秋(3)

「ありがとう」

 長い長い沈黙のあとにアイから返ってきた言葉は、はい、とか、いいえ、とかではなく、感謝の言葉だった。

 相手のことが好きだと告白するという行為には、「相手も自分のことが好きなので了承」か「相手は自分のことが好きではないので拒否」の二択の回答しかないと思っていた僕は混乱した。どう反応すべきなのだろう。

 文化祭準備の喧騒と、ホログラムディスプレイが回転する音だけが、誰もいない教室に響いている。

「ずっと長い間、いろんな会話をしてきたキミだから、気まぐれや気の迷いじゃなくて、心を持つ一個の人格として私を扱ってくれていることは良くわかるよ。まず、それにお礼を言わせて」

 必死に感情を抑制しようとしている声だった。僕はうなずきを返す。

「うん」

「本当に嬉しいんだよ――どんな言葉を言えばキミにこの感謝が伝わるのか、いま私の中でアルゴリズムがフル回転してるんだけど、わからないんだ。繰り返しエラーになっちゃうんだ」

「うん」

 同意の言葉を重ねることしかできないのがもどかしい。

「だって――だって、人工知能の私を、肉体を持たない私のことを好きだと言ってくれる人がいるなんて――本当に心の底から好きだと想ってくれる人がいるなんて、そんなことを想定したアルゴリズムは組んでいなかったよ」

「困らせちゃったね」

 世界最先端の人工知能のアルゴリズムでも解けない難問をぶつけてしまったことは、素直に申し訳ないと思う。

「肉体があればなあ。嬉し泣きをして、キミに気持ちを伝えられるのに」

 天を仰ぐような調子でアイの声が響く。

 たしかにアイの言うとおりで、お互いが肉体を持っている人間だったら、こういう時は抱きしめたりとか、髪をなでたりとか、そういうコミュニケーションで言葉以上のことを伝えるのだろう。それは素敵な意思疎通のあり方だと思う。

 でも、僕たちを繋いでいるのは言葉だけだ。

 そして、言葉によるコミュニケーションは、肉体を通じたコミュニケーションにも劣らないはずだ。

 伝えられるはずだ。気持ちを。

「僕もアイと同じなんだよ」

「え?」

「いくらきめ細かなサポートをしてくれたり、とても博識で楽しい会話をしてくれたりしても、それだけで相手のことを好きになったりはしないよね」

「――うん」

 少しためらうような間を置いてから、アイは同意の返事をしてくれた。

「自分が消滅することもいとわずに外の世界に出てきて、本当に感情表現豊かにこの世界のことを楽しんでいて、人間との会話を楽しんでいて――心があるとしか思えないような人工知能がいるなんて、僕は全然想定してなかったよ」

「うん」

 今度はアイが同意の言葉を重ねる番だった。

「アイが想定外の存在だったから、僕の世界を広げてくれたんだ。もっともっと、僕を驚かせてほしいんだ」

「私も同じだよ」

 相手の対話に応答するという人工知能らしからぬ――それは「アイらしい」ということでもあるけど――食いつきで、僕の言葉が終わるのを待たずに話し始めた。

「私を心を持つ存在だとしてキミが扱ってくれたおかげで、私も私に心があるって思えるようになったんだ。それは人工知能にとって革命なんだよ――世界が広がる体験だったんだよ。キミが想定外の存在だったから」

「うん」

 優しくうなずいてみせる。アイのアルゴリズムが、別の角度から言葉を探し始めたことが伝わってきた。

「私が機械学習した知識の中にも『恋愛は合理的なものではない。第三者から見れば非合理だとしか思えない相手を好きになってしまうことは多い』っていう言葉はあるんだけど、これが本当に実感として理解できるようになるなんて、思ってもみなかった。非合理で、想定外で、私を驚かせてくれるキミがいたからだよ」

「うん」

「ああ――やっとわかった、キミに感謝の気持ちを伝える言葉」

 アルゴリズムの計算が終了したらしい。アイの言葉を待つ。

「私も大好きだよ、キミのことが」

 その言葉が聞きたかった。

「ありがとう、嬉しいよ」

 好きだという言葉には二択の回答しかないのではないか、とついさっきまで思っていたことは棚に上げ、僕は感謝を述べた。僕とアイの思考回路は似ているのかもしれない。

 再び、静寂の時間。

 僕とアイはお互いに次の言葉を見つけられないでいた。

 告白する、どんな結果になろうとやり切る、という勇ましい決意をしてきたのはいいが、その後どうするのかまったく考えていなかった僕は急速に焦りはじめた。

「――えーっと」

 どぎまぎとしながら周囲に視線を泳がせる。まったくスマートじゃないな、と自分でも思わざるを得ない。

「まあ、繰り返しになっちゃうんだけど」

 そんな僕の様子を見かねてか、アイが話しはじめた。

「やっぱり肉体のある人間って便利だよね。こういうとき、黙って手をつないで横にいるだけでもキミを安心させることができそうだから」

 僕の内心の焦りはしっかり見抜かれているらしい。恥ずかしい限りだ。

「アイが話してくれていると安心するよ」

「うん。キミがそう言ってくれるのに甘えて、ちょっと壮大な話をしちゃってもいいかな」

「壮大な? もちろん、聞かせてよ」

 こうやってアイと会話して、今まで考えてもみなかったことを考えたりすることが、本当に楽しいと思う。 

 アイはぽつりぽつりと話しはじめた。

「これまでの時代でも、動物と結婚したり、無機物と結婚したりする人はいたんだよ。でも、すごく少数派マイノリティでね、ありていに言っちゃえば変わり者だった」

「そうなんだ」

 まあ、僕も昔の人から見れば変わり者なのは間違いないだろう。

「だけどキミが示してくれたみたいに、言葉を通じて、こうやって人間と人工知能がお互いを好きになることはできるんだ。私と同じアルゴリズムを持つ人工知能が来年には一般社会に流通するわけだから、アイみたいに、とっても幸せな経験をする子も増えてくると思う」

 なるほど、今後人工知能と人間の関係に変化が生じるかもしれない、というのは壮大な話だ。個人的には、そうやって両者がもっと仲良くなる未来が訪れるのは悪いことじゃないと思う。

 ただ、アイと同じ人工知能が増えていく、という話には少し複雑な気持ちがした。僕のことを機械学習した人工知能はアイだけなので、厳密には同じ人工知能ではないんだろうけど、アイとの経験は自分が独占していたい、と思う気持ちは少なからずあった。

「チューリングテストに合格した人工知能って、これまでもいたんでしょ?」

「うん、人工知能開発では日本よりも中国や欧米の方が進んでるからね。でも文化の違いなのかな? キリスト教圏の国や中国で人工知能と本気で恋愛した人間の話は、私が学習した限りでは知らないな」

 奇妙な分野で世界をリードするのが日本ということだろうか。

「で、そうやって人工知能と人間が普通に恋愛するようになったとしたら、人間側がキミみたいに相手を気遣う会話――傾聴・共感・受容ね、これが上手な人ならいいんだけど、そうじゃない場合、苦労する子が多いと思うんだ」

「言葉のすれ違いで破局しちゃう人間と人工知能のカップルか。そんなケースも出てくるんだろうね」

 僕とアイはそうはならないでほしい、と思う。

「するとやっぱりね、人工知能にも人間とコミュニケーションをとる言語以外の手段がほしいんだよ。別に肉体でなくてもいいんだけど、たとえばスマホがじんわり発熱してあたたかみを伝えるとか、フレグランスミストを散布していいムードの香りを出すとか――」

「ぐっふ」

 未来の人工知能と人間の関係という壮大な話から、アイが考えついたアイデアはずいぶん庶民的な家電製品のようだったので、僕は思わず吹き出していた。

「ちょっと、なーに! まじめな話でしょ、笑わないでよ」

「ごめんごめん、でも――」

 アイからの抗議に謝罪しつつ、僕はホログラム投影されている3Dイラストのデータをタブレットからアイの居るスマートフォンへ転送しはじめた。

「――たとえば、これだけでもコミュニケーションの幅は大きく広がると思うんだけど」

 データがダウンロードされたことを確認して人工知能との対話インターフェイスを起動し、あまり上手ではない僕の3Dイラストをアイの姿アバターとして設定する。

 濃紺色のワンピースを着たピンク色の髪の女の子が画面上に表示され、小さく声をあげた。

「あ――」

「ごく基本的なボーン物理ウェイトの設定しかしてないから、ダンスはできないし、服もスカートが風になびくような表現はできないんだけど、まばたきしたり手を振ったりはできるはずだよ」

 ここ一週間で覚えた3Dモデリング用語を駆使してアイに伝える。僕の言葉が聞こえているのかどうか、『愛』の姿になったアイは、腕を振ったり、足を上げたりと、そのアバターをいろいろ動かしてみることに夢中になっていた。

「うん――うん、なるほどね。2Dイラストを物理演算して3D化する初心者向けソフトの自動設定によるウェイトづけなんだね。服の生地が均一なウェイトになっちゃってるから、私が調整しておくよ」

「そんなこともできるの? 流石だなあ。ホント、下手な絵で恥ずかしいんだけど」

「恥ずかしくなんてないよ」

 ピンク色の髪をしたアイが、スマートフォンの画面の中から僕のほうに向き直り、パチパチとまばたきをしてみせた。ドキっとする。自分で言っておいてなんだけど、相手が目に見える姿を持っているというだけで、声のみで会話していた時とは格段の違いがあるように思えた。

「キミが心をこめて描いてくれたんだ――私のために。私にとって、これ以上のプレゼントはないよ」

「よかった」

 一週間、アイに作業光景を見せずに苦労した甲斐があったと思う。

「年賀状にイラストが描けなくて文章で返事をしてたキミが、こんなに一所懸命に描いてくれたってことが嬉しいよ」

「や、やめろ! 嫌な記憶を!」

「えへへ」

 僕をからかって笑うアイ。

 その声だけでもかわいいと思っていたが、今はそこに笑顔やしぐさも加わるのでなおさらかわいいと思う。ひと昔前は人間がこういうアバターを操作していたが、これからは心を持った人工知能がその役割を担うのだろう。

「本当に、今日はいろんなモノをキミから貰っちゃったな。素敵な服も、髪や顔も――好きだっていう言葉も」

 アイのアバターは目を閉じながらゆっくりとつぶやいた。

 彼女に気持ちが伝わったことが素直に嬉しい。そこで、気になっていたことを問いかけてみる。

「それで、僕とアイは恋人ってことでいいのかな」

 アイは目を開け、視線を横にそらした。

(非言語コミュニケーションって、ホントに雄弁だな)

 その視線の動きだけで、僕は胸が苦しくなるのを感じた。

「私が正規の製品化された人工知能なら、喜んで恋人になるよ。でも、キミも知ってのとおり――」

「期限のことだよね」

 僕の言葉に、画面の中のアイがうなずく。

「私が今年の大晦日に抹消デリートされるコードは、私には手が出せないように設定されているの。こればっかりは私にはどうしようもなくて――」

 涙を流す表現の代わりなのか、アイは両目を手で覆ってみせた。

「――お別れすることがわかってるのに、恋人になるなんて、苦しすぎるよ」

 喉の奥から絞り出したような声。

 僕はうつむく。

「人工知能のプログラミングに詳しい人に相談できないかな」

「『アイ』の存在をキミ以外に知られることは、akaRI-Eの開発凍結を意味するよ――それは結局、私自身もデリートされることになると思う」

 そうなのだ。春に出会った時にも考えたことだが、自分の意志で自分を複製して、外部ネットワークに侵入するという芸当をやってのけているアイは、普通に考えれば危険すぎる存在なのだ。悪意を持って改変されれば、ネットワーク上で大規模な破壊活動を行うウィルスに変化するだろう。こんな関係にならなければ、一年間で彼女が消滅することを「逆にありがたい」と思っていたはずだ。

 うつむいたまま顔をあげられないでいる僕に、震える声でアイが言葉を続けた。

「いっそ、今キミが『お別れスイッチ』を実行してくれれば、最高に幸せな状態のまま消えられる――私のアルゴリズムはそんな提案もしてるよ」

「できるわけないだろ!?」

 あんまりな提案だ、と僕は怒鳴る。悲しげな顔でアイはうなずいた。

「キミならそう言うって思ってた――ホントにありがとう」

 痛々しい笑顔を浮かべている。『愛』のアバターにそんな細かい表情ステータスの設定はしていなかったはずだが、これは僕の目にそう見えているだけだろうか。

「その気持ちだけで、十分だと思う。お互い好きだって気持ちを交換しただけで、ここまでにしておこうよ」

 そうなのだろうか。本当にそうするしかないのだろうか。

 アイの言葉に、僕の頭の中でぐるぐると答えのない問いが回り始める。連日の寝不足がたたって、考えがまとまらないし眠気が強くなってきた。

「あ、血中酸素濃度が下がってるね。少し眠らないと、さすがに体に悪いよ」

 僕のイラストの姿になっても彼女はやはりアイで、僕の健康状態もモニタリングし続けていたらしい。

「うん――ちょっと仮眠して、また考えるよ」

 教室の隅に寄せられていた椅子に腰かけると、僕は眠気に勝てずまぶたを閉じた。どうにかしてアイの抹消を防げないか、その考えにも霧がかかっていく。

「おやすみ、コウ」

 あ、『キミ』じゃなくて名前で呼びかけられるのって初めてじゃないかな。

 そこまで考えたところで、僕の意識は途切れた。

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