はぁっ……」


 ひどく息切れした男性である、という事だけはなんとか確認できた。


「……」


 物音の正体が『彼』だったなら、はっきり言って拍子抜けである。先ほど吸い込み損ねた酸素を返してほしいくらいだ。


「はっ、はぁっ……うえっ……!」

(……あれ? もしかして、)


 ふと、心に浮かび上がる小さな違和感。いや、まさかね……?まさかとは思うが、


「はぁっ、げほっ! ここっ、こっ、ここ、どっ、どこだ……? みっ、ミッターク街に、いい、居たはずじゃ……」

「……」


 きょろきょろと辺りを見渡す『彼』は、私の存在にまだ気が付いていないのではないだろうか?

 目と鼻の先と言うほど近いわけではないけれど、お互い十分視認できる距離にいるというのに、だ。今ここでどちらかが二歩前に出れば、呼吸音が耳に届くことだろう。


(……ここは私から挨拶するべきでしょうね)

「ああっ、あれ……? なんっ、な、なんでナハト街に戻っ、」

「あのー……こんばんは、はじめまして。私はア」

「〜〜っ!? うわぁあああーっ!!」


 足を二回進めて首を傾け、顔を覗き込みながら声をかけた途端――『彼』はどこからか取り出したサバイバルナイフのような物を大きく振り上げ、


(えっ?)


 その刃が私の眉間を目掛けてまっすぐに落ちてくる光景は、スローモーションのようにやけにゆっくりと瞳に焼きついた。

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