第六話 誠実な愛


 私とクリスチャンで居間の皆さんにお酒とおつまみを出しました。


「なんだか、キャロリンさん大勢で押し掛けて申し訳ありませんねぇ」


「私たち一杯飲んだら帰ります。長居はしませんから」


 皆さん何だかニコニコというよりニヤニヤしておいでです。


「そんな、ゆっくりしていって下さいって、家主でもない私が言うのも変ですわね……」


「いーえいえ、とんでもないです」


 そして皆さんは本当に一杯か二杯飲んだだけで全員がさっさとお帰りになり、私はクリスチャンと二人残されました。


「クリスチャン、私もお片付けの後、おいとまいたしますわ」


 そう言って私はお盆を持って立ち上がろうとしたところ、彼に手を引かれて再び座らされてしまいます。


「いえ、キャロリン、酔いが醒めたら辻馬車を呼びに私も一緒に下に降ります。もう少々待ってください」


 実はまだクリスチャンと一緒に居たい気持ちが私にもありました。彼の言葉に、彼の表情に一喜一憂している自分が居ました。


 長椅子に座った私の隣に彼も腰を掛けます。何だかその距離が近くて私は鼓動が早くなるのを感じていました。クリスチャンは私の右手をしっかりと握り、真剣な眼差しで私の顔を覗き込みます。


 もしかして彼は酔った勢いで私を寝室に連れて行きたいのでしょうか。そこまで酔っているようには見えませんが、彼になら抱かれても良いと思いました。


「クリスチャン……」


「キャロリン・ジルベールさん、思い切って言います。売り家のことは抜きで、私と交際して下さいませんか?」


「こ、交際ですか?」


 一瞬耳を疑いました。恋愛や男性とのお付き合いにはもう十何年も縁のない私です。この体勢で、押し倒される前に交際を申し込まれるとは思ってもみませんでした。


「はい。貴女にあの家の前で出会って一目惚れしたのです。話せば話すほど貴女に惹かれていく自分が居ました」


「それでも……」


「経験上、夫婦や恋人同士で家を探している人なら大抵二人連れか、男性が率先するものですから。貴女は決して主人に相談するとか、私共とかおっしゃらなかったのでもしかして貴女は独り身ではないか、と淡い期待を抱いていました」


「ま、まあそこまでお考えだったのですか……」


「初めて貴女と会った夜に私の方から名刺を渡しただけで、連絡先を聞いておけば良かったと後悔しきりでした。それでもその翌日、ダフネさんと一緒にわざわざお礼に来て下さって、彼女から貴女が独身だと聞いてからはもう居ても立っても居られなくて……」


 まだ知り合ったばかりのクリスチャンですが、信頼できる誠実な人だということは分かります。


「実は私も同じです。いい歳して恥ずかしいのですけれども最初から貴方のことを男性として意識していました。あの、不束者ですがよろしくお願いいたします」


 私の右手は更に力強く握られました。


「ああ、貴女に受け入れてもらえるなんて……私は何という幸せ者なのでしょう。嬉しいです。貴女があの家に一目惚れしたなんておっしゃるから、私はただの建築物にまで嫉妬を覚える始末でした。だってあの家のことを語る貴女はまるで愛する人のことを思うようで、何とも切ない気持ちにさせられました」


「ま、まあ……幸せなのは私の方ですわ。この歳になって貴方のような素敵な男性に望まれるなんて信じられない気がします」


「これ以上歳のことはおっしゃらないで下さい」


 そう言ったクリスチャンは私の大好きな笑顔を見せてくれました。


「はい、分かりましたわ」


 そして私は優しく抱き締められます。この温もりを一度覚えてしまったら抜け出せそうにありません。


「貴女への告白は酒に酔っての勢いではありませんからね。確かに飲んでいるお陰で少し強気になったということは否定できませんが……」


「まあ、うふふ」


「今はお酒よりも幸せに酔っています」


 そして私が顔を上げて二人の目が合うと同時に唇同士も重なっていました。彼のいたわるように優しく触れる唇にもっと激しく奪って欲しくて、長い間眠っていた私の中の女としての本能がうずきました。


「ああ……クリスチャン……」


「キャロリン、貴女の魅力に負けて私はもうどうにかなってしまいそうだ。けれど今夜のところは口付けだけにしておきます。素面しらふの時に改めてきちんと貴女を私のものにしたいですから」


「まあ、貴方は本当に律儀な方なのですね」


 あまりにもお行儀の良いクリスチャンの態度に少々気落ちしている自分が居ました。共通の知り合いも居ない彼とは、すぐに一線を越えてしまってその後関係が悪化してもお互い気まずい思いをしなくても済むのです。


「これでもありったけの理性を振り絞っているのですよ。貴女に押し倒されたらそのまま流されてしまう自信があります」


 クリスチャンはそこで私にウィンクを送るのです。


「うふふ、お上手ですわね」


「私は貴女との愛をゆっくりと確実に育んでいきたいのです。さあ、辻馬車をつかまえにいきましょうか」


 そして数区画二人で手を繋いで歩き、私が辻馬車に乗る前にも再び口付けられました。


「良いお年を、クリスチャン」


「キャロリン、貴女も。今年の帰省は早めに切り上げて、貴女に会うために王都に帰ってきますよ」


 クリスチャンは明日から故郷の実家に帰ると言っていました。


「そんなことおっしゃらずに、久しぶりにお会いするご家族とゆっくりなさって下さい」


「努力してみます」


 何だかたった今、自分に起こったことが信じられない気分でした。頬が自然と緩んできます。帰宅するとダフネがまだ起きていて、台所で新年のために料理の下ごしらえをしているところでした。


「お母さま、お帰りなさいませ。意外と早かったですけれど、お楽しみになりましたか?」


「え、ええ、それはもちろん……」


「ねえお母さま、何だか笑顔がたるみきっていらっしゃいますわよ。良いことがあったのでしょう?」


「いえ、何でもありませんわよ」


「水臭いですわね、教えて下さい」


「うふふ、だから何でもないと言っております。ダフネ、貴女もあまり精を出しすぎないようにして早く寝なさいね」


 私は何だか気恥ずかしくて娘にもまだ言えませんでした。しばらく後で知ったことなのですが、ダフネはいつの間にかクリスチャンと結託していて、私たちの動向は彼の方から聞いていたそうでした。




 例年のように新年は母娘三人で静かに迎えました。今年中にはジルベール家が負う借金も完済できそうでした。


 長女クロエは年明けからは本人が以前から希望していた司法院へ異動になり、心機一転益々仕事に励むと言っています。


 次女のダフネはこの夏には学院を卒業し、料理人として就職する予定です。本人は王宮に勤めたいと言っていますが、かなりの難関です。とにかく、全てが良い方向に向かっているようです。


 年末にクリスチャンから告白されて数日経ち、私は何だかまだ信じられなくて、あれは夢だったのではないかと思うようになっていました。


 クリスチャンは故郷に帰省して、そこで昔馴染みと再会したり、新たな出会いがあったりで私のことなどすっかり忘れてしまっているかもしれないのです。それでもしょうがないと諦めようと私は努力していました。




***ひとこと***

友人の皆さま、グッジョブ! 申し合わせたようにサッサと帰ってしまわれました。それにしても、クリスチャンのお行儀の良さ度がぐんと上がったこの回でした。


誠実な愛 チューリップ(ピンク) / レモン(花)

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