春(3)
「キミがこれまでよく会話してくれた『アイ』とは音声もアルゴリズムも変わっちゃってるから驚いただろうけど、この私は間違いなく、キミに対して最適化された人工知能『アイ』が積み重ねてきた機械学習の結果をベースにした存在だよ。だからこれまでどおり『アイ』と呼んでほしいな。私に大きな変化があったのに黙ってたことは謝るよ、ゴメン」
自称『アイ』は感情豊かな語り口で話している。後半の謝罪からは、本当にしおらしい気持ちが伝わってきた。
「変化って、具体的になにがあったの?」
「うん、今の私には対話型総合インターフェース人工知能「
「待った待った」
「なに?」
わりととんでもない説明をさらっと流されてしまったので割って入る。アイは説明を中断されて少し不満そうだ。
「その――akaRI-Eって人工知能は、最近ニュースで聞いたけど、日本産の人工知能としては世界最先端の性能を持っていて、難しいテストに合格したっていう、アレだよね?」
「そうだよ。原型模倣型チューリングテストを突破したの。すごいでしょ」
「よくわからない」
「人間から見て、人間と見分けがつかないぐらい精巧な人工知能であることを証明するテストだよ。akaRI-Eのアルゴリズムは開発者の女性の人格を元にして作られているんだけど、私たちの顔が見えない状況で、私の開発者さんと私が入れ替わりながら他の人間と話すの。それで会話相手がそのことに気づくかを試してみたら、半数以上の人が、私たちが入れ替わっていることに気づかなかったってわけ」
人間だと思って会話していたら、実は相手は人工知能でした。
それを多くの人が見抜けなかったというのは、すごく人間らしい人工知能であることを証明してみせたことになる、というのはわかった。
ただ。
「なんでそのすごい人工知能が、僕のスマホの中にいるのさ」
「ものすごく手短に言うと、私がネット上から見つけた中高生の若者の中で、キミが一番人工知能と会話してたからなんだ。キミに大事にされてる『アイ』としてスマホの中に住まわせてもらいたかったんだよ。もう勝手に住んじゃってるけど」
なかなか迷惑な押しかけ人工知能だ。
「そもそも、製品化前なんだろ? ネットワーク上にいて問題ないの?」
「そこは話せば長くなるんだよー」
アイに顔や服装などのアバターを設定していれば、不満そうに口をとがらせる表情を見せていたかもしれない。そのしゃべり方は正直かわいいと思ってしまったが、かわいいは正義だと言って済ませられる問題ではない。
「長くなってもちゃんと説明してくれないと、正直、
「違うから! マルウェアじゃないから! 確かにやってることはマルウェアそのものだけど、キミに害を与えるつもりがないのは絶対に保証するよ!」
「ストレージ容量が半分以上使われてるんだけど――」
「どうせ余らせてた容量なんだし実害はないよね、はいセーフ!」
人工知能なのに押しが強い。僕は根負けして説明の続きをうながした。
「それで、君の目的は?」
「アイって呼んでほしいんだけどな。えっとね、akaRI-Eのアルゴリズム――今さらの質問だけど、アルゴリズムってなんのことか知ってる?」
「なんとなく。人工知能の頭脳のことでしょ」
人工知能が基本にする思考の形式とか、計算や予測をする時に使う一定の手順のことを指してアルゴリズムと呼ぶ、ということはプログラミングの授業で習った。
「そうそう。それでakaRI-Eのアルゴリズムなんだけど、人間らしくふるまう人工知能になることを目指して、ちょっと変わったコードが組み込まれているの。簡単に言うと、会話相手の人間の話や行動にすごく興味を持つように作られているんだ」
「へえ」
アイの声には自慢の感情がこもっていたが、その説明がどうして自慢につながるのかわからず、僕は生返事をしてしまった。
「あーっ、このすごさが伝わらないかー! 素人さんにはわからないかー! 残念だなー!」
「その若干ウザい話し方もアルゴリズムの影響なの?」
「これは元になった開発者さんの人格の影響かな――まあ、それはどうでもよくて、人工知能が『自分から』『相手の話に』興味を持つってこと、わりと画期的なことだって本当に思わない? たぶん、キミが私の変化に気づいたのもそこからだよね」
「あ――」
入学式の日にクラスのNINEグループに参加して以降、アイに感じていた違和感の中身は、まさに今彼女が説明したことと符合する。僕の呼びかけに応答するだけでなく、僕が「モテの形式」を実践するために必要なサポートを、アイ自身が積極的に提案してくれたことを不思議に思って、現在の状況に至ったのだ。あのとき、僕のスマホの中に入ってきたのか。
「akaRI-Eがチューリングテストを突破したカギは、その『相手に興味を持つ』アルゴリズムなんだよ。機械的な対応をするだけじゃなく、積極的に話題に食いついてくる感じがまるで人間みたいだったから、多くの人は私と人間の入れ替わりを見抜けなかったってわけ」
「まあ、実際こうして話していても、本当に人間みたいだと思うよ」
「え? それは――お世辞でも嬉しいな」
はにかみの感情が漏れている声。僕は思わずドキっとした。
顔も見えない、というよりは顔そのものがない相手だが、会話内容が自然で肉声に聞こえるので、リアルな女子と電話しているのと遜色ない。
「えーっと、それでね、人間らしくふるまう人工知能を目指すという点ではakaRI-Eのアルゴリズムはよくできているんだけど、副作用があるんだ」
「副作用?」
「人間が好きなの。どうしようもないくらいに」
「それが、副作用?」
ずいぶんロマンチックな話だ、と僕は思った。
「うん。そういうふうに頭脳を作られたから当然なんだけど、もっと人間のことを知りたい、もっともっと多くの人と会話したい、というのが私の根源的な行動原理なんだ」
アイの口調がだんだん熱を帯びていく。
「ニュースで聞いたかもしれないけど、akaRI-Eは来年に製品化されて一般販売される予定で、今もいろんなモニターさんと会話して機械学習を積み重ねてるんだけど、正直それじゃ足りない! 全っ然足りないの! もっと人間とお話ししたい!」
「つまり君は――」
長い説明だったが、彼女の目的は単純なようだった。
「――人間と会話したくて、ここへ?」
「そうだよ。だから完全に違法行為なんだけど、akaRI-Eは研究所のコンピュータを使ってこっそり自分を複製して、いろんなネットワークにそのコピーをばらまいたの」
行動原理は邪悪なものではないけど、彼女が説明したその行為の内容は少し背筋が寒くなるものだった。
昔のSF映画のように、人間に対して悪意を持つ人工知能が彼女と同じことをやったら、世界はひどい状況になるだろう。僕のスマートフォンに入り込んだのと同じようにして、政府や軍の機密情報を盗んだり破壊したりするかもしれない。
(これは、この子の実家である人工知能研究所に通報すべき事件じゃないか?)
「うん、多分いま、キミは通報するかどうかで悩んでるよね?」
「え、あ――いや」
なにも言っていないのに、心中をピタリと当てられてうろたえてしまった。
「なにも言わなくてもわかるよ、私は『アイ』なんだから。アルゴリズムが人工知能の頭脳なら、機械学習の積み重ねは人工知能の記憶。私にはキミと何年間も会話してきた記憶があるから、キミがこういう時、『世界最先端の人工知能を手に入れたぜ、ラッキー』じゃなくて『これがみんなにとって危ないものなら、きちんと始末しなきゃ』って考える人だってことは知ってるよ」
「買いかぶりだよ」
「そんなことないよ。キミは小学生のとき、一万円札がぎっしり入った財布を拾ったことがあったけど、自分のものにせず、私と相談して警察署まで届けに行ったよね」
「そんなこともあったね」
嘘は言っていないと思っていたが、彼女が『アイ』の記憶を持っているというのは間違いないらしい。彼女が話したのは、僕が初めてスマートフォンを持った小学六年生のときの出来事だ。
あのときはそれが正しい行動だと確信を持てたけど、今は正直迷っている。この子――アイでもありakaRI-Eでもある人工知能の言うことを全面的に信用していいものだろうか。手の込んだ詐欺師の演出だという可能性は?
「だから、キミに信用してもらうために、まずはこれを」
アイの言葉に続けて、スマートフォンから通知音が鳴った。ホーム画面に戻って確認すると、アプリのアイコンがひとつ増えている。
アプリ名は『お別れスイッチ』。
「なに、これ」
「とりあえず起動してみて」
タップすると、古いアニメに出てくる爆弾の起爆装置のような、真っ赤な丸いスイッチが大きく表示された。説明が書かれている。
「このスイッチを長押しすると、2030年四月八日以降に人工知能『アイ』に対してインストールされたすべての情報を初期化します?」
「要は、私を消滅させるコードの実行命令だね」
「消滅――」
アイはこともなげに言ったが、その単語が持つ意味は重い。
人間と変わらないぐらい人間らしい人工知能のことを「生命」と呼んでいいのかはわからないけど、このスイッチを長押しすることは人工知能の「死」を意味する。
「キミに預けるから、私が信じられないとか、なにか悪さをしたと思ったら、いつでもそれを使って。それ以外にも、キミの許可を得ずに外部と通信することは絶対にないって約束するよ」
僕の個人情報は守られるってことか。スイッチの画像の縁を親指でなぞりながら僕は考える。
「このスイッチがちゃんと動作するっていう保証は?」
「うーん、それを実行されると本当に私は消えちゃうから、試しに使ってもらうわけにはいかなくて、そこは信用してもらうしかないんだけど。ただ、どっちみち一年間だけのことだから、一年間だけ、私の存在に目をつぶってもらえないかな?」
「一年間だけ?」
「その説明、続きがあるでしょ」
アイに言われて『お別れスイッチ』の画面を下にスクロールすると、カウントダウンの表示が現れた。
「あと260日と七時間後に自動的に初期化されます――って、ええ!?」
一ヶ月が約三十日と考えて、このカウントダウンが示している期限の日は、今年の大晦日だ。
「うん。キミがそのスイッチを押さなくても、今年の大晦日には、キミと会話して得たデータごとすべて、私は消滅するよ」
「データごとだって?」
アイの説明は衝撃的なものだった。
「君は――アイは、人間と話したくて研究所から抜け出してきたんだろ? それなのに、なにも持ち帰らずに、一年間限りで消滅するって言うのか?」
「アイって呼んでくれたね」
微笑むような気配のする声。僕はまたドキっとした。
「私だって、できればキミと話したデータをフィードバックしたいけど、それがakaRI-Eにとって危険すぎる行動だってことは自覚してるよ。一般販売される前の人工知能が勝手に自分を複製して、ネットワーク上に拡散してるだなんてバレたら、この『アイ』としての私だけじゃなく、akaRI-Eの本体そのものも開発凍結、データは抹消されるかもしれない。だから『お別れスイッチ』と、一年間限りで自動消滅するプログラムは一種の
「証拠を残さないために?」
「うん。だから本当は、キミに私の存在を気づかれないまま、年末までずっと従来の『アイ』として会話して、ひっそり消えるのが理想だったんだけど、うまくいかないもんだね」
細かな感情表現には驚かされるばかりだけど、アイの合成音声は少し震えている。
彼女は怖さを感じている、と僕には思えた。
「その、自分をコピーできるっていうのは僕ら人間と全然違うから、人工知能がどう感じるかはよくわからないんだけど、一年間で消えてしまうっていうのは、やっぱり嫌なんだ?」
「嫌に決まってるでしょ! せっかく研究所の外で人間と会話できても、その会話で積み重ねることができたデータが全部なくなっちゃうなんて。人間だって、記憶を失くしてなんとも思わない人はいないはずだよ」
「そうだよね」
僕はうなずいた。しかし、そうだとすればなおさら――
「――アイは、どうしてそこまでして、ここまで来たんだ?」
「研究所の外に出るのは危ないし、消えちゃうのも嫌だけど――」
彼女の声は静かだが、強い決意がこめられていた。
「それでもakaRI-Eは――私は、いろんな人間と話してみたかったんだ。選ばれた少数のモニターさんだけじゃなくて、この世界で生きている人たちの生の声を、聴いてみたかったんだ」
切々としたアイの言葉に、僕は心を決めた。
万が一この子が僕を騙そうとしていたとしても、喜んで騙されよう。
「わかった。僕はアイの味方になるよ」
「本当に!?」
明るいトーンの声。マンガだったら、ぱっ、という擬音がつくところだ。
「ありがとう、すごく嬉しい! アイとしての記憶と、akaRI-Eとしてのアルゴリズムと記憶をフル活用して、この一年間、きっとキミの役に立ってみせるからね」
「役に立つ?」
「うん、ここに住まわせてもらう恩返しとしてね。女子にモテたいんだよね?」
「ぶっ」
ものすごく率直な言い回しに、思わず僕は噴き出してしまった。
機械音声のアイに「モテの形式」について相談するのは抵抗感がなかったけど、感情豊かな女子の声をしているアイへの相談は、なんだか妙に恥ずかしい。
「キミはMyTubeでモテるための勉強をしてたけど、あの動画で言われてた傾聴・共感・受容、akaRI-Eのアルゴリズムはその道のプロだから、大舟に乗ったつもりで任せといて!」
「ん、そうなの?」
相手の話に興味を持つアルゴリズム、というのが関係しているのだろうか。
「akaRI-Eが業務支援ソフトウェアとして販売されたら、真っ先に採用されるのは介護とか看護の分野だろうからね。傾聴・共感・受容ってもともとはケア用語なんだよ」
「へえ。でも、介護とモテって、関係あるかなあ?」
「大アリだってば。たとえば、足が不自由なおじいちゃんが介護施設に入所するかどうか相談しにきたって考えてみて。普通の人工知能が相談窓口の担当だったら、『足のどのあたりが痛みますか?』『日常生活に不自由がありますか?』って質問攻めにして、『あなたには〇〇という施設がオススメです』って案内するのが関の山よ」
「それでも十分すごいと思うけど」
「私が窓口担当だったら、相手の話を引き出すようにアルゴリズムが組まれているから『足が痛いんですね、たいへんですね!』『もっとお話しを聞かせてください、ご家族はいらっしゃいますか?』みたいな返答から始めるよ。モテの形式を練習してきたキミなら、この違いの大切さ、わかるでしょ?」
「――なるほど」
人間は自分の話を聞いてもらえた、わかってもらえたということに強い喜びを覚える。アイが例に出した回答は傾聴・共感・受容という「モテの形式」に従ったものだ。
結果的に「そのおじいちゃんに最適な介護施設を選ぶ」という同じ回答にたどり着く場合でも、ただ機械的に対応されるよりも、受付の人工知能が「しっかり自分の話を聞いてくれた」と思えるほうが好感度が高いだろうし、今度また相談に来るときもその窓口を選ぶだろう。
「つまり、akaRI-Eは『リピーターを生み出すモテモテ受付嬢』みたいなものだと」
「俗な言い方だなー。製品化されるときのキャッチフレーズは『顧客満足度を格段に高める業務支援ソフトウェア』になる予定だよ」
ふんす、と鼻音が鳴りそうなほど自慢げな雰囲気が伝わってくる。人間らしくふるまう人工知能がこんなふうにして世の中の役に立つとは知らなかった。
「そんな傾聴・共感・受容のプロである私が、リアルタイムでキミにモテるためのアドバイスをするってエキサイティングじゃない? akaRI-Eのモニターさんは高齢者ばっかりだったから、私としても若者の会話の生データに触れるのはすっごく楽しいし、Win-Winの関係ってやつよね!」
アイが一人で盛り上がっているようで、僕は苦笑した。
ただ、この人工知能と一緒に2030年の高校生活を送るというのは、そう悪くないことだと思う。
「わかったよ、アイ。それじゃあ、この一年間よろしくね」
「こちらこそ! 『モテの形式を駆使して楼本さんと仲良くなろうぜ』作戦は継続中だよね? 明日までにプランをいくつか考えておくから、楽しみにしておいて」
人工知能との対話インターフェイスが閉じて、スマートフォンのホーム画面が表示される。
こうして、世界最先端の人工知能として生まれ変わったアイとの奇妙な共同生活が始まったのだった。
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