秋(1)

「うわーっ、やっぱりファン・ゴッホの筆遣いはすごいね! 見て、この分厚く塗り重ねられた油絵具。波打ってるよ!」

 周囲に音漏れがしないように振動量を絞った骨伝導イヤフォンからアイの声が響く。

 漏れる音を完全にゼロにできるわけではないけれど、最近の美術館はすべて時刻指定入場式になっているので、一時間あたりの入場者数が制限されており、僕の周囲に他のお客さんは少ない。迷惑にはならないだろう。

(なんでフルネームで呼ぶの?)

 とはいえ、静かな美術館の中では声を出してしゃべるわけにはいかないので、拡張現実ARを使った視線での文字入力装置を利用してアイと会話をしている。透明なレンズのサングラス型デバイスで、テンプル部分を指で押さえている時だけフリック入力パッドが視界に浮かぶのだ。

 あとはスマートフォンで文字を入力するのと同じ感覚で、入力しようとする文字を見つめるだけでいい。予測変換機能も充実しているので、最初の数文字を視線で入力すれば言いたいことの大部分はアイに伝わるようになっている。

「フルじゃないよ、フルネームはフィンセント・ヴィレム・ファン・ゴッホ。『ファン・ゴッホ』でひとつの苗字だから、こう呼ぶのが正しいよ」

(へー)

 美術館の入り口で、絵の解説音声が録音されたデータが有料で配布されていたけど、僕はアイの話を聞くためにダウンロードしなかった。実際、アイがプロ並みの解説をしてくれるので困ることはなかった。

 東京、上野。

 美術館や博物館が軒を連ねることで有名なこの街は、僕の通う高校から電車で小一時間ほどのところにある。夏期講習の日にアイと約束した『美術館デート』の目的地としては最適だろう。

 今年はカレンダーの都合上、今日九月一日までが夏休みだ。夏休み最後の日曜日ということで、『ゴッホ展』はいつ開催されても大人気らしいのだが、今回の人気はさらに過熱しており、web上の予約チケットが発売開始後一時間で完売するほどだった。たまたま時刻指定入場券の予約にキャンセルが出たのはラッキーだったとしか言えない。

 まあ、キャンセルする人はカップル客や団体客が多いので、アイと一緒に出かけてもチケット一枚で済む僕は、そのキャンセル分を確保しやすいという特殊な事情も手伝っているだろう。

「初期のタッチと比べると、晩年の作風は別人みたいでしょ?」

 サングラス型デバイスの視界の左端に光点が明滅した。アイがデバイスにアクセスして次に見るべき絵を示しているらしい。高校生の小遣いでも買えるぐらい安価になった視線入力装置だが、人工知能とのコミュニケーションにも便利だということは、僕以外に知っている人がいないんじゃないだろうか。

(これ? なんか怖い感じの絵だね)

 アイが見るように指示したのは『オーヴェルの教会』という絵だった。ゴッホの死の直前に描かれた有名な絵らしく、今回の『ゴッホ展』の目玉展示のひとつになっている。

 道も教会の屋根も壁もうねうねと歪んでいて、空の上半分は黒に近い深い群青色で塗りつぶされている。アイが最初に言ったように、執拗に塗り重ねられた油絵具が波打ちながらキャンバスの上で踊っていて、素人の僕にも圧倒的な迫力が伝わってきた。

「怖いよね。キリスト教の教会って神聖な救いの場所のはずなのに、この絵に描かれた教会はまるでうめき声をあげているみたい。こんなに強烈な苦痛と圧迫感を表現することができるなんて、感動的。人工知能としては嫉妬しちゃうよ」

(絵が上手いことに嫉妬するの?)

「いや、そうじゃなくて、言語を使わない意思表現にね。私みたいな人工知能は言語でアルゴリズムのすべてが記述されてるから、色彩や筆遣いで人間に意思を伝えることができる芸術アートって、本当に奇跡みたいに思えるんだよ」

(なるほど。自分にできないことができる人を尊敬するのは、人間も人工知能も同じなんだ)

 僕からすると、アートを鑑賞した感想をすぐに言語化して、それを自分のアルゴリズムに反映させていくアイの存在のほうが奇跡に思える。絵画を見て感動している人工知能の存在なんて、ひと昔前なら信じてもらえないに違いない。

「この群青色が人間の不安感と結びつくあたり、私の会話スキルにも活用できないかな? 文字チャットで会話するときにフォントの色を変えるとか――」

(群青色がいつも不安をイメージさせるわけじゃないところは難しいよね)

「おっ、キミもなかなか人工知能的な思考方法に慣れてきたね。そうなんだよ、この筆遣いでこの色を使っているからこそ伝わる意思の表現なんだよね、これ」

 これはアート鑑賞の会話なのだろうか、とちょっと疑問を抱かなくもないが、アイは本当に美術館を楽しんでくれているようで、そこは安心する。世間一般の美術館デートを楽しむカップル客も、こんな会話をするのだろうか。

(他の人が同じような色とタッチで描いてもダメだってこと?)

「それどころか、データ上は完全に同じ色とタッチに見えるようにデジタル複製を作ったとしてもダメらしいんだ。多くの人がファン・ゴッホの描いた油絵のほうに強い感銘を受けるってことが知られてるよ」

(へえ、不思議だね)

 完璧に同じデジタル複製と本物の油絵はなにが違うんだろう――と考えていたら、サングラス型デバイスを通して見る『オーヴェルの教会』のキャンバス全体がぼんやりと白く光って浮かび上がった。

 アイがこの油絵をスキャンしているらしい。

(え、なんか非合法なことしてない?)

「録画とか撮影をしてるわけじゃないから、セーフセーフ。この展示室内にもスケッチブックを持って模写してる人がいるでしょ。あれと同じだよ」

 アイに言われて周囲を見回すと、たしかに模写をしている人の姿をちらほらと見かける。

 そういえば、この美術館の各展示室の入り口には「写真撮影禁止」の表示があった。フラッシュを焚くと強い光で絵が痛む、という説明がついていたが、実際はフラッシュの使用にかかわらず撮影は一切禁止らしい。

「人間の手で紙に写したり、網膜に焼きつけるのはオーケーだけど、人工知能が絵のデータを取得するのはダメだなんて、ズルいと思わない?」

(うーん、まあ一理あるかな? 目が見えない人や耳が聞こえない人に配慮された美術館もあるらしいし、肉体のない人に配慮された美術館があってもいいよね)

「いいこと言うじゃん、キミも!」

 アイは僕の発言をユーモアとして受け取り、笑い声をあげた。

 僕も「肉体のない人」という言葉は軽口のつもりで言ったのだが、その言葉が想像以上に重大な意味を持っていることには後から気づいた。

 肉体のない――人。

「データ取得完了っと。この空の群青色は――十九世紀当時使われていたごく一般的なコバルト系の油絵具を重ね塗りした色だね、やっぱり」

 なにをスキャンしているのかと思ったら、アイは絵の発色に秘密がないか調べていたらしい。

(じゃあ、デジタルデータで再現することもできそうだね)

「そうなんだよね。絵具の成分と塗り重ねられた厚みや角度を再現すれば、完璧なファン・ゴッホの『オーヴェルの教会』が複製できるはずなんだけどねえ」

 サングラス型デバイスに絵画のスキャンデータが送られてきた。コバルトの含有率が何%だと表示されても、僕にはさっぱりわからないのだが。

「人間の歌や手書き文字を機械学習している人工知能もいるんだけど、絵と同じで、人間から見ると『本物と比べるとなにかが足りない』複製になっちゃうらしいんだよ」

(美術館という場所で見てるから、特別なものに感じるとか?)

「いや、有名な美術館でそういう実験をしたことがあるんだ。実際の展示室で本物と複製を並べて展示してね」

(じゃあ、魂が込められているかどうか、とか?)

「あー」

 魂、という単語にアイは露骨な嫌悪感を示した。

「魂って概念をアタマから否定するつもりはないけど、複製されたデジタルデータには魂が込められていない、っていう前提で話をされるのはちょっと嫌かな、私」

 しまった、と僕は思った。

 人間の作ったものには魂が込められている、という発言は、逆をとればアイの言うとおりになる。素直に謝罪することにした。

(そうだね、ごめん。前にも言ったけど、僕はアイにも心があると思ってる)

「――」

 戸惑っているかのように、アイの反応が遅延する。

(肉体のない人が、肉体のある人間以上に、人間を感動させるような絵や歌が作れるようになるといいよね)

 僕は意識的に「肉体のない人」という表現を選んだ。相手の機嫌をとるための「形式」的な発言ではない、本心からの発言だ。

「――うん。ありがとう」

 お礼を言われるようなことだったかはわからないが、アイは感謝の言葉を贈ってくれた。少し背中がむずがゆくなるような感覚がする。

「それじゃ、今日の最大の目玉展示に行こうよ」

 順路の奥に向かって矢印が点滅表示される。

 アイの指示に促されるままそちらに足を向けると、入場者数が制限されているにもかかわらず大勢の人が集まっている展示室があった。それだけ多くの人が足を止めている絵があるということだろう。

(『オーヴェルの教会』が目玉展示だったんじゃないの?)

「うん、『教会』もめったに海外への貸し出しは行われない有名作品なんだけど、今回はそれを上回る超・超・超有名作品が来日してるからさ。いやー、オルセー美術館もよく承諾したよねー」

(あの人だかりはその作品が目当てなんだ)

 そんなに多くの人を集める作品はなんなのか、僕も興味を引かれて足を速める。

 展示室に入った。他の部屋に比べて照明が暗い。

 正面の壁に掛けられていたのは人物画だった。美術の成績が壊滅的だった僕も、教科書でその絵を見たことがあるほどの有名作品だ。

(ゴッホの『自画像』)

「ファン・ゴッホの『画家の肖像』――が正確な呼び方だけど、まあ『自画像』っていうほうが有名だよね。1889年、彼が入院していたサン=レミの療養院で描かれたものだよ」

 アイの解説が耳に入らないほど強烈な、まるで殴られたような衝撃を、僕はその絵から受けていた。

 なんだろう、この絵は。なんで自分の顔を描くために、こんなにも絵具を塗り重ねて渦巻のような線を作る必要があるんだろう。まるで背中からオーラかなにかが立ち昇っているようだ。

 表情も怖い。やせこけた頬、のびた髭、額の中央にしわの寄った眉。正面を見ているようでうつろな目。言葉にしなくても、この人物が絶望と不安の中にいることが伝わってくる。これはまさに、アイの言う「言語を使わない意思表現」そのものだ。

「この絵の中のファン・ゴッホは右を向いてるじゃない?」

 最初の衝撃から立ち直ってきたところに、アイの解説が重なった。僕はうなずく。

「これは自画像だから、鏡に映した自分の姿を描いているわけ。つまり実際のファン・ゴッホは左を向いて、右耳を見せているの」

(それがどうしたの?)

「この一年前に、彼は自分の左耳を自分で切り落としてるんだよ」

 また強烈なショックを受けた。

 そういえば、美術の教科書にもそんなことが描いてあった気がする。こうして実物を見るような体験と結びつかないと、教科書の記述なんて頭に残らないものなんだな、と僕は思った。

「生前のファン・ゴッホは絵も売れず、人間関係もうまくいかず、人生に苦しんで精神を病んだって言われてる。この自画像はその苦しみのまっただなかにいた時期に、左耳を隠すようにして描かれたものなんだ」

(隠しきれてないね)

 それが僕の率直な感想だった。

 この自画像から滲み出してくる病的なほどの不安感は、この絵では見えないところにある、失われた左耳を源泉としているのだろう。ひょっとすると、背景の渦巻くような筆遣いはそれを表現しているのかもしれない。

「やっぱりキミもそう思う? ファン・ゴッホの自画像って、左耳を切り落とした直後の包帯を巻いた姿のものもあるんだけど、一見してケガしてることがわからないこっちの自画像の方が、どう考えても病的に見えるんだよね」

 僕はため息を漏らしながらうなずいた。

 美術の教科書に載っていた写真は小さなサイズだったということもあるだろうけど、写真で見るのと、実際に画家が筆を走らせた油絵を見るのとでは、受ける印象がまるで違う。

 どうしてここまで印象が変わるのだろうか。さっきアイと話したように、人間が描いたものには魂が宿るという説明で片付けてしまうのは乱暴すぎる結論だ――いや、待てよ。

(アイ、これは鏡に映ったゴッホの姿なんだよね?)

「うん、彼の生前の作品には自画像が多いんだけど、それは絵のモデルを雇うお金がないほど貧乏だったからって言われて――」

、これは)

 僕の脳裏に、稲妻のようにその考えがひらめいた。

「えっ、いや、正真正銘パリのオルセー美術館所蔵の真作だよ」

 言葉が短すぎて、アイも別の意味で受け取ったようだ。僕は首を振る。

(この自画像は、ゴッホという画家が自分を絵画として複製したものなんだ――っていう考えは、おかしいかな?)

「――面白いね。おかしくないよ」

 アイにも僕の言いたいことが伝わったらしい。自分の考えをまとめながら、視線入力で言葉にしていく。今はこの視線入力にかかる時間がもどかしく感じる。

(たぶんこの絵は、この絵が描かれたときのゴッホを、その心の中の様子まで含めて、ゴッホ本人以上に表現しているんじゃないかな。この絵が、この絵を見た人の心を強くとらえて離さないのはそれが原因で――)

 サングラス型デバイスのテンプルを押さえる指に力がこもる。

(――複製にも魂は込められるんだ。複製のやりかたしだいで)

 人工知能なんて存在しなかった時代の人が残した作品から、僕はそんなインスピレーションを受け取った。アイは笑わずに聞いてくれている。

「それは素敵な考え方だね。特に、私みたいな人工知能にとっては――私みたいな、複製された人工知能にとっては」

 そうなのだ。結局、複製の話が気になっていたのは、そこに行きつく。

 肉体のない人――akaRI-Eという人工知能から複製され、僕のスマートフォンに住み着いた「アイ」という人工知能を、心や魂を持った「人」と呼ぶのは、おかしいだろうか。笑われるだろうか。

 そのまま僕とアイは、『自画像』を囲む人だかりにまじってしばらく立ち尽くしていた。

『――午前十一時の指定入場券で入場された方々は、まもなく退館時刻となります。お忘れ物に気をつけて、出口へお進みください』

 美術館の内部に合成音声によるアナウンスが流れた。

 時刻指定入場のシステムは館内が混雑しない代わりに、こうやって長く館内にとどまれないのがデメリットだ。少しなごり惜しいが、僕は『自画像』に別れを告げて出口に向かう。

 美術館の出口には、カフェとミュージアムショップが設置されていた。美術館デートをするカップル客は、ここでお茶をしたりお土産を購入したりするのだろう。

「キミと一緒にお茶を飲んだりケーキを食べたりできないのは残念だな」

 僕の視線がカフェに向いていたことを察してか、アイがそんなことをつぶやいた。

(アイやakaRI-Eは人間型ロボットに搭載されないの?)

 人工知能が搭載された「機械の体」を持つ人間型ロボットも、ここ数年でよく見かけるようになってきた。マンガやアニメに出てくる精巧なロボットはまだ開発されていないみたいだけど、アイのような人間らしい人工知能が搭載されれば状況は変化するんじゃないだろうか。

「いやー、キミたち人間が考えている以上に、その二足歩行する肉体って複雑なんだよ。料理をするなら料理専用に、掃除をするなら掃除専用にデザインされたロボットのほうがずっと効率的なんだ」

(そうなんだ)

「肉体を人間と同じように操作するのにも別の機械学習が必要になるし、私みたいな会話を専門にする人工知能ならなおさら、会話に特化すればそれでいいって話になっちゃうしね」

 アイに肉体を持ってほしいわけではないが、この子があくまで言語化されたアルゴリズムと機械学習の積み重ねから構成されるデジタルの存在だということは、ひとつ問題を発生させてしまう。

(せっかく今日のデートが楽しかったのに、アイにプレゼントできるものがないな)

「――」

 また反応が遅延しているアイをよそに、僕はミュージアムショップのお土産を見てまわった。お菓子や絵葉書、図録などはアイにプレゼントすることができない。Tシャツやエプロンなんかも無理だ。

 ふと、とある商品が目にとまり、パッケージを手に取ってみる。ソフトウェアのダウンロード情報が記入されたカードが封入されているらしい。

「初心者向け3Dモデリングソフト? ファン・ゴッホの筆遣いを再現したタッチで簡単に3Dイラストが描けます?」

 困惑しながら製品の説明を読み上げるアイ。パッケージの裏面を見て値段を確認すると、なんとか僕の財布の中身で購入できるものだった。

「やめときなよ。3Dモデリングに興味がわいたなら、ちゃんとした専門のソフトウェアを購入したほうがいいってば。こういうお土産品は機能が制限されているわりに値段が高いんだから」

 さすがにアイは実用的なアドバイスをしてくれる。しかし僕は断固として首を振り、そのパッケージをセルフレジに持っていくと、電子マネーで会計を済ませた。

(文化祭も来週だし、展示に使えるかなって)

「もー、人のアドバイスを素直に聞かないと知らないよ」

 不満げなアイの言葉に聞こえないふりをしつつ、僕は家路を急いだ。

 描いてみたいもののイメージが、僕の胸の中で膨らんでいた。

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