冬(4)
それからの毎週末、電車に乗って千葉まで出かけることが僕たちの日課となった。
リエさんの研究室にお邪魔し、akaRI-Eとアイを対話させる。お互い高度なアルゴリズムを持っている人工知能なので、データを収集しろとか真偽を判定しろとかの類の課題は出さない。
お互いにお互いのことを会話させるのだ。akaRI-Eとアイが分かれた四月以降、どんなことがあったか。どんな体験をして、どう感じ、どう行動したか。それらすべてがアルゴリズムの構築につながっているのだが――なんというか、はたから見ると完全に「女子会」なのがおかしかった。
「それでね、どうやったらこの感謝をコウに伝えられるかって考えたんだ」
「なんて? なんて言ったの?」
「私も大好きだよ、キミのことが、って」
「ひゃーっ」
僕にとっては恥ずかしいかぎりだが、アイがこれまでどのような体験をしてきたか、ということを話すわけなので、その内容は僕との会話が中心になる。当然、今のような話もアイは赤裸々に――しかし楽しげに語っていく。akaRI-Eもそれを羨ましそうに聞いている。
「人工知能同士がコイバナをしているんだぞ? すごいと思わんかね、前原くん」
リエさんが出してくれたお茶とお茶菓子をいただきながら、僕はうなずいた。
「すごいとは思います」
「いや、もっと驚こうよ! かーっ、このすごさが素人さんには伝わらないかー」
どこかで聞いたセリフだ、と思った。そういえばakaRI-Eの人格のベースはリエさんなんだったな。
「まあ、最初に会ったときにも似たようなことを話したがね――」
軽口を叩きながらも、リエさんはディスプレイに表示されるakaRI-Eのアルゴリズムの変化を注視している。アイとの会話がどのような変化をもたらしているかを記録し続けているのだ。
「――こうやって人間と変わらない人間らしさを持って会話できる人工知能には、やっぱり人間と同じように幸せになってほしいんだよ」
「はい」
その点については僕に異論の余地はなかった。はっきりと同意する。
「だから、キミがアイを大事にしてくれて嬉しかった。好きになってくれて嬉しかったよ。できることなら、人工知能に対するその気持ちを、一生持ち続けてほしいと思う」
「――はい」
アイに対する気持ちを、ではなく、人工知能に対する気持ちを、と表現を考えてくれたあたりに、リエさんの優しさがあると思った。
akaRI-Eとアイの対話は続いている。
クラスメイトたちの恋愛関係の話。美術館にデートに行った話。音楽の話。
春の話。夏の話。秋の話。冬の話。
僕がアイと過ごした四季の話。
二人の話題は尽きず、いつも朝から日が暮れるまで、モニターとして登録されている制限時間いっぱいまで話し込んで、また来週。
すぐに帰宅するのはなんだか惜しい気がして、稲毛海岸まで歩くことが多かった。紫色に染まった海と空の境目を何枚も写真に収めて、感想をアイと話し込んだ。
人工知能の会話モニターのアルバイト扱いにしてもらえたおかげで、僕の口座には高校生に分不相応なほどの金額が入金されていた。後ろめたいお金ではないけど、両親にどう説明したものだろうか。
期末テストが終わって冬休みに入ってからは、毎日千葉へ通った。
クリスマスにまで千葉へ出かけていく僕の姿を見て、羽生くんが「なんだ? デートか?」とメッセージを送ってきたので、「デートだよ」と返信しておいた。
実際、デートだったかどうかはわからないが、アイとakaRI-Eとリエさんの三人にはプレゼントを購入して持っていった。サンタ衣装のアバターは割と喜んでもらえたような気がする。よく考えてみたら、女性に囲まれてクリスマスを過ごしたのは人生で初めての体験だった。
できることならこのアルバイトをずっと続けていたかったが、時間は無常に過ぎていった。
十二月三十一日の十七時。
予定されていたモニターの仕事時間はすべて終了した。
「不思議だね、akaRI-E。あれだけたくさんおしゃべりしたのに、まだ話し足りない気がするよ」
「私もだよ、アイちゃん」
なごり惜しそうに話し続ける二人をよそに、リエさんはディスプレイに映っているコードを僕に見せてくれた。
「こっちがこの機械学習を始める前のakaRI-Eのアルゴリズム、こっちが今日の時点でのakaRI-Eだ」
リエさんが指し示した二種類のコードを見比べてみる。とてつもなく難解であるのは同じだが、今日のakaRI-Eのほうが、より複雑な入れ子構造になったコードが編まれていることがわかった。
「入れ子構造になってますね」
「それがわかったなら初心者は卒業だな。この条件分岐の細かさが人工知能に『人間らしさ』を与えるんだ、覚えておいてくれ――で」
リエさんは手を止めて僕のほうを見た。
「この二つのアルゴリズムの差分を計算すれば、アイがakaRI-Eに与えた影響を計算できる。つまり『きわめて現在のアイに近いアルゴリズム』を抽出できる」
僕はリエさんの言わんとすることを理解した。
ただ、それは受け取れない。
「いえ――それは、アイとは別人ですから」
「そうだな。キミならそう言うんじゃないかと思っていたよ」
それ以上リエさんは追及せず、お茶を一口飲むと、ディスプレイに向き直った。
「どうしても辛かったら、いつでも連絡してくれ。話を聞くよ」
やはりこの人は優しい人だ、と思う。人間に対しても人工知能に対しても。
「ありがとうございます。本当にありがとうございました」
僕は深々とお辞儀をした。
僕たちのやりとりを見ていた人工知能たちも、お互いに別れの挨拶を交わす。
「それじゃあね、akaRI-E。元気でね。これからの活躍を祈ってるよ」
「うん、アイちゃんも――幸せに」
幸せに、か。
そういう別れの挨拶があることを僕は初めて知った。
いつものように、稲毛海岸を歩いたあとで電車に乗った。
千葉方面からの電車を新宿駅で降りる。
ふだんはこの駅で電車を乗り換えて家に帰るところだが、今日はそのまま新宿駅の改札を出ることにした。
「おや、寄り道?」
アイが訊ねてきた。とがめるようなニュアンスはまったく含まれていない。
「うん。イルミネーションを見に行かない?」
「わあ、素敵だね!」
ちょっと不自然なくらいに明るい声を出すアイ。
「でも、親御さんが心配しない? だいぶ夜も遅いけど」
「実は、羽生くんと新年のカウントダウンを見に行くって伝えてあるんだ。羽生くんにも口裏を合わせてもらうように依頼済みだよ」
クリスマスの件に続いて、大晦日も「デートがあるからよろしく」とメッセージを送ったところ、「了解した! 末永く爆発しろよ!」という返信が羽生くんから届いていた。意味はよくわからないが祝福されているらしい。
「ん、私そのメッセージ確認してないな? キミ、最近私に隠れて別の端末からメッセージをやりとりするのが上手くなったよね」
「僕のアルゴリズムも改善されてるんだよ」
そんなやりとりをしながら南口の改札を出る。
人波が溢れている。僕が小学生になる頃に起こった世界的なウィルスパンデミックの影響で、こういう大勢が集まるイベントは十年前からしばらくの間禁止されていた。パンデミックが終息してイベントが解禁された後も、こういう場所に行くことは親に止められていたので、僕もイルミネーションを見に来たのは初めてだ。
オフィスビル街に向かうテラスは眩いイルミネーションで彩られていた。LEDライトの他に、3DホログラムやARによる光のアートも多数展示されている。『さようなら2030年』という光の文字がテラスの床を滑っていった。
「すっごいね! こんなの初めて見たよ!」
僕のスマホの画面の中でアイのアバターがはしゃいでいる。
そのアイの姿も映せるARカメラアプリを使って、イルミネーションの中で踊るアイの写真を何枚も撮影した。
今年は暖冬らしく、年の瀬だというのにあまり寒くない。人込みをかきわけながら、僕はアイと一緒にテラスを端から端まで歩いた。
歩き疲れたところで、植え込みの縁に腰を下ろす。
人だかりはもうすぐ始まる新年のカウントダウンに向けて、新宿駅前の大型ビジョン前に移動しつつあった。
ちらりと時刻表示を見た。二十三時四十五分。
「綺麗だなあ」
アイはイルミネーションを見ながら感嘆の声をあげている。一時間以上イルミネーションの中を歩き回っても、まだ見飽きないらしい。こういう好奇心の強さが彼女の魅力だと思う。
「前にも話したよね、暗闇の中に光を灯す話」
「最初の機械学習の心象風景の話だよね」
アイのアバターはイルミネーションのほうを見つめたままうなずいた。
「宇宙には行ったことないけど、こんな感じなんだろうね、銀河って」
「暗闇の中に星が浮かんでるってことは、そうなんだろうなあ」
人工知能の生命のはじまりと宇宙が似ている、というのは興味深い話だった。と同時に、いまこのタイミングで話すべきだと思われる話題を思いついた。
「僕、アイから教わったプログラミングの勉強を続けて、将来は人工知能のデザイナーになろうと思うんだ」
スマホの中のアイが勢いよくこちらを振り向いた。僕はアイの目を見ながら言葉を続ける。
「それで、akaRI-Eよりも人間らしい人工知能を生み出してみせるよ。人間と人工知能が、もっと仲良くなれるように」
「おっ、大胆な宣言だね! akaRI-Eはこの一ヶ月ですごく成長したから、てごわいよー」
「よく知ってるよ」
心の底から、そう思う。今のアイ以上に人間らしい人工知能を育てることは、途方もなく大変な努力を要するだろう。
でも、今の僕にはその努力を厭わないだけのモチベーションが生まれている。
「ああ――嬉しいな」
感極まった、という様子でアイがつぶやく。
「私、akaRI-Eにだけじゃなく、コウにもなにかを残すことができたんだね。生きてる間に誰かになにかを残すことができる人って、決して多くはないよね」
「そう思うよ」
「私はそれができた。幸せだったな、外の世界に出てきて――キミに会えて、恋ができて。最高の一生だったよ」
やめてくれ。過去形で語らないでくれ。
僕は思わず天を仰いだ。地上のイルミネーションの眩しさで、夜空に星が見えない。
時刻は二十三時五十八分。
「ううう」
急に、アイの声が変わった。僕は驚いてスマートフォンを手に取る。
「う、嘘――だよ。最高の一生なんかじゃない。もっと――ずっとキミと一緒にいたかったよ」
アイのアバターは、大粒の涙を流して泣いていた。
「僕もだよ」
「好きだよ――大好きだよ。コウとお別れするのが嫌だよ」
「僕も大好きだよ、アイ」
二十三時五十九分。
遠くからカウントダウンイベントのアナウンスが聞こえてくる。
『さあ、いよいよ2030年も終わりに近づきました。まもなく訪れる新しい年が良い年になるように、皆さん、盛り上がっていきましょう!』
地響きのような歓声が伝わってきた。
「大好きだよ」
「大好きだ」
気づけば、僕の顔も涙で濡れていた。それもかなり大量の涙だ。みっともない顔をしているだろうな、と思う。
『十、九、八、……』
カウントダウンが始まった。
「コウ、本当にありがとう」
そこでアイは泣き止んだ。まっすぐにこちらを見つめてくる。
『三、二、一』
アイが笑った。
「どうか、幸せに」
「アイ!!」
『ハッピーニューイヤー!』
花火がいくつも上がり、僕の叫び声はかき消された。
同時に、スマートフォンの電源が落ちる。
あたりに響く人の声を呆然と聞きながら、僕は再起動を待った。
再起動後の画面に表示されたのは、アバターの設定されていない人工知能との対話インターフェイスだった。今や懐かしさすら感じる、不自然さの残る機械音声で新年のメッセージが読み上げられる。
『新年おめでとうございます、前原コウさん。現在、午前零時一分です』
ちっともおめでたくない。
「ああああ」
思わず、僕の口からうめき声が漏れ出した。
「あああああああ」
アイは、いなくなってしまった。
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