第七話 信じる愛


― 王国歴1118年年初


― サンレオナール王都




 新年二日目の夜遅く、我が家の扉を叩く音がしました。女三人の世帯ですし、そんな時間帯に誰かが訪ねて来ることなどまずありません。ダフネがすぐに扉を開けようとするので、慌てて止めました。


「ダフネ、お待ちなさい。まず誰か確認しないと……」


 私は急いでほうきと包丁を手にしました。


「お母さま、物騒ですわよ」


 娘二人には呆れられています。彼女たちには笑われても、家族の安全が第一なのです。


「夜遅くに申し訳ありません。私です、クリスチャンです。先程やっと王都に着いたものですから。実は雪で乗合馬車が遅れてしまって……」


 それは帰省から戻ってきたクリスチャンでした。彼が何故私の住所を知っているのでしょうか。


「まあ、お寒いでしょう、お入りになって下さい。母は包丁と箒で武装しておりますけれどお気になさらず」


「あ、貴方だったのですか……」


「本当は今日の午後早くに帰ってきたかったのですが、今朝まで雪が止まなかったのでこんなに遅くなってしまって……それでも王都に着いたからには一番に貴女の顔を見たかったのです。お邪魔して申し訳ありません」


 私は脱力してしまいました。そして手にしていた包丁などはクロエに没収されてしまいました。


「無事に戻られたようで何よりですわ」


 娘たちの前ですから、私も貴方にお会いしたかったとは恥ずかしくて言えませんでした。それでもクリスチャンから軽い抱擁と頬への口付けを受けました。


「貴女が上のお嬢さんのクロエさんですね。いつもキャロリンさんからお話は伺っています」


 ダフネは手際良くお茶を淹れてくれ、初対面のクロエとクリスチャンはお互い自己紹介をしています。故郷からお菓子や冬野菜をたくさん持って帰った彼は私たちにもお裾分けしてくれ、それをダフネに渡していました。


「私は明日の朝早いので失礼致しますわ。ゴティエさんはどうぞごゆっくりなさって下さいませ」


「私もこの頂いたお土産をしまったら、もう寝ますから。お二人で盛り上がるのでしたら出来ればこの居間でどうぞ、二階の母の寝室はちょっと……何しろ私たちの部屋のすぐ隣ですからぁー」


「ダ、ダフネ!」


 クロエとダフネはあっという間に二階の自室に引き取ってしまい、私たちは二人っきりで居間に残されました。


「クリスチャン、こちら暖炉の前にお座りになって温まって下さい」


「暖炉の火より、貴女の笑顔を見ている方が私は温まります。ああ、キャロリン、早く貴女に会いたかった」


 そうして私はクリスチャンにきつく抱き締められました。


「あの、娘たちも居ますし……」


「申し訳ありません。それでもしばらく会えなくて寂しかったので、しっかり貴女を補給しないと私は普通に機能しそうにありません」


 そんなことを言うクリスチャンに私は歓びで震え、心臓をギュッと締め付けられるような感覚に陥ってしまいます。


「実は私も……貴方が帰省してしまわれてからは心にぽっかりと穴が開いてしまったような感じでしたわ」


「ああ、キャロリン」


 クリスチャンは暖炉の前の揺り椅子に座り、私は彼の膝の上に抱かれています。私たちはしばらく抱き合い、口付けを交わしていました。


 クリスチャンの目に情熱の炎が灯り、彼が男性としてその気になっているのが分かりました。いくらなんでも上の階で娘たちが寝ているのに、と私は体をそっと離しました。


「も、申し訳ありません」


「私の方こそ、あまりに嬉しくて少し調子に乗りすぎました。キャロリン、明日お仕事でなければあのティユール通りの家をご案内したいのですけれど、ご都合はいかがでしょうか?」


「大丈夫ですわ」


「では、こちらにお迎えに上がります。昼食後でよろしいですか?」


「はい」


 家を見ることよりも彼との一時が過ごせることが重要でした。私は完全に恋にのぼせ上って翻弄されているようです。


 こんな情熱は長いこと感じたことがなく、私の中にまだこんな激情が残っていたことに対しての驚きと戸惑いがありました。




 翌日はクリスチャンが迎えに来てくれるまで私はそわそわしていました。


「何だか最近の我が家は恋に恋する乙女オーラに満ちていて私は胸焼けがしますわ。あーあ、お母さまもお姉さまもいいなぁ! 私も早く恋人が欲しいです」


 そう言えばクロエは明後日の夜、テネーブル家のガブリエルさまのところに誘われていて外泊をすると言っていました。お姉さまではなくて、弟ぎみの方と過ごすことは分かり切っていましたが、目をつむって送り出すことにしました。


「まあ、ダフネったら。クロエはともかく、私の方はもういい歳の大人ですからそんな……」


「大いに浮かれて結構ではありませんか? 私たちももう成人して、借金も目途が立つのですから、お母さまだってラブラブの若い彼と幸せになる権利がおありです」


 最近はダフネが大袈裟なほどあまりにも押せ押せ気味で私は困惑していしまいます。


 その日の朝から私がぼんやりと心あらずで、ダフネにはすぐにばれてしまいました。


「お母さま、今日はゴティエさんとデートですか? でしたら夕食のことはご心配なく、お姉さまと二人で適当に済ませますから」


「ダフネ、私が出掛けるのは午後の早い時間ですから、夕食はうちで食べることになると思うのです」


「分かりました。でも本当に遅くなっても構いませんわよー」


 家を見に行くだけなのですから、そんなに時間がかかるとも思えません。




 そして私はクリスチャンに連れられ、改めて彼の売り家を訪れました。


 何とクリスチャンは私を迎えに来て連れて行く前に先に一度寄って、暖炉に火をおこしてから簡単な掃除をしていたのでした。私たちが家に入った時には家の中が暖まっていました。しかも居間には花まで飾られていて、暖炉の前には長椅子と絨毯が置かれています。


 前回よりも改装が少し進んで、居間の壁は塗り替えられていました。


「以前来た時はあまり見る時間はありませんでしたけれど、こうして改めて訪れてみると益々素敵な家だということが分かりますわ」


「居間の改装は終了しています。残るは厨房と二階の寝室ですね」


 二階の部屋と裏庭側にあるテラスもクリスチャンの案内で見せてもらえました。裏庭の先は森になっています。


「こうして毎朝森の木々を眺めながら、鳥がさえずる中で朝食が取れるなんて素晴らしいですわね」


「気候が良い時期はテラスにテーブルを出して食事もできますよ」


「今は雪景色が見事でため息がでます。クリスチャン、今日はどうもありがとうございました」


 煉瓦造りの古い建築物なので部分的に改装された箇所とその時期まで、クリスチャンは丁寧に家の隅々まで細かく説明をしてくれました。私は買うわけではないのに、知る必要のない情報まで全て彼は教えてくれるのです。




***ひとこと***

クリスチャンが初デートに選んだ場所は二人が出会ったあの煉瓦造りの家でした。キャロリンの一目惚れの度合いはクリスチャンかそれとも一軒家か、どちらに軍配が?


信じる愛 フクシア

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