第九話 疑惑

― 王国歴1119年 初春


― サンレオナール王都、西端の街ペンクール




「ギャッ! ぼ、坊ちゃん? ここで何をなさっているのです?」


「何って、いつものように食いもんあさりに来たに決まってっだろ……」


「それにしては調理台の上に置いていたパンも果物も全然減っておりませんが」


 フランソワの結婚式から夜遅く帰宅した俺は厨房に直行したが、灯りは消えていて誰も居なかった。その夜は全然眠れず、こうして翌朝早くから厨房に陣取っているわけだった。案の定ポールに驚かれた。


「いや、実はさ……あの、アイツ、マドレーヌは今日何時からだ?」


「マドレーヌだったらちょっと前に辞めちまいましたけど」


「や、辞めたってどういうことだよ!」


「何でも王宮での仕事に就けたからとか。うちの女房も戻って来てあの子の勤務時間も減らされることになるから、丁度良かったなと言って送り出したわけですよ」


 道理で俺が帰省してから全然屋敷では見掛けなかった筈だ。


「王宮ってどこで何をしてるんだ?」


 そこでポールはいぶかしげな目つきになった。それもしょうがない。


「料理人に決まってますよ。本宮だったでしょうか? ところで坊ちゃん、どうしてそんなこと私に聞くんすか?」


 その質問には答えず、ポールに確認しておきたいことを訪ねた。


「アイツの苗字は何だ?」


「苗字って、そりゃポルミエっしょ」


「そうか、マドレーヌ・ポルミエって言うのか……」


「ん? なんか違うな、ああ、それはマドレーヌを最初に作った人物の名前でした。私も実は料理トリヴィアには詳しいんっすよ」


「はぁ? そんなことどーでもいーだろ! 真面目に答えろよ!」


「ってか、私が一々人の名前を覚えるような人間に見えますか? 確かあの鬼執事はマドレーヌのことを苗字で呼んでいたような……何とかエールさん、そうだ、ミュニエールっす!」


「分かった、ありがとよ、ポール」


 彼の肩をバンバンと叩き、俺は厨房を後にした。


「執事に聞けば名前なんてすぐ分かるってのに、ありゃあ坊ちゃん絶対やましいことがあるに決まってんな……」


 俺の背中に向かってボソッと呟いているポールの声は俺には届いていなかった。




 俺はその日にもう西部の街ペンクールへ戻らないといけなかった。彼の地へ舞い戻る前に部屋で荷物をまとめていたら、ふと机の上にあった何通かの文が目に留まった。うちの執事が留守中に届いた文を置いていてくれたのだ。給与明細などで大した文はなさそうだったから放置していたが、一応目を通しておくことにした。


 俺が最後に手に取った文には差出人名にマドレーヌとだけ書かれていた。


「これは……」


 俺は震える手で封を開けた。


『クイヤール家の厨房に在職中、若旦那さまには大変お世話になりました。就職したばかりの私が作ったものに目を留めて下さって、時々お声掛け下さって意見をして下さったことは、新米調理人の私にとってとても大きな励みになりました。私はこれからも料理人として一層の精進をしていくつもりでございます。一言お礼だけでも申し上げたかったのでこうして筆を執った次第です。遠方の地でのご勤務は慣れないことも多いとお察します。どうかお体ご自愛下さいませ』


 少し丸みを帯びた綺麗な字が目に入ってきた。文の日付から、俺がペンクールへ遠征してしばらく経った頃に書いたようだ。


 大人気ない俺に対しての恨みつらみが書かれているとばかり思っていた。俺は彼女をもてあそんだだけではなかったが、そう思われてもしょうがない態度だった。しかし、その文には俺に対する礼しか書かれていない。


 もしかして復縁を願う言葉なんて、と一縷いちるの望みを抱いて最後まで読んで俺は気落ちしていた。彼女の連絡先も何も分からない。うちの屋敷で料理人として働いていたとは言え、彼女は言葉遣いも美しく、読み書きも不自由しないようだ。テネーブル家の式に招待されていたという事はある程度の身分があるに違いない。


 そう言えば今までは食事の度にマドレーヌが作ったものを食べるのが楽しみだった。そして逢いに行く度に味付けや盛り付けについて意見を言うと、彼女が驚いて嬉しそうな顔を見せるのが密かな喜びだった。


「マドレーヌ……」


 俺はまだ彼女に愛想を尽かされていないと思いたかった。なるべく早く次の休みを取って王都に帰って来ようと誓い、再び西端の地へ赴いた。既にペンクール遠征を承諾したことを後悔していたが、今更辞退することもできなかった。


 当初はマドレーヌと別れてむしゃくしゃしていたからペンクールで思いっきり羽を伸ばすつもりだったのだ。最初は確かに新しい地で気分転換が出来て楽しかった。そして飲み屋などで誘われるままに女と遊んでみたが、何かが物足りなかった。


 ある女にはわざわざエプロンを付けさせたこともあったが、どうも違った。彼女はその気にならない俺に怒り、脱いだエプロンを投げつけて去って行った。


「このイ〇ポ野郎! 自分で裸エプロンしてオナってればいいじゃないの!」


「ああ、そうか……早速シてみるよ、アンタとヤるより気持ち良くイケるかも」


「うわっ、変態、最低っ!」


 国境警備隊の仕事自体は楽しかったが、俺はもう飲みに行くことはあっても騎士の仲間同士だけで、虚しく独りで過ごすことが多くなっていた。早く王都に帰りたいという思いが日に日に大きくなっていくだけだった。




 そして俺はたった四日間だけだが連休を取れたので喜び勇んで王都に戻った。前回の帰省から一か月以上経っていた。朝一番の乗合馬車がようやく王都の降り場に着いたのは昼過ぎだった。


 辻馬車に乗り替えた後は実家にも寄らず、旅装のまま直接テネーブル公爵家に向かった。王宮の役所は休みの日だったから、文官であるフランソワも自宅に居ると思ってのことだった。


 テネーブル家の執事によると、彼は新妻と二人で遠乗りに出掛けたらしい。朝から昼食を持って外出したからそろそろ帰ってくるだろうとのことだった。


「約束もなく突然訪ねた俺が悪い。待たせてもらってもいいか?」


 出直すのも面倒だった俺はそのままテネーブル家の客間に大きな旅行鞄を持ち込んで居座った。イライラしながら待つこと半時ほどだったろうか、新婚夫婦は馬に二人乗りで帰ってきた。


 客間の窓からフランソワの帰りを今か今かと見張っていた俺は待ちきれずに玄関まで出て行った。執事が丁度二人を迎え入れていたところだった。自宅に入るのに手を繋ぐ必要がどこにあるんだ、と言いたいがまあ新婚カップルだ。


「おーやおや、国境警備隊のジュリエン君が旅の装いのまま僕に会いに来てくれたって本当だっだよ」


 フランソワは俺の姿を見るとクロエさんの腰を抱き寄せている。ラブラブぶりを見せつけたいのだろう、大目に見てやる。


「フランソワ、お前の結婚式の招待客一覧見せてくれ!」


「挨拶もなしにいきなり何だよそれ? クロエ、コイツのこと覚えている? ジュリエン・クイヤール、近衛騎士団所属でただ今は西部国境警備隊に遠征中」


 俺はクロエさんに会釈をした。


「よく覚えておりますわ。私は席を外した方が宜しいでしょうか。それでも私たちの招待客一覧は……」


「見せると個人情報の漏えいになりかねないって言いたいのでしょ、クロエ。僕だってそのくらいは分かっているもん」


 これが本当にフランソワか、何だかこの話し方と甘えた声にいらついてきた。


「その通りですわ。では私は失礼致します……」


 俺達はテネーブル家の玄関ホールに立ったままだったが、焦っている俺は構わず本題を切り出した。


「お前たちの結婚式にマドレーヌ・ミュニエールという若い女性が招待されていなかったか? どこの誰だか知りたいんだ」


「そんな一人一人の名前なんて覚えていないって」


「今マドレーヌ・ミュニエールとおっしゃいました? 頭文字はM・Mですわね」


 そこでクロエさんが何故か俺達の方に振り向いて微妙な反応を見せた。彼女が俺に向ける視線が何だかキツいような気がしないでもない。


「ゲッ!」


 フランソワまで何故かギョッとしている。


「もしかしてクイヤールさまもそのM・Mさんと逢い引きの現場を押さえられたのですか?」


 訳の分からない変な展開になってきている。俺は新婚夫婦の前で地雷を踏んづけたことにまだ気付いていなかった。




***ひとこと***

ジュリエン君って一人裸エプロンプレイにハマってしまったのね……ということはさておき……


晩餐会からもクイヤール家からも忽然と消えたマドレーヌを探すジュリエン君、苦心しそうです。そして前作をお読みの方はお覚えかもしれませんが、新婚夫婦の前で言ってはいけないことを……


疑惑 アンズ 

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