まらそん 2


「海へ逃げろ」

「海水にさえ飛び込めば」

「なんとしてでも巨人から距離を」


 そんなことを口々にしていたのは聞いていた。おそらくはそれこそがこの競技の勝利条件。

 だがそれは後回しだ。売られてしまったからにはこの喧嘩、買い占めてやらねば不作法というものだろう。

 加えて相手は外道。斬って捨てるに情は不要。

 正々堂々と心置きなく、真っ向から殺せる。

「ギャハハハハハハァア!!」

 ウェイター服を来た悪鬼羅刹の類、名をボーイという男は冷酷な快楽殺人者である。これまで数々の殺害を犯して来た魔人にして、とある魔法の使い手。

 だがアルはそんなことを知らなかった。楓迦はその『クズ野郎』の容姿や特徴だけは話していたが、それ以外の情報をメンバーに与えていなかった。もしまた他の競技で出会った時、同盟の誰かが事前に対戦相手の能力を知っていたのでは不平等だと考えていたからだ。

 世界に点在する大精霊の一片である彼女にはそういった所で妙に律儀なフェアプレー精神が在った。一個人一組織に深すぎる肩入れをしない、楓迦という個体のスタンスも手伝っていただろう。

 だから空飛ぶ絨毯の仕組みもいきなり宙から出現する岩の理も知らない。単に異世界の力としか認識していない。

 どうだっていい。

「オラァ!」

 絨毯の加速と共に再度地表へ落とされる複数の岩石を紅蓮の両刃剣で薙ぎ払う。二度目の使用に伴い剣身に亀裂が奔った。

 アルの生み出す武装は未完成で不完全な代物。贋作はいずれオリジナルにも追い縋れない威力を吐き出した後に自壊する運命にある。

 それでいい。本来の性能まで模倣出来てしまえば、アルの兵装はアル自身を殺してしまうだろうから。

 神格に至る武器というものは使い手に破滅を齎す因果を持つものが多い。それをランクの落ちた贋作レプリカは強制的に性能ごと伝承逸話の類をも劣化させる。

 結果として贋作の使い手たるアルは自滅を免れているのだ。

「当たってねーゾ下手くそがッ!」

 三発目も空振り、灼熱が何もない大気を燃すだけに終わる。両刃の剣はひとりでに砕け散ってしまった。

「ムカつくなァ、アイツ」

 ヒュンヒュンと飛び回るのが鬱陶しくて仕方ない。

 それに周囲で逃げ回る人々も邪魔だ。随分と石畳を通過していったがまだまだ人だかりは絶えない。

 どうせこの競技の為に用意された舞台装置のひとつに過ぎないのだろうが、だからといって殺し回ってスペースを確保するのもそれはそれで面倒だ。

 どうしたものかと考えていたアルの腕へ、空中から伸びてきたコードが巻き付く。

「んあ?」

「ヒヒャハハァ!」

 きょとんとするアルをそのままに、ボーイが伸ばしたコードの端を握り思い切り引く。

 なんの家電にも繋がっていない電源コードがアルの片腕を絡め取ったまま空中に引っ張り上げる。

 急上昇する絨毯に乗るボーイの握る末端にぐいと牽引されアルの体も空高く舞い上げられる。

「オイどうだよクソ野郎!空中散歩なんざ滅多にできるモンじゃねえだろ!?愉しめよなァ!」

「いんやァ、しょっちゅうしてるからもう飽きてるわ、んなモン」

 縦横無尽に空を駆ける絨毯に振り回され上に下にとブンブン揺れる景色を眺めながら、アルは地味に悩んでいた。

 アルの武装生成能力は天然物人工物に限らず金属であれば可能だが、それに触れる必要がある。だからこそアルは手元に武器がない状態では空中戦が圧倒的に不利になるのだ。地上での戦闘であれば地中の金属を寄り合わせていくらでも武器を生み出せるのだが、高空ではそうもいかない。

 いっそ地面に投げ飛ばしてくれれば、と思う。妖魔の人外たるアルはこの程度の高度から落とされたとて問題なく着地できるし、受け身も取れず墜落したとしても即死するような身体構造はしていない。

「チッ、面白くねー。ならとっとと死ねヨ」

 そんなアルの心中を知ってか知らずか、リアクションの薄い妖魔につまらなそうな舌打ちを鳴らしたボーイはさらに手元からコードを増やし宙吊りにされているアルへと伸ばした。

 コードは意思を持っているかのように自在に動き回りアルの体へ這い、その首元に巻き付いた。途端に万力の締め上げが首を圧迫する。

「……」

「ギャハハ!いっつまでそんな涼しい顔してられっか見物だなあ!!」

 さしもの妖魔も呼吸をし食事で命を繋ぐ生命体ではある。酸素を遮られてしまえば窒息で普通に死ぬ。

「く、っふ…」

 コードを掴んで引き千切ってみようと試みるも無意味と知る。やはりただ操っているだけではない。コード自体になんらかの術式ないし異能が纏わっている。

 だが。

(ふむ。いけるか)

 彼は五行属性の金に特化した人外。手指で触れればそれを知覚できる。

 コードの内にある金属。質は最悪だが自身を縛り上げている分の尺も使えば一振り程度ならば。

 金属細工師としての能力を起こし、両手に触れているコードへ作用させる。妖魔の干渉を受けたコードは自然と解け、その外装を剥がし内部の導線を露出させる。

「ンだと!?」

 手元の末端まで導線の金属素材を奪われ驚愕するボーイを見上げたまま、自分を縛り絨毯から吊っていたコードが解けたことで宙に放り出されたアルは自然落下しながら手中に収まった金属を加工し引き伸ばす。

「最低品質。威力もお察し。だがまあ、このままやる!」

 長い棒状に整えられた金属は穂先を五叉に別れさせ、さらに熱を放ち真っ赤に染まる。

「四つであのマジカル絨毯をブチ貫け、一つはだ」

 一度放たれたが最後、定めた対象へ向かい別たれた五つの穂先が着弾するまで光弾となって飛翔する、太陽神ルーの獲物。その贋作を握り振り被る。

「ようく狙え〝伍岐灼槍ブリューナク!〟オレの模造じゃエイムがクソすぎっからよォ!!」

 願掛けのように叫び、投擲する。

 アルの手から離れた瞬間から五つに分離した赤光が一旦散り散りの方向に奔り、充分な速度を確保した後に同一のポイントへと稲光を放ちながら殺到する。

「なんだそりゃあ!」

 初弾、絨毯の角を穿ち貫く。その誤差偏差を加味した上での次いで三弾は示し合わせたかのように絨毯中心部に大穴を空け、魔法の効力を消し飛ばす。

 操作していた絨毯がその飛行能力を失いアルと同様に高高度へと身を投げ出されたボーイが次なる手を出すより前に、残る一弾がボーイの眉間に直撃した。

「あ?うそだろ死んだか!?」

 大声で生死の確認を求めるアルの声に、返事は怒声として届けられた。

「っく、そが。クソがクソがクソ野郎がテメーこのゴミカス野郎がああああ!!」

「ハッ!なんだよ元気じゃねェか安心したわ」

 怒りの形相は目視できない。

 もう一度魔法で生み出したコードを顔に巻き形を整え、さらにアルがやったのと同じように内部の金属素材を用いた硬質化を施した即席の兜。それによって光弾を防ぎ切ったらしい。あの一瞬でたいした思考速度だと素直に感心した。

「よっしゃ続きだ続きッ。次は何出すんだクソ野郎の手品師!タネも仕掛けもねェ人体貫通マジックならオレでもできんだけどなァ!!」

 間もなく地表に到達する落下の最中でもけたけたと笑うアルは次第に熱が入って来たようだ。普段は抑えている悪魔としての側面が表出し瞳が澱み黒ずんできている。

「テメーは簡単にはコロさねー…!じっくりたっぷりボロ雑巾みてーにズタズタにして苦しませて死なす!!」

 完全に頭に血が上っているボーイ。完全に戦闘を楽しんでしまっているアル。

 両名共に相手のことしか見ていなかったから気付かなかった。

 先の空中戦で、いつの間にか随分な距離を移動してしまっていたこと。そしてこの十数秒後に着地するであろう二人が真っ先に感じるのは。


「おっ?」

「アア!?」


 あまりにも近すぎる、地ならしの足音。

 

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