第十話 苦痛
「おい、ジュリエン、お前クロエの前で何てこと言い出すんだよ!」
俺はマドレーヌ・ミュニエールについて聞きたいだけだというのに、フランソワは何故か俺に掴みかからんばかりの勢いだった。益々混乱してしまう。
「いや、でも、クロエさんには直接関係ないことで……」
「私は失礼した方が宜しいのでしょうか。男性お二人でどうぞごゆっくり」
そこでクロエさんは俺に頭を下げてさっさと奥へ行ってしまった。
「ああ、クロエ……」
その後、機嫌のよろしくないフランソワによって俺は客間に連れて行かれた。
「だからさ、かくかくしかじかで事件は解決して、俺はクロエにやっとプロポーズを受け入れてもらえたわけだ……って結婚前に説明したじゃねぇか! なんで今更お前がそんなことを蒸し返すんだよ!」
そう言えばコイツはクロエさんに求婚して返事を保留されている時、厄介事に巻き込まれていた。テネーブル公爵家と血縁関係を築きたい某貴族が娘とフランソワの醜聞という出鱈目の記事を書かせようとしていたのだ。その娘のイニシャルがM・Mだった。ただの偶然であって俺のマドレーヌとは関係ない。
「ああ、あのM&F事件のことか……」
「えむあんどえふぅ? 勝手にそんな下世話な名前付けんじゃねぇ!」
「とにかくだな、俺が探しているマドレーヌはお前のMちゃんとは全く関係なくて……」
「俺のMなんてどの口がぬかしてんだ、おら!」
フランソワが本気で怒っている。しばらく冷却期間を置かないとマドレーヌの連絡先なんて教えてくれそうにないということだ。俺はがっくりと肩を落とした。そこで扉を叩く音がした。
「お二人でお話し中でしょうけれども、やはりお邪魔してもよろしいでしょうか?」
クロエさんが戻ってきた。彼女もマドレーヌと良く似た落ち着いた低い声の持ち主だとふと思った。
「ああクロエ、お入り」
フランソワは俺と話す時とうって変わって声のトーンが上がっている。
「クイヤールさま、たった今招待客全員の名前に目を通しました。貴方さまがお探しの方は招待客の中にはいらっしゃいませんわ。マドレーヌという名前も、ミュニエール姓の方も。我が家の使用人にもその名の者はおりません。それに、私たち二人のどちらも心当たりのない人物を式に招くとは思えないのです。フランソワ、貴方のご両親のお知り合いだとしてもお名前くらいは分かるでしょう?」
「クロエの言う通りだよ」
「けど、確かに結婚式でちらりと見かけたんだ、マドレーヌを! 食事の後、小広間で、ドレスは桃色だった、濃いめの金髪でぱっちりとした瞳は碧色の、二十歳前後の女性なんだよ! 見間違うはずはないんだ、だって彼女は……あの印象的な瞳を……」
「そんなに必死になってお探しになるくらいの大切な女性なのに、名前しかご存知ないのですか?」
何だか先程からクロエさんの俺に対する視線も口調もやたらと鋭く、
「お前のM・Mちゃん探しの助けになれなくて悪いな。
フランソワはそこで愛妻の手を引いて、俺を客間に置いて出て行ってしまった。
「マドレーヌと言うのは彼女の本名ではないのでは?」
去り際にクロエさんは俺に振り向き、そう言い残した。後々考えれば、先程からの彼女の態度を不審に思ってもう少し粘ってみるべきだったのだが、愚かな俺はそこまで気が回らなかった。
使用人に手を出し、その消えた彼女をみっともなく追いかけているのだ。悪友とその奥さんにはプライドが邪魔して言えるはずがなかった。
自宅に帰りながら、俺はまだ楽天的な考えだった。マドレーヌは王宮本宮で料理人をしているという手掛かりがまだあるのだ。
翌朝、俺は王宮の人事院に勤めている友人を訪ねた。
「ジュリエン、君の頼みとは言え職員名簿を見せるわけにはいかないしね、本宮の料理人って言ったって本宮には大厨房に高位貴族用特別食堂、医療塔の食堂、王族専用の料理人、何人の職員が働いていると思うの?」
「そこを何とか……」
土下座も
「残念ながらそんな名前の女性料理人は働いていないよ。西宮と東宮の厨房職員や一般職員用宿舎の厨房も念のために見てみた。何処にもマドレーヌ・ミュニエールさんは居なかった。後はそうだね、王都郊外の牢獄も所属は一応王宮ということになるけれど、求人雇用はうちの担当ではないからなぁ」
マドレーヌ探しは暗礁に乗り上げてしまい、俺は帰宅する辻馬車の中で考えを巡らせていた。
まず俺はペンクール遠征という取り返しのつかない大きな間違いを犯したことにやっと気付いた。王都から遠く離れた地に行くことを選んだのは自分自身だったが、その時の自分に蹴りを入れてやりたかった。大きく深呼吸をした。フランソワの結婚式で見た女は幻かただの人違いだったのだろうか……。
「いや、人違いなはずはない……あれは確かにマドレーヌだった……」
俺は何か大きな手掛かりを見落としているような気がした。
『私が一々人の名前を覚えるような人間に見えますか?』
『マドレーヌと言うのは彼女の本名ではないのでは?』
ポールとクロエさんの言葉を思い出し、ハッとした。
辻馬車が自宅に着くと俺はすぐに執事のところへ向かった。こいつにだけは頼りたくなかったのだが、もう自分のプライドがどうとか言っている場合ではなかった。明後日の午後にはまたペンクールへ戻らないといけないのだ。
「ジュリエン坊ちゃまですか、お着替えもなさらず、どうなさいました?」
「なあ、少し前まで厨房で働いていた若い女性の料理人が居ただろ? 彼女の名前と連絡先を教えてくれないか」
数秒間の沈黙が永遠の時のように感じられた。
「使用人の個人情報はいくらお坊ちゃまとは言え、容易にお教えするわけには参りませんね。それに彼女はもう退職されたのですから、ご本人の許可もすぐには得られません」
俺は一語一句聞き逃さなかった。この規律に厳しい、ガチガチ頭の執事が我が家の一使用人だった人間のことを『退職されたご本人』と言った。彼が敬語の使い方を間違えるはずはない。何かを知っているに違いないと確信した。
「そこを何とか頼む。俺は彼女に散々無礼を働いた上、些細なことで腹を立てて喧嘩別れのような感じでそのままペンクール遠征に旅立ってしまったんだ。前回一時帰省中、テネーブル公爵家の結婚式で彼女を一瞬だけ見かけたのに話も出来なかった」
「お坊ちゃまの方が彼女に無礼を働いて、喧嘩別れでございますか?」
俺に責めるような目を向けているに違いない彼の顔がまともに見られなかった。
「人間違いかとも思ったけれど、良く分からない。うちをもう辞めたと聞いて、居ても立ってもいられなくて……一度だけでもいいから彼女に会って謝りたい。なあ、お願いだ、この通りだ」
俺は執事に深く頭を下げた。
「テネーブル家の結婚式でお坊ちゃまが見かけられた方はダフネ・ジルベール嬢ご自身でしょうね」
「彼女、ダフネ・ジルベールって言うのか、ありがとう!」
俺は立ち上がり、執事の両手をガッシリと握って礼を言った。
「長い間勤めているとお坊ちゃまにこうして頭を下げられることもあるのですね。私も年でしょうか、少し人間が丸くなったと自分でも思います。しょうがありません、彼女の連絡先もお教えしましょう」
そして驚いたことに彼は何とマドレーヌ、いやダフネの住所まで書き留めてくれたのだった。
「恩に着るよ、助かった」
「ジュリエン坊ちゃま、ここまでして差し上げたのですから、私は良い知らせを期待してよろしいのでしょうね?」
こいつは俺が彼女とこそこそ逢瀬を重ねていたことも含めて全て知っているのではないか、と思った瞬間だった。
「そ、それは……誠意を持って全力で頑張ってみるしかない……」
マドレーヌ・ミュニエールの本名がやっと分かった。俺は最初から存在しない女をやみくもに探していたのだ。正に畑に
***ひとこと***
クイヤール家の執事も一筋縄ではいきませんでしたが、とりあえずジュリエン君はダフネの名前と連絡先をゲットしました。クロエは彼が探しているマドレーヌはダフネのことだと絶対分かっていますよね。
苦痛 アロエ
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