第八話 情熱


「この家の持ち主は私も若い頃からお世話になっていた老夫婦でした。彼ら亡き後、遠方に住む遺族から委託されて管理と売却の全てをうちの店が担当しています」


「だからもう誰も住んでいないのですね」


 クリスチャンは家の中も庭も全て丁寧に案内してくれました。


「さて、私の本日の仕事は終わりました」


「ええ、ありがとうございました。お疲れさまでした」


 まだ暗くなっていないから私は徒歩で帰れますわ、と口を開きかけたところでした。


「まだお時間よろしいですよね、キャロリン」


「はい、もちろんですわ」


 クリスチャンに手を引かれて、彼の方を向かされたと思った途端に唇を奪われていました。


「キャロリン……この家で二人きりになってからすぐにでも貴女を抱きしめて口付けて必要以上に触れたくて、もうどうにかなってしまいそうでした……」


 彼が手で触れる私の体の部分はどこも燃えているように熱を帯びてきました。


「クリスチャン……」


「ああ、魅力的な貴女を目の前にして私はもう我慢の限界です」


「ご辛抱なさらないで、私でよろしければ……貴方に奪ってもらいたいわ」


「私は貴女でないと嫌なのです。こちらへ、キャロリン」


 私はクリスチャンに居間の暖炉の前に連れて行かれました。


「あの、どなたかいきなり訪ねて来たりはしません、よね?」


「ご心配なく。それに、ここへ来た時に鍵はしっかり掛けましたから」


 クリスチャンが悪戯っぽく片目をつむってそう言うと同時に私たち二人は長椅子の上に倒れ込みました。




 私の夢の家で愛しいクリスチャンと結ばれるなんて、正に本望でした。長い間枯れ果てていた私の体は久しぶりに水を与えられ、潤ったようです。こんなに人肌の温もりに飢えていたとは自分でも思いませんでした。


 情事の後、私たちは衣服も乱れたままで長椅子の上で抱き合っていました。


「クリスチャン、素敵な時間をありがとうございました」


「私は美しい貴女に益々溺れてしまいそうです」


 私は既にクリスチャンに溺れきっています。


「私もですわ……それにしても、私たちがこんな、その、よそのお宅でみだらな行為に及んでいるだなんて……家主の方に申し訳ないです」


 私は今更ながら真っ赤になってしまいました。そこでクリスチャンは私の唇に人差し指をあてました。


「二人だけの秘密ですよ。私だって会社の売り家を私用に使ってしまったのですから……流石に寝台を運び込むのは躊躇ためらわれて、長椅子にとどめましたが……それでも貴女と初めて愛を交わすのは、私の狭い家よりも出会った場所であるここが良かったのです」


 彼のそんなロマンティックな一面に女心をくすぐられます。


「少々後ろめたいですけれど、心憎い甘美な演出ですわ。それにしても、貴方は計画的に事を運ばれるのですね。暖炉に火を入れて、長椅子やそれに花まで全て準備されたのでしょう?」


「純粋に家だけが目当てで来られた貴女に拒まれて計画倒れになったら、とびくびくしていた自分が居ましたね。何と言っても貴女はこの家に一目惚れされたのですから」


「あら、私は貴方のことも初めてお会いした時から男性として意識していたのですよ」




 それからというもの、時々我が家にクリスチャンを招待して娘たちも一緒に食事をするようになりました。一人暮らし歴が長いクリスチャンですから、ダフネや私が作る家庭料理をとても喜んでくれるのです。


 逢い引きを重ねるのは主にクリスチャンの家でしたが、私は泊まることはなく、帰宅するのも夜遅くならないように気を付けていました。年頃の娘たちが居るので、親としてだらしない生活を送るわけにはいかないのです。




 年が明けてすぐ、クロエが朝帰りをした日に私は釘を差しておきました。


「貴女はもう成人しているから、自分のことは自分で責任取れるでしょう。もう親の私が口うるさく指図出来る歳でもないのですから」


「お母さまがいつもおっしゃることは私も身に沁みています」


「それでもテネーブルさまが貴女のお見舞いに来られた時は私も驚きました。彼はとてもお優しいのですね。今日も私たちのためにお土産まで持たせてくれたことですし。そんなことまでして貴女に取り入る必要なんてテネーブルさまには全くないというのに……」


 娘のことを信用していない訳ではありません。ただ、彼女が若さゆえに盲目的に恋に突っ走ってしまうのを止めるのは私の役目だと思っています。そんな理由があるので、私自身がクリスチャンとの恋にうつつを抜かすわけにもいかないのです。


「大丈夫です、お母さま。私は世間知らずですけれども、身の程知らずの恋に溺れるほどうぶではありませんもの」


 クロエのお相手、フランソワ・テネーブルさまは将来公爵位を継ぐ方なのです。爵位を返上してしまった元男爵家の娘が釣り合うお相手では決してありません。けれど人に恋をするということは理性で制御できないこともあります。




 そしてクロエはテネーブルさまと本格的に交際を始めたようで、夜遅く帰宅することが多くなり、時には朝帰りまでするようになりました。私は母親として心配でしょうがありませんでした。


「クロエ、いくら送ってもらうとは言え、夜遅くに若い女の子が帰宅するのはどうかと思います。私としては朝帰りの方が安心だけれども……嫁入り前ですからね、何事もほどほどにしなさい」


「ご心配をおかけして申し訳ありません、お母さま」


「恋愛が現在進行中の貴女はテネーブルさまに言い出せないのでしょう。けれど次回もまたその次も帰宅が深夜になるのでしたら、私から彼に直接一言申し上げるしかありません」


 私がクロエに心を鬼にして忠告しているのを、ダフネはニヤニヤしながら面白がっているのです。


「お母さまだって恋が始まったばかりなのですから、思いっきりゴティエさんに甘えてラブラブイチャイチャすればいいのに。お姉さまの手前、母親が手本に……だなんて思って午前様も朝帰りも控えておいでなのでしょうけれど。それにお堅いクロエ女史だって、もう少し柔軟になって羽目を外した方がテネーブルさまもお喜びになるに違いありませんわ」


「ダフネ、貴女はまたそんな言葉遣いを……クロエはともかく、私とクリスチャンはもういい大人なのですから、節度を持ってお付き合いしているのです」


 と言っても、日中はほとんど彼の家に入り浸っている私でした。もう少し気を引き締めないといけないかもしれません。


「えー、そんな節度だなんて。お母さまこそ、女盛りはまだまだこれからも続くのですよ。若い恋人から精を吸い取って思いっきりエンジョイしないとー」


「いい加減にその下品な物言いはおやめなさい!」




 とにかく、私たちの交際は順調でした。クリスチャンは常に礼儀正しく、誠実で、愛情溢れた恋人でした。


 まだ若い彼はねやでもそれ以外でも私に甘えてくることがあり、そんな彼の態度には無性に自分の中の女の部分を感じずにいられません。かと言って、年頃の娘たちが居るので彼の家には泊まれないと言う私にも機嫌を損ねることもない、大人の男性でした。


 彼が大家族の中で愛されて育った人だということが分かります。そんな彼が今までずっと独身で家庭を持つことがなかったのが不思議でした。



***ひとこと***

クリスチャンったら職権乱用してまで、キャロリンが一目惚れした夢の家でムフフなことを……


前作ではフランソワと逢引きを重ねるクロエに対し、冷静に苦言を呈していたキャロリンさんでした。実は彼女自身もラブラブな恋人との交際が始まったばかりだったとは!


情熱 ジャーマンアイリス / バラ(赤) / ヒガンバナ / カンナ / アンスリウム(赤) / ブーゲンビリア / ブバルディア / グズマニア / レンゲツツジ

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