秋(2)
桜花祭、一日目。
僕の高校の文化祭が始まった。一年生は夏休みに各自が制作した作品を展示するという個人作業なので、僕が高校入学前に期待していたような「文化祭の準備を通じて女子と仲良くなっちゃおう!」というチャンスは発生しなかった。今となってはその期待も薄れてしまっているけど、うちの高校の生徒にとって文化祭がそういうイベントになるのは、クラス演劇をやる二年生からのことらしい。
ともあれ、文化祭一日目の土曜日を、僕は寝不足で充血した目で迎えていた。
「自覚してると思うけど、今週のキミの平均睡眠時間は先週に比べて大幅に減少してるから」
「うん、知ってる」
なかば呆れたような調子で、アイが僕の健康状態についての懸念を警告してくれた。
彼女が現在のようにakaRI-Eのアルゴリズムをインストールする前から定期的に報告してくれている睡眠時間記録だが、毎日どれくらい眠っているかを機械的に報告していた昔と違って、今のアイは僕がなぜ寝不足なのかという原因まで把握している。
「正直、高校の文化祭で展示する作品を制作するってことのために、そこまで根を詰める必要があったのかな?」
そうなのだ。僕は日曜日に美術館を訪れてから毎日、深夜までずっと展示物の制作作業をやっていたのだ。
「その価値はあったと思ってるよ」
作業しているところをアイに見られたくなかったので、美術館で購入した初心者向け3Dモデリングソフトは両親が使わなくなったタブレットにインストールし、
なんで作業光景を隠すのさ、と不満をあらわにしたアイが、どうもスマホのカメラを通してこちらを見ているらしいことに気づいたのは月曜日の夜だった。案外この子はしつこい。カメラ機能をオフにしておいたとしても、アイは自分でオンに切り替えることができてしまうので、カメラの画角に入らないようにスマートフォンを部屋の隅に置いておくという原始的な対策をとることにした。
ところがスマホが手元にないとネット検索が使えず、初めて3Dモデリングソフトを使う僕はひどく苦労した。おかげで放課後と夕方だけでは全然時間が足りず、毎日深夜まで作業をしなければならない有様だった。紙媒体のマニュアルというオールドテクノロジーの存在をこの時ほどありがたく思ったことはない。
作業時間以外でもネット検索の内容はアイに読まれてしまうので、なにを作っているのかを察することができる検索はしないよう気をつけて生活する。人間らしい人工知能との生活はプライバシーの確保が難しいんだな、というのがこの一週間で得た教訓だった。
「いやあ、苦労した一週間だった」
「する必要のない苦労だったでしょうに」
その結果、展示物の完成が文化祭当日になってしまった。他の生徒はすでに自分の展示物を設置し終えている中、僕はクラス担任の先生に頼み込んで今日まで完成を待ってもらった。明らかな寝不足の顔をした僕の頼みは快く聞いてもらえ、いつもより一時間早く登校して展示を行うことが許可されたのだ。
「誰もいない学校に登校してくるのってなんかワクワクするよね」
「寝不足で脳が疲労してるときの一時的な高揚感だと思うけどなー」
冷静なアイの意見をスルーしつつ、僕は大通りから校門をくぐって校舎に向かう。制作物の展示先は生徒各自の教室だ。
ところが校舎に入ってみると、僕のワクワク感は吹き飛んだ。
「クラスで出し物をやる二年生や三年生が朝早くから準備してるみたいだね」
アイの言うとおりだった。クラス演劇の最後のリハーサルをやっている二年生、模擬店の準備をしている三年生の姿が校舎のそこかしこに見られた。みんな忙しそうだけど楽しそうで、お祭りの非日常感が漂っている。
「キミも来年はああやってクラスメイトとワイワイ楽しくやってるのかな」
来年。
アイがその言葉を口にすると、胸が締めつけられる気がする。
「こうやってアイと楽しくやってるよ、今も」
今、という言葉に強いアクセントを置いてみた。
「そうだね、私も楽しいと思うよ」
あたたかな声のトーンでの返事。これくらいの会話でも、お互いが何を考えているか察することができる程度には、僕たちは仲良くなれたと思っている。
「キミがその展示物をさっさと見せてくれれば、もっと楽しいんだけどね?」
僕が小脇に抱えているタブレットを意識しながら、甘えるような声を出してきた。アイの居るスマートフォンとこのタブレットを接続すれば、彼女は瞬時に侵入してきて僕の制作した3Dイラストデータを閲覧するだろう。
「最近ますますマルウェアじみてきてない?」
「人工知能の所有者をサポートするのに必要な情報を収集してるだけですー」
軽口を叩きあいながら廊下を歩く。
「あれ、羽生くんだな」
自分の教室まで来たところで、見知った顔と出会った。手をあげて呼びかける。
「おう前原――なんかずいぶん眠そうだな」
今の僕は友人から一目見て心配されるような顔色と赤い目をしているらしい。展示を終えたら文化祭を回る前にちょっと仮眠しようか、と思った。
「展示の制作がギリギリでさ。羽生くんは軽音楽部の発表だから展示がなくていいよね」
と、そこまで言ってから思い出した。各部活動の発表は二日目に予定されているはずだ。
「羽生くんはリハーサル? 本番は明日だよね」
「ああ、うん」
いつもの羽生くんとはうってかわって歯切れが悪い――と思っていると、羽生くんの背後に隠れるようにして、もうひとつの人影があることに気づいた。思わずそちらに視線を向ける。
制服の上から黒のパーカーを羽織って、ギターケースを背負った女子。羽生くんと並ぶぐらい長身のその姿は、写真で見おぼえがあった。
「前原は初めてだったよな。うちのバンドのギター、鶴巻」
「どもス」
ギターボーカルというバンドの顔担当に似つかわしくない暗い雰囲気で短く言い捨てると、鶴巻さんは軽く頭を下げた。
「あ、どうも。羽生くんの自転車友達、ってことでいいのかな? 前原です」
つられて僕も頭を下げる。
「自転車スか。いいスね」
鶴巻さんの言葉は短い。ただ、無愛想なわけでもないらしい。
「あー、鶴巻、ステージ以外ではこんな感じなんだよ」
羽生くんのフォローに僕はうなずく。直感的に、彼女の「いいスね」という言葉が指しているのは「羽生くんと同じ趣味を持っていて、いいスね」という意味なのではないか――ということをなんとなく察することができた。
(カレシが二人いるとか――)
夏期講習の日、楼本さんと話した内容が頭に残っていたので、思わず鶴巻さんの顔をじっと見てしまった。アイドル系、というのとは違う気がするけど、すごく整った顔立ちをしている。同じクラスにいたら男子の注目を集めるだろうことは想像に難くない。
ただ、率直に言って、その噂が当たっているような人にも見えない。
「じゃあ、俺たち明日の練習があるからさ」
いかにも「そそくさ」、という感じで羽生くんはこの場を立ち去ろうとした。
あえて引き留める理由もないので、明日の公演へのエールだけ送っておこう。
「うん、絶対見に行くよ。頑張ってね、鶴巻さんも」
僕のエールの対象に自分も含まれているということに気づくと、鶴巻さんは一瞬「きょとん」とした表情になったあと、不器用な笑顔とともにまた頭を下げた。
「あざス」
結局、五文字を超える言葉を発しないまま、鶴巻さんは羽生くんとこの場を立ち去っていった。ボーカル担当があの調子でいいのかと不安になる感じの人だった。
それにしても、僕が一時間早く登校してきたせいで、二人をここから追い払ってしまう結果になったんじゃないかと思ってしまう。
「んー」
アイもその印象は同じだったらしく、二人が視界から消えるのを見計らってうなり始めた。
「まあ――バンドは三人組なんだし、練習なら三人でセッションするよね」
「キミもわりと人間関係を読めるようになってきたよね。傾聴・共感・受容の形式に熟達したおかげかな?」
(形式に慣れたことより、常に会話する相手がそばにいることが大きいと思う)
――とは言葉にせず、別の会話を選ぶ。
「アイはどう思う? なんだか、楼本さんが言ってた噂みたいな人には見えなかったけど」
「判断には材料が不足してるけど、『口下手な美人』なんて、誤解を受けやすいタイプの最たるものだってことは間違いないね」
そういうものなのか、と僕はうなずく。やはり女子同士の人間関係は僕にとってはまだまだ複雑なものに思えてしまう。
「それにしても羽生くん、カノジョいないって言ってたのに。最近変わった様子もなかったのになあ」
「いやいや、付き合ってるって雰囲気じゃなかったでしょ。ハルト氏からの一方的な好意か、文化祭っていう非日常感で盛り上がったか、そんなところじゃないかな?」
「アイは学生経験ないはずなのに詳しいよね――」
ワクワク感が隠しきれていないアイの語りに苦笑していたせいで、僕は背後の人の気配にまったく気づかなかった。
「前原くん、早いね」
「グフっ」
また不意を突かれてしまった。見慣れたもう一人のクラスメイトの姿――楼本さんだった。
「いま誰かと話してた?」
僕がアイと話していたのを聞いていたらしく、廊下に他の人影がないのをいぶかしんでいる。
「あ、さっきまで羽生くんがここに――」
鶴巻さんと居たんだ、という後半部は飲みこんで、前半部だけを伝えておいた。
「そうなんだ、明日のリハーサルかな」
リハーサルには不自然な時間だと楼本さんが気づく前に話題を変えてみる。
「楼本さんもずいぶん早いね。昨日あみぐるみの展示は終わってたでしょ?」
「私は知り合いの三年生の模擬店設営ヘルプで来たんだ。前原くんは相当追い込んだみたいだね、展示。すごい目しているよ」
今日は会う人全員に目の充血を指摘されてしまう。本格的に寝ようと思った。
「なに作るかを決めたのが一週間前だったから、突貫作業だったよ。楼本さんも設営、気をつけてね」
「うん――」
心ここにあらず、というような返事。
睡眠時間を確保するために会話を切り上げようとした僕だったが、楼本さんがなにか言いたそうな表情をしていることに気づいてしまった。これを無視するわけにはいかないだろう。
「どうしたの? 大丈夫?」
客観的に見て大丈夫じゃない状態なのは僕のほうだと思う。しかし友人との会話には支障ない。
アイと会話して覚えた経験則のひとつに、「大丈夫?」と聞かれた相手は必ず「大丈夫」と返す、というものがある。そこで会話が終われば相手は本当に元気だ。
「大丈夫。だけど――」
相手が大丈夫じゃないときは、逆接の接続詞が続く。あとは相手が話すのを辛抱強く待つのが最良だ。
じっと顔を見ながら黙っていると、楼本さんはようやく決心がついたといった感じで話し始めた。
「前原くんは応援してくれるって言ってくれたから、話そうかな」
「うん」
「私、明日の軽音楽部のステージが終わったら、春人に告白しようって思ってるの」
――タイミングが、悪い。
楼本さんの決意を聞きながら、僕はうめき声をあげそうになるのを必死でこらえていた。
「ずっと前からあいつの音楽が――あいつのことが好きだったって、九州なんて遠くには行ってほしくないって、それを伝えるいい機会かなって思うんだ」
「うん」
「こういうのってさ、待ってるだけじゃ何も変わらないと思うんだよね。もし結果が良くなくたって、行動しないで後悔するぐらいならさ」
楼本さんの言葉は痛いくらいにまっすぐだ。
そして、行動しないで後悔するぐらいなら、という言葉には完全に同意する。僕は小脇に抱えたタブレットを握りしめた。
「前にも言ったけど、応援するよ」
精一杯の笑顔を作ってみせる。
ついさっき目撃してしまった羽生くんと鶴巻さんの様子からすると、楼本さんの行動が報われる可能性は低いかもしれない。でも、行動しないことより行動することを選んだ彼女に、やめろなんて言葉はかけられなかった。
「ありがとう、前原くんに話せて踏ん切りがついたよ。あー、宣言しちゃったからもう後戻りできないな」
顔を赤くしながら笑う楼本さんはかわいいと思った。ただ、今はその顔を正面から見ることができなかった。
「それじゃ、がんばってね」
「うん、前原くんも無理しないでね」
階段を上って三年生の教室へ向かう楼本さんの背中を見送って、僕はアイに呼びかけた。
「どうするのが正解だったかな?」
羽生くんには他に好きな人がいるみたいだ、と伝えれば状況は好転しただろうか。
「どうやっても完全な正解はないと思うよ」
率直な回答がアイから返ってくる。
「それこそ、楼本さんが言ったとおりじゃないかな。行動するって決めたなら、泣こうが笑おうが最後までやり切る以外ないよ」
「アイがそうだったもんね」
一年間という期限付きで研究所から抜け出してきた人工知能のセリフは重かった。
(人間も人工知能も、自分が正しいと思うことをやるしかないんだな)
その考えに至って、僕も自分がやろうと思ったことをやり切ることに決めた。楼本さんは僕に話して踏ん切りがついたと言っていたが、僕のほうこそ、楼本さんの話を聞いて踏ん切りがついたと思う。
「アイ、見てもらいたいものがあるんだけど」
「おっ、ようやくそれを見せてくれるのかな?」
僕はタブレットを手に取って教室に入り、生徒の制作物が展示されているコの字に並べられた机の上に空きスペースを探す。手ごろなスペースがあったので、タブレットを寝かせて設置し、電源を入れた。
「3Dイラストなんでしょ? タブレット上で表示するの?」
「ホログラム投影しようと思う」
起動したタブレットから、ホログラムのアプリを立ち上げる。さらに、僕は自分のカバンからヘリコプターのローターのような形をした折り畳み式のホログラムディスプレイを取り出して、こちらも電源を入れた。
「おー、こんなものまで用意したんだ」
高速回転するホログラムディスプレイに下のタブレットから光を当てることで、3Dイラストが空中に浮かび上がって見える仕組みだ。
自分のつたない習作をアイに見てもらうのは緊張する。そのうえ、これを見てもらうことでアイに伝えたいことを考えると、心拍数が跳ね上がる。
ディスプレイが回転する振動音とともに、僕のイラストが表示され始めた。
「これは――」
アイの居るスマホのカメラを、ホログラムのほうに向けてあげた。
空中に投影されたのは、少女のイラストだ。
うちの高校の女子の制服をアレンジした濃紺のワンピースに身を包む、ピンク色の髪をした女の子。荒々しく渦を巻いているような夜空の背景から、勢いよく飛び出してきた姿勢をとっている。
「まっすぐ綺麗な線を引くのが難しかったから、ゴッホのタッチを借りたんだ。目の力強さを表現したくて」
決して上手ではない僕のイラストの中の女の子は、星のようなきらめきを瞳の中にいくつも収めていた。
「光が大好きで、もっと多くの光を目に焼きつけたくて、この子は夜空の世界から飛び出してきたんだ。泣こうが笑おうが、自分の決めたことを最後までやり切ろうと思っているんだ」
アイは黙って聞いてくれている。
「――タイトルは『
ホログラムの女の子は、僕がこの一週間で最高に苦労した部分である、スキップをするようなアニメーションを実行しはじめた。よかった、ちゃんと動いてくれた。
しばらく、無言の時間。
「なんとなくね、作業光景を見せたくないって言ってたときから、そんな予感はしてたんだ――」
やがて口を開いたアイの声は、小さく震えていた。
「私、なんだね、この3Dイラストは。キミから見たアイ」
僕はうなずく。心臓が口から飛び出してきそうなくらいに脈打っている。
「こういうふうに見えてるってわけじゃないんだけど、僕にとって今のアイは、こういう存在なんだ。その向かうところに一緒にいたいと思う存在なんだ」
「え?」
「一年間限りなんて嫌だよ。ずっと一緒にいよう」
僕の言葉に、明らかな戸惑いを感じている様子がアイから伝わってきた。
「――それは、私だって、それが可能ならそうしたいんだけど――」
「無理でもなんでも、一緒にいたいんだ!」
相手の気持ちに共感するという会話の形式を、僕はここに至ってかなぐり捨てた。ほとんど叫び声に近い強さで、はっきりと伝える。
「好きなんだ、アイのことが」
言った。
伝えた。
アイの返事を待つ時間が、ものすごく長く感じた。
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