第十二話 抵抗


 クロエ・テネーブル公爵夫人は司法院に勤める高級文官だけあって、かなり手強かった。ダフネ・ジルベールは結婚式に招待されていなかったと彼女は即答したのだ。


「そ、そんな筈は……私は確かに彼女を見掛けましたし、貴女の妹さんが結婚式に呼ばれていないだなんて……」


 俺はたじたじしながらも、反論してみた。


「確かに私には妹が一人おりますわ。結婚式にはダフネ・ジルベールではなく、現在の名前であるダフネ・ゴティエとして出席しておりました」


 先程母の言葉を最後まで聞かずに家を飛び出した俺が悪いのだが、だったら先に言って欲しいものだ。どうしてダフネの苗字がゴティエなのか、クロエさんに聞くのももどかしく、気ばかりが焦っていた。


「テネーブル公爵夫人、私はどうしてもダフネさんにお会いしたいのです。彼女の連絡先を教えて下さい。お願いします」


 俺は深く頭を下げた。


「私たちの結婚式で妹を見掛けた時にはお話もなさらなかったのですか?」


「あの時にはうちの料理人の彼女がまさか公爵家の結婚式に出席しているとは思ってもいなかったものですから。それにちらりと見ただけで、その後彼女を探してもどこにも見つからなかったのです」


「お屋敷の下働きの女が公爵家に出入りできる身分とお知りになったから、そこまで彼女にこだわるのですか?」


「そ、それは……」


 クロエさんの厳しい追及に言葉を詰まらせていた俺だったが、腹をくくって経緯を説明することにした。フランソワは愛妻に責められている俺を得意げに眺めているに違いない。敢えて奴の顔は見ないようにした。


「その、ダフネさんがうちに勤めてしばらくした頃から……その、彼女とのお付き合いが始まりました。ある日、身勝手な私の要求をダフネさんは毅然と断ってきました。大人気なくも憤慨した私はそのまま関係を途切らせ、ペンクール遠征を持ちかけられたのを承諾してしまったのです。ダフネさんはそんな遠征中の私に文を送ってくれました。私には世話になったと、私の存在が初めての職場で彼女の支えになったと、至らない私を責めるわけでもなく、お礼しか書かれていませんでした」


 最後は唇が震えてきた。


「クイヤールさま、私は妹から貴方さまとの経緯いきさつは何も聞いておりませんのよ。ですからはっきりさせておきたいことが何点かございます。貴方はお屋敷の一使用人だったダフネと本当に『お付き合い』をなさっていたのですか?」


「は、はい……もちろんです……」


「主家の息子という立場を盾に取って、貴方の命に逆らえないダフネを性のけ口にしていただけではありませんか?」


「ハ、捌け口ィ?」


 フランソワがそこで悲鳴のような裏返った声を上げていた。


「雇い主による精神的身体的嫌がらせまたは性的嫌がらせを防止、罰する法律も現在は成立しているのですよ。例え平民が貴族に被害を受けた場合であってもです。一般的にはせくなんとかという言葉で……」


「セクハラ、パワハラって言うんだよ、クロエ」


「そう、それですわ」


「と、とんでもございません」


「それでは、妹と真面目なお付き合いをされていた筈の貴方なのに、些細なことで彼女といさかいになるとすぐに西端の街へ遠征に行ってしまわれました。確か私たちの結婚式前でしたわね。要するに『ヤリ逃げ』という下賤な言葉が当てはまりませんか?」


「ク、クロエ、それはちょっと言い過ぎじゃあ……」


 フランソワが見兼ねたのか、クロエさんをなだめにかかっていた。全くもって耳が痛い俺は頭を下げたままだった。


「フランソワ、クイヤールさまはこの私とお話しなさりたいから来られたのです」


「ハ、ハイッ、ごめんなさい」


 クロエ女史はピシャリと言ってのけ、天下のテネーブル公爵を黙らせていた。


 元々ヘタレの気があったフランソワは、超ツンツン奥さんを貰ってその傾向が益々悪化している。俺はそれを今日、改めて実感した。妻にしいたげられることに快感を覚える性癖の持ち主なのだろう。


 いやフランソワの嗜好など、そんなことは今はどうでもいい。


「一介の料理人だと思っていたダフネが元貴族令嬢だと分かった今になって、慌てて彼女を探し始めたのですか?」


 俺は全身から嫌な汗が吹き出しているような感覚だった。


「た、確かに、最初は興味本位でダフネさんに声を掛けました。しかし、私が立場を笠に着て関係を強いたわけでは決してありません。ですが、その頃の私は調子に乗っていたことも否めません。段々とダフネさんに惹かれていく自分に全く気付いていませんでした。ペンクールに遠征し、彼女がうちを去ったと聞いて初めて、彼女がいかに自分にとって大事な人なのか身に沁みて分かりました」


「クイヤールさまは今更妹に会って何をされたいのですか?」


「ダフネさんの気持ちも考えず、傷つけてしまって悔い改めていると、一言謝りたいのです。あまりにも虫が良すぎるとお思いでしょうけれども、もし彼女に許してもらえるなら正式に交際を申し込むつもりです」


「ティユール通り二十五番地です」


「はい?」


「妹の住所です。王都南部にある貴方のお屋敷からそう遠くはないでしょう?」


「あ、ありがとうございます!」


 俺は涙が出てきそうだった。


「成人した男女の恋愛ですから、これ以上姉の私がとやかく言うことはございませんわ。後は二人の問題ですわね。けれども、念のために申し上げておきますと、この私が容易に攻略できたからといって鬼の首を取った気になるのはまだまだ早すぎますわよ」


 何をもってこれが簡単だったと言うのか、こっちが教えて欲しい。フランソワはクスクスと笑い出している。他人事だと思って呑気なもんだ。


「そ、それはもう……」


 司法院の高級文官クロエ・テネーブル女史よりも強いボスキャラなんて俺は想像できなかった。


「あの、お言葉ですが、テネーブル夫人は私が血眼ちまなこになって探しているのがダフネさんだと最初からお分かりだったのですよね」


「クイヤール家に勤めていたダフネに新しい出会いがあったという事は存じておりました。その方との関係が上手くいかなかったことも、それとなく。それに、職場ではマドレーヌという名前が定着していることも聞いておりましたわ。何でも最初に料理長の前で作ったのがマドレーヌだったからそう呼ばれるようになったとか」


「ダフネさんはいつも料理長にマドレーヌと呼ばれていたのでそれが本名だとばかり……お二人は姉妹と言っても声以外はあまり似ておられないですし、全然私の中では繋がっていませんでした」


 ポールが人の名前をまず覚えようとしないのはまあ許せるが、間違った苗字を教えられた俺はそれを信じ切っていたのだ。ジルベールとミュニエール、語尾が似ているだけだ。


 そして俺はすっかりクロエさんの手のひらの上で踊らされていたわけだった。


「ダフネも人が悪いですわね、貴方に本名を名乗らなかったなんて。妹をこれからもどうぞよろしくと申し上げてよろしいのでしょうね、クイヤールさま?」


 おほほほほと悠然とした微笑みを浮かべているクロエさんを俺はまるで恐ろしいものを見るような目で眺めていた。フランソワに至っては俺に憐れむような視線を向けてくるのだった。




 さて、やっとダフネの住所を手に入れた俺ははやる気持ちを抑え、今日のところは真っ直ぐ帰宅することにした。もう遅いこんな時間に押し掛けるのも良くないだろう。


「クイヤールさまがダフネに辿り着くまでにはこの後、彼女を溺愛する継父という、この私よりも手強い難関が待ち受けていますわね」


「御義母さんがゴティエさんと結婚する前にもう僕達の婚約は成立していたから、僕はゴティエさんの前で『お嬢さんを下さい!』ってしなくて済んで良かったよ。そうでなくても僕達、結ばれる前に散々難関をくぐり抜けたもんね」


「まあ、フランソワったら……クリスチャンは貴方という素晴らしいお方と私の結婚を手放しで喜んでいたのですよ」


「クロエェ、愛してるぅ」


 俺が去った後に新婚カップルがそんな会話をしていたとは知る由もなかった。




***ひとこと***

最大の難関の一つであるクロエをようやく攻略したジュリエン君でした。が、更なる試練が待ち受けているようです。


抵抗 タンジー

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