第十一話 真実



 俺は昼食をゆっくり食べている時間も惜しかったので、そのまま出掛けた。昼間に本人は居ないかもしれないが、執事の書き留めてくれたダフネの住所へとりあえず向かった。


 そこは王都中心部のバ・ラシーヌと呼ばれる庶民が住む地区にある小さくて古い長屋だった。中からは小さい子供の声がしていた。緊張しながら扉を叩くとすぐにそれは開けられ、三十前後の女が出てきた。腕には赤ん坊を抱いている。その後ろからは幼児が一人顔を覗かせていた。


「ダフネ・ジルベールさんがこちらにお住まいと聞いて訪ねてきたのですが」


「そんな人は居ませんよ」


 生活に疲れ切ったような顔をした女は早く帰ってくれと言わんばかりに扉を閉めかけた。


「いえ、でもそんな筈は……」


「だったら引っ越してしまったのね。うちは家族でここに年明けから住んでいるから、以前の住人じゃないの?」


「でしたらどちらに引っ越されたかご存知ありませんか?」


 無駄だと分かっていたが、粘ってみた。


「知るわけないじゃないの」


 そして扉は閉められてしまった。再びマドレーヌ探し、いやダフネ探しに行き詰ってしまう。彼女は昨年秋からうちに勤め始めて、辞めたのは年が明けて俺がペンクールに赴任した後だった。うちの執事もダフネから住所変更を受けていなかったのだろう。


 再び王宮の人事院に行って今度はダフネ・ジルベールを検索してもらうという手も考えた。それが一番手っ取り早い気がした。しかし、一日に何度も仕事中に邪魔するのも気が引けたので明日出直すことにした。


 帰宅途中に再び考えにふけっていた俺は、まだ何か忘れている手掛かりがありそうで、それが気になってしょうがなかった。


「ダフネ・ジルベール……お前は一体何処に……」


 帰宅した俺は厨房に駆け込んだ。ポールの奴には言いたいことが山ほどあったのだ。


「坊ちゃん、遅めの昼食なら食堂にお持ちしますから、もう少々お待ち下さいよ」


「いや、腹は減っているが減ってない。それよりな、お前さぁ……」


「何と、坊ちゃんが空腹を感じられないとは一大事ですよ。どうなさいました? 大病を患っているに違いありません! 執事に頼んで医者を呼んでもらいましょう」


「医者は要らねえよ! ポール、あのな……」


「という事は、もしかして……」


「ポール、主家の人間の言葉を遮るんじゃねぇよ! マドレーヌ・ミュニエールだなんてどっから来たんだよ、その出鱈目な名前は! お前のせいでとんだ無駄足踏んだじゃねぇか。よくも騙してくれたな!」


「またマドレーヌですか? 大体坊ちゃん、辞めた一介の料理人のことをどうしてそんなに気にされるんっすか?」


 ここにも俺に厳しい視線を向けてくる人間が一人居た。


「……いや、だから、それは……」


「昨日から私も不思議に思っていたのですよねぇ。それに食欲がないのに医者に診せても無駄と言うことは……草津の湯でも治せないあの重病!? いや、でもこの坊ちゃんのキャラならあり得ないか……」


「何だかひどい言われようじゃねぇか!」


 ポールの大真面目な顔に苛立ってきた。使用人になんでここまで言われないといけないのだ。


「だから、坊ちゃんがマドレーヌに片想いなんてまず考えられませんよね。私が思うに、軽い気持ちでマドレーヌ食っちゃって大火傷ってとこですか?」


「はぁ? 俺がまるで野獣のような下品な言い方すんじゃねぇよ!」


 余りにも直球なポールの質問にムキになってしまう俺だった。彼の言う通り、気軽に食ってみようと誘ったのは俺だが、最初はマドレーヌに俺が食べられたというのが正しい……まあ、この場で詳細まで掘り返す必要はない……のだ。


「品がないのは元々で悪うござんした。では、マドレーヌはお召し上がりにならなかったのですか?」


「いや、それは……その、結局は大変美味しく頂きました……」


「品のあるなしじゃなくって、坊ちゃん! よくも私の厨房に忍び込んでは食料だけでなく料理人まで食い荒らして下さって! 食っただけならまだしも、食い逃げの上に遥か西端の街までとんずらだなんて、下品を通り越してゲスですよ。私が優秀な助手を失ったのは坊ちゃんのせいだったのですか!」


 彼のジト目の視線が非常に痛い。


「人聞きの悪いこと言うな! だからさ、その、俺に非があったのを正直に認めているからこそ、彼女を探しているんじゃねぇか! チクショー、明日また王宮に出直すしかねぇのかよ……」


 俺は黄昏たそがれた背中をポールに向けて厨房を去った。本当に食欲もなくなっていた。




 その日の夕食は久しぶりに家族四人が揃った。今回の帰省は三泊四日だけで、俺は王都に着くなり、ろくに家にも寄り付かずダフネ探しに奔走していた。特に父親の顔を見るのは前回の帰省以来、一か月ぶりだった。


「ジュリエンももっと頻繁に王都に帰って来られればいいのに、ペンクールは遠すぎますわ」


「今回だってもう少し長い休みが取れてゆっくりできたら良かったのにな」


「前回の帰省はフランソワの結婚式のためで、遠征の話を受ける前から決まっていましたからね」


「フランソワと言えば、結婚前から分かっていたことだけど、完全にあそこはかかあ天下だよね」


「そうですね、兄上。予想通り、奴はクロエさんの尻に敷かれまくっています」


「クロエさんのお母さま、キャロリン・ジルベール元男爵夫人のご実家とは私も懇意にしていたのですよ。彼女もしっかり者ですからね、分かりますわ」


 母のその言葉に俺はハッとして目をき、思わず立ち上がっていた。


「母上っ! 今なんとおっしゃいました?」


「何ですか、ジュリエン。クロエさんのお母さまはしっかり者ですから、と……」


「そのお母さまの名前ぇっ!」


「ジュリエン、母上に向かって何という口の利き方だ?」


 家族はいきなり立ち上がった俺に奇妙な目を向けた。


「キャロリン・ジルベールさまですわ」


 ジルベール姓は最近どこかで聞いたと思っていたが、クロエさんの旧姓だったのだ。


「ジルベール! で、そのジルベール家の家族構成は?」


 俺は立ったまま食卓の向かい側の母に尋ねた。


「ジュリエンッ!」


 俺をとがめる父に、兄は驚いて無言だった。


「数年前にジルベール男爵を亡くされたキャロリンさんにはクロエさんの下にもう一人お嬢さんがいらっしゃるわ。それからね、彼女は先日再婚されて……」


 そこで俺は全ての謎が解けた気がした。


「急用ができましたっ! 失礼します!」


 クロエさんには妹が居るという情報に、俺は家族に頭を下げてすぐさま食堂を駆け出していた。クイヤール家の食卓には、呆気に取られている母と兄に、怒りを隠せない父が残されていた。


「何なんだ、あいつは先程から!」


「キャロリンさんの旦那さまのお名前は確か……ゴティエさんだったかしらね。苦労されたから幸せを掴まれたようでなによりですわ。私もテネーブル家の結婚式で皆さまにお会いしました」


 俺は母の言葉を最後まできちんと聞いておくべきだったのだ。




 うまやに駆け込んだ俺は馬にまたがり、テネーブル公爵家へと急いだ。


「ジュリエン・クイヤールと申します。クロエ・テネーブル公爵夫人に火急の用件があって参りました。こんな時間に申し訳ありません」


 約束もしていないのに二日連続で訪れた俺を温かく迎え入れてくれたテネーブル家の執事だった。フランソワでなく夫人の方に用事があるという俺に、少々驚いた顔を見せたが、何も言わずに客間に通してくれた。しばらくしてフランソワとクロエさんが入ってきた。


「遅くに申し訳ありません、公爵夫妻」


「ジュリエン、またお前か。どの面下げて来てんだよ」


 フランソワまで出てくるのは避けられないと分かっていたが、出来ればクロエさんと二人だけで話をしたかった。俺の気持ちは顔と態度に現れていたのだろう。


「大事な妻を自宅とは言え、男と二人きりにするわけないだろ。しかもこんな不誠意大将軍とさ」


「フランソワ、クイヤールさまは私の方にお話があるそうですから」


「でも僕もここに居ていいでしょ、クロエェ?」


 俺は早く本題に入りたかったが、ここは我慢だ。


「ええ。扉の前に張り付かれて盗み聞きされるよりは、ここに座っていらした方がよろしいわ」


「うん、コイツが紳士的な態度を崩さない限り、いい子にしているからぁ」


 勘弁して欲しい。イライラを顔に出さずに辛抱した。


「クイヤールさま、私にどういったご用件でしょうか?」


「貴方達の結婚式にダフネ・ジルベールとおっしゃる若い女性が招待されていませんでしたか?」


「いいえ」


 即否定したクロエさんは昨日と変わらない鋭い視線を俺に投げかけていた。




***ひとこと***

ダフネと家族はあの一軒家に引っ越した後でした! それからジュリエン君、人の話は最後まで聞きましょう。実はお母さまの言葉には重要情報がてんこ盛りです。


真実 アネモネ(白) / キク(白)

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