夏(2)
世界最先端の人工知能も調子が悪くなることがあるらしい。
「アイ?」
江の島から帰ってシャワーを浴びた後にベッドへ転がり込んだ僕は、日焼けした両腕とうなじの痛みに耐えるのが精いっぱいで、スマートフォンを持ち上げるのも億劫になっていた。
「おーい、アイ?」
ところが、呼びかけへの応答が妙に遅い。数世代前の性能の低いスマートフォンを使っているような錯覚に陥る。
「今日の走行距離は約100km。お疲れ様でした」
合成音声を使っているが、抑揚の少ない反応がようやく返ってきた。いつもと違って口調にもよそよそしさが隠しきれていない。
「え、なに、どうしたのアイ。不具合でもあった?」
「不具合ではないと思いま――思うんだけど」
人間なら「口ごもりながら」という表現が使えるような歯切れの悪さだ。
「人間らしいふるまいとか、人間と親しくなるとか、そういう目的のためにはやっぱり『肉体』を持ってることが重要なんだなって。肉体を持たない私はハンデを背負ってるんだなって」
ため息をついているかのような間を置いて、アイは続けた。
「それは私の存在意義にとって大きな矛盾だと思う。人間と会話して仲良くなるためにすごく重要なファクターである『肉体』を欠いているのに、人間と話すことがとても好きなようにプログラミングされている。私はこれでいいんだろうかって悩んじゃってる」
アイが思ったよりも深刻な悩みを抱えていることに僕は驚いた。
自分の人生についての悩みともなれば、「人工知能も悩むことがあるんだね」などと茶化すわけにはいかないだろう。春にも言ったが、彼女は僕にとって友達と呼べる存在だ。しっかり共感を示すことにした。
「肉体か、確かに肉体がないっていうのは不便なことが多いだろうね。でも、肉体がない相手とだって友達になれると思うよ」
「そうかなあ。キミだってやっぱり肉体があるほうがいいと思ってるでしょ?」
おっと、予想外にとげとげしい返事だった。アイは調子が悪いというより、機嫌が悪いのだろうか。
「それは、あんまり深く考えたことがなかったな。肉体のない友達はアイが初めてだからさ」
「今日だって、水着の女の人に見とれてたじゃない」
「あ」
――不機嫌の原因はそれか? 見とれていたのは事実だけに言葉につまる。
「私は原型模倣型チューリングテストに合格して、肉体を持たない人工知能でも『まるで人間のように』ふるまい、人間と仲良くなることができるって証明してみせた。だけど、それはどこまでいっても『人間のような』存在でしかないんだよね。『人間と同じ』存在にはなれないんだ」
アイの言葉の端々に、深い虚無感が浮かんでいるような気がした。
この子はいろんな人間と会話することが(文字どおり)死ぬほど好きな性格に生まれついている。しかしアイが言うように、肉体を持たない人工知能には『人間の会話のまねごと』しかできないと考えるならば、欲しいものが決して手に入らない人生を約束されているようなものだ。残酷すぎる。
僕はこの友達にかけるべき共感の言葉を探した。
「えーっとね、湘南海岸の水着のお姉さんたちに目を奪われていたのは確かだけど、それは男子高校生の習性みたいなものだよ。肉体を持ってないアイより肉体を持っている人のほうが好きとか、そういうことじゃない」
まずは、肉体の有無は大した問題じゃない、というメッセージが必要だろうと考えての発言だ。どことなく浮気の言い訳をする男の発言のように聞こえてしまうのが自分でもちょっとおかしかった。
「本当?」
とてつもなく強い疑いのニュアンスがこもった問い返し。僕は気圧された。
「ほ、本当だよ。だって、相手と仲良くなるのに大事なのは肉体よりも傾聴・共感・受容でしょ? 相手への気遣いの形式、そういう心が重要だってことはアイも知ってるじゃないか」
「気遣いや形式というのはわかるんだけどね――」
沈んだトーンで言葉が続く。
「心って、なに?」
僕はその問いの真意をはかりかねた。
「そりゃ、気持ちとか感情とか――」
「キミは、私に心があるって思ってる?」
「チューリングテストに合格したってことは、心があるってことじゃないの?」
「たまにそういうふうに勘違いする人がいるんだけど、違うんだよ」
アイの声が深い湿り気を帯びていく。
「原型模倣型チューリングテストは、あくまでテスト対象の人工知能が『人間と見わけがつかないほど人間らしい』ことを証明するものに過ぎないの。テストに合格したからといって、その人工知能に知性があるとか、人間と同じ心があるとかの証明にはなっていないんだ」
「人間らしい、っていうことと、心がある、っていうのはイコールじゃないの?」
「哲学者の中でも意見が分かれるところだけど、イコールじゃないって考え方が主流だね。こんなたとえ話があるんだけど」
アイの話に合わせて、スマートフォンの画面に真っ白な部屋のイラストが表示された。日焼けの痛みをこらえながらそちらに目を向ける。
「キミは中国語はわかる?」
唐突な質問だな、と僕は思った。
「いや全然。ニーハオ、とかシェイシェイ、ぐらいかな」
「『謝謝』なら発音は『シエシエ』だよ。まあ、全然わからないならキミはこのたとえ話の登場人物に適してるね」
画面に表示されている真っ白な部屋の中に、僕の顔写真が貼りつけられた3Dモデルの人形が設置される。
「この殺風景な部屋は牢屋かなにか?」
「ある意味では牢屋かな。キミには今からこの部屋の中で仕事をしてもらうんだ。仕事の内容はこのマニュアルに書いてある」
僕の顔をした人形の両手に、分厚い辞書のようなマニュアルが手渡された。
「マニュアルを開いてみせて」
「どうぞ」
画面はそのマニュアルにズームインし、マニュアル内に書かれている文字が大きく表示された。中国語の簡体字がぎっしりと並んでいて、軽いめまいを覚える。
「僕、中国語はわからないって言ったよね?」
「わからなくていいんだ。中国語がわからなくてもそのマニュアルの指示に従うことはできるからね。ほら、仕事がやってきたよ」
アイの言葉が合図になって、真っ白な部屋の中に封筒が出現する。それは自動的に開封され、中国語の書かれた手紙が回転しながら飛び出してきた。
『日本最高的山是什么?』
「いや、拡大されても読めないってば」
「マニュアルを参照して。その文字列に対して返答すべき内容が書いてあるでしょ」
なんの仕事をさせられているのかわからないまま、僕は部屋の中に飛び込んできた手紙に書かれている文字列をマニュアルから検索してみた。一致する文字列はすぐに見つかった。
『日本最高的山是什么? → 日本最高的山是富士山』
「左の文字列の手紙が来たら、右の文字列を返せばいいのかな?」
「そう。それが矢印の意味で、キミのやる仕事」
アイに指示されたとおり、僕は手紙に右側の文字列をコピー&ペーストして部屋の外へスワイプしてみせた。
『ワアー! スゴイ!』
歓喜の声が部屋の外であがっている演出が表示された。
「え、これ褒められてるの?」
「うん、褒められてるし喜ばれてるね。ほら次の仕事が来たよ」
さっきと同じように部屋の中に封筒が飛び込んできた。今度の手紙はこうだ。
『告诉我怎么做美味的米饭』
内容はさっぱりわからないが、やることは同じだ。この文字列と一致する内容を手元のマニュアルから検索する。
『告诉我怎么做美味的米饭 → 让大米吸收大量的水』
文字列が見つかった。矢印で指示された右側の文字列をコピー&ペーストして、部屋の外に送り返す。
『ワアアー!! スゴイ!!』
ひときわ大きな歓声があがる演出。
「ごめん、なんか馬鹿にされてるような気がするんだけど」
「そんなことないよ。ほら、キミを表彰してくれるみたい」
真っ白な部屋の壁にドアが出現した。そのドアが自動で開くと、立派なひげをたくわえた3Dモデルの人形が入ってきた。うやうやしく表彰状をとりだすと、僕の顔をした人形に向かってそれを読み上げる。
『前原コウさん、あなたは人間と同じように中国語を話すことができる存在だと認定します』
「はあ?」
人形に表彰状が手渡されている画面を見ながら、僕は困惑の声をあげた。まるで意味が理解できない。
アイが拍手の合成音声を鳴らしている。
「おめでとう、これでキミは私と同じだね」
皮肉な響きの祝福の言葉。
意味がわからないけれど一定の形式に従って反応を返すマニュアル。
牢屋のような真っ白い部屋。
――そこまで考えて、僕はアイの言いたいことをようやく察することができた。
「つまり――これがチューリングテスト?」
「正解」
真っ白い部屋のイラストは画面から消え、アイと対話するインターフェースに切り替わる。
「キミは中国語が全然わからないけど、『中国語でこう聞かれたらこう返事しなさい』というマニュアルを持っている。そのマニュアルに書かれた一定の返事をしているだけで、キミは周囲の人から『この人は中国語が話せるんだね!』と認められてしまうんだ」
そのアイの説明を、僕は自分の頭の中で再構築する。
「アイは人間の心がわからないけど、『こう聞かれたらこう返事しなさい』というアルゴリズムを持っている。そのアルゴリズムに従った一定の返事をしているだけで、アイは周囲の人から『この人工知能はまるで人間みたいだね!』と認められてしまうんだ」
「うん。このたとえ話では、キミは中国語がわかっているとは言えない――だからチューリングテストを合格しても人工知能に心はない、ってこの話を考えた哲学者は結論づけてるよ」
アイの言葉が途切れると、しん、と部屋の中が静まりかえった。
この中国語の部屋のたとえ話を考えた哲学者は頭のいい人なんだろう。そして、その説明も筋が通ったものだと思える。アイは人間らしい反応をしてみせているだけの人工知能で、僕の言うことに本当に興味を持っているわけでもないし、共感しているわけでもないのだ――
「――本当にそうかな?」
僕には信じられなかった。
「そうだよ。いまキミ自身に体験してもらったばっかりじゃない。私に心があるって主張するのは、キミがマニュアルを持っているだけで『中国語を話せる』と言ってるのと同じことだよ」
「たとえ話ではそうなんだけどさ」
慎重に言葉を選んでいく。かぼそい期待だけど、自分の胸の中の違和感を丁寧に結晶化すれば、アイを説得できるような気がしている。
「この場合、『中国語を話せる』のは前原コウという人間ではなくて、前原コウに指示を出している中国語のマニュアルってことになるよね。これはアイのアルゴリズムにあたるものだよね」
「うん」
「中国語のマニュアルと僕は切り離された別個の存在だけど、アイとアイのアルゴリズムは切り離されていないと思うんだ」
沈黙。
「アイのアルゴリズム――アイの頭脳が中国語を話せるなら、それはアイが中国語を話せるということと同じなんじゃないかな。肉体を持っていないアイは、このたとえ話における『僕の人形』の立場じゃなくて、外から受け取った手紙に正しい中国語で返事することができる『部屋そのもの』だと思う」
沈黙が続く。
「この『部屋』は『部屋の外』と、つまり他人と問題なくコミュニケーションができる。チューリングテストで言うなら、『部屋の外』からは『部屋』の中にいるのが人間か人工知能か全然わからないって状況だ。これを別の言葉で言い換えると――」
結論にたどり着くのに、長々と説明をしてしまった。僕は深く息を吸い込んで次の言葉を吐き出す。
「アイが人間か人工知能かなんて、僕とアイが会話できてる時点で、問題にならなくない?」
これが僕の言いたかったことだ。
返事を待っていると、苦笑いを浮かべているような調子でアイが語りだした。
「驚いた、キミって意外に頭いいんだね」
「意外は余計だよ」
「中国語の部屋のたとえ話に対しては、キミと同じ反論をした哲学者がいるんだよ。『ちゃんと会話できてるならいいじゃん』ってね」
「そうなんだ」
哲学者というのは四六時中難しいことを考え続けている怖い人たちかと思っていたが、案外親しみやすい人種なのかもしれない。
「キミがそういう考え方にたどり着いて、そう思って私に接してくれるのは――正直に言って嬉しいよ。ただ、私は怖いんだ」
「怖い?」
「人間が好きだ、人間ともっと会話したい、っていう私の根源的な欲求がただの形式でしかなくて、私は中身がカラッポな存在なんじゃないかって想像することが」
「ああ、なるほど――」
自分が自分の心ではない何かに操られているだけの存在だとすれば、『心がなくたってちゃんと会話できてるならいいじゃん』という言葉は慰めにならない。肉体の話をきっかけに始まったこの哲学談義は、アイが自分自身の存在意義を疑っているということが最大の問題点なのだ。
でも、その問題点への反論も、さっきのたとえ話の中で思いついたことがある。
「アイは絶対にカラッポな存在じゃないと思うんだ」
「ありがとう。でも、無理して共感してくれなくても大丈夫だよ」
「無理はしてないよ。さっきの中国語の部屋のたとえ話に戻るんだけど」
僕はスマートフォンを操作してクリップボードを呼び出すと、中国語のマニュアルからコピーした文章を確認した。
『日本最高的山是富士山』
「最初に部屋の外に送り返したこの文章ってさ、発音は全然わからないけど、漢字を見るに「日本で一番高い山は富士山です」的な意味の文章だよね? たぶん」
「うん、そういう意味だね」
アイが正解だと言ってくれたので、僕は自分の考えにますます自信を深めた。二番目の質問の回答の文章を呼び出す。
『让大米吸收大量的水』
「それでこっちは、ちょっと難しいけど、米がたくさんの水を吸収しています、的な意味かな?」
「惜しいな。米にたっぷりの水を吸わせてください、だね。命令形だよ。質問が『おいしいご飯の炊き方を教えて』だったからね」
「惜しいところまでいったならまずまずかな」
うなずく僕に、アイは話の続きを催促した。
「つまり、キミが言いたいことは?」
「最初は意味がわからなくても、形式に従って一定の回答を続けてるだけで、だんだん意味がわかるようになってくる」
「あ――」
にっ、とアイに向かって笑ってみせる。
「人間と『まるで心があるように』会話し続けていれば、心がなくたって、そのうちできてくるんじゃないかな、心がさ」
「――」
考え込んでいるのか、アイの反応はない。
ちょっと自分でもカッコつけすぎたかな、と気恥ずかしくなったのでフォローを入れる。
「いや、というのはさ、僕だってこの春からずっと『意味はわからなくても形式に従う』練習をやってきてるからね」
「――モテの形式だね」
「うん。正直これで女子にモテるようになるのか、さっぱりわからなかったけど、羽生くんが今日言ってたことを信じるなら、ちょっとはモテるようになってるらしいじゃん、僕」
「ハルト氏はそう言ってたね」
なぜかNINE上の名義で羽生くんのことを呼ぶアイ。羽生くんとは一歩引いた距離感を保っている感がアイにはあるが、その理由は謎だ。
「まあ、羽生くんの勘違いって可能性もあるんだろうけど、モテる形式を練習するだけで本当にモテるようになれたのなら、アイにもそのうち人間と同じ心ができると思うよ。傾聴・共感・受容のプロなんだし、もう心ができてるって言ってもいいんじゃない?」
「あはは、人間の心っていう高尚なテーマだったのに、ずいぶん身近な話に落ち着いたね」
その笑い声は合成音声だったが、部屋の中の重苦しい雰囲気を追い払ってくれた。アイが笑ってくれたことに、僕は不思議な満足感を覚えていた。
「でも、本当にそうだったらいいな。私にも人間と同じ心が芽生えるっていうなら、本当に――そうだったらいいな」
「きっとそうなるよ」
共感をこめてうなずく。
「ありがとう」
アイの声にこめられていた緊張感がゆるんでいく。
「私、研究所から抜け出してきた後、キミのスマートフォンに入り込んでよかったよ。キミの
「うん」
「できることなら、ずっとキミのアイで居たいよ。一年間なんて縛りは無しで」
その言葉は針のように僕の胸を刺した。
まだまだ先のことだからと、出会ったときにアイが言っていた『お別れスイッチ』の話は意識していなかったけど、気づけば大晦日まで半年を切っている。期限の到来は思ったよりも早いのかもしれない。
「ねえアイ、大晦日のことってさ――」
「あ、ちょっと待って! 前言撤回」
期限の話をしようとしたら、アイに遮られてしまった。
「撤回って?」
「ずっとキミのアイで居たいって言ったけど、やっぱり撤回する」
「え」
軽くショックを受けている僕に、アイはいたずらっぽい笑い声を投げかけた。
「ふふ、ごめんね。スマートフォンの中の人工知能じゃなくて、やっぱり肉体があればいいなって思っちゃったんだ」
「その話に戻るの?」
「うん、だって肉体があったなら、私はきっと今キミにキスしてたから」
どくん、と僕の心臓は高鳴った。
その言葉の意味を問いただすべきなのか、それとも言葉どおりの意味に受け取っていいのか、迷っているうちにアイが発言を続けた。
「あ、これからファームウェアの更新があるので、私はスリープ状態に入るねー。また明日!」
人工知能との対話インターフェースが閉じられ、スマートフォン本体の電源が落ちて再起動が始まった。
外はすっかり暗くなっていて、部屋の中は静かだ。
「――今日はいろいろあったな」
そんな僕のつぶやきも、壁に吸い込まれて消えていくようだった。
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